蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

生きがい

2024-06-21 | 趣味
父(故人)の仕事場。
わたしが生まれた年に、独立スタートした。
父は、田舎の家(故郷)から仕事場に通った。
数年後に母も仕事を手伝うようになった。
わたしは、田舎の家から、仕事場のある地域の教育機関に、幼稚園の時から通った。
バスで30分。
小学5年生の時に、仕事場のある地域に転居した。
仕事場から100mの場所。
田舎の家には(父方)祖母をひとり残し、我々は週末に田舎に帰っていた。
(その間、大規模リフォームもした)

祖母が88歳の時に、仕事場のある住居に身を移し、最後の5年を過ごした。
祖母は亡くなるまで頭は、しっかり。
わたしも祖母の血を引き継げばよいのだが、、、母方祖母なら、、、母も脳みそがふやけているし、、、うーーん、、、ちょっと哀しいかも。
もし、認知症が遺伝なら。
しかし、今は認知症はここかしこに、ごろごろ。
家庭も行政も、対応しきれない現状だ。

わたしは、今は介護する側の年齢であり、まだ介護されるところまでにはいっていない。
自分が介護される歳になると、夫も同じ世代。
だが、夫に介護される自分は10000%想像できない。
夫を介護している自分も想像できない。

要介護の奥さんを毎日、自宅で介護している75歳の男性がいる。
奥さんは去年、病気で倒れ、その後遺症で身体が麻痺しているため、食事、入浴、排泄介助、日常生活のほとんどを夫である男性が介護している。
夜通し数時間おきに排泄介助があり、まとまった時間の睡眠は取れないようす。
彼は、ダンススポーツ、トップクラスの現役競技選手だったのだが、競技生活は介護事情で続けられなくなった。
60歳で定年退職後、アルバイトをしながら15年の歳月をかけて、初心者で一からチャレンジし、一生懸命取り組み、やっと上り詰めた矢先、、、
それを潔く手離すのは、やはり、いつも全力で頑張って来られたから、かえって執着されないのかと想像する。
今は、ほんの少しのスキマ時間に、近所の趣味の会場に出かけて身体を動かしている。
家から自転車で行ける場所、時間も昼食後から出て16時には帰らなくてはいけない。
場所、時間に制約を受ける。
にもかかわらず、彼は妻の介護は新しい生き甲斐だという。
妻を本当に愛していることがわかったという。
アタマが下がる。出来た人だ。
わたしにはとても真似できない。

介護が愛情のバロメータだとすると、ぶっちぎりトップクラスの愛妻家だ。
現役競技選手の時から、ぶっちぎりだったので、活動舞台を競技から介護に変えたものの、同じエネルギッシュ熱血路線を歩いておられるのだろう。
だが、彼の介護生活を支えているものは妻への愛情はもちろんのことだが、「趣味」の存在だそうだ。
ほんの短い時間でも、やりくりして、自分の趣味に打ち込む。
切り替えが素晴らしい。
趣味は人を救う。

自業自得の毎日

2024-06-03 | 趣味
1週間のうち、4日も割いていた、ある趣味活動を休止してから2ヶ月が過ぎる。
続けることも出来たのだが、わたしの一方的意思で、やめた。
やめた後もずっと、復帰してちょうだい、とオファーを受け続ける。

自分からやめたのに、メリハリのない毎週毎週、のんべんだらりと何もすることがなくて、すっかり退屈している。
しかし、元のように戻ったら、せっかく意を決して、やめた意味がない。
のではあるが、、、、退屈。
でも、戻りたくない。

これは著しく贅沢、ワガママである。
10000人中10000人に、善く思われないだろう。
不快感を抱かれるだろう。
まさに、タネを自分で作り、苦痛を感じているならいざ知らず、退屈でしかたない、なんて。
だがしかし、せっかく頑張って決意して憂鬱を回避したのに、元の木阿弥にはなりたくないし。
憂鬱は一時的に解消でき、その代わりに退屈がやってきた。
真ん中は、ないのか?
ちょうど良いさじ加減は、ないのか?
ゼロか1か、のコンピュータのようだ。
0.5は、ないのか?
まったくもう、、、世界は自分を中心には回らない、、、の典型。

2ヶ月もぼーっと何もしなかったら、身体も頭もこころも、緩みまくる。
まるで入院生活か、収監か、自宅軟禁。
しかも、自分から能動的に決めて動いて、わざわざ動かないことを選択してこうなった。
新しい動きをしなければ、家のなかでナメクジが溶けるかのようになってしまう。

前々から嫌だな、やめたいな、と思っていた別の案件も、時を同じくしてやめた。
なので、一気に、冷蔵庫の中が空っぽになるかのように、ずっと入れていた消費されない厄介なお荷物が一新された。
のは良いが、代わりのものを入れないと、空っぽのまま。
わたしは、いったい、何がしたい?

