マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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久安寺薬師さんのオコナイ

2014年06月15日 08時30分38秒 | 平群町へ
平群町の久安寺は素盞嗚神社の行事を取材したことがあるが、薬師堂で行われるオコナイは始めてだった。

会所で版木刷り作業をされるのは11人のオヤとコ。

オヤは久安寺にある北、久保、南の3垣内それぞれの代表者。

任期は3年間だそうだ。

コも同じく各垣内から選ばれた人たちで2年任期。

ミナライに籠り役と云うイノコリも勤める。

この日は朝から雨が降り続ける日だった。

朝から薬師堂を清掃されて奇麗にしていたと云う。

昔から使っていると云う版木は二枚ある。



一つは「御祈祷寶簡」の文字で、もう一枚は梵字がたくさんあるが、判読不能だ。

その梵字下にあった文字は「火災消除守護」だった。

それぞれ5枚ずつ墨汁を刷毛で塗って半紙に刷っていく。

昔は牛の姿の絵の版木もあったようだと話す。

その版木は20年ほど前に盗難にあった。

村行事に移ったときにはまだあったと云う。

「御祈祷札」は先を割った竹に挟んで苗代に、「火災消除守護札」は三宝さん或いは愛宕さんなど家の火遣いの場に祭ると云う。

平群町は小菊の一大産地。

稲作農家もなく、苗代をしている家はまず無いだろうと話す。

牛の絵札はどこに貼っていたのか、尋ねた結果は牛小屋である。

絵札は小屋の入口の柱に貼っていたと話す。

絵札話しの内容から、昨年9月に聞いた大淀町馬佐の牛滝まつりのかつての様相と同じだと思った。

二枚のお札を薬師堂で祈祷されるのは久安寺の専念寺住職。

融通念仏宗派のお寺である。

薬師堂が建っている場はかつての長生院。



お堂には宝暦四年(1754)に長生院を再建されたと記す棟札が残されていた。

「宝暦甲戌年 和州平群郡久安寺邨 長生院住持□□本住  奉再建房舎一宇天下泰平國家豊樂院内安穏人法紹隆 大工同國同郡法隆寺村辰巳三郎兵衛某」とある。

裏面は「去寶暦三癸酉歳六月三日大雨山崩房舎大破壊□ 今年粗得邨民竹木之助再建之者也 本住記」とある。

棟札が記す宝暦三年の山崩れによって大破した長生院は翌年の四年に法隆寺村に住む大工が建てたとあるのだ。

素盞嗚神社で行われた御湯の湯釜には「牛頭天王宮元文三戌年(1738)八月吉日 和州平群久安寺邑長生院住持本住比丘氏子中」の刻印があった。

湯釜を寄進された十数年後に山崩れに見舞われたということだ。

しかもだ。



薬師堂に残されていたかつての大型鰐口にあった刻印は慶長七年(1602)である。

400年前にはすでに長生院が存在していたのである。



村の歴史は遺物にあった年号で判明した貴重な什物である。

かつては真言宗であった長生院。

専念寺住職が話すに、「真言宗である信貴山朝護孫子寺の僧侶がオコナイをしていたのであろう」と云う。

この日は薬師さんのオコナイ。

雨が降るなかのお勤めになった。

薬師さんの仏画掛軸三幅掲げて御供を供える。

仏画はいずれも同じようである。

版木で刷ったお札はそれぞれ50枚ずつ。

祭壇に奉って祈祷する。



お念仏は融通念仏勤行。

般若心経、菩提回向、三界万霊などを唱えて終えた。

ときおり磬を打つ音も聞こえてくる。

その磬は貞享四年(1687)の作であるらしい。

雨が降るなかのオコナイは堂内に住職がお一人。



村人が座る位置もなく、境内で傘をささざるを得ない。

祈祷された御祈祷寶簡札を苗代に立てる際にはウルシの木に挟んでいたという長老の話しから伺える薬師さんのお勤めはオコナイに違わない。

この日にカンジョウナワを編んで掛けていたのは昔のこと。

今では年末に「やいのやいの」と云いながら五人がしていたそうだ。

この年のカンジョウナワは前年の12月14日だった。

昔からここであったというナワカケの場は素盞嗚神社の鳥居前。

樹木に掛けて伸ばしている。



かつては集落下を流れる川に掛けていたと思われるカンジョウナワには大きい房が三つある。

カンジョウナワを注連縄だと云う人もおられた。

(H26. 1. 8 EOS40D撮影)