桜井市山間の大字萱森はかつて小学校もあったぐらいに住民が多かった。
60から70戸もあった萱森村人の多くは明治末期に村を出ていった。
下垣内石塔場東方に小字ドノシタ、ドノウエがあった辺りには安楽寺(北白木会所に安楽寺があるがそこではない)があった。
現在は石仏が残っているだけだという現在の萱森は24戸だそうだ。
頭屋は前年の10月19日(現在は近い土曜日)に行われた高龗(おかみ)神社の宵宮祭で決まった家である。
頭屋はあくる年の3月1日にオシメイリ(御神入り)の儀式を行う。
氏神さんの分霊を遷しましする神事に供える御供は蒸し米のセキハン。
かつて三升、三合、三勺(せき)も搗いたモチも供えていたが何時しか簡便になってモチは丸いパンに移り替った。
毎月1日は宮座中が参拝をする朔座がある。
鳥居辺りから境内まで広く清掃する座中。
2月に行われた御田植祭のときにあった大雪も溶けていたから掃除がし易い。
太夫と呼ばれる一老から十老までの宮本十人衆(十人座とも)であるが、全員が揃うことは難しいようだ。
御供は施主である頭人(トーニン)が供える。
頭人は宮座の二老でもある。
斎主を勤める神職は瀧倉のⅠ宮司だ。
度々お世話になっている。
氏子総代と一般参賀に分かれて席に着いた拝殿。
この日は神饌を斎壇に前もっておいておくから献饌はない。
三月朔座の祓え、祝詞を奏上する。
朔座の神事を終えれば直ちにオシメイリ(御神入り)の神事に移る。
斎場は同じ拝殿内。
御神入りは氏神さんの分霊を遷しましすることだ。
拝殿の電灯を消燈するも昼間の灯りが拝殿に挿し込む。
本殿に登った宮司が下りてきた。
袖で覆い隠した分霊は斎壇のヤカタに納める。
「おーおーーー」の神遷しである。
かつては神輿にヤカタを入れて担いでいった。
今ではヤカタに白い布を被せて頭人が抱えていく。
お渡りでもなく車での移動で向かった先は頭屋家。
座中も家に上がる。
分霊のヤカタは家で祀った斎壇に置かれた。
まずは頭屋家の接待。
祝いのこぶ茶やお菓子をいただく。
しばらくの歓談を経て始まった頭屋家の御神入り(オシメイリ)神事。
二老には随分とお世話になっていると話す若夫婦。
おんぶ紐で背負われた赤ちゃんともども儀式に参列する。
山仕事をしたいと何年か前に萱森を在住の地にした。
数年後には中谷集落へ移ったがお世話になった頭屋家では接待役を勤めた。
この日から半年間。秋のマツリである頭屋祭までは頭屋家で滞在する氏神さん。
宵宮祭の翌日の20日(現在は近い日曜日)は大祭である。
昼の会食を経て午後には素襖を着衣した頭屋家のお渡りがある。
地元住民が発刊した『萱森風土記』によれば大行列はかつて朝の8時であったようだ。
現在は頭屋家でのよばれのあとでお渡りをする。
先頭に羽織袴の警護はホウキでツユハライ、次の警護は竹杖、御旗・榊・日月旗持ち、五色榊台、鉾持ち、楽人、総代、中老、唐櫃、頭人、二・三老、斎主、宮本七人座中・・・と連なる。
1月に拝見したHさんの写真によればホウキで道中を履く人は二人。
素襖の装束姿の十人衆が後続につく。
幟や唐櫃を担ぐ人もいる。
白い装束姿がトーニンであろう。
裃姿の人も見られる十人衆一老から三老に宮総代だそうだ。
社務所に戻って一同の直会。
頼んでおいたパック詰め料理が配られた席に着く御神入りを終えた人たちには供えたセキハンを盛る若夫婦。
余った料理だから食べておけと伝えられてありがたくよばれる。
膳にはにゅうめん入のすまし汁もつく。