あれも嫌、これも嫌、と、取り除いて行ったら、なんにも残らなくなった。
あらま、わたし、何もない。
断捨離の先に何も残らない。
(不要品のモノは家に山と積まれているが)
自分から自発的に自主的に能動的に、したいことはないのか?
いつも、したくないことを渋々付き合っていただけなのか?
邪魔な障害物を除くと、何もないなんて、、、。
ある意味、びっくり。

心身ともに健康で、足腰も動くので、そろそろこの自主的自宅軟禁は耐えられなくなってきている。
出口が詰まっているのに後ろからどんどん押されて、ぎゅーっとなり悲鳴をあげる、、、の、まさに逆。
後ろから全く何も押してこない、後ろには何もない、自発的にやりたいことが、これほど無いなんて、驚きだ。
ある程度の期間が過ぎれば、自然発生的に何か芽生える、発生するだろうと甘く考えていたが、何にも発生しない。
あるのは、心身の健康と身の自由と時間だけ。
なまじっか、やろうと思えば出来る、選択肢の山が、幸福感を下げている。
ボランティア活動でもすればよいのだろうけれど、、、奉仕の精神が基本的に育っていない。
この時間を活用して、終活すれば良いのだが、断捨離、終活系の小説を読み漁り、精神的に士気を高め、外堀を埋めようとしている、、、が、小説を楽しむだけの、わたし。
好きな作家(垣谷美雨)が1人増えたのは、プラスの副産物だが。

今月中ばぐらいには、何かわからないが、動きがあるような気がする。
あくまでも楽観的憶測であるが。

やること候補は、あれこれ調べて練り上げリストアップして、明日にでも動けるのに、当日になると足が重く、お尻が重い。
足が地中に埋まっているかのごとく。
しかたなく、無理やり読書したりして時間を潰している。
なんなんだ?わたし?
自分から発する欲求というものが無いのだと、つくづく思う。
かと言って、人の圧力に屈したり、流されるのは嫌。
自分が無いくせに、人からの押し付けや、強制は嫌。
自分にあきれる、自分。


しかしここで、ふと思う。
仕事をリタイアした人が、リタイア直後に陥る状況と似ているのでは?
一生懸命熱心に取り組み継続していたことが、まったく無くなり、ある日、リセット。
あれと同じか。
リセットならまだしも、デフォルトか。

リタイアした知人を見渡すと、2人以外は、再就職(アルバイト)をしている。
他にすることがなくて退屈だから、仕事に復帰した人が多い。
仕事が好きなのか、仕事以外には何もないのか。
仕事をしていない、2人の人は、趣味三昧。
釣り、語学、歴史、創作、旅行、音楽、趣味交流、、、。
最初はあれもこれもだったが、行動の特徴がだんだん絞られてくる。
音楽系の人、歴史系の人、、、ただ、2人とも、身体を動かすことからはどんどん遠ざかっているようだ。
趣味を絞り込むのは良いが、やはり運動は必須だと感じる。
そうすると、また仕事に復帰した人たちは、趣味の時間は減っても(元々、強い趣味がない)仕事で身体を動かすので、バランスはとれる。
必要に駆られ、お金のためだけに仕事をしている人もいるが、時間的にバランス良く仕事を組み入れている人もいる。
バランス型が良さげ。

わたしは、ひとり行動がメインなので、何かしら自分でプランを立てないと、何もしないで退屈な時間を過ごすことになる。
趣味と運動を取り入れた活動が理想。
だとすると、今、休止している趣味こそが、理想的な活動だと言える。
再開するにも、新装開店グランドオープンではなく、リニューアルという熱量、テイストになる。


朝の連ドラ、虎に翼

2024-05-30 | 趣味
虎に翼。NHK TVの朝ドラ。
おもしろい、おもしろい、とあちこちから聞こえてくる。
(実際は耳するのではなく、わたしがよくお邪魔する個人ブログやSNSの記事を目にして)
そもそもわたしは、朝ドラは時間が縛られて忙しないから見たくないという主義。
夜ドラも、「VRおじさんの初恋」が終わってから、次の新しいドラマは見ないことにした。
ではあるものの、あちこちから「虎に翼」の好評判をインターネット知人のブログで目にすると、見てみようかという気になった。
途中からなので、なんといきなり、主人公には幼児の子供がもう既にいた。
もう結婚はしたようだ。
4月から始まっているから、既に2ヶ月になる。
それにしても、連続のものをえらく途中から見たものだ。

