空中都市のマチュピチュ。15世紀半ばインカ帝国の最盛期に第9代王パチャクティによって築かれたといわれています。マチュピチュ(老いた峰)とワイナピチュ(若い峰)との中間に築かれました。最盛期の居住者は500~600人といわれています。
マチュピチュは何の目的のために作られたのか?
現在の有力な説は「王の私有地で、鉱物や羽毛の採取、珍しい動物の捕獲を行う場所、クスコ3400mより高度が1000mほど低く温暖な気候のため王族の避寒地としての別荘であった。また、インカの最高神「インティ(太陽)」を観測する儀礼の場所でもあった」というものです。
正面の山がワイナピチュ。手前の長い階段の左には、ただ一つの入り口である正門。左手の上方、マチュピチュ最高点の丸い小高い丘にあるのが太陽の観測場所であるインティワタナ。右手白いシートが被っているのは太陽の神殿です。
みどりの広場を挟んで、左手のゾーンは王関係者の居住区、右手のゾーンは技術者の居城区になっていました。右手隅にわずかに白く見えるのはウルバンバ川。この川はワイナピチュをぐるりと廻り、流れ流れてアマゾンに合流します。
SONY HDR-SR11でハイビジョン撮影 37秒
マチュピチュには20数頭のリャマがいます。雑草を食べることと、観光客の写真に納まることが目的とか。リャマはおとなしく、人間によくなれるのでペルーやボリビアなどでは家畜として飼われることが多く、毛や皮を衣類にします。リャマの毛で作ったロープは丈夫でナイロンが広まるまでは、貴重なものだったそうです。
王の居住区に入るためのただ一つの門。木戸が取り付けられていました。
高さ1.8m、突起部分の角柱の高さ36cm の日時計であるインティワタナ。これを利用して、8月の種まき、4月の収穫、6月の祭(インティ・ライミ)が行われていた。
修復中だった太陽の神殿。このような円形の石積み神殿を作り上げる技術者の水準の高さは、当時鉄器がなかったこと、もちろん電気などによる動力もなかったことを考えると驚くべきものがある。
整然と築き上げられた段々畑、ここではトウモロコシが主に栽培されていました。トウモロコシは、すりつぶして粉にし、チチャと呼ばれる酒にしていました。奥の建物は倉庫。屋根は茅葺きで出来ていました。また、こうした石積みの段々畑が、この都市の地震や大雨などによる崩壊を防いでいました。
インカ帝国の幹線道路だったインカ道。こうした道路がインカ帝国無いに張り巡らされていました。マチュピチュにも8本のインカ道が通じていたとのことです。インカには車がなく、交通は徒歩または輿、あるいはリャマであったようです。
詳しくは 「めいすいの海外旅日記・・・南米三大絶景の旅第7日・・・マチュピチュ」 をご覧下さい。
PENTAX K20D + SIGMA 17-70mm F2.8-4.5 DC MACRO、1、2枚の写真は PENTAX Km + smc PENTAX-DA FISH-EYE F3.5-4.5 10-17mm ED2 で撮影
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マチュピチュは何の目的のために作られたのか?
現在の有力な説は「王の私有地で、鉱物や羽毛の採取、珍しい動物の捕獲を行う場所、クスコ3400mより高度が1000mほど低く温暖な気候のため王族の避寒地としての別荘であった。また、インカの最高神「インティ(太陽)」を観測する儀礼の場所でもあった」というものです。
正面の山がワイナピチュ。手前の長い階段の左には、ただ一つの入り口である正門。左手の上方、マチュピチュ最高点の丸い小高い丘にあるのが太陽の観測場所であるインティワタナ。右手白いシートが被っているのは太陽の神殿です。
みどりの広場を挟んで、左手のゾーンは王関係者の居住区、右手のゾーンは技術者の居城区になっていました。右手隅にわずかに白く見えるのはウルバンバ川。この川はワイナピチュをぐるりと廻り、流れ流れてアマゾンに合流します。
SONY HDR-SR11でハイビジョン撮影 37秒
マチュピチュには20数頭のリャマがいます。雑草を食べることと、観光客の写真に納まることが目的とか。リャマはおとなしく、人間によくなれるのでペルーやボリビアなどでは家畜として飼われることが多く、毛や皮を衣類にします。リャマの毛で作ったロープは丈夫でナイロンが広まるまでは、貴重なものだったそうです。
王の居住区に入るためのただ一つの門。木戸が取り付けられていました。
高さ1.8m、突起部分の角柱の高さ36cm の日時計であるインティワタナ。これを利用して、8月の種まき、4月の収穫、6月の祭(インティ・ライミ)が行われていた。
修復中だった太陽の神殿。このような円形の石積み神殿を作り上げる技術者の水準の高さは、当時鉄器がなかったこと、もちろん電気などによる動力もなかったことを考えると驚くべきものがある。
整然と築き上げられた段々畑、ここではトウモロコシが主に栽培されていました。トウモロコシは、すりつぶして粉にし、チチャと呼ばれる酒にしていました。奥の建物は倉庫。屋根は茅葺きで出来ていました。また、こうした石積みの段々畑が、この都市の地震や大雨などによる崩壊を防いでいました。
インカ帝国の幹線道路だったインカ道。こうした道路がインカ帝国無いに張り巡らされていました。マチュピチュにも8本のインカ道が通じていたとのことです。インカには車がなく、交通は徒歩または輿、あるいはリャマであったようです。
詳しくは 「めいすいの海外旅日記・・・南米三大絶景の旅第7日・・・マチュピチュ」 をご覧下さい。
PENTAX K20D + SIGMA 17-70mm F2.8-4.5 DC MACRO、1、2枚の写真は PENTAX Km + smc PENTAX-DA FISH-EYE F3.5-4.5 10-17mm ED2 で撮影
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高熱が出たそうです。
高地だし移動に時間もかかって大変なようですね。
めいすいさんはお元気に帰国されて本当に良かったです。
十分な睡眠と、水分を取ること、体調を良好にしておくことが大切だそうです。また、あまりお酒は飲まないこと。でも飲んだ。
クスコの3400mが問題で、マチュピチュは2400mなので、たいしたことはありません。ただ、一般にはクスコに飛行機で行かないと、マチュピチュには行けないのです。
チチカカ湖の湖畔プーノは、3855mなので、こちらに行くと高山病になる人は増えるかも知れません。