中国に数多くある棚田の中でも、美しいものの一つといわれる龍勝の棚田・・・「龍脊(りゅうせき)・・・平安 壮(チワン)族梯田」。桂林市の北西120kmにあり、バスで2時間半程かかる。「龍勝」の正式名称は「龍勝各族自治県」。ここには、ヤオ族、ミャオ族、ヤオ族、トン族、チワン族などの少数民族が暮らしている。
棚田の開墾は元(1271~1386年)の時代から始まったというから、日本でいえば鎌倉時代であり、歴史は古い。ほぼ現在の姿になったのは清代ということである。棚田は300m~1000mの間に分布している。
龍勝棚田の入り口「龍脊(りゅうせき)・・・平安 壮(チワン)族梯田」の文字が見える。有料50元。
入口から振り返ると、谷の反対側にも、立派な棚田が拡がっている。麓であるのに、小雨が降り、天気が悪く、霧がかかっている。
ここから標高1300mの展望台まで登っていく。足が悪くて登れない人は「籠」に乗っていく。
途中には民宿と思われる建物が数多く建っている。少数民族の建物は、一般的には一階は家畜、二階は住居、3階は倉庫ということである。この建物、私には、宮崎駿の「千と千尋の神隠し」の風呂屋を思い起こさせた。
田んぼ一枚の面積は狭く、「カエルが飛び跳ねると、3枚の田んぼを越える」と言われるほどである。
頂上近く、棚田が美しい曲線を描いているのに、霧は深くなるばかりである。
汗びっしょりになり、頂上の展望台にたどり着いたら、何も見えなかった。棚田の姿が龍に見えるといわれる光景は霧の中である。
この写真は、展望台で買った写真集の内の一枚。こうゆう形が見えたはずなのに・・・・・・。
これらの棚田の傾斜は15度から75度に及ぶという。長い年月をかけ、石を並べていく労苦は大変なものであっただろう。ここには、漢民族に山奥まで追い詰められた少数民族の悲哀が感じられてならないのだが・・・・・。
なお、中国の旅を8回している同行のIさんによると、「龍勝の棚田はあまりにも、有名になりすぎて、観光地化してしまった。元陽の棚田は、まだ観光地化してないので雰囲気がもっと良い。」との話だった。
詳しくは、「めいすいの海外旅日記」・・・桂林・陽策と龍勝棚田の旅 第3日をご覧下さい。
PENTAX K20D + SIGMA 17-70mm F2.8-4.5 DC MACRO で撮影
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棚田の開墾は元(1271~1386年)の時代から始まったというから、日本でいえば鎌倉時代であり、歴史は古い。ほぼ現在の姿になったのは清代ということである。棚田は300m~1000mの間に分布している。
龍勝棚田の入り口「龍脊(りゅうせき)・・・平安 壮(チワン)族梯田」の文字が見える。有料50元。
入口から振り返ると、谷の反対側にも、立派な棚田が拡がっている。麓であるのに、小雨が降り、天気が悪く、霧がかかっている。
ここから標高1300mの展望台まで登っていく。足が悪くて登れない人は「籠」に乗っていく。
途中には民宿と思われる建物が数多く建っている。少数民族の建物は、一般的には一階は家畜、二階は住居、3階は倉庫ということである。この建物、私には、宮崎駿の「千と千尋の神隠し」の風呂屋を思い起こさせた。
田んぼ一枚の面積は狭く、「カエルが飛び跳ねると、3枚の田んぼを越える」と言われるほどである。
頂上近く、棚田が美しい曲線を描いているのに、霧は深くなるばかりである。
汗びっしょりになり、頂上の展望台にたどり着いたら、何も見えなかった。棚田の姿が龍に見えるといわれる光景は霧の中である。
この写真は、展望台で買った写真集の内の一枚。こうゆう形が見えたはずなのに・・・・・・。
これらの棚田の傾斜は15度から75度に及ぶという。長い年月をかけ、石を並べていく労苦は大変なものであっただろう。ここには、漢民族に山奥まで追い詰められた少数民族の悲哀が感じられてならないのだが・・・・・。
なお、中国の旅を8回している同行のIさんによると、「龍勝の棚田はあまりにも、有名になりすぎて、観光地化してしまった。元陽の棚田は、まだ観光地化してないので雰囲気がもっと良い。」との話だった。
詳しくは、「めいすいの海外旅日記」・・・桂林・陽策と龍勝棚田の旅 第3日をご覧下さい。
PENTAX K20D + SIGMA 17-70mm F2.8-4.5 DC MACRO で撮影
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