(H25. 3. 1 EOS40D撮影)
60から70戸もあった萱森村人の多くは明治末期に村を出ていった。
下垣内石塔場東方に小字ドノシタ、ドノウエがあった辺りには安楽寺(北白木会所に安楽寺があるがそこではない)があった。
現在は石仏が残っているだけだという現在の萱森は24戸だそうだ。
頭屋は前年の10月19日(現在は近い土曜日)に行われた高龗(おかみ)神社の宵宮祭で決まった家である。
頭屋はあくる年の3月1日にオシメイリ(御神入り)の儀式を行う。
氏神さんの分霊を遷しましする神事に供える御供は蒸し米のセキハン。
かつて三升、三合、三勺(せき)も搗いたモチも供えていたが何時しか簡便になってモチは丸いパンに移り替った。
毎月1日は宮座中が参拝をする朔座がある。
鳥居辺りから境内まで広く清掃する座中。
2月に行われた御田植祭のときにあった大雪も溶けていたから掃除がし易い。
太夫と呼ばれる一老から十老までの宮本十人衆(十人座とも)であるが、全員が揃うことは難しいようだ。
御供は施主である頭人(トーニン)が供える。
頭人は宮座の二老でもある。
斎主を勤める神職は瀧倉のⅠ宮司だ。
度々お世話になっている。
氏子総代と一般参賀に分かれて席に着いた拝殿。
この日は神饌を斎壇に前もっておいておくから献饌はない。
三月朔座の祓え、祝詞を奏上する。
朔座の神事を終えれば直ちにオシメイリ(御神入り)の神事に移る。
斎場は同じ拝殿内。
御神入りは氏神さんの分霊を遷しましすることだ。
拝殿の電灯を消燈するも昼間の灯りが拝殿に挿し込む。
本殿に登った宮司が下りてきた。
袖で覆い隠した分霊は斎壇のヤカタに納める。
「おーおーーー」の神遷しである。
かつては神輿にヤカタを入れて担いでいった。
今ではヤカタに白い布を被せて頭人が抱えていく。
お渡りでもなく車での移動で向かった先は頭屋家。
座中も家に上がる。
分霊のヤカタは家で祀った斎壇に置かれた。
まずは頭屋家の接待。
祝いのこぶ茶やお菓子をいただく。
しばらくの歓談を経て始まった頭屋家の御神入り(オシメイリ)神事。
二老には随分とお世話になっていると話す若夫婦。
おんぶ紐で背負われた赤ちゃんともども儀式に参列する。
山仕事をしたいと何年か前に萱森を在住の地にした。
数年後には中谷集落へ移ったがお世話になった頭屋家では接待役を勤めた。
この日から半年間。秋のマツリである頭屋祭までは頭屋家で滞在する氏神さん。
宵宮祭の翌日の20日(現在は近い日曜日)は大祭である。
昼の会食を経て午後には素襖を着衣した頭屋家のお渡りがある。
地元住民が発刊した『萱森風土記』によれば大行列はかつて朝の8時であったようだ。
現在は頭屋家でのよばれのあとでお渡りをする。
先頭に羽織袴の警護はホウキでツユハライ、次の警護は竹杖、御旗・榊・日月旗持ち、五色榊台、鉾持ち、楽人、総代、中老、唐櫃、頭人、二・三老、斎主、宮本七人座中・・・と連なる。
1月に拝見したHさんの写真によればホウキで道中を履く人は二人。
素襖の装束姿の十人衆が後続につく。
幟や唐櫃を担ぐ人もいる。
白い装束姿がトーニンであろう。
裃姿の人も見られる十人衆一老から三老に宮総代だそうだ。
社務所に戻って一同の直会。
頼んでおいたパック詰め料理が配られた席に着く御神入りを終えた人たちには供えたセキハンを盛る若夫婦。
余った料理だから食べておけと伝えられてありがたくよばれる。
膳にはにゅうめん入のすまし汁もつく。
(H25. 3. 1 EOS40D撮影)