蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

上村松園 凛とした美 

2009-04-05 | 展覧
上村松園[明治8年(1875年) - 昭和24年(1949年)]は、努力の天才日本画家。
男性中心の明治時代の画壇で、パワハラも渦巻いたであろう中、
類稀な才能と気性とで、不動の地位と名声を得た松園。

細かい筆致、美しい色彩で描かれた作品のひとつひとつを丹念に観た。
四季折々の情緒深い風景や、草花、構図、ポーズ、仕草、
着物の色や模様、髪型、かんざしなどのヘアアクササリーはとても興味深く観察した。
たおやかな中にも、芯の強さを感じさせる、凛とした女性美。
時代を越えて、ひしひしと心に伝わってくる、永遠の美を感じた。

明治という時代は、女性は学問はもちろん、手に職などつけず、
嫁入りし、妻として家のために尽くす、とういのが善しとされていた。
幼い頃から発揮していた松園の才能を見抜き、絵画の世界に導いた母。
その生き方は、親娘ともに、世間の非難を浴びたという。

松園の父は、松園が生まれる2ヶ月前に他界したが、母は女手一つで松園を育てた。
その影響もあってであろうが、女性一人でも、職業を持って立派にやっていけば、
別に夫は必要不可欠ではなかったと言える。
だが、まだまだ男尊女卑の精神が根強く残り、家父長制度の時代としては逆風が吹いたであろう。
そんな時代の中、まして、松園は、(最初の師匠だという説がある)妻子ある男性との間に、
私生児を生んでいるわけで、それは風当たりが強かっただろう。
しかし、その私生児こそが、松篁である。
松篁の子供が、淳之。
後の世にも、芸術の功績を残した人たちを残し、美を伝承したのだから、
私生児であろうがなかろうが、やはり子供は生んでおくべきだ、とつくづく思う。
まして、特に才能のある人のDNAは、後世のためにも。

そんな松園も、40歳代の頃、うんと年下の男性に、大失恋をしたという。
その時の作品が、今までの松園のものとは思えないほどの、
怨念や情念の込められた、鬼のように恐ろしい女性の姿を描いている
『焔(ほのお)』(1918)

その後は、しばらく出展はしなかった時期を経て、憑き物でも落ちたように、
微動だにしない、内面に確固たる強さのある、女性美の世界に到達したといえる作品を残している。
その作品が、この『序の舞』(1936)である。
激しい動きの直後の、それまで何もなかったような静止、静寂。
着物の袖が、腕に巻きついている様子から、その一連の動作の美しさが見て取れる。
心の地獄を潜り抜け、苦しみ抜いたその後に得た、松園のひとつの悟りなのだろう。
その作品までには、20年の年月が流れている。

燃え上がり、湧き上がる、芸術の創作意欲を生み出し、醸成させる原動力として、
「恋」は欠かせない重要エネルギーとなる。
ピカソも然り、だ。

上村松篁(長男) 「熱帯花鳥」


上村淳之(孫) 「雁金」



江戸の美

2009-03-04 | 展覧
細見美術館開館10周年記念展 日本の美と出会う-琳派・若冲・数寄の心-
京都の細見美術館コレクションの中から90点をセレクトした展覧会に足を運んだ。

1代目の細見良氏は、丁稚さんから毛織物業界で身を起こした、昭和の実業家。
あの頃は、毛織物業界の人は、政府の後押しもあったのだろうが、
飛ぶ鳥の勢いで、ものすごく儲かったようだ。
初代さんは、飲む打つ買う、といった遊びを全くしない、仕事以外は、美術一筋の人。
仕事人間で、遊びを全くしない美術大好きという点は、私の父と、とても似ている。

2代目は、毛織物業界衰退もあったのだろうか、初代のコレクションを引継ぎ、美術商に。
今、3代目にバトンタッチし、60年余りかけて集めた美術品の数々の中から
今回は、珠玉の琳派・若冲と江戸絵画の代表作、そして茶の湯関連を厳選。

その中でも、酒井抱一が気に入った。
優美な花、植物、生き物をとても優しいタッチで描く。
酒井抱一は、姫路藩主家十五代・酒井忠恭の子、忠仰の次男として江戸で生また。
芸術を愛する家風の影響も色濃く受けて育ったが、33才で早々に隠居し、
兄亡き後、37歳で出家した。
大名の子でありながら、吉原の遊女を身請けしたり、風流人として独自の世界を築いた。
この金魚は、なんとなく、おもかわやさしい(面白・可愛・優しい)ので印象に残っている。

会場では、若い方の姿は見かけられなかった。
ジャンルとしては、弾ける若さは、ない。
静かな世代の、悟りの絵??

