野依の地区は85、6軒。
宇陀川を境に西と東の垣内に分かれている。
宮(みや)、学校(がっこう)、川井阪(かわいざか)、かもいけさん、向出(むかいで)、水車(すいしゃ)など7垣内の組長や氏子総代に男と女の神さんを祀るトーヤらが白山神社の社務所に集まってきた。
二人のトーヤは社務所の屋根にショウブとヨモギを乗せていく。
御田植祭行事の始まりだ。
本殿や弁天さんなど末社の屋根にも置かれる。
そこには神饌や節句を象徴するチマキが供えられる。
チマキの本数は本殿が10本。
末社は5本と決まっている。
かって野依の御田植祭は旧暦の5月5日だった。
この日は神さまの田植え日だった。
新暦では6月の節句の頃。
各地では野依と同様にショウブやヨモギを供える菖蒲祭や端午の節句行事が行われている。
野依では一旦田植えを休まなくてはならない、不便だといって、大正時代の初めに田植え前の予祝(よしゅく)行事として新暦の5月5日になったことから「節句のオンダ」とも呼ばれている。
苗に見立てた新芽のウツギやショウブ、ヨモギもトーヤが採取してきた。
今年のヨモギは背丈が短い。
天候不順で育っていないようだ。
御田植祭は神事であるが神職は存在しない。
集まってきた人たちがそれぞれの神役を担って行われるのだ。
神役はオジイとも呼ばれる田主の大頭(だいとう)、オバア役の小頭(しょうとう)、荒鍬(あらくわ)、萬鍬(まんぐわ)、小鍬(ごくわ)、苗籠持ち、植女(しょとめ)、けんずい配り、囃子方(唄い手、大太鼓、小太鼓)ですべて男性だ。
それぞれの役割が振り当てられ、三人の植女はご婦人の手によって化粧が施される。
座敷の机に座ってお酒が配膳される。
神事は始めに神酒をいただく。
この所作は「シモケシ」と呼んでいる。
祭りごとを始めるにあたり身を清めるということであって、実にシンプルな神事儀式である。
そのあとは練習が始まった。
始めて扮する植女や大頭、小頭は先輩から指導を受けて舞の作法を覚えていく。
神役一同の呼吸が揃ったら、社務所を降りて素足で境内に登場する。
社務所の前、境内端、中央と太鼓の音頭に合わせて、オンダの所作となる「白山権現とやよの舞」が行われる。
それぞれに畑を耕す所作をする荒鍬、萬鍬、小鍬の所作。腰の引き具合が妙な形をつくる。
赤襷姿の植女は手に持った菅笠をくるりと返しながら舞う。
一連の所作を終えるたびに移動して再び舞を演じられる。
同じ舞を5カ所で行ったあとは階段を登って本殿前で舞う。
能面の大頭は烏帽子を被り直衣(のうし)姿。
腰に杵とゴザをぶら下げている。
手には蛇の目傘で開いたり閉じたりする。
後方の役者はゴザを後ろから引っ張るように持っている。
苗籠持ちは稲苗に見立てたウツギの小枝を一荷ずつ数カ所に植えていく。
それを終えたら本殿から降りて再び境内で演じられる。
数回の舞のあと小頭が社務所から登場する。
大頭と同様に能面を被った小頭。
衣装姿も同じだ。
背負っているのは大きなけんずいの桶。
傍にはけんずい配りが付く。
大頭から神役へ、持った椀に見えない飯を杓文字でついでいく。
そうすると「ワッ」と声をあげる。
お腹が一杯になったという返答の意思表示だ。
一般観客へも同じようにけんずいされて小頭は戻っていく。
神役たちは囃したて、子どもたちは演者の背中を押したり、股間をまさぐったりするユーモラスなオンダ祭だ。
和やかな雰囲気で営まれたオンダ祭は、このあとも数回の所作を繰り返して幕を閉じる。
境内には植えられたウツギが残った。
ちなみにチマキはトーヤが作った。
アシの葉の上に細いカヤの葉を乗せる。
中身の団子はコメ粉を練ったもの。
これを包んで藺草で括る。
シュロの葉茎を利用する人もおられるようだ。
チマキを食べるには料理をしなくてはならない。
鍋に水を入れて凡そ10分ほど茹でる。
柔らかくなったら箸でつつく。
茹で加減は弾力具合で判る。
取り出したチマキは砂糖醤油やきな粉をまぶして食べる。
茹でられたカヤの香りがついたチマキはとても美味しい。
6月の節句の日には自家製のチマキを作られる家もあるという。
(H22. 5. 5 EOS40D撮影)
