マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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稲渕ドウコウのオコナイ

2014年06月22日 09時03分38秒 | 明日香村へ
明日香村稲渕で行われる「ツナカケ」行事には大勢の観光客が訪れて賑やかになるが、その稲渕で「ドウコウ」と呼ばれる講中の行事があることを知る人はおそらくいないだろう。

まったくといっていいほど知られていない「ドウコウ」の存在を知ったのは昨年の4月3日のことだ。

旧暦閏年に行われた庚申さんの「モウシアゲ」取材のお礼に再訪した際に、その場に居られた男性が話した「ドウコウ」の件。

「正月初めに立ち寄る龍福寺。昼ごろだ。前はトヤの家でいっぱい飲んでