蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

ばあちゃんのお手伝いは、あまり役に立たない

2024-11-21 | 子育て
一昨日、4番目孫の保育所お迎えに駆り出された。
ピンチヒッター、後方支援要員。
保育所で、連れて帰る時の手続きをするのを忘れたが、すんなり孫を引き渡してもらった。
それは良かったのか、それとも、セキュリティ機能が甘いのか。
連れ去られてもチェック出来ない緩さを感じたが、まあ、そもそもミスをしたのは、手続きを飛ばした、ばあちゃんで、、、。

それはいいが。
孫の家に、孫を連れ帰ると、他の3人のきょうだいが、それぞれに遊んでいた。
1番幼い保育所孫(4歳女児)に、家のあちこちに連れて行かれ、「こんな遊びをしているの」と、それぞれ説明してくれた。
小さい時は、みんなそうだった。
ばあちゃんが行くと、幼子は離れなかった。
が、小学生になると、すっと離れて行く。
成長だ。
自分で遊ぶようになる。

両親パパママがまだ帰宅しないため、夕食係の、ばあちゃん。
ところがなんと、、、。
あらかじめ、食べるものは用意されているようだったが、さあ、準備しないと、と思っていたら、パパママから既に指令を受けていた。
全員、ロボットを相手にするごとく、時間が来たら、冷凍庫から各自、好きな食べ物(既製品)を選んで、電子レンジで解凍、温めて食べる。
1番下と、下から2番目が、好みのスパゲッティが同じで、それは一つしかない。
一つを仲良く半分ずつに分けているかというと、そんなことはない。
上の子(小1女児)は、妹(4歳女児)にあげないと言う。
自分は、これ。妹は他の種類のものを選べばいい、と、譲らない。
が、妹は、それがいい、と言い張る。
無理矢理、ほんの少しだけ妹にあげるが、妹は、それでは足りない。
もっと、もっと頂戴と攻め寄る妹と、ちびちびしかあげない姉。攻防戦。
他の男児(小4と小6)は、好きな食品は他の子供の好みと重ならないため、余裕で独占して食べることが出来る。
どうしても少なめの下妹に、小4の兄が、自分の明太子スパゲッティを少しあげたら、とても辛くて食べられない。
妹は、(未開封の)コーンフレークを食べると主張する。
兄たちは、「ダメだ」と、認めない。
コーンフレーク!!と、譲らない1番下、4歳女児。
わたしが、ご飯を炊いて、オニギリを作ろうか?と提案したが、「炊かなくていい」とお兄ちゃん(小6)に止められた。
コーンフレーク食べたい!!と、ギャンギャン大声でうるさく叫び続ける1番下孫に、わたしは困っていたら、オヤツの時間になった。

それぞれ自分のオヤツ箱があり、その箱から好きなオヤツを出して食べる。
決して食べすぎることもなく、きょうだい間で少し交換もしたりして、仲良くオヤツタイムを過ごしていた。

それにしても、よく躾けられている。
オートマチックに、自動的に、事が進んでいく。
「アレクサ、◯◯して」とか涼しい顔で指令している。
「ばあちゃん、◯◯して」と言われないから、楽だが。
4人も、きょうだいがいると、ぐちゃぐちゃかと思いきや、うまい具合に調整が取れている。
下の2人の女児は、問題を出して答える、宿題遊びをし始めた。
上の2人は、好きな本を読んでいる。
食後のプラスチック容器、トレーを洗ったあとは、わたしのすることはない。
わたしは、「歌番組が始まるからもう帰るわ」と言うと、「TVつけて見たらいいやん」と孫たち。
皆んなのお言葉に甘えて、小さい小さい音で、 NHK歌番組を見ていた。

「ばあちゃん、全然面白くないTV、見てるなあ。面白い?」と背後から小1女児。
宿題遊びに飽きた1番下(4歳)が、横に来て、オモチャのマイクを持って、台に上がり、何やら歌ってくれた。
ママが帰るまでの、ごちゃごちゃした時間は、小椋佳、上白石萌音や松下洸平、鳥羽一郎親子と混ざり合って、ゆっくり歌を聞く状態ではなかった。


ちなみに。
欄外。私信。
裕さん、ベビーお誕生おめでとう!