で、見始めて今朝で3回目。
朝から涙、涙、涙。
次に放送される「あさイチ」で、朝ドラを受けての番組スタート司会(鈴木奈穂子、博多華丸・大吉)がまた面白い。
それより、主題歌「さよーならまたいつか!」(米津玄師)とオープニングのアニメーションのイラストがすごく印象に残った。
動画を撮影して、それをコマ割りして水彩画タッチで手描きし、アニメーションに仕上げる「ロトスコープ」という、シシヤマサキ(作者)の独自の表現法だとか。

わたしが訪れるSNSの皆さんは、ドラマ内容や歌は大変素晴らしいと感嘆していたが、オープニング・アニメーションに対しては、誰もなんにも触れていなかった。
わたしは、すごくすごく素敵で、感激した。
特に目がキラキラ輝いているようなイラストが動く表現に、すっかりこころを奪われた。
色もタッチも、優しいテイストで、大好きだ。
その上、あの歌。
さらに、ストーリーは、もう3分の1は済んでしまったものの、まあ惹き込まれること。
今、話が盛り上がるところなのかも?
毎日、楽しみにして、午前8時前にはそわそわしてTVの前で待っている。
ほんとにTVっ子だ、わたし。
その代わり、夜は夜ドラを見ないことにしたため、22:45まで待たなくてよいから、TVから解放されていい調子。


霧が晴れた森の中で

2024-05-16 | 趣味
ミニ鬱が続いている。
正確には、「続いていた」。
何もする気が起きないのに、強い外圧(長きに渡りプッシュされること)により決断、実行の期日を迎え、無理やり渋々、嫌々、行った。
また別件で長い期間、返事を求められているものもあり、本当に嫌で気が進まないのに、決行した。

どうにか動いたことにより、苦痛が和らいだ。
出口が塞がれているのに、後ろから突き上げられる苦しみから、一時的に解放された。
だが、解決したわけではない。
動かなかったものが、ようやく動き出しただけだ。

渋っていた、避けたかった事柄を無理やり行ったところ、肩の荷が降りた気楽さのせいか、その大嫌いなことをキッカケとして派生する別の事柄に、興味を抱いた。
本筋ではなく、枝葉のほうに、光を見た。
だが、これは、動かなければ見えないものだ。

自分と向き合い、悩みを解決するため、ヒントを得るために、訪れていた他のブログがあったが、もう卒業かも知れない。
停滞を切り抜けて、次の段階に移り始めている。
机上の幸福論を煮詰めていたが、具体的な内容を見つけ始めた。

大袈裟に書いた。
早い話、林住期をどう過ごそうか、暇に任せ退屈を通り過ぎて虚無感に襲われていたが、やりたいことが見え始めた。
それだけだ。

精神論はもういい。実践へ。
実際に行った人々の行動を参考にして、自分の計画を立てたい。
まだ立案とまではいかない。
もやもやした霧が少し晴れた森の中にいるよう。

その一つに、旅がある。
バックパッカーのご夫婦のブログが連日、ブログ村エッセイにランクインされていて、楽しみにしている。
このバックパッカーの旅とは真逆の、まさに対極にある、豪華客船の長旅をする人がいる。
対比すると、興味深い。
自分は何を求めているか、潜在意識を探る参考になる。

まだわたしには、体力と気力がある。
だから、枯れるには生乾き。
想いと現実がうまくマッチせず、軋んでいたかも知れない。
やる気をチャージするのに、わたしは人の何倍も時間がかかる。
ガソリンがどこかから漏れているのに、頑張ってエンジンを蒸していた。
どこから漏れているのか探すのに時間がかかる。
漏れが発見できたなら、漏れている箇所を修復しなければならない。
今はまだ、そんな段階だ。

好奇心を満たしつつ、運動を兼ね、緊張もして、一期一会を愉しみたい、、、そういう目標が出来た。
その場限りの偶然を楽しみたい。
(偶然と言いつつ、じつは偶然ではなく、それまでの長い道のりがある)
そういうアンテナを張って情報を集め、準備していきたい。
時刻表や設計図だけで楽しめるオタクになるかも知れないけれど、まあそれもよい。
楽しみの方向性が絞れたということは、それだけでも、わたしには嬉しいことだ。

次々、細胞が動き始める。
さらに不思議なことに、新しい未知のものが向こうからやって来ることもあり、それに乗っかる勢いが大事だが、乗り間違えないように注意しなければならない。


皆さんのブログ

2024-04-28 | 趣味
皆さんのgoo記事更新登録している、お気に入りブログが毎日、自分の編集画面に現れる。
毎日更新しているブロガーさんや、滅多に更新しないブロガーさんなど、色々。
登録ブログ数は、7つ。

