上村松園[明治8年(1875年) - 昭和24年(1949年)]は、努力の天才日本画家。
男性中心の明治時代の画壇で、パワハラも渦巻いたであろう中、
類稀な才能と気性とで、不動の地位と名声を得た松園。
細かい筆致、美しい色彩で描かれた作品のひとつひとつを丹念に観た。
四季折々の情緒深い風景や、草花、構図、ポーズ、仕草、
着物の色や模様、髪型、かんざしなどのヘアアクササリーはとても興味深く観察した。
たおやかな中にも、芯の強さを感じさせる、凛とした女性美。
時代を越えて、ひしひしと心に伝わってくる、永遠の美を感じた。
明治という時代は、女性は学問はもちろん、手に職などつけず、
嫁入りし、妻として家のために尽くす、とういのが善しとされていた。
幼い頃から発揮していた松園の才能を見抜き、絵画の世界に導いた母。
その生き方は、親娘ともに、世間の非難を浴びたという。
松園の父は、松園が生まれる2ヶ月前に他界したが、母は女手一つで松園を育てた。
その影響もあってであろうが、女性一人でも、職業を持って立派にやっていけば、
別に夫は必要不可欠ではなかったと言える。
だが、まだまだ男尊女卑の精神が根強く残り、家父長制度の時代としては逆風が吹いたであろう。
そんな時代の中、まして、松園は、(最初の師匠だという説がある)妻子ある男性との間に、
私生児を生んでいるわけで、それは風当たりが強かっただろう。
しかし、その私生児こそが、松篁である。
松篁の子供が、淳之。
後の世にも、芸術の功績を残した人たちを残し、美を伝承したのだから、
私生児であろうがなかろうが、やはり子供は生んでおくべきだ、とつくづく思う。
まして、特に才能のある人のDNAは、後世のためにも。
そんな松園も、40歳代の頃、うんと年下の男性に、大失恋をしたという。
その時の作品が、今までの松園のものとは思えないほどの、
怨念や情念の込められた、鬼のように恐ろしい女性の姿を描いている
『焔(ほのお)』(1918)
その後は、しばらく出展はしなかった時期を経て、憑き物でも落ちたように、
微動だにしない、内面に確固たる強さのある、女性美の世界に到達したといえる作品を残している。
その作品が、この『序の舞』(1936)である。
激しい動きの直後の、それまで何もなかったような静止、静寂。
着物の袖が、腕に巻きついている様子から、その一連の動作の美しさが見て取れる。
心の地獄を潜り抜け、苦しみ抜いたその後に得た、松園のひとつの悟りなのだろう。
その作品までには、20年の年月が流れている。
燃え上がり、湧き上がる、芸術の創作意欲を生み出し、醸成させる原動力として、
「恋」は欠かせない重要エネルギーとなる。
ピカソも然り、だ。
上村松篁(長男) 「熱帯花鳥」
上村淳之(孫) 「雁金」
男性中心の明治時代の画壇で、パワハラも渦巻いたであろう中、
類稀な才能と気性とで、不動の地位と名声を得た松園。
細かい筆致、美しい色彩で描かれた作品のひとつひとつを丹念に観た。
四季折々の情緒深い風景や、草花、構図、ポーズ、仕草、
着物の色や模様、髪型、かんざしなどのヘアアクササリーはとても興味深く観察した。
たおやかな中にも、芯の強さを感じさせる、凛とした女性美。
時代を越えて、ひしひしと心に伝わってくる、永遠の美を感じた。
明治という時代は、女性は学問はもちろん、手に職などつけず、
嫁入りし、妻として家のために尽くす、とういのが善しとされていた。
幼い頃から発揮していた松園の才能を見抜き、絵画の世界に導いた母。
その生き方は、親娘ともに、世間の非難を浴びたという。
松園の父は、松園が生まれる2ヶ月前に他界したが、母は女手一つで松園を育てた。
その影響もあってであろうが、女性一人でも、職業を持って立派にやっていけば、
別に夫は必要不可欠ではなかったと言える。
だが、まだまだ男尊女卑の精神が根強く残り、家父長制度の時代としては逆風が吹いたであろう。
そんな時代の中、まして、松園は、(最初の師匠だという説がある)妻子ある男性との間に、
私生児を生んでいるわけで、それは風当たりが強かっただろう。
しかし、その私生児こそが、松篁である。
松篁の子供が、淳之。
後の世にも、芸術の功績を残した人たちを残し、美を伝承したのだから、
私生児であろうがなかろうが、やはり子供は生んでおくべきだ、とつくづく思う。
まして、特に才能のある人のDNAは、後世のためにも。
そんな松園も、40歳代の頃、うんと年下の男性に、大失恋をしたという。
その時の作品が、今までの松園のものとは思えないほどの、
怨念や情念の込められた、鬼のように恐ろしい女性の姿を描いている
『焔(ほのお)』(1918)
その後は、しばらく出展はしなかった時期を経て、憑き物でも落ちたように、
微動だにしない、内面に確固たる強さのある、女性美の世界に到達したといえる作品を残している。
その作品が、この『序の舞』(1936)である。
激しい動きの直後の、それまで何もなかったような静止、静寂。
着物の袖が、腕に巻きついている様子から、その一連の動作の美しさが見て取れる。
心の地獄を潜り抜け、苦しみ抜いたその後に得た、松園のひとつの悟りなのだろう。
その作品までには、20年の年月が流れている。
燃え上がり、湧き上がる、芸術の創作意欲を生み出し、醸成させる原動力として、
「恋」は欠かせない重要エネルギーとなる。
ピカソも然り、だ。
上村松篁(長男) 「熱帯花鳥」
上村淳之(孫) 「雁金」