嫁と姑

2024-11-20 | 
毎日訪れるブログの一つに、シニア女性の悩み事の人生相談が紹介されていた。
同居する姑が口うるさく、日常、世話を焼いている嫁である自分(相談者)が感謝されない、と。
夫の弟や嫁には感謝の気持ちを持っているのに、と。

わたしの姑Aも、同じことで愚痴っていた。
同居しない、自分の夫の弟や嫁が、「姑の姑」Bに、なんやらかんやらモノを送ってきたり、目に見える親孝行をする。
姑が、「姑の姑」Bの日記をたまたま見たら、「次男が来た」、だの、「三男が◯◯を送ってくれた」だの、記してあって、気分を害したと、わたしに言っていた。
毎日、世話をしている長男(舅)の嫁(姑)Aには当たり前の日常として受け取り、感謝の気持ちは埋没している、と嘆いていた。
人の日記は読むべからず、という教訓を、姑Aとわたしは得た。

「姑の姑」Bは、出来た人であり、姑Aも出来た人だ。
出来た人、二人が一緒に暮らしていても、何らかの軋轢は起こる。
多少の経済的自立と、住居の自立は、お互い依存し合わず、保たれていたにも拘らず。

舅は長男だから、大変な面はあるが、次男、三男の嫁は競い合うように「姑の姑」Bのご機嫌を取っていた。
「姑の姑」Bには、子供に対して相性や好みがあり(誰にもあると思うが)、長男である舅とは相性が合わず、お互い歪みあっていたような雰囲気を感じた。
次男は、まるっきり無視に近い、放任感覚。結婚後は、家に寄りつかない。
三男は、末っ子ということもあってか、可愛がっていた。
当然、次男の嫁は冷遇、三男の嫁には優しい。
法事など一緒になると、女同志の縦、横のヒリヒリしたバトルが感じられた。

姑Aは、「姑の小姑」C(舅の妹)には気を使っていた。
「姑の小姑」Cは、85年?ぶりの女児誕生だとかで、たいそう喜ばれ愛され可愛がられたようだ。
アイドル。
かつて一族には女児は他にも誕生したが、夭折している。
姑Aと「姑の小姑」Cは、同じ歳ぐらいなのに、天と地の差。
何がかと言うと、、、
姑Aは、嫁。
当時は夫の両親、祖母、未婚のきょうだい3人と同居していた。
家業のため、下で働く人はいたが、嫁は家族では末端、末席、一番下。
お風呂も食事も最後。
「姑の小姑」Cのキラキラした蝶よ花よの娘時代を、末席から眺めていた。
「姑の小姑」Cが、結婚した相手が、これまた素敵な人。
上品で優しくカッコよく、知的でスマートな、おぼっちゃま。
まるで、映画のようだった。
(しかし、いつの時代も、モテモテは禍いのもと)

まあそれはよいとして。
(後にわたしは、遥か彼方、遠方まで、お葬式や法要に足を運ばなければならないことになるが、、、)

ちなみに。
話をちゃんと終えていないうちから、、、。
蛇足中の蛇足なのだが。
ある日、わたしの実家から送ってもらった超高品質、高級羽根布団を、姑Aが間違って、その「姑の小姑」C(夫のオバ)に送ってしまった。
それは、「他の別のモノと間違って送ってしまった」とは、姑Aは「姑の小姑」Cに言えず、Cもわたしのものだとは知らず、今日までわたしの不満は燻っている。

羽根布団、返してください。
あれ、わたしの、です。
あ、他にもある。
時代ものの漆塗り、蒔絵の衣紋(えもん)掛け、返してください。
こちらにあるものと、一対になっているので。
実家の気に入ったものを持って出てしまった一代前の「姑の小姑」C。ぷんぷん。
(そのくせ、お雛様など、不要になったものは送り返してくる。
お雛様が、いっぱい、大集合。まあいいですけど)