その中で、暮らしが、トップとボトムにはっきり分かれるものがある。
比較するわけではないが、違いが著しいため、わかりやすい。
ひとつは、アッパークラスに属している方。
もうすぐ80歳の未亡人。一人暮らし。
ご自分の毎日の暮らしを写真と共に紹介されている。
美しい手入れされたガーデン、家、インテリア、調度品、花、食事、イベント、家族、、、実に豪華。
時々、室内の1番見栄えする一部分だけを切り取って紹介されているブログがあるが、そうではなく、全面。
ご高齢であそこまで管理されるのは素晴らしい。主婦の鑑。
ただ、妬まれる可能性はある。
世の中、色んな人がいるので、自慢に取る人もいることだろう。
かつて、ブログをめぐり、トラブルもあったようだ。
わからなくもない。
お嬢さん方は、母の生きがいのひとつのブログには応援はしているとは思うものの、自分たちの暮らしや家族をブログに写真入りで紹介されたくないだろうと想像する。
おそらく特定されないよう、人が良からぬ感情を引き起こさせないよう、母親に釘を刺しているとは推測するが。
いつ暴走するとも限らない。
高額詐欺に引っかかる高齢の方を連想した。
毎日、ブログを更新されているので、詐欺が疑われるような内容なら、読者が通報するかも知れない。
ご主人の学歴、職業、役職、赴任先、お子さんやお孫さんたちの、学歴、容姿、、、などなど、、(だいたい)わかる。
各人の価値観による、抽象的なものではなく、目に見える具体的であるため、比較しやすい。
危ないなあ、、、と、わたしは、娘さんになった気持ち半分で読んでいる。
でも、お一人なのに、家を完璧に管理され、頭が下がる。
昔、わたしが独身の頃、(自分では購入しないが)読んでいた婦人冊子「家庭画報」の世界。
ではあるものの、80歳を越える、今からが、正念場。
どこまで頑張っていただけるか、遠くから応援している。

まあそれはそれ、として。
毎回、高齢独居、ギリギリ年金暮らしの実例を紹介されるブログがある。
国のお世話になる一歩手前の、その日暮らし。
わたしの編集ページには、2つ並んでいるので、対比特徴の現れが著しい。

ちなみに。
オンライン婦人公論の記事で人気なのは、、、
団地1人住まい70歳超えで、イキイキ暮らす、、、みたいな特集。
婦人公論の記事に、紹介されるのは女性ばかり。読者も女性ばかり。
偏っているが、女性のほうが長生きするから、需要が多い。
男性はあまりそんな記事はチマチマ読まず、TVや読書なのではないかと想像する。
読書は、自分が好きなジャンル。
ひとつ、キーコンセプトがあると、展開しやすい。
例えば、歴史、中でも中世の中国史とか。
中国語も学習し、中国にも旅する。
歌も中国語。
日本史も大好きで、城跡にウォーキングしたりして、歴史のロマンに浸る。
旅ができなくなっても、頭の中では旅が出来る。

他には映画だとか、音楽だとか、人によって趣味は多岐に渡る。

女性は暮らしの中に楽しみを見出すのが得意なのではないだろうか。
それに比べて、男性はまた違う。
暮らしとは離れたところに、趣味を見出だす。
DIYだとか、菜園だとかは、実利的で助かるが、大量に採れた野菜を配る先がない、と嘆く人もいる。
先日、ある趣味の会場に、手作り野菜を一つ一つ、小さなビニール袋詰めにして、ダンボール箱にたくさん入れて持ってきた人がいた。
受付に置かれていたが、「ご自由にお取りください」ではなく、ひとつ「200円」だった。
袋には少ししか入っていない。安くはない。
なんだかなー、と思った。
趣味と実益を兼ねようと思ったのだろう。
わからなくはないが、、、。

姉の夫は菜園も趣味のひとつ。
先日、スナップエンドウと、ふつうのエンドウを姉がたくさんくれたが、スーパーで売っているのを見ると目を疑うような高値でビックリした。
くれたエンドウ、時価にすると何千円もする。
幸い、わたしはスナップエンドウは好物なので、ありがたく頂いた。


