蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

近くて遠い他人

2016-09-07 | 暮らし

どうやら、わたしのブログは、「嫌われる系」の内容を書くと、閲覧数が上がるようだ。
複雑な心境。
あ、それと、引きこもり系。

わたしのキャラは、「嫌われる引きこもり」ということか。
まあ、よろしい。
なんだっていいのだ。

比較的、引きこもるのは快適であるのだが、
時間がどんどん経過し、午後になり、やがてあたりが暗くなってくると、
あれ、なんにもしてないのに、もう、こんな時間・・・と、なって、
やがて、夜のテレビニュースの時間になると、なんだか完全に一日が終わったようになる。

引き込もらない日は、朝と夜を有効に使える。
最近は、特に朝。
決して有効ではないが、パソコン離れをしたせいで、やたら(退屈に近い)静寂な朝を過ごしている。
今日は、久しぶりにパソコン投稿である。
早朝から、してもしなくてもいいような、どうでもいいことをごそごそし、出かけるまでにまだ時間があった。

しかし、ごそごそしながら、主婦の仕事って、ごそごそするのが好きな人と、嫌いな人とでは、満足感がまったく違ってくるだろう 、と思った。
ちなみに、わたしは、ごそごそ派ではないが、時に、ごそごそしてみると、なんだか気分転換になる。
ほとんど自己満足であり、決して建設的でない時間を、自分のためだけに使う。
家事を、「家族のため」とか、そういう大義名分をつけて、頑張る場合もあるだろう。
わたしは、「○○のため」という発想が嫌いだ。
自分のため。
自分がキレイな空間が好きだから、すっきり片付いた、衛生的、文化的空間が好きだから、だから、家事に精を出す、それでいいような気がする。
が、せっかく頑張っても、家族に、ぐちゃちゃにされると、自分のキレイ好き神経に障る。
省エネ人生モードのわたしは、さほど徹底したキレイ好きではない。
キレイな空間は気持ちよく快適で大好きだが、自分からせっせと、気も狂わんばかりに完璧に整えないから、神経にも障らない。
小さい子供がいる家庭は、大変だ。

ちなみに、お隣さん。
風の具合か、お互い、窓を開けると、ひょんなことで、話声が聞こえる。
お隣さんのキッチンの流し台が、うちのダイニング・テーブルの斜め前あたりの延長上にあると思われ、
洗い物をしながら、家族と話している、会話の内容がわかる。
それって、話している本人は、隣家に聞こえていることを知ったほうがいいと思うのだが、気にしないようにしている。
が、わたしは耳が正常にまだ機能するため、聞こえるものは聞こえるので、聞いてしまう。
彼女らは延々と話しているわけではないが、そこまで聞こえるにもかかわらず、
わたしは、隣の家庭の事情というものが、あまりわかっていない。

もう中学生になる息子(孫)がいるようだが、小学生の時から知っている娘さんは、ひょっとして離婚しているのかも知れない。
自治会で役員をしたことのある、十年ぐらい前に、遠く離れた自治会員さんから聞いた。
娘さんももう一人いて、ちょいちょい訪れているかも知れない。
車がよく止まっているが、誰の車なのだろう。
大きなガレージには、別に2台入っている。
たまたま、お隣さんが新車を購入した時に、納車のタイミングにわたしは居合わせた。
立派な外車だった。
しかし、外を走っているのを一度か二度ぐらいしか見たことがない。
その車は、エンジンが大きいから?かなんだか知らないが、ある程度、遠くまで行くと、低い響くような音がする。
娘さんの高校も、配達時に隣家が不在かなにかで、入学時にあつらえた制服をうちで預かったため、知った。
(といっても、まったくどこの高校なのか、その時も今も、ぜんぜん知らない。
制服の学校名を見もしなかった。見るのが悪いような気がして。
どこかの、制服を配達する高校であることは確かだ)

高校を卒業してからのある日、お母さんがなにか、一言おっしゃってた。
娘さんの能力を卑下するような、でも、負けん気を感じる、そんな内容だった。
わたしは、なんの感想も持っていないのに、不思議だった。
その内容はその瞬間で、おしまい。

英語を話す外人さんが、わいわい来ている、ステイしているような、そんな時期もあった。
ソプラノ的な美声の歌声が聞こえる頃もあった。
ホーム コンサート??
まったく知らない。聞きもしない。
今は、時折、お坊さんの読経。

時代は30年近く流れている。

こんなに近くに住んでいるのに、知らないって、ある意味、すごい。
不干渉のスタンスを貫いている。
喧嘩はしないが、仲良くはない。
道で会えば、にこっと挨拶をする。

よくよく考えると、こうなるまでに、ちょっとしたいきさつは、あったようだ。
ほんの小さなやり取りがあり、少しだけ積み重なり、そして、不干渉といえば聞こえはよいが、あえてお付き合いしない関係になったような気がする。
わたしの社交下手からだろうけれど、
結果的にお付き合いはしていないが、喧嘩もしていない、今の状態は気に入っている。
ま隣とお付き合いなんぞしていたら、息が詰まっていたことだろう。

というわけで、一切、家族の情報は伝わってこない。
でも、お互い、子供が遊んでいたり、孫が遊んでいると、それなりにわかる。
最近は、わりと自然な気持ちでお隣さんと接することができるようになった。
べつに今もかつても、喧嘩もしていないけれど。

しかしながら・・・ふと思う。
わたしは、何事に関しても、そうとう消極的であるようだ。

 

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