蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

孫に問われて、まごまご

2025-01-06 | 無題
gooのサイバー攻撃?による、システム障害があったと、他のgooブロガーさんが書いていた。
それでなかなか復旧しないとかで嫌気がさし、別会社運営のブログにお引っ越しするらしい。
フランスの弟(裕クン)もシステム障害に巻き込まれている様子。
ある別のgooブロガーさんは、お引っ越しするぐらいなら(面倒くさ過ぎて)gooと心中するとのこと。
わたしも、心中の口だが、気力が残っていたらお引っ越し、脳みそが完全に壊れていたら、丁度頃合いの電子断捨離になる。
負の電子遺産を始末することになるが、ブログはわたしの生きがいなので、出来れば心臓が止まる一瞬まで、いや、それは言い過ぎ、、、出来れば、復活不可能と自分で判断、見極めた時点で、電子遺産を処理、サヨナラしたい。(あくまでも理想)
あとは、生きるシカバネとなって、その後、できるだけ短い時間に、両親の元に行きたい。
(あ、母は存命なので、母を遺してということになるか。
だとすると、誰が母の面倒を見るのだろう??)

引き取り手も、帰る場所も、お金もない、入院している人は、生きている場合、どこに移るのだろう。
行政が道を付けてくれているのだと推測するが。
亡くなった場合は、わかりやすいが(NHK TV番組「クローズアップ現代」で特集されていた)、生きている場合が、具体的に想像しにくい。

と、相変わらず話が脱線している。

それはそうと。
夫の実家では、お正月に今年の恵方に向けて、神具の台座(三宝)にウラジロ、その上に鏡餅、串柿、橙を載せて、拝む。
実家オリジナルとして(かどうかは知らないが)、今昔のお金も載せるのが慣わしとなっている。
それを蔵のニ階に取りに行き、元に戻すのが若干、面倒ではあるが。
三宝も同じ蔵のニ階に前は置いていたが、いちいち取りに行くのが厄介なため、別棟一階に、他の神具台座と同じ場所に置いている。
お節用腕や小皿も、一階に下ろして来た。
重箱も別の場所から移動して、全部、まとめて手近に置き、わたしが楽なようにした。

しかし、お盆お供え用碗皿は、蔵ニ階のまま。
とは言え、すぐ出せるように一人用お膳に個々にセットしている。
この一人用お膳は20膳あり、大きな木箱にきっちり納められていて、いちいち取り出し、ちゃんと元に戻すのが面倒だった。
わたし仕様の手抜き保管方法にチェンジ。
何年か毎に、保管の仕方が段々雑になっている。

で、今年の恵方は、ネットで調べると、西南西になっていた。
そっちを向けて、お正月、元旦のご挨拶。
三ヶ日が過ぎ、実家から自宅に帰る頃、それら三宝やお餅を元の場所に仕舞うのだが、せっかく出したのだから孫たちにレクチャーしようと試みた。

「今年は、恵方は、西南西。
ばあちゃん、ネットでわざわざ頑張って調べたんやで」
と、一人しか聞いていない聴講生の1番上孫Y(小6男児)に説明した。
すると、即座に、「恵方って、誰が決めたの?」と質問が返って来た。
「誰って、、、ネットの答えよ。間違ってないはず」

360度あって、恵方の方向が順々に変わっていって、、、もごもご、、、と、わたしは中途半端な知識を披露しようとしたが、もごもごから枠を出ない。

1番上孫は、(その説明はいいから)「なぜ恵方を向いて拝むの?」と、根本的なことを聞いてくる。

わたしは、もごもご、もごもご、、、

なんでもいいから、恵方を向いて拝めばいいんだ!とは、やはり、言えない自分がいた。
熱心な信仰者である、姑やその上の姑たちは、なぜ?なんて、なかった。
理屈抜きに拝めば救われる、という信仰。
お経は、なぜ読むの?
意味なんかない、読めばいいのだ!
実はお経には意味がたっぷり詰まっているが。

「末端の信者は、そんなことは考えずにひたすら決まっていることを敢行するのみ」

わたしたちのやりとりを聞いていて、そう側から言ったのは、長女(小6孫の母親)だった。
彼女は仏教は学生時代、授業で習い、詳しい。

そう言えば、かつてお盆の時に、姑に読経しろと言われ、口答えしたことを思い出した。
嫁であろうが、家の宗教は強制できない。
宗教によっては、厳しい戒律や改宗を余儀なくされるものもあるが。

孫は真っ白なフラットなアタマで疑問に思ったことをストレートに投げかけた。
信じるものは救われる、、、と、説明すれば良かったか。
「困った時の神頼み」が実情だけど。
だが、自分自身が真面目に信じていないから、頑張って調べたりして、知識を押し付けようとする。

小さい頃に毎週、教会に通っていても、いずれ行かなくなったり、反発したりすることはある。
(ちなみに、わたしは、教会は、大人になってから海外旅行でしか訪れたことがない)

なぜ?
この孫の純粋な質問に、はっとさせられた。
恵方すら、なぜ恵方が決められているの?
誰が決めたの?
ということ。
天動説ではなく、地球が自転し地動説を唱えたり、そういう科学的根拠を示したりすると、理解が得られるのだろうか。

誰が地球を作ったの?
誰が宇宙を作ったの?
誰が人間や生物を作ったの?

となると、世界中にいろんな宗教が存在して、ややこしい。
それに、話が俯瞰的すぎて、
誰が今日の食事当番?食糧、調達は?
のほうが、先。

それで思い出したが、、、
昨日のNHK TVで、日本の漫画を特集していた。
「ONE PIECE」の一コマで、救出に来た主人公を拒む場面があり、
「生きたいのか?」
という問いに、
「生きたい!」
と、ストレートに訴える。
絶望の中から生まれる、こころの叫び。

「進撃の巨人」では、戦禍のウクライナの若者のこころに刺さったと紹介されていた。
人種間タブーがない国、島国日本ならではの、逆に自由な発想、発信が、世界に受け入れられているらしい。

と、、、話はコロコロ転がり、逸れている。
どこに着地していいのやら。

話を戻す。
孫に問われて、目からウロコが落ちた。
とても孫に教えられる立場ではない。
頭から偏狭的に信じて疑わないことを孫に強制する気は全くない。
自分自身、わかっていないことを人にススメられない。
今はインターネットが普及し、いろんな知識、考え、出来事が瞬時に世界中を駆け巡る。
こんな時代に、何を軸に、何を支えに、信じていけばいいのか。
信念は、ころころ修正?
かといって、国の強力な強制力で思想や行動を縛り付けることは、出来ない。
逆に子供にSNSを禁止する国も出て来た。
過去の惨事から学ばなければ、滅亡の一途。
そして、何よりも、今ある平和を大切に守る努力をしなければならない。

最後はそこに行き着く。
これは、自分教か。
自分が頼りなくなれば、信仰にすがるかも知れない。
その時は、一生懸命、恵方を調べるだろう。
暗記は無理なので。
恵方は決まっているので、インターネットが使えなくなった時のため、紙に書いて覚え書きにするかも知れない。
孫はどんな顔をするだろう。






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