蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

超高級老人ホームの人々

2025-01-23 | 暮らし
今週は何かと活発に動いた。
内情は、ぼけ〜っとしているのではあるが、じつは、試行錯誤している。
「静」と「動」を組み合わせると、互いに影響を与え合う。
(実に当たり前のことを真顔で言っている)
ひとつの実験のようなもの。
人生そのものが、実験。

ところで。
以前、仕事の取引があった、ある会社。
オフィスに行くと、しーーん、、、としている。
営業で顔を出すと、話題を振るのが大変。
何の関わりもないオジサンに何を話せば良い?
野球とか、趣味、ニュースの話題、、、。
今、思い出しても脂汗が出る。
その会社では時々、事務所ごと移転したり、同じ事務所内で席替えが行われていた。
若い女性もいて、室内、周りの席はオジサンだらけ。
デスクが接近しているから、一挙一動、まるまる伝わる。 
あれは、見ていてもお気の毒だった。
だが、9時から5時?まで、息を殺すようにじっと課された業務をこなしていれば、その日が終わる。
昼食が持参弁当の場合、気分転換のしようがない。
オジサンたちは、外食ならまだしも、愛妻弁当だったりすると、、、
隣同士、お弁当、、、。
が、割り切りが大事。
遅れず辞めずに、ほどほど働くと、休日を楽しみにしながら、就業が終わる。
というか、それに耐えられるタイプの人しか残っていなかった。
閉塞感に息が詰まる人は、辞めてしまう。
まして、型破りの人は、初めから向いていない。
その、しーーーんとした動きのない事務所に、こんちわっ、と入って行くのは、かなり勇気が要る。
向き、不向きがあるだろうが、自分がどういう立場、目的かによって違ってくる。
自分がもし、生命保険の勧誘員だったら?
というか、わたしは、そもそも保険外交員には全く適正がない。
もし、やらなければ家族のイノチはないゾと脅されたら、やるかも知れないが。
でもミスばかりだろう。ハッキリ見える。

わたしの就労経験は、人生の深みを増すお手伝いにはなった。
役に立った、とは、恥ずかしくて言えない。
ただ、世の中には、そこそこデキが良くなくてもクビには出来ないような仕組みになっているようだ。
あくまでも、日本の都市部、平成時代の話。
国や時代が変われば、全く違う。
ほんの一部分を垣間見た。

戦争時の兵士や市民の映像報道には、とても直視出来ない。

ちなみに。
話がまるで変わる、、、が。
1週間前、先週金曜日のEテレで放送されていた番組「ねほりんぱほりん」。
超富裕層向け介護サービス付き老人施設の職員さんの内輪ホンネ話。
知らない世界を興味本位に覗いてみたい、下衆嗜好ではある。
面白かったが、不愉快だった。
あんな老人には絶対になりたくない。
と、視聴者は全員そう思っているに違いない。
というか、そういう意図が見え見えの企画。
悪意以外の何ものでもないが、面白おかしく、世の中の不公平感、不平等感を煽っている。
高齢でも、まだ権力はあるようで、経済力を全面に行使し、、、
傲慢、我儘、感謝を忘れているのは年齢のせいだけではない。若い頃からだろう。
特別にひどいケースをデフォルメ的に紹介することで、インパクトを与えようという意図が見える。
代々資産家とかではなく、一代で巨額の富を築いたナリキンさんに多いそうだ。
一般人とはかけ離れた破格の行動だから、面白いけれど。

老人ホームも、一般社会の縮図だということ?
高級老人ホームもあれば、スタッフ不足の老人ホームもある。
それも社会の縮図?
自宅で家族が介護(あるいは独居で)、ヘルパーさんに補助してもらい、デイケアに通う人もいる。
家庭内で夫婦、または独居で、認知症の人の実数は把握できないと思われる。
超高齢化社会に戸惑う我々。
問題が大きく深い。
興味がある、、、などと、まるで他人事では済ませられない。

※写真は、記事とは無関係。
一昨日、行った、ゴルゴ13展。





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