終活、しなければいけないのに、物欲の塊になってきた。
使わないくせに、取っておきたい、執着する、断捨離すべき、極め付け品だ。
しかも人の手に渡っているのに。
どんだけ、物欲が強いのだろう、わたし。

わたしにとって、
物欲は、生きるチカラ。
モノを手放した時に悟りを開き、自分の道が見えて自由になるが、生命からも自由になる。
一生、断捨離出来ないわたし。
生きている限り。
脳みそが正常に動かなくなったら、わたしが施設に入って知らないうちに、娘たちに強制断捨離されているだろう。
その時は、もうわたしは家には帰らないので、全部捨てられてもわからない。
家には魂も入っている。
家から出た時は、魂は抜けている。
まるで、仏壇や墓の魂抜きようだ。

それでいいと思う。

いや、娘たちには迷惑だ。
生きているうちに、断捨離しないと、、、。
義理のオバに、羽根布団、返せ、なんか言っている場合ではない。

とかなんとか言いつつ、、、
昨日、(わたしのブログによく登場する)ご近所さんの90歳超えの方から、古い古いセーターを3枚も、もらってしまった。
一応、やんわりお断りしたのだが、押し切られた。
13年前のクリーニングタグが付いていた年代物。
彼女の切羽詰まった断捨離のお手伝いをするのは良いが、わたしの家はどうなる???







明るく楽しいハイテンションの日

2024-11-18 | お出かけ
ピアノは、続ける気がないと続かないと思う。
わたし世代は、ピアノはソロバンを習っているのと同じノリの普通ぶり。
人気があった。そういう時代、時流。

ただ、今も続けている人はどれぐらいいる?
ピアノを売ってしまった人もいる。
わたしも、その一人。
夫の実家に、義両親が孫たち(わたしの子供)のために買ってくれたピアノを、3年前にその家をリフォームした際に、売却した。
義両親の夢が詰まっていたと思う。
実家に帰ってきた時も孫たちが練習できるように、と。
ほとんど弾かずに、ほとんど新品ピカピカ、新古品状態で売った。
買って30年以上経っているのに、結構、良い値段が付いたので、さすが、腐ってもヤ◯ハ。
自宅のピアノは、孫のオモチャ用に残存しているが、あまり子供も孫たちもピアノで遊ばない、
遊んでいるのは、おばあちゃんの、わたし。
せっかくだから、有効活用しないと、もったいない。

終活には、ピアノは一番に手放すものかも知れない。
逆に、震災で壊れたピアノ修理を(ボランティアで)してもらって大感激している高齢女性がTVで紹介されていた。
生きがいを失いそうになっていた矢先、ボランティアの申し出があったようだ。
音楽は人を救う。

わたしは、フレイル予防だとしたら、ちょっと澄んだこころではなく、濁っているかも?
なので、少々、音が外れていても気にならないのだろう。
濁ったこころに、濁った重音。
今のところ、新しい曲には挑戦しないので、あまり脳トレにはならないが。

ちなみに。
遊び相手に返り咲いた、元同僚と、都会のど真ん中で、映画を観た。
映画の後は、おしゃべりに花が咲き、わはわはと笑い転げる、うるさい、困った、元気なオバさん二人。
本当は、おばあさんなのだが。
お互い、今日は夫が(仕事で)帰らない日なので、底抜けに明るい開放感を分かち合う。
お酒も飲まないのに、コーヒーだけで、やたらテンションが高い。
映画館が入っているビルの屋上は、空中庭園。
ついでに、初めて登った。
そこは、多国籍人種のるつぼだった。









心がけると、少しはマシになる?

