マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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阪本地に伝わる慰霊の踊り

2010年06月08日 07時30分24秒 | 五條市へ
シャクナゲの花が咲き誇る旧大塔村の山の里。

阪本の国道から急坂を登り切ったところが向坂本の地だ。

古野瀬(ダムで水没した)の集落から見て向こう側にあるから向坂本と呼ばれている。

ここは熊野詣での西熊野街道。

近鉄電車が下市まで開通してから寂れていったと長老は語る。

毎年4月29日の政吉法要祭に奉納される阪本踊りが披露される。

村の伝えによれば『淡路から出稼ぎに来ていた文蔵という若者に、阪本の村娘たちが片想いをしたことから村人が嫉妬して、文蔵を水責めにして殺害してしまった。阪本の男たちは五條の代官所へ連行された。働き手を失った村は疲弊し、山林のヒノキまで売らねばならない状況になった。そこに立ち上がった男がいた。中村屋の政吉は村を救うため罪を背負って出頭した。政吉は死罪となり捕らえられていた村人は放免された。政吉は「死罪になったら盆踊りで弔ってほしい」と遺言していた。』それが阪本踊りの始まりとなった。

郷土の義民の哀しい話は踊る姿に蘇る。

政吉法要祭は中垣の専用駐車場上に建てられた墓前で行われる。

お花を飾り、御供を供えて法要が始まった。

祭壇に線香が灯されて佛心寺の僧侶がお経を唱えていく。

はじめに揃って合唱。

「なむしゃむにー、なむしゃむにー」の唱和が青空の下で唱えられる。

昨夜から降り続いた雨は朝方に止んだ。

心配されていた法要は気持ちの良い風がそよぐ日となった。

般若心経を合唱して親類縁者、家内安全、病魔退散を祈る。

修正の儀で焼香していく。



集まった村人は40人を越えた。

焼香の順を待つ人々が並ぶ。

政吉さんのおしょうらい(精霊)回向や先祖代々、過去帳のおしょうらい慰霊を弔った。

法要後の踊りは「やっちょんまかせ」、「はりま」に「かわさき」。

そして、「えー 小代阪本よ 昼寝はよ出来ぬ へエー淡路文蔵がヨ 殺された ショウガヨ ありゃ殺された」 「えー 小代阪本よ 今切るよ桧  へエー淡路文蔵ノヨ 公事ノ金 ショウガヨ ありゃ公事ノ金」 「えー 小代阪本よ 四十とよ八戸 へエーミンナ政吉サンニ 救ワレタ ショウガヨ ありゃ救ワレタ」と歌い踊られる「政吉踊り」の4曲。



短時間で踊り終えた。

ひと休憩してからは楽しみのモチ撒きに移る。



供えたお下がりの御供とともにモチを撒いていく。

コモチを求める手は青空に伸びていく。

ときおり緑色のモチが飛んでいく。

ヨモギを混ぜて搗いたヨモギモチだ。

最後の方にはひときわ大きいオオモチが投げられる。

昔は賽銭のお金を入れて放り投げていた。

だから余計に賑わったのだと長老は目を細める。

(H22. 4.29 EOS40D撮影)