「50代からの個人旅行」というブログを、今日、初めて読んだ。
南フランスを周る旅で、お友達と2人で、すべて自分たちで手配されていた。
二人なら、悪くない。
なぜなら、トイレに行くときも順番で手荷物を見張りあったり、
なにかの時に協力し合えるから。
わたしの場合、二人になると、とたんにダメになる。
なぜかというと、ものすごく依存心が強いから。
思考力が、ぴたりと止まり、相手の行動に影のようにぴたっと寄り添ってしまう。
前に長女と旅行したとき、
あんまりにもわたしが、後ろをひたひた、九の一(くのいち)忍者のように付いて周るので、
ちょっとぐらいは、自分で考えたら??と、突き放された。
パリの地下鉄では、あわや、車内に置いてきぼり危機一髪。
迷子の置き去り・成人・日本人女性となり、警察にお世話になるかも知れないところだった。
あのとき、親切な地下鉄車内のおばさんが、めざとく、固まっているわたしを見つけ、
事態を察知し、内側からドアを手動で開けてくれなかったら、
一族の恥さらしとして、代々語り継がれることになったかも知れない。
姉と香港に行ったときも、ホテルへの帰り道も当然のように姉にお任せしていたら、
突然、「じゃ、買い物したいので、ここで、別れよう」と言われ、
姉は、わたしを置いて、すたこら消え去ってしまった。
わたしは、姉の後姿をぼーーっと見ながら、その直後、どきり、心臓が止まりそうになった。
それ以来、わたしは、自分が泊まるホテルの名前ぐらいは、覚えとかなきゃーねー、と、
いまさらながら思った次第。
わたしの危機管理能力のなさは、3歳児ぐらい。
幼稚園児のほうが、まだしっかりしているかも知れない。
第一、幼くてかわいいし。
複数で行くのは、依存してしまうからダメ。
一人で行くのは、あぶなかしくって、もっとダメ。
でも、自分でもできるレベルのことを見つけて、自分でやってみたい。
幼児が、母親の手を振り切って、「自分で!」と、やりたがるようなもの。
幼児なら、これからどんどん成長していくが、この年になると、
笑い話では済まされない「大ばかモノ」になりかねない。
話をもどすと、
その「50代からの個人旅行」の方は、自分で、飛行機、宿、目的地、ルート、交通機関、すべてを
あらゆるツールや、多方面からの情報を駆使して、調べ、綿密な計画を練りあげ、
行動に移されている。
英語はもちろん、当然できて、フランス語も、車での移動などの時間を有効に使って、
CDで勉強し習得されたりしている。
ラジオ講座を居眠りしながらBGMにしているわたしは、お話にもならない。
もう、ここのところで、まったく、まったく、まったく、わたしとは違うわけだ。
わたしは、なにを隠そう・・・英語すら、できない。英語すら。
ほんの片言がわかる程度、まさに現地の乳幼児ぐらい。
それで、個人旅行を夢見ているということが、すでに、大きいなマチガイだ・・・
ということが、今日のそのブログを読んで、ひしひしと感じ、理解した。
考えててもラチがあかない。行ったら、どうにかなるだろう・・・
て、どうも、ならん、って・・・
おたおたして、スリや置き引きや、困っているときに、上手い話に乗せられて、だまされて、
あわわわわ、となるだけだ。
そんなわたしが、ひとりでなど、個人旅行できるわけがない。
そのブログの、長い長い7日~8日ぐらいの旅行記を、準備から、帰国後の感想まで、
延々と読んで、どどどどどどっっっっっと、疲れた。
最近、趣味のはずが、楽しいはずが、疲れるばかり。
一度、いやというほど、恥をかきに、行ってみるのも、ひとつの手かも知れない。
そう、耳元で悪魔がささやく。
でも、命乞いする、わたし。
まだ、命が惜しいです。
なので、脳内パリを、
脳の使わない場所、ゴミ箱近くに、ぎゅぎゅっと圧縮、圧迫、押しつぶし、封印しようかと、
悪魔と談合しようと、働きかけているところだ。