モノ作りは好きでない、趣味はない、でも時間はたっぷり、健康に良い、お金はほとんどかからない、、、となると、ウォーキングがオススメ。
ぞろぞろ150人〜200人のシニア大行進。
ではあるものの、やはりわたしは、誘われても足が鈍る。
歩くだけ。シンプルだ。
健康的なのはよくわかるが、なんだか、自分の足が減るような気がする。
人生で使える足の持ち数があるとすると、ただただ歩くだけでは、そんなことに使ってしまうのはもったいないような。
付加価値を付けたい。
好きな鉄道路線を歩く、だとか、歴史を辿るだとか、、、
団体ウォーキングは、テーマをつけて、歩くコース計画を立てられている。
(同じコースの使い回しも多いのは仕方ないが)
色んな地域から人々が集まり、それはそれで、悪くはないのだが、、、。
なぜかまだ、自分の年齢が、参加者の皆さんより若い。
黄金の林住期(〜75歳)が終わるには、わたしには、まだまとまった年月がある。
だが、次の、(命を終えることに向かう)遊行期は、前の林住期が終わってからしか訪れない。
繋がり流れた、一連のもの。
「歩くだけ」に行き着くまでには、色んな挑戦、試みがあるのだろう。
だが、大事なことは、健康でなければ、歩けない。
健康を維持するために躍起になる健康オタクになるのではなく、健康な黄金時期をいかに謳歌するかで、次に訪れる遊行期がまた変わってくる。
(健康でない人はダメかというとそんなことはない)





老後早取り・生きがい喪失感

2024-03-28 | 趣味
映画「四月になったら彼女は」を観た。
佐藤健、長澤まさみ、森七菜、実力派揃い。
森七菜は、キラキラしていた。
涙がまたまたツツツーと流れた。
佐藤健と長澤まさみのラブシーンは、ちょっと熱量が足りないと感じた。
長澤まさみはどうも、ラブシーンに向いていないのではなかろうか。
なぜかわたしは緊張して、ハラハラ、手に汗、握ってしまった。
見ている側が、ぎこちない気分になった。

ちょっと進行が遅く感じた。
なぜ?
テンポがゆっくり過ぎて、この調子だと時間がかかりそうだと思った。
演技派の俳優が揃っているのに。
純粋な恋愛ストーリーが、人生後半のわたしの体内時計の早さに合わないのか。

映画には相性があるようだ。
わあ面白い!と感激するものもある。
が、鑑賞中、居眠りしなければ及第点である。
採点基準が甘い。
とは言え、映画は面白い。
ここのところ、邦画ばかり観ているが。

さて。
4月から新年度。
この2年間、熱心に時間を費やしていた事を卒業する。
だが、4月からの予定は真っ白。白紙。
時間の空白を埋められるだろうか。

普通は、卒業の後は入学だったり、入社だったり、新しいフェイズに移行する。
終わってしまったら、静かに力も消滅して止まればよいが、まだ勢いがある分、足は着地したまま、前のめりに引っ張られる。
次に行く慣性の法則の力が働く。
急ブレーキ状態。

もう2週間前ぐらいに方向性は決めたのに、まだ精神的に執着している。
後ろ向きにぐずぐずしている。
決めた後も優柔不断。
なぜ、ぐちぐちしているかというと、仕方なくではなく、選択肢があるのに、自主的に能動的に決めたから。
選択肢が多いと幸福感度が低くなるという説を体感している。
次に進むための卒業なのに、次を用意していない、予定を組んでいないので、空白となる。
真っ白いスケジュール表に、対応出来るか?

ずーーっと前、本当にずっと前、35年近く前に、予定を入れない日がいかに退屈か、という経験をして、(日頃、よほど忙しくして休養が必要な場合は別)前々から予定を作らなければいけないことを思い知った。
空っぽの自分にとことん向き合い、仕事をし始めたので、時間もこころも空白は埋まった。

さて、この度はどうしよう?
いつも、次の予定が決まった上で卒業するから、バトンタッチ、引き継ぎ期間は前と後が重複するのだが。
仕事の場合でも、転職して次に行くところが決まって退職するならともかく、何も決まっていない状態で仕事を辞めることはあまりないだろう。
とても不安だ、、、。

時間を持て余すとなると、虚しい時を過ごすことになる。
なんでもいいから、時間を潰すことを見つけなければ。
何も準備しないで(本来の意味で)卒業してしまうのは、学生時代以来だ。
あの時は半年間、行く道を見失い、生ける屍になっていた。

2回目の卒業にあたる、35年前は子育てに一区切りした時。
末子が幼稚園に行き始め、それまでゼロだった自分の時間が、少し持てるようになった。
ぽかっと開く空白時間は、2回目となる。
卒業と入学の間。
これまで、1回目は学業終了から結婚まで、2回目は子育て一段落から就業まで、
今回は3回目となるわけだが、人生ステップから行くと、次は終活までの間か。
が、終活に手を付ける気がない。
腰が重すぎて一歩も終活方向に足も気も向かない。
もともと、小学生の時から宿題はギリギリまで溜めるタイプ。

普通は、ここで黄金の老後突入となるのだろうけれど、わたしは老後を20年前から先取りしてしまったため、老後が間延びしている。
そして健康で順調なため、心労なくエネルギーが減らず、溢れ余っているにもかかわらず、出口が渋滞している。

黄金の老後、第2弾。
だが、第1弾と第2弾の間の、休憩ではなく、不安な待ち時間の到来となる。
まだ第1弾は終了していないのにこの度、突然の休止となり、強制卒業となった。
たまたま時期が3月だったので、わたしは卒業にしたが、内情的には留年である。
単位が足りず本来なら卒業できない。資格、免状がない中途半端な状態。
でも、学校は卒業。さあ、どうする?
わずかな灯油しか残っていないのに、降りしきる雪の日々をじっと過ごすかんじ?

