マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

田中町甲斐神社雨のお田植祭り

2013年06月20日 06時53分53秒 | 大和郡山市へ
午前中いっぱいかけて祭りの準備を整えた大和郡山市田中町の宮守たち。

一旦は家に戻って出番を待つ。

その間に降りだした雨。

強風も吹き荒れるお田植祭りの日となった甲斐神社。

かつては3月10日であったが現在は第二日曜日である。

前庭に設えたお田植え所作場。

田んぼに見立てた神田はずぶぬれになった。

先月の垣結びの日から作り始めたお田植祭りに供える竹製の松苗がある。

宮守総代が精魂込めて作った松苗は先に松葉を挿して御供を包んだ。

御供は御神籾の文字がある。

中には三粒の籾種を入れている。



田植えの所作に使われる祭具は木製の鎌、鋤、鍬だ。

傘をさしてお参りに来た婦人は赤子を抱いている。

天理市の刀匠家に嫁がれたOさんだ。

彼女は藍染師。

元紺屋を改造した箱本館で勤めている。

平成22年7月3日に藍染体験した際にご指導を受けた先生だ。

赤子ができて一年間は育児休暇を取得していたが復帰された。

久しぶりの顔で出合う田中町はそれまで暮らした実家であったのだ。

嫁入りされた刀匠にもお世話になったことがある。

平成23年9月以来の久しぶりに元気な様子を拝見して嬉しく思う。



懐かしい村の人たちに赤子を披露する姿は微笑ましく思ったのである。

参籠所に座るのは氏子たち。

いつもと同じように老人会の人たちも登る。

冷たい風が抜ける。

お田植えの所作が始まる迄の時間は外の気温が赤子に影響も考えられたので社務所で待っていたらどうかと案内した。

前置きが長くなってしまったお田植祭りは神事から始まる。

舞殿にあがるのは宮司、宮守総代、自治会長に水利組合長である。

7月に行われる代々とも呼ばれる夏祭り、8月の七日盆とも呼ばれる祖霊祭、9月の八朔祭、10月の祭りの宵宮では湯花神事とも呼ばれている御湯の作法をされる巫女さんであるが、今日の行事には巫女さんの出番はない。

参籠所の外で婦人たちとともに見守っている。

雨にあたらないよう場に佇んでいる。

かつてはこの日のお田植祭においても御湯をされていたそうだ。

田中町では春祭りと称される祈年祭の祝詞を奏上されて場は移った。



本来ならば神田であるが雨天決行の日にはその場でなく参籠所内。

お田植えの祝詞を奏上する宮司。



最初に登場するのは里の女児巫女。

お稚児さんと呼ばれている巫女は小学生。

かつては4人で舞っていたが現在は2人だ。

浄衣装の宮守総代。



始めに木鎌を持つ一老が所作する。

畦などに生えている草を刈り取る所作である。

次は鋤を持つ二老。

鋤を畦に入れて鋤入れの所作。



次は鍬を持つ三老。

鍬で田んぼを耕す。

次は四老。

畦に大豆を撒く。



次は五老。

神田全面に籾種を撒く。

宮守総代の役目は決まっており「いつもそうしている」と話す。

これらの所作を拝観する氏子たち。

晴れの日であれば境内の神田であるが、雨天の日はこうして目の前で所作されるのだ。

最後に稲苗に見立てた松苗を植え付ける里の女児巫女が登場する。



一老、二老から手渡された松苗を一つ、一つ丹念に植えていく。

一人が3本ずつの3列。

植えれば後ろに下がる。

お田植え祭りが終われば氏子たちは受け取って持ち帰る。

松苗は苗代を作ったときに苗代付近に立てる。

田中町の苗代に立てられる松苗は数多く見られる。

豊作を祈願する松苗は虫除け、或いは子授縁結びにもあると云われておりたくさんの人たちが貰って帰る。

(H25. 3.10 EOS40D撮影)