蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

ある秋の一日

2020-11-05 | 日々のこと
今日はアポ付きスケジュールが3つ、大まか時間の予定がその他に2つある。
移動も、アポ1.徒歩→最寄り駅隣接商業施設10:00→アポ2.徒歩、最寄り駅→電車移動、隣の県(夫の実家)13:00→アポ3.自動車移動、自宅→徒歩、自宅近隣17:00

あと、イレギュラーの夕食準備、いつもより5人分追加。
これが、娘婿の分が要るか要らないかで、気合いが全く違う。
出来合いの既製品惣菜は、主婦の沽券にかかわるため(小さな小さなプライド)、下手でも不味くてもワンパターンでも、取り敢えずはメニューに頭を悩ませながら作る。
すでに、彼のほうが料理は上手だろうけれど、気にしない。
気にしていては、何も出来ない。
気にしても気にしなくても、たいしたものは出来ない。

まあ、そういうわけで。
一つ目アポの時間に間に合うよう、自宅を出て、娘宅前を通って目的地に向かった。
孫の小学校を歩いて通り過ぎる。
学童たちの元気な声が聞こえる。
孫もその声の中に入っているかなあと。
孫も娘も同じ小学校に通っている。
なんと幸せなことかと、しみじみ思った。
娘は自分の出身校に子供を通わせている。
同じ校舎、同じ通学路、同じ自宅。
彼女は東京勤務の時期もあったが、今は親元近くに落ち着いた。
娘婿は、お嫁さんの実家に吸収されそうな勢いではあるが、自宅をあくまでもお嫁さんの地元に構えただけ。
親には吸収されていない。
娘はシッカリ者で、かつ策士なので、周りをうまく使っている。
わたしや夫は、喜びながら使われているわけだ。
嫌なら断ることも出来る選択肢を残し、何ごとも余裕があることは良い流れになる。

一番下の孫が保育所に入るまでの、娘が育児休暇を取っている間の、束の間の楽々時間。
これが職場復帰になると、選択している場合ではなく、否が応でも、孫にギャン泣きされようが、子育てサポートへと移行する。
まあそれも、楽しい思い出、彩りになることだろう。

孫たちはやがて、大人の手が必要でなくなり、成長し、自立していく。
それまでの風景を楽しませてもらう。
孫が成長した頃には、わたしは、めいっぱいお年寄りになり、ひ孫が生まれる頃には、認知症になっていることだろう。
そんなに長生きできたら、幸せな認知症だ。

車窓から見える秋の気配を楽しみながらブログをたらたら入力していると、田舎の乗り換え駅に到着。
ぼーっとしていたら、乗り遅れそうになった。
さて、2つ目のアポにスタンバイしよう。