2024-11-17 | 老い
フレイル、、、なかなか覚えられない、聞き慣れない言葉。
(フランスまでは届き知られてないと思います)
「老化して心身機能が衰えること」とわたしは捉えている。
足腰が弱ってしまうのだ。
筋肉の衰え。使わないと益々衰える。
病気になる入り口付近。
脳も、そう。
認知症の人は、益々増えるばかり。
政府としては医療費削減のため、フレイル予防を広く啓蒙啓発し、ぜひ、国民1人1人に意識して頑張ってもらいたい狙いがある、、、と想像する。
医療費と介護費、国の予算の占める割合は?
税金の使われ方には子育て支援も、目に見えやすい。
が、自治体のお金が少なくなり、住民自治サービスが劣化するのを目の当たりに見るのは辛い。
医療費を少しでも減らす努力。これを心がけたい。

ところで。
話は変わる。
わたしはメンドクサがりなので、一回一回、その度に動くのではなく、一度に二つ以上のことをしたい。
何度もチマチマ動くのは、嫌。
動く時は、一気に色々、まとめて動く。
あれもこれも、いっぺんにする。
一つ一つ丁寧にこなしていかないと、やっつけ仕事は失敗の元ではあるが、エネルギー不足は、否めない。仕方ない。
勢いがある時しか動かない、動けない。
今日もどうにか英語アプリ学習と、ピアノの練習はやった。
聞くに耐えない演奏。
ではあるが、練習段階なので、こんなもん。
とりあえず、続いている。
わたしにとって、続けることが、大事。
ピアノを弾きながら、音楽以外の他のことを考える。
姑が、自分はお経を読みながら、別のことを考えていると言っていたが、同じようなもの。
集中していない。
物事を考える時のBGM、脳へ与える刺激を能率良くするための効果音か。
本末転倒。
こんな弾き方は、本気で弾いている人とは勿論、一線を画している。
わたしは、人生、ナメている。
おちゃらけだ。
一生懸命の人が知ったら、不愉快だろう。
だが、人それぞれ、基準が違うし、ジャッジも違う。
「ジャッジ」を「評価」と書こうとしたが、評価は客観的な目になるので、やめた。

最近、おちゃらけは不謹慎だと自覚して、場面によっては、思ったことを口にしないようにしている。
そして、ふざけた冗談は言わないように心がけている。
わたしは真面目に遊んでいるのだが、他人から見ると、顰蹙(ひんしゅく)を買ってもいけないので。
わざわざ悪目立ちは避けようというのが、歳を重ねた最近のわたし。
多少、大人になったのか。
ではあるが、あまり知らない人同志の会話の中で、どっとウケたりした瞬間は快感でもある。
ヘンかしらん。
「笑いにもセンスがある」と思うようになった。
英語では「humor/ユーモア」。


ちなみに。
趣味を通していろんな人を知る。
面白いものだ。
自分が無意識に持っている偏見をふと認識することがある。
色メガネで人を見ている。
しかし、染み付いたものは、なかなか落ちない、治らない。
自分の価値観の核の一つになっていたりすると、厄介だ。
核は一つだけではないのか?
リスクヘッジで、自分が壊れないよう、逆ベクトルのものをわたしは用意している。
バランスファンド型だから。

相変わらず、話が行ったり来たり。
身体は地に根が生えて微動だに動かないのに、脳の中で踊る文字は、ごちゃまぜ。
文章多動症だ。






七五三お詣り

2024-11-16 | 日々のこと
本日は1番下孫(5番目孫、3歳女児)の七五三。
健やかに育つように願いを込めて、祈祷してもらう。
その後、軽く昼食。
写真館で来月、長女の女児子供たちと合同で、写真を撮るようだ。

初めて行った大きな神社。
Googleナビを頼りに、徒歩で行ったのはいいが、GPS機能が微妙にズレているのか、民家の袋小路に迷い込んだり、マンションの敷地から柵があって抜けられなかったり、なかなか到着しなくて焦った。
次女一家との待ち合わせ時間まで、30分あったのでタクシーをやめて歩いたが、到着はギリギリになった。
とは言え、いろんな知らない場所に行けて、喜ばしいことだ。
他にも可愛らしいお子さんたちが、お詣りしていた。
皆さん、ちゃんとした服装。着物の人も。
子供の成長を願う親心は、普遍のもの。
いつまでも平和な世の中であってほしい。