ちなみに、作品を熱心に見ていると、年配女性が
「あ、これ、家にあるわ。あら、これも、あれも。こんなのも、あったわよね~」と。
ご自慢ですか・・・?
いや、同じものは、二つとないはず・・・。
贋作か、似たような時代の流行品か。
おそらく同時代の骨董品が、おありなのだろう。

また別の高齢女性、学芸員のごとく、説明して歩くのが、気になった。
つい聞いてしまう。
さらに、これまたお年を召された方々が、ぺちゃくちゃぺちゃくちゃ、ぺちゃくちゃぺちゃくちゃ。
50年ぶりの同窓会ではないのだから、
なにもあんなに、会場の真ん中で、立ったまま、まとめておしゃべりしなくても・・・
喫茶店にでも入って、甘いものでも食べながら、お話されたほうが、楽しいのでは?

とは言え、皆さん、お年だし、お年寄りは大切にしないと・・・。
江戸時代の日本画は、今まであまりじっくり観たことがなかったので、
とりあえずは、まず、観ることから始めるということでは、よい勉強になった。

これで私も一歩、じわり、お年寄りの仲間入り・・・・?



眩しすぎる、コロー展

2008-10-14 | 展覧
先週、舞子ビラで夜から開催される、古田選手のトークショーついでに、
三宮で途中下車して、コロー展を観た。

私は、いつも、ちょっとのことで出かけるのは、能率が悪いと感じる。
はやい話、面倒くさがりだ。
遠くまでわざわざ出かけるからには、ジャンルは、まるで無関係でも、
2件はハシゴしたい。

なので、強引に、コロー展。
地理的に、大阪より西に位置するところから、選んだ。
前に、「オルセー美術館展」を観に来て以来の、神戸市立博物館だ。
平日の閉館近くということもあり、他の人が邪魔にならなくてよかった。


カミーユ・コローは、1796年、パリのブルジョワ家庭に生まれた。
26才で、家業を離れて本格的に画家を目指すことが許されたコローは、
自然に対するみずみずしい目と感性で、 風景画家としての地位を築き、
人物画でも傑作を残した。
古典の伝統をふまえつつ、確かな造形力で独自の詩的世界を作り上げ、
彼の影響を受けた芸術家は、ルノワール、モネ、マチス・・・と後を絶たない。
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誰もが一度は見たことがある、学校の教科書にも載っているコローの絵。
絵画といえば、コローを知らない、と話にならないかなあ・・・と
後学のため、観にいったようなものだった。
時代の表舞台に光り輝く、超正統派、優等生中の優等生といったかんじ。
時代の先駆者となる構図、色使い、筆致、ストーリー性、当時の風景・・・
説明にあるままに、素直に、ふむふむ、なるほどなぁ、と歴史的大作の数々を
ひとつひとつ丁寧に観た。

確かに素晴らしいのは、言うまでもないが、なぜか、すんなり、行き過ぎてしまった。
前回観た、首の長い、アーモンド目の、やたら赤い顔、はっきり言って、へんな絵の
モディリアーニのほうが、ずっと後々、心のどこかにひっかかって印象的だった。
ひょっとして、私は、絵を見る目が、変化したのだろうか?
これも成長? 
それとも、正統派に対する、コンプレックス?