もうすぐ4月。
快活な明るい季節に、時間と身を持て余すだろうことが予測できる。
どうにかなるか?
いや、どうにもならない。

健康寿命はまだまだ大丈夫な黄金の老後なのに、退職した直後の、何もすることのない人のようになってしまいそう。
季節が背中を押してくれるか?
外因に依存しようなんて、甘い。

空の巣症候群ならず、老後早取り・生きがい喪失症候群。
実に贅沢なことを言っている。
この機会に、母に会いに行ったり、日頃のルーティンからは想定できない、何か全く違うことをしようか。








地獄の入り口か、天国の入り口か

2024-03-06 | 趣味
新しく、顔を知らない友達が1人加わった。Bさん。
顔を見たことがないというのは、インターネット上の繋がりだから。
悪い道に導かれ、悪事に手を染める、地獄の入り口か??

今のところは、SNSやメールのやり取りしかしていない。
その人のホームページや図解や、いろんなことを紹介してくれる。
麻薬の売人ではなさそう。
闇金融の人でもなさそう。
趣味ではダンスの解説、職業的専門は数字を扱う技術者。
昨日アップした蝶ブログ記事の焼肉ランチの人(Aさん)と、たまたま似通ったスペックの人とお近づきになったものだ。
趣味繋がり。
難しい社交ダンスをマスターするには、根気と努力と理解力が必須。
長い歳月を必要とする。
なので、ダンス通の人物像は、似通って来る。

それにしても、共通点がありすぎる。
良く似た背景の人が世の中にはいるものだ。
たまたまではなく、わたしが興味を示す分野に応じているのだろう。
ビットコインや仮想通貨、株、ファンドなどは、全く興味ない。
お金儲けをしようとする匂いには惹かれない。
犯罪はお金にまつわることが多い。
旅は嫌いではないが、毎日、どこへ行こうかプランを練ったりなどは全くせず、積極的ではない。
今、わたしのブームではない。
個人情報に関することにも興味がない。
もうリタイアした身、ビジネスに活かすわけでもなし、影響がない。
メリットもデメリットもない。
が、悪質な人生を歩んでいそうな人は避けたい。
とすると、共通点は趣味。
一つの趣味が共通の軸となるが、一人につき一つの趣味というわけではなく、他にも趣味を持っていることが多い。
他の趣味に触れることで世界が広がる。
面白い。

あまり外の世界には実際にリアルに繋がることがないリタイア後の生活、暇つぶしには、ピッタリ。
なぜ暇つぶしかというと、発展を求めていないからである。
知り合った人たちは、わたしよりはるかに歳上のため、先細りである。
自分より若い人とお付き合いした方が良いのだが、今のところは、若い面々は家族だけで十分。

だが、歳上の人たちとのお付き合いは、(この世から)一人減り二人減り、で、喧嘩したり絶交したりではないところが、私情を挟む余地がなく選択肢がない。

しかし、高齢の方はずっしり重い知識と経験がある。
長く積み重ねられたものは、それぞれのオリジナルを醸成し、貴重だ。
ただ、問題はある。
脳の衰えを感じた時には、躊躇する。
壊れた頭脳とは交信できない。

人情や友情を育てていたとしても、お互い、認知症がぼちぼち顔を出すと、よほど身近な人物でもない限り、お付き合いは徐々にカットされる。
自分から出ていかなくなるから、集まり先に顔を出さない人は自然消滅となる。
(TVで紹介されていたが、認知症の人が活動出来る場もあるようだけれど)
心身ともに、そして頭脳が動いている間に、活気ある行動をしたい。
心身だけでなく、頭脳も無尽蔵ではない、限りある資源だ。

心身や脳が弱ればまた、それに応じた過ごし方がある。
次のフェイズを迎える。
好きな音楽を聴き、好きなものに触れ、刺激だとかそういうものには無縁の、まったり穏やかな日々でソフトランディングする。

