BSプレミアムシネマ 2020/9/17
粗野な大道芸人ザンパノは、無垢な心を持つジェルソミーナを連れ、旅から旅へと渡り歩く、残酷な扱いを受けて深く傷つきながらも、ジェルサミナーナは、ひたすらザンパノに寄り添うが・・・。
女にとって、おしゃべりの意義ははっきりしている。人間関係を作りあげ、友人を増やすことだ。だが男には、話すことはたんなる事実の伝達でしかない。
「俺が欲しいのは、ひとときの静けさなんだ!」。これは洋の東西を問わず、男の切なる叫びにちがいない。 ・・・・・「話を聞かない男、地図が読めない女」アラン・ピーズ & バーバラ・ピーズ (著)より
知的障害(僅かだと思うが・・・)を抱えた女性大道芸人ジェルソミーナ これに男のわがまま、女の忠実、そうして人間の本当の男と女のオリジナル。これが出てこの『道』は凄い映画でしたね。(映画評論家 淀川長治)
ザンパノという男は犬と同じで、ジェルソミーナを好きで話をしたいのに吠えるしかないのだ。(イル・マット、映画の中で)
ザンパノの大道芸は胸で、鎖を断ち切る技
ザンパノの大道芸はもう一つ、鉄砲(ポウテツ)を使い、ジェルソミーナとの掛け合いで喜劇を演じること。
芸を覚え楽しそうに踊るジェルソミーナ
【監督】フェデリコ・フェリーニ
【音楽】ニーノロータ
【製作国】イタリア
【製作年】1954年
【備考】 アカデミー外国語映画賞、ベネチア映画賞銀獅子賞
イタリア語、白黒
【出演】ザンパノ:アンソニー・クイン
ジェルソミーナ:ジュリエッタ・マシーナ
イルマット:リチャード・ベイスハート
監督フェデリコ・フェリーニは少年時に神学校を脱走してサーカス小屋に逃げ込んで連れ戻されたり、10代で駆け落ちをしたり、ローマで放浪生活をして詐欺師にまでなっていた過去がある。こうした経歴がこのストーリーに色濃く反映されている。
【映画の中でのジェルソミーナとザンパノの会話・・・1】
ザンパノとジェルソミーナが夕食のレストランに入って食事をしている時、ザンパノはジェルソミーナの前でそこにいた飲み屋の女を誘い、ジェルソミーナを道路に残し、バイク車でどこかへ行ってしまい、朝になっても戻ってこない。ジェルソミーナが、ようやく探し出し、なんとか出発する。ローザはジェルソミーナの姉、芸の助けをしていたが、死んでしまい、後釜としてジェルソミーナが安く買い取られた。
「ローザにも同じことをしたの」
「何だと?」「何言ってやがる」
「なんで あの人と一緒に?」
「ローザも置いてきぼりに?」
「うるさいな」「何だよ?」
「あなたって 女遊びをする人なの?」 「女遊びをする人」
「いいか 俺といたけりゃ 覚えておけ」 「口をつぐんでいるんだ」
ジェルソミーナは主題歌をラッパで演奏出来るようになっていた。
修道院に泊めてもらえることになり、ザンパノにラッパを吹くようにするように言われて演奏する。ニーノ・ロータの作曲で詩情豊かなシーンである。
【映画の中でのジェルソミーナとザンパノの会話・・・2 修道院の中】
「どうして私といるの?」
「 美人でもないし 料理も何も出来ないのに 」
「何を言い出す?」 「もう寝な」「冗談にしても笑えねえ」
「雨が降ってる」「ここ いいわね」
「私が死んだら悲しい?」
「死にたいのか?」
「前は死にたかった」「こんな男といるくらいならって」
「でも今は 結婚しても良いくらい」「ずつと一緒にいるんだし」
「石だつて役に立つなら」「大事なことよ あなたは何も変えないけど」
「意味ないさ」
「あるわ」
「何を考えろってんだ?言ってみな」「しようもない話はやめろ」「もう寝ろ眠いんだ」
「私のこと 少しは大切?」(主題歌のラッパを吹く}
「 いい加減にしろ」
その後、ジェルソミーナが激しい雨の音で、目を覚ますとザンパノが修道院の格子の向こうの壁に掛かっている銀細工を盗もうとしている。
「俺の手じゃ入らねえ」「やってみろ」
「ダメよ 何するの?」
「何がダメだ 指図する気か?」
「ダメよ、いけないわ」
「黙ってろ」
結局、ジェルソミーナは同意しなかった。
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67年も前の古い映画であるが、男女の関係が興味深く描かれた作品で感銘を受けた。名画という名に恥じない作品である。