モディリアーニのときは、音声ガイド器(有料)を借りなかったけれど、
今回は、奮発して(500円!!)借りたというのに。
中村吉右衛門が説明指南役だった。
行政も、予算がたっぷりなのか、
彼が、芸術理解者で、安めのギャラで引き受けたのか、
はたまたナレーション料は、相場として、そう驚くほど高くないのか?
ガイドが終わる頃になって、名前が流れ、意外だった。
渋いというか、思い入れたっぷりの年配の声だなあ、とは思っていたが、
無名のナレーターでも別によかったのでは、などと小市民的な私。


なんの先入観も、知識もない真っ白なままで、いろんな絵を観たい。
それは、絵に限らず、芸術全般、建物、人物、風景、街、・・・なんでもかんでも。
見るものだけでなく、五感で感じるすべてを。
自分の好みをリトマス試験紙でチェックしているようなかんじ。
感性に触れるかどうか。
少しでも、感性に触れるものに出会うと、しあわせ。
感性に触れなくても、勉強になって蓄積されるから、しあわせ。
その時はなにも感じなくても、積み重なって、色んなものが、じわーっと混じって
熟成されていく感覚に、こころ満たされる。
少しずつ変化する自分を感じることも楽しい。
どっちにしても、しあせわなのだ。

で、いつものごとく、絵はがきは、2枚チョイス。
閉館時間ぎりぎりまで、目一杯ねばり、博物館を後にした。

モディリアーニとの出会い

2008-09-05 | 展覧
国際美術館は、大阪・中之島にある。
私の事務所とは、目と鼻の先なので、ちょいちょい、出かける。

今回は、モディリアーニ展。
もうすぐ会期も終わるということで、会場は、多くの人がいた。

塾の知人に、ばったりお会いした。
奇遇だ。
軽く挨拶をして、足早に会場内へと向かった。

同時開催の現代アートで、舞踏家、大野一雄氏(当時90歳)を撮影した
作品群が展示されていた。
大野氏は、1906年生まれ、100歳を迎える生涯現役の舞踏家であるが、
一度、仕事でお目にかかったことがある。
凡人の私には、はるか彼方の、宇宙的な方だった。

55歳ぐらいの御婦人2~3人連れの方々・・・
「わぁ~・・いややね~・・・老人って」
と感想を一言。
決して老人の醜さを表現しているのではない、と私は思ったのだが、
彼女にはそう捉えられた。
感じ方、人それぞれ。
しかし、感想は、いちいち大きな声で、口に出さなくてもいいのでは?

目に付いたのは、60歳を軽く越えた御婦人たち。
あちこちで、熱心に鑑賞されていた。
ただ、これまた、ひとつひとつ、感想やら、世間話やらを挟んで
鑑賞(干渉?)されていた方々もいた。
はっきり言って、耳障り。

以前、元友人と美術館に行っていた時期があったが、彼女もそうだ。
熱心に見入っていた、まわりの方々が気になった。
私たち、ぺちゃくちゃぺちゃくちゃ、うるさくないかな~と。
なので、美術鑑賞は、ひとりマイペースで観るのが、私流だ。


さてさて、肝心のモディリアーニ・・・
モディリアーニ自身は35歳で早死にしたが、ルックスはカッコよかった。
こんな人が、近くにいたら、めろめろだ。
パリの前衛的な時代を生きた芸術家。
伝統的な価値観から、殻を破ろうと、芸術家たちはパリに集まり、
自由闊達な交流を持ち、自分の世界を築き上げた。

モディリアーニもその一人だが、
成功を収めた展覧会の翌年、短い生涯を閉じた。
二人目の子供を宿っていた妻も、幼い娘を残し
モディリアーニの死の二日後、あとを追った。
悲劇的な生涯。
芸術家一家の不遇の人生を越えて、作品は息を吹き返している。
当時の芸術パトロンがいてこそ、今日に残る作品。
全く理解されない芸術家を支援するのは、
よほどの理解と情熱がないと、できないことだろう。(モチロン、お金も)

褐色に近い肌色が、とても印象的だ。
アフリカやアジアの民族芸術に影響を受け、
彫刻家でもあった特徴を色濃く打ち出した作風。
目の形、色、背景の独特の色に魅せられた。
モディリアーニが、表現したかったもの、追求していたもの・・・・
なにかわからない力に、惹きこまれていく。
芸術家の魂、生きる力と引き換えに、芸術は確立されていく。


いつものごとく、お気に入りの作品のポストカードを数枚買って、
美術館を出た頃は、
空は暗雲立ち込め、夕立の雨に見舞われた。