人の幸せには水を差さない

2023-12-24 | 趣味
趣味SNSで、ペア相手の男性から、女性が喜ぶオシャレなクリスマスプレゼントをもらった日記を読んだ。
いいなあ、、、。
この女性(Aさん)も、ペア相手(Bさん)も、10年ぐらい前から顔を知っている人。
朝からその日記を読んで、羨ましい気持ちになった。
女性は、わたしより10歳弱ぐらい若い。
ああ、わたしも10年若かったらなあ、、、と思いを馳せた。遠い目。
失われた10年か、、、?
と言えば、そうではなく、充実した10年。
後悔はない。
わたしは彼女より10年先を歩む、人生の先輩ということになる。
これが、90歳と100歳なら微妙、100歳と110歳ならもっと微妙。
いいな、いいな、10歳若くて、、、と羨ましがっているかどうかは、ハテナ?である。
人など、どうでもよく、それどころではない、自分の人生にしがみ付くのに必死だろう。

それに、、、
蛇足中の蛇足だが、、、
このペア相手のBさんはAさん(女性)より一回り年上らしいが、Bさんの、前のペア相手(Cさん)は、すごくチャーミングな美人だった。
巷のパーティで2人で踊っていると、周りから拍手が起こっていた。
ペア解消後、Bさんの姿を度々パーティで見かけた。
新しくAさんとペアを組んでからもパーティにはAさんを伴わず、よく姿を表しておられた。
そもそもBさんは、パーティ好き。
お気に入りの女性もおられ、前のペア相手と解消してからも、Aさんと組んでからも、よく、この女性と2人で踊っておられるのを見かけた。
Aさんはご存知なのかどうか知らないが、わざわざ噂を流したり、Aさんご本人の耳に入れるほど、わたしは暇人ではない。
嬉しいプレゼントを頂いた感激日記をSNSにアップしておられるのに、水を差すようなことをする趣味はない。

ちなみに、皆さんもご存知なんだろうか?
わたしは、良いことも悪いことも、知らん顔をするタイプ。
人の領域には踏み込まない主義。
何も知らずに喜んでいるAさんが哀れだ、などとは思わない。
何も知らないことは、幸せなのだ。

Aさん(女性)は、Bさん(男性)をカタブツだとおっしゃっているが、なんのなんの。
あちこち、マメ男さんである。(実感)
でも、2人がうまく行っていれば他人は応援するのみ。

家政婦はミタ(古い!!)の如く、10年近く見続け、見るだけで何も言わない、行動しない、リアクションを示さないわたしのような静かな人も少なくないだろう。
見られている人も、見られていることに気づかない。
世の中、表に出ようが、裏に隠れていようが、静かにしていれば、静かなまま、平和にコトは進んで行く。




女性の目

2023-10-04 | 趣味
山崎豊子の長編小説「女系家族」を読み終えた。
かなり古い作品であるが、映画化され、TVドラマでも何度もお目にかかる。
配役もその時代が反映され、興味深い。
読み応えのある小説だった。
と同時に、楽しみが終わってしまい、気が抜けた。
作家というものはスゴイなあと、感心、感激、感嘆する。
脳のキャパが違う、深さ、幅が違う。
耐久性が違う。
そして、女性作家というものは、男性作家とは違う(当たり前だけど)力強さ、忍耐力がある。
まだ、有吉佐和子と山崎豊子しか読んでないのに、サラッと言ってしまうのは軽薄ではあるが。

わたしの親世代の作家さん。
小説の時代背景は、わたしが生まれた頃。
なので、あまり肌で感じるものはない。
わたしは当時の空気を吸ってはいるが、赤ちゃんであるし、舞台も全く違う。
大人になっていないと、世の中を知らない。
自分の周りだけの世界。
かと言って、江戸時代でも明治時代でもなく、時代は戦後の昭和。

ちなみに、次に読み始めた新書も、これまた母世代。(母より3歳若いだけ)
書かれたのは半世紀近く前。
女性の生き方、みたいな本なのだが、どうも、不思議な匂いがする。
母世代の人が、その人が中年の時に書くのだから、二重、三重に、時代感覚のタイムラグがある。
母世代の女性にしては、斬新的な進んだ考え方をする人なのだが、何しろ48年も前(1975年〜1979年)に書かれたもの。
小説ではなく、新書。
中に人生80年時代とあるが、今は延びて人生100年、更に120年にもなるという。
それだけでも、人生の配分がずいぶん違ってくる。
なんだかなあ、、、
昔に書かれた、時代の一歩先を行く進んだ内容って、、、
足したり引いたりして現在なら丁度ぴったりかと言えば、へんに力んでいる感じで違和感を覚える。
リアルタイムで勢いよく書かれたものは、後に整えられたものに比べて、粗さや、よけいな熱さを感じる。
バグのようなものがある。
革新的な内容なのに、今では何を今更的な、わざわざ文字にするようなことではない。
時代の流れとは、こういうことか。
だが、明治時代や大正時代の記述に関しては、知っていることと合致し、再確認する。

