マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

ちゃんちゃん祭還幸の儀

2010年05月09日 06時56分15秒 | 天理市へ
中山のお旅所から戻ってきた御渡り行列は鳥居を潜って本社に戻ってきた。

16時40分ころに出た一行が着いたのは17時半。

お休み所の休息はなかったが、還幸もほぼ同じ時間を要した。

2基の神輿を拝殿に置かれて神遷しが斉行された。

その間、2頭の神馬は反時計に周回する。



これも還幸祭の儀式の一つでありましょうか。

乗馬クラブのインストラクターに引かれた馬は作法を納める。

その後、頭屋と頭人児は拝殿に登って還幸の祭典が行われ、産子幣と麻緒を神社から賜る。



さらに岸田と兵庫は牛の舌餅と呼ばれる餅を賜る。

岸田は30枚の牛の舌餅と鏡餅、兵庫は2人の頭屋に牛の舌餅を1枚ずつと、縁のある森島家と川畑家に30枚が配られる。

祭典はこれで終わるわけではない。

兵庫と新泉が奉納される作法が待っている。

そのころは既に日が暮れている時間帯の18時半。

この日3回目となる兵庫の龍の口舞いが行われた。



水神が舞う祈雨だとされている。

そして始まった新泉の翁の舞。



お旅所で所作された笠を被る格好で所作されるお田植えと樫の葉を放り投げる所作だ。

葉っぱが舞い落ちてくるのは雨乞いの所作であろう。



ドン、ドンと祭りの終わりの合図を告げる太鼓が打たれて、長い一日の全ての行事を終えた人たちは大字へ戻っていく。

かつて新泉の翁の舞は演者が白木の面を被って所作をしていた。

樫の葉を放り投げるときも被っていたと長老のMさんは語る。

小さな穴であったから見えにくいながらも所作をしたという。

それがいつしか被らなくなった。

その面は神社に奉納されたようだとされる。

ボロボロになったおんだの所作の笠は小さい子どもの頃からあった。

100年ぐらいは経っているのではと話された。

(H22. 4. 1 Kiss Digtal N撮影)