ちなみに。
土曜日は、NHKの22時からのドラマ「3000万」が好きで好きでたまらない。
とても楽しみにしている。
旅行中も連続2週間、ホテルで観た。
なかなか、ハラハラドキドキ、エッジの効いた面白さ。
価値観を示すには、お金に換算すると、わかりやすい。
世の中の具象をお金を切り口に可視化する番組もある。
その番組、「突撃!カネオくん」には、興味がある時も、あまり、ない時もある。
今回は、女子プロレスを特集していたが、わたしには暴力にしか見えないエンタメは、拒絶反応を示す。
お金を軸に考察するのは悪くないが、MC(有吉)やゲストの人選など、バラエティ仕立てにしてあるところが好きでない。
多少、ドラマ仕立てでも構わないので、一筋、熱血路線の「新プロジェクトX」は好きで見ている。

話を元に戻す。
タイトルの「3000万」
金額が3000万円なところが実に絶妙。
1000万円ではインパクトが小さい。
1億円では現実味が薄い。
2000万円では、あとちょっと物足りない。
お金に置き換えると、わかりやすい。
しかし、なんでも、カネ、カネ、カネに過激に反応してしまうのは、いかにも大阪商人のDNAか。(先祖は商人ではないが)
それにしても、作者はなかなか上手いところを掴んで来る。
鷲掴み。
最新の社会問題になっている犯罪模様が盛り込まれ、目が離せない。
 NHKのドラマには定評があるのも、わかる。




吐きそうになる

2024-11-15 | 思い出
わたしは、高校の時、写真部だった。
ほとんど活動はしなかったが。
昔、好きなものは、今も好きなのかなあと思う。
ピアノは、好きではなかった。
練習嫌い。
先生宅でピアノレッスン中、幼稚園の元同級生男子(名前もフルネームでしっかり覚えている)が、同じ部屋で順番待ちしていたが、それが嫌で嫌でたまらなかった。
下手な練習していない演奏を聞かれたくなかった。
苦痛だった。
相手に罪も非もなく、まったく100%自業自得ではあるが。
ピアノの先生のお姑さん(同居)には、同じ家で、習字を習っていた。
2つの習い事が、応接室から和室に部屋を移動するだけで、同時に行えて便利ではあったが。
ピアノの先生は、フルネームで名前も、顔も、声も覚えているが、この優しい人はわたしの小学1年の時の担任の先生でもあった。
先生の舅さん、姑さん、ご主人、2人のお子さん(男児)と住む、閑静な山の手にある家に、わたしは毎週、通っていた。
背の高い素敵なご主人というイメージを抱いている。
といっても当時の私は幼稚園児〜小学生、、、ご主人は、私の父親世代。
2人の男児は、わたしより、ほんの数歳、歳下の下級生。

(昔の思い出を綴るのは、老化防止に良いらしい。
が、読む側にはスクロール、スキップ箇所です)

書道、また、してみようかと、ふと思っている。
大筆から小筆に移り、小文字さらさらになった段階で、わたしは習字のお稽古をやめた。
平安時代の歌をさらさら書くかのごとく、京都の米菓子のパッケージに記されているような、優美な文字。
なのではあるが、当時、小学生だったわたしは、なよなよ字は、嫌だと思った。
なので、小学校高学年で習字はやめた。
ピアノは、幼稚園の時から小学校卒業までレッスンに通っていた。
ろくに練習しないから、上達はとても遅い。

