マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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上吐田春日神社の春祭り

2013年06月26日 06時50分51秒 | 川西町へ
梅の花が咲き誇る上吐田。

青空を美しく染めていた。

かつて中世荘園として栄えた吐田庄は時代を経て上吐田(かみはんだ)村と呼ばれていた。

明治時代の地租改正を契機に東の上吐田、西隣は北吐田、さらに西の南吐田村と合併して現在の川西町吐田になった。

北吐田・南吐田は杵築神社、上吐田が春日神社。

それぞれの氏神さんを崇敬する。

春日神社が鎮座する地の小字は実盛(さねもり)と呼ばれている。

実森の字を充てることもあるようだ。

神社の東側に小さな塚がある。

その場は昔、実盛と呼ぶ刀鍛冶師が住んでいたと伝わる。

神社境内の南側から見れば神社そのものが高台。

さらに高い地に本社が祀られている。

小字実森は神社を含む一帯である。

その西側の小字は宮西、神社南側の小字は堂前である。

春日神社の境内には薬師堂があったと伝わる。

境内にはその堂跡とも思える残欠の石塔や台座が散在している。

現存している燈籠にそれぞれ刻印があった。

「式下郡吐田村 文化元年(1804)甲九月吉日」の燈籠に「天保三年(1832)三月吉日建之」の太神宮石塔だ。

拝殿前の燈籠は「嘉永元年(1848)九月吉日」だ。

いずれも江戸後期の燈籠である。

時代刻印がなかった燈籠には「春日大明神」とある春日神社ではあるが手水鉢はそれらよりも古く「寛政四子年(1792)正月吉日 當村 世話人若連中」とある。

結崎村、下永村、吐田村、梅戸村、唐院村、保田村からなる式下郡は明治22年に町村合併されて川西町になった。

町の中心部は結崎だ。

春日神社の宮司は結崎の糸井神社。

存知している村の神社だけでも結崎の糸井神社、下永の八幡神社、保田の六縣神社、北吐田の杵築神社がある。

いずれも兼務社であって祭礼においてはたいへんお世話になっている宮司である。

糸井神社にある大きな石造りの燈籠には「萬延元年年(1860)申年十二月吉日建之 願大庄屋云々 組丁十五ケ村庄屋中」と刻まれている。周囲を見れば「市場組 市場、中村、辻村、井戸村、吐田村(現川西町」、西唐院村(現川西町」、東唐院村(現川西町」、穴闇村(現河合町)、長楽村(現河合町)、屏風村(現三宅村)、三川村(現三宅村)、伴堂村(現三宅村)、南伴堂村(現三宅村)、今里村(現田原本町)、なにがし」とある。

春日神社の年中行事を執行するのは宮守の人たち。

世話人の宮十人衆と五人衆である。

春日神社の年中行事にはこの日の春祭りを含めて9月の八朔や秋のマツリ、新嘗祭などがあるという。

平成13年5月に竣工した拝殿に登る宮守たちの他、祭りの当家(トーヤ)や自治会役員だ。



祓えの儀の次は献饌。

三社の本社と小宮に供える。

祝詞奏上、玉串奉奠、撤饌で終えた春祭りは春に先駆けて村の豊作の祈る祈年祭(としごいのまつり)である。

(H25. 3.17 EOS40D撮影)