宇陀川を境に西と東の垣内に分かれている。
宮(みや)、学校(がっこう)、川井阪(かわいざか)、かもいけさん、向出(むかいで)、水車(すいしゃ)など7垣内の組長や氏子総代に男と女の神さんを祀るトーヤらが白山神社の社務所に集まってきた。
二人のトーヤは社務所の屋根にショウブとヨモギを乗せていく。
御田植祭行事の始まりだ。
本殿や弁天さんなど末社の屋根にも置かれる。
そこには神饌や節句を象徴するチマキが供えられる。
チマキの本数は本殿が10本。
末社は5本と決まっている。
かって野依の御田植祭は旧暦の5月5日だった。
この日は神さまの田植え日だった。
新暦では6月の節句の頃。
各地では野依と同様にショウブやヨモギを供える菖蒲祭や端午の節句行事が行われている。
野依では一旦田植えを休まなくてはならない、不便だといって、大正時代の初めに田植え前の予祝(よしゅく)行事として新暦の5月5日になったことから「節句のオンダ」とも呼ばれている。
苗に見立てた新芽のウツギやショウブ、ヨモギもトーヤが採取してきた。
今年のヨモギは背丈が短い。
天候不順で育っていないようだ。
御田植祭は神事であるが神職は存在しない。
集まってきた人たちがそれぞれの神役を担って行われるのだ。
神役はオジイとも呼ばれる田主の大頭(だいとう)、オバア役の小頭(しょうとう)、荒鍬(あらくわ)、萬鍬(まんぐわ)、小鍬(ごくわ)、苗籠持ち、植女(しょとめ)、けんずい配り、囃子方(唄い手、大太鼓、小太鼓)ですべて男性だ。
それぞれの役割が振り当てられ、三人の植女はご婦人の手によって化粧が施される。
座敷の机に座ってお酒が配膳される。
神事は始めに神酒をいただく。
この所作は「シモケシ」と呼んでいる。
祭りごとを始めるにあたり身を清めるということであって、実にシンプルな神事儀式である。
そのあとは練習が始まった。
始めて扮する植女や大頭、小頭は先輩から指導を受けて舞の作法を覚えていく。
神役一同の呼吸が揃ったら、社務所を降りて素足で境内に登場する。
社務所の前、境内端、中央と太鼓の音頭に合わせて、オンダの所作となる「白山権現とやよの舞」が行われる。
それぞれに畑を耕す所作をする荒鍬、萬鍬、小鍬の所作。腰の引き具合が妙な形をつくる。
赤襷姿の植女は手に持った菅笠をくるりと返しながら舞う。
一連の所作を終えるたびに移動して再び舞を演じられる。
同じ舞を5カ所で行ったあとは階段を登って本殿前で舞う。
能面の大頭は烏帽子を被り直衣(のうし)姿。
腰に杵とゴザをぶら下げている。
手には蛇の目傘で開いたり閉じたりする。
後方の役者はゴザを後ろから引っ張るように持っている。
苗籠持ちは稲苗に見立てたウツギの小枝を一荷ずつ数カ所に植えていく。
それを終えたら本殿から降りて再び境内で演じられる。
数回の舞のあと小頭が社務所から登場する。
大頭と同様に能面を被った小頭。
衣装姿も同じだ。
背負っているのは大きなけんずいの桶。
傍にはけんずい配りが付く。
大頭から神役へ、持った椀に見えない飯を杓文字でついでいく。
そうすると「ワッ」と声をあげる。
お腹が一杯になったという返答の意思表示だ。
一般観客へも同じようにけんずいされて小頭は戻っていく。
神役たちは囃したて、子どもたちは演者の背中を押したり、股間をまさぐったりするユーモラスなオンダ祭だ。
和やかな雰囲気で営まれたオンダ祭は、このあとも数回の所作を繰り返して幕を閉じる。
境内には植えられたウツギが残った。
ちなみにチマキはトーヤが作った。
アシの葉の上に細いカヤの葉を乗せる。
中身の団子はコメ粉を練ったもの。
これを包んで藺草で括る。
シュロの葉茎を利用する人もおられるようだ。
チマキを食べるには料理をしなくてはならない。
鍋に水を入れて凡そ10分ほど茹でる。
柔らかくなったら箸でつつく。
茹で加減は弾力具合で判る。
取り出したチマキは砂糖醤油やきな粉をまぶして食べる。
茹でられたカヤの香りがついたチマキはとても美味しい。
6月の節句の日には自家製のチマキを作られる家もあるという。
(H22. 5. 5 EOS40D撮影)