まだ読みかけたばかりなのだが、この本、自分で買ったのだろうけれど、全く記憶にない。
掛けているカバー(紙)を見ると、廃業した、家の近所の本屋さん。
が、アタマに残っていない。
どんなつもりで買ったのか、想像も出来ない。
すっぽり抜け落ちている。
懐かしいとか、そんなものもない。
当時の自分はもう片鱗もないということか。
すっかり枯れてしまった。


※写真は大きなシャインマスカット。
真ん中にある、お花みたいな大粒が楽しい。


手近な楽しみ

2023-07-14 | 趣味
TVを見ながら、こくりこくり。
始まったようだ。老化現象。
昼寝をしないと22時を過ぎると眠くなる。
あるいは、関心、興味が低下した?
そりゃそうだろう。
TVは見る側は受け身、お仕着せだから。
口を開いて入れてもらうのをぼーっと待つだけ。
気合いを入れて番組をピンポイントで絞り込み、能動的に首を長くして待ち望んで見ているとは限らない。
毎週流される番組、惰性。
中にはピカッと光り、胸にグッと来るものに出会うこともあるが、そうそうしょっちゅうではない。
見る側も作る側も、常にエキサイティング、テンション維持は難しい。
激しくくだらない低俗なものもある。
(そういうのはハナから見ないが)
それもあってか、好きな番組なのに居眠り。


ただいま、余暇タイムをスマホから小説に移行中。
今、読んでいる本を読み終えたらまたスマホに戻るか、あるいは次の本を買う。

今、読んでいる本、とても面白い。
有吉佐和子の「悪女について」。
すでにTVで見たばかりなのに。
だが、原作と脚本が少し違う。
端折ってあるから仕方ない。

ヒロインではない女性たち、感じ悪い。
とは言え、自分に同じものが流れている。
否定と肯定が同時に存在し、分裂。
逆ベクトル同士、引っ張りあって、プラスマイナスゼロの普通の位置になっている。
柔和な人物となってニコニコ存在している。
ジキルとハイド。
有吉佐和子もそれを狙っていたのか、読む人が勝手に深読みするような文章力なのか。
ヒロインは、聖女と悪女の構図になっている。
一種の多重人格(解離性同一症)、軽症の疑いありか?

それにしても、先にTVドラマを見てしまったせいで、主人公はじめ、登場人物全員が、役を演じた俳優さんの顔、セリフ、動作になってしまう。
まるで、ハリソン・フォード演じるインディ・ジョーンズの若い頃の映像をCGで作成するかのごとく。
「悪女について」は、直近にTVで見たのがアダとなった。
いや、TVで見たからこそ、小説を買ったのだが、、、。
か細く小さい田中みな実さんは、適役だった。
騙され役のひとり、尾身としのりさんは、どんなダーティな役柄であろうと、わたしが勝手に描くイメージで好感を持っている。
あの顔はお得である。
とは言え、別のドラマで演じた役では、無味乾燥のツマラナイ人だった。
俳優がスゴイのか、原作がスゴイのか、演出がスゴイのか。
名バイプレイヤーの一人かと、個人的に思っている。(単に好きなだけかも)
ここのところNHKドラマでよく見かけるが、この人、NHKさんに好かれているようだ。

と、話は脱線。
演劇はよくわからないが、映画やミュージカル、TVドラマは、手近に手軽に安価で楽しめる娯楽の一つだ。
自分の身体が動かなくなっても、楽しみの種をまた一つ見つけた。
「TV鑑賞は安易に流される時間の使い方だ」と、幸福論を唱えるFIREブロガーは幸福自覚貢献度が低いと言うが、そうでもないと思う。
他にすることもなく、退屈凌ぎで見るのと、その時間を確保して積極的に能動的に見るのとでは違う。
同じだ、と言われたら、人によって感じ方や捉え方が違うので、自分の価値観だけで断定されると違和感を覚える。

とは言え、同じ作品を見ても、わたしの見方とまるっきり違う人の考えや感性に触れると刺激を受けることもあるし、落胆することもある。
自分だって自分の尺度で測っている。
が、最もガッカリするのは、全く何にも考えていない脳に出会った時。
ああ純粋無垢だ!と感動するかというと、(幼い子供になら感動するけれど)、なぜか、イラっと来る。
もちろん赤の他人ではなく、実際に関わりのある人であるが。
人には色んな面があるので、人のことは全く言えない。
わたしもさぞや、イラっとさせていることだろう。

その実例がある。
実例の人物とは6年ぐらい共に時間を過ごした。
水と油なのに、よく頑張った。
そういう人間関係を卒業して思うことは、、、ああよかった、である。
相性の悪いものは、ストレスの元になる。

さて。
話がどんどん脱線していく。
今日も暑いだろうけれど、がんばろう!
と、唐突に〆ます。