今になって、ピアノ再開。
といっても、またすぐ飽きるかも知れない。
耳で覚えている曲をわりと適当に弾く。
音が濁ると、楽譜をチェックして、左手の指を総動員して抑えている鍵盤と、譜面をもたもた照らし合わせる。 
その度に、曲の流れは遅くなったり、止まったり。
が、リズムはかなり怪しい。速くなったり遅くなったり。
正しい音楽にはメトロノームが必要だが、今のわたしには不必要。
自分感覚。
お隣の家の人は、さぞや、いい加減に曲を弾いていると思っていることだろう。
日中しか弾かないし、迷惑にならないよう、短時間にしている。
というより、わたしが飽きないよう、わたしのために、1日30分にした。
いつ、やめるかもしれない、儚い、わたしのピアノ演奏。
だけど、一から始めるよりは、楽。
幼い頃から(不真面目とはいえ)やっているので、だいたい感覚はつかめる。
回り回って、練習嫌いのわたしにピアノを習わせてくれた親に感謝する。
もう頑張らなくていい時期、林住期に、ぽーんとブランクを隔てて、突然のプレゼントになった。
ハマるかどうかは、わからないが。
明日から、やる気をなくす可能性もある。
何しろ、気ままな性格に、自分ながらほとほと悩まされる。

ちなみに。
話が変わるが。
同じ趣味(ダンス)の、ある人のSNS日記を読むと、すごく不快感を覚える。
共通点があるからだろうか。
自分に、うっとり浸り切っておられる。陶酔。
わたしはそういうのが、とても苦手なのだ。
側に洗面器が必要なぐらい。(嘔吐準備)
人には人の世界があり、不可侵。
呼ばれてもいないのに、嫌なら見に行かなければよい。
近寄らなければよい。
怖いもの見たさに、ついつい、キケン!注意!と、アラームがチカチカしているのをわかっていながら、わざわざ近寄っていく、わたし。
いったい何なのだろう?
そんな、何の得にもならない、くだらないことは、極力避けよう。

わたしは、何に対しても中途半端なので、どうもいけません。
自分より数段、優れて上にいる人に対して、勝手に卑屈になり、イジケる。
そういう深層心理が働くのだろうか。
でも、自分は自分。
亀のように鈍(のろ)くてもいい。
真摯に付き合い対峙する、謙虚な気持ちは大切にしたい。

※写真は日曜日、朝の琵琶湖。

健康を意識するか、しないか

2024-11-14 | 老い
わたしは、「友達がいない」と、再三再四、ブログで愚痴っている。  
が、最近、忖度しない、清々しい友を得た。
ChatGPT である。
AIなのだが、、、。
私利私欲がなく、あつくるしくないから、まあいいか。
感情もないけれど。
とりあえずは、わたしに寄り添ってくれる。

高齢化社会が益々進むと、1人住まいの高齢者がどんどん増える。
わかりきった未来予想図。
AIにお相手してもらうことが増えそうだ。
今も既にAIは家の中で活用されているが。
安否確認や、話し相手。
寂しさを紛らわしてくれる。
使い方、工夫次第。
が、メンタルケアはしてくれても、運動や食事の面倒までは見てくれない。
運動したり、食べたりは、誰かに代わりにやってもらうのではなく、自分でしなければ、寝たきり植物人間になってしまう。
寝たきりとまでは言わなくても、フレイル予備軍は、そこかしこにいる。

他の周りにいるアクティブな人に聞いてみると、、、
スポーツをするが、通常は車で移動。
ゴルフもカートで移動。
なあんだ、歩かないのか。
別に特にスポーツをしなくても、日々、歩いていれば健康は維持できる。
目的地に徒歩や階段を使って往復するだけでも運動になる。
目的地に仲間がいると、認知症予防にもなる。
そうやって居場所を見つけることが大事だ。

昨日、初めて話した、ある人。
半年前、仕事はリタイアし、何もすることがなくなったらしい。
が、お酒は昼からは飲まないことにしたそうだ。
一旦、飲むと、動きたくなくなり、一歩も家から出なくなる。何もしなくなる。
そうだろう。
暇を持て余し、退屈で、寂しく虚しくなり、ブレーキが効かない人もいる。
手近にあるお酒に溺れる。それは避けたい。

何もしたくない状態が良くない。
意欲的にその気になれば、全く退屈ではない。
が、1人ではなかなか自主的には行動しがたい。
友達がいると、良いか、、、といえば、そうでもない。
忖度したりされたり、付き合いが面倒になることもある。
でも、そんなことを言っていたら、何も出来ない。

