蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

時代によって変る価値観

2017-02-19 | 
わたしには、自分の身を支える軸足が、田舎とニュータウン、二つある。
田舎のほうの家は、日本全国、似たような傾向にあるようだが、ほぼ空き家になった。
軸足は一つ減って、ニュータウンの自分の家だけとなった、というなら模範解答の一つなのだが。
(さらに核分裂して、娘がニュータウンの我が家の近くに居を構えた)

田舎から引き上げて撤退、統廃合!なら合理的で解り易いのだが、そうはいかない。
田舎には、夫の、目に見えぬ代々のご先祖様の幽霊が彷徨っている。
生きていなくても、手がかかる。
これをどうしたものかとアタマが痛い。

夫は幽霊たちと仲よく一心同体。
わたしは?
血がつながっていないが、背後から目に見えない怖いオーラが迫ってくる。
オーラごと息子に押し付けようとしていたら、逃亡を図られた。
今からこの25年の間に、どうするか筋道を立てる予定だ。
(まだ四半世紀もある!)

幽霊にマインドコントロールされている夫が、一番、厄介だ。
夫は、わたしと同世代なので、どちらが先にあの世に行くかは、わからない。
夫があの世に行くのを待っていたら、わたしの現生の生活に支障をきたす。
なので、切り離し作戦。
同時進行パラレル・ライフが基本コンセプトである。

やはり軸足は二本ということになる。
空き家であろうが、なかろうが。
価値観そのものに、歩み寄りがない。
嫁は、「女偏(おんな へん)に家」と書く。
女は嫁げば、婚家の方針に従うもの、という、時代に逆流する価値観を持つ夫には、相容れないものを感じる。
あたしゃ、あんたと結婚したのであって、あんたの家と結婚したんじゃないよ。
と言いたいところだが、
しかし、そもそも、わたしの結婚相手の選択には、イエが付きまとう。
自らが蒔いた種。
だが、時代は変わる。

軸足が二本のまま、うまく歩けるか?
人間は二本脚なので、大丈夫だろう。
と、価値観が真っ二つに別れたまま、引き続き歩いて行こうと考えている。

義務を放棄し、権利だけ主張。
これって、いいとこ取り? 許されるのか?
あまり突き詰めて考えても、また時代は動く。
世の中が、自分と同じような流れになってきている。
が、皆んな全員、こけるかも知れない。
問題点に気づき、方向転換を図り、いち早く脱出方法を考え出して、泥舟から抜け出すか、あるいは、運命に身を任せ、ブクブクと沈んでいくか。
とりあえずは、様子を見てみよう。
あと四半世紀もあるんだし。

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