マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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伊豆七条町勝福寺彼岸の尼講

2013年06月29日 06時48分42秒 | 大和郡山市へ
正月を除く毎月一日は朔日参りをしている尼講。

大和郡山市伊豆七条町にある勝福寺での営みである。

普段は無住寺である勝福寺は村の集会にも利用している。

いつもの朔日参りは尼講の人たちの営みであるが春、秋の彼岸は天理市南六条町の西福寺の今田住職が参る。

「先日の南六条の薬師さん、観音さんに来ていただろう」と伝えられた。

その通りでござる。

今夜も始まった彼岸の尼講の営み日は彼岸の中日の前日の夜。

朔日参りは昼であるがこの日は夜だ。

いずれも家で食事をしてからやってくる。

始まる前に設えた斎壇。

当番の人が飾ったお花はご本尊の阿弥陀仏に供える。

蝋燭を立てて位牌も並べる。

いち早くやってきたHさんは昭和7年生。

「ナタネ梅雨の合間の営み。寒いよりはましやけど、花冷えもかなわん年齢や」と話す。

13歳のときは「じょうがんの構え、ドウー、ツキー」と長刀をしていた尋常高等小学校。

現在でいうなら中学二年生の頃だ。

「10cm以上も雪が積もった3月だった」ことを覚えていると云う。

そんな会話をしていれば次々とやってくる尼講の人たち。

朔日参りや施餓鬼に訪れたときのことを覚えておられる馴染みの顔ぶれ。

西福寺は融通念仏宗。伊豆七条町もそうである。

11月9日は大阪平野から如来さんがやってくるご回在がある。

ご本尊の前に座った住職。

尼講の人たちも含めて小さな椅子に座る。



融通念仏勤行を唱える彼岸の尼講。

十念、歎佛偈(たんぶつげ)、光明文から過去帳へと移る。

地震災害諸霊から支那事変までなーあーむあみだぶつ。

焼香もする彼岸の日は追善供養、塔婆回向は先祖代々の塔婆供養も。

最後に鉦を打った住職。

その鉦を拝見した。

「伊豆七条村 勝福寺了祭代 江戸西村和泉守作」の記銘がある三本足をもつ鉦だ。

鉦は奥にもう一つあった。

それには「安永八巳亥年(1779)二月 伊豆七条村 勝福寺什物 京室町住出羽宗味作」とあった。

「江戸西村和泉守」は江戸神田の鑄物師。

延宝年間(1673~)から大正時代に亘って十一代の名を継いだ鑄物師のようだが伊豆七条町の鉦の年代は判らない。

一方、「京室町住出羽宗味」は行事取材のおりに度々目にする名である。

刻印は明確で安永二年(1779)であるから230年以上も前に作られた鉦である。

先日に拝見した奈良市今市の小念仏講が使っていたのは「室町住出羽大掾宗味」の作。

同市の杉町にあった鉦も「室町住出羽大掾宗味作」であった。

奈良市の南田原町も同じく「室町住出羽大掾宗味作」である。

他府県2例に宝永時代の1710、1711年ものが見つかっている。

伊豆七条町よりも前の作品群。

出羽大掾宗味も代々が名を継いだ鑄物師の作品は他所においても相当数があると推察されるのである。

(H25. 3.19 EOS40D撮影)