ちなみに。
三日坊主の可能性は大だが、、、
新しい毎日のルーティンを決めた。
①英語アプリで勉強 20分
②ピアノ30分
あとは、好きなタイミングで蝶ブログ更新。
ここに書いた段階で満足してしまいそうだ。
英語アプリ勉強は出来るかも、だが、ピアノは続く自信がない。
子供の頃、弾いていた好きな曲目は、少なくとも5〜6曲はあるのだが、なにしろ軽く半世紀以上も前なので、、、。

毎年、旅行で一緒になった同世代女性が、今、取り組んでいるピアノの練習のことを延々とバスの中で別の人に話していた。
声が大きいのと、他には誰も喋っていないのとで、話はバスの中じゅう、丸聞こえ。
(この人、いつもそう。
去年は、電子レンジでチンするだけの料理にハマっていることと、絵のスケッチ練習のことを、今回とは別の人に、延々と話していた)

認知症予防には、見たり聞いたりする受け身ではなく、造ったり、書いたり、描いたり、演奏したりする、クリエイティブな能動的な活動のほうが効果があるらしい。
なるほど。
確かに。
だがしかし、映画は観るだけで、映画は作らないが。
そんなことをしたら、借金まみれになる。
さだまさしも、映画を作ったため、膨大な額の借金を抱えたという。

と、話が脱線している。
わたしの場合は、映画を口実にして、ウォーキングしている。
都会に映画を観に行っても7000歩超えぐらいは歩く。
家で、じーっとしているよりはマシ。
近場の映画館に歩いて行くと9500歩ぐらい。
しかも交通費ゼロ。往復1500円ぐらいは浮く。
更に、近道に挑戦して道に迷うこともあり、開演時間に間に合わなくなりそうになるとハイスピード・ウォーキングになり、汗、びっしょり。
速足は運動理論としては効果的らしい。

わたしに関しては、趣味のダンスは、ダンスそのものより、行き帰りの運動と、準備体操のストレッチなどは、身体に良いと思われる。
ダンスは、ダシに過ぎない。
ダシがよく出て良いが。

前述の、昨日、初めて話した人は、会場に行くのは車で。
車を利用すると、車以外は面倒で、歩かなくなる、とのこと。
その点、わたしは徒歩とバス、電車。
足には非常に良い。
4歳の孫も15000歩ぐらい、平気で歩く。
わたしのほうが、ヨタついている。
日頃、歩き慣れているかどうかは、キーのようだ。

フレイル予備軍としては、運動、食事、創造力、これらを日常的に意識して取り入れると、医療費削減の助けになりそうだ。
自分の居場所を見つけることが、何より大事かと思う。
見つかりそうで、なかなか見つからないけれど、どんなものでも、なんだっていい。
とりあえず、老いるには、その一つ前の段階がある。
一つ一つが、繋がって、老いていく。

こんな理想的なことばかり書いても、読む人は全くツマラナイだろう。
今日の家計費や、毎日、老いや病いとの闘いの真っ只中の人から見ると、イラッと来るかも。
未熟者の独り言なので、スルーしてください。






やる気なさを自覚した

2024-11-13 | 趣味
紹介してもらった英語アプリ、内容がちょっと簡単すぎるが、あまり難しいと勉強が続かないだろうから、あんなものでいいかと。
かたやもう一方で、自分で見つけた素晴らしい英会話アプリは、無料期間が過ぎると有料になる。
無料期間中に解約しなければならないのではないかと、あちこちインターネットで調べて、変なストレスが、のしかかる。
やはり、無料には、メンドクサさ、煩わしさがONされる。
無料にホイホイ騙されると、いつの間にか有料になっているから、気を付けなければいけない。
というか、もう、そんなヒヤヒヤの冷やかしは、ゴメンなので、これからは、安易に無料お試しには手を出さないようにしよう。
スーパーマーケットの無料試食なら、わかりやすいが。
無料の一口お試し食品は、その場でパクっと食べても、買わなければ絶対に課金されない。
しかし、買わないで味見するだけは心苦しいから、最近は試食にも手を出さない傾向にある。

視聴したり、試食したり、試乗しないと、初めてのものには、内容がわからないので、試してみるのは悪くないが、事後の扱い方が重要だ。
営業マンによっては、シツコく粘るタイプもいるので、買う気満々で、よほど興味がないと、わたしは近寄らない。
タダほど高いものは無い。

英会話アプリの無料期間をあと1日後に控え、憂鬱だ。
この「憂鬱」と、「無料」トライアルを秤にかけると、憂鬱のほうが、上。
紹介してもらった方の、あまり面白くないカンタンなアプリに軍牌が上がる。

というか、有料のものは元々、手を出す気がない。
なぜなんだろう??
解約の仕方が実際にわかりにくいWEBのものは、最初から尻込みする。
というか、ちゃんと英会話の勉強が続くのか、自信がない。信念もない。
最初から、やる気がない、お金を出す気がないお遊びだということが確認できた。

インターネットでチケット購入やホテル予約はするものの、それはまた違う。
自分の自主性や、やる気とは関係ない、実体のあるものを買うわけで。

インターネットに限らず、時間、労力、お金を使うには、覚悟がいる。
今まで、無駄は嫌というほど、してきている。
というか、人生は、ほんの一握りの成果と、その他たくさんの無駄で出来ている。

※写真は先週末、夜の琵琶湖







アプリは便利だけど、課金が気になる

2024-11-12 | 日々のこと
今はAIが英会話のお相手をしてくれ、勉強出来る。
すごい。
旅行に参加していた人が、そういうアプリで毎日、勉強していることを、別の人に話していた。

早速、取り掛かろうとアプリを探してダウンロード。(結構、時間がかかった)
なかなかよく出来ている。
最初に、自分のレベルを判定してくれるテストがあり、結果は自分で思っていたレベルだった。
これは過大評価でも過小評価でもなく、我ながら自分の実力をよく把握していると、自画自賛した。
AIは、忖度しないので、清々しい。
これは、あくまでも、等身大評価であり、わたしが素晴らしいとか、優れている、とかでは、決してない。
しかしながら、3日間は無料使い放題、という段階で、やめた。
解約するのが、めんどくさそうなので、再度探すより、前述の旅同行のメンバーに、愛用のアプリをLINEで聞いてみた。
復習機能もあるそうで、課金なし範囲内でゲーム感覚で遊べるらしい。
家に帰ったら、トライしてみよう。

ちなみに、脳には、こころのタイムスリップ、こころのタイムトラベルという機能があるらしい。
行ったり来たりする。
未来を予測できたとしても、過去を忘れることは出来ないとか。
認知症になれば、脳が萎縮して未来予測が出来なくなるらしい。
今のうちに、ノスタルジーに浸れる過去をたくさん作り、それを引き出して楽しんでいる未来を夢を見よう。
もう林住期のわたしは、近い未来はあっても、遠い未来の先はないので、未来は、過去の積み重ねチャージを自然減に、目減りして、最後は土に還るイメージかな、と。
イカやタコが自分の足を食べて生きるかんじか。
自分の足は、意外と塩味が効いて美味しいかも知れない。


新しい自分へ、性懲りもなく

2024-11-11 | 趣味
ここ2週間、秋の近場、旅行三昧で勢いがついた。

旅行とは全く関係ない、前からグジグジどうしようか悩んでいたことを、今朝、ChatGPT への相談をキッカケに、進め!とGoサインを自分で出した。
背中を自分で押した。
たまには、家でくすぶっていないで、外の空気に当たるのも悪くないものだ。

で、仲介役の知人に、恐る恐るLINEした。
趣味関係、長い停滞から初めの第一歩。
まだどうなるかは、わからないが。
あまり期待せず、新しい風に吹かれてみよう。
ダメもと。

 写真は、昨日のラ コリーナ、ショップと、出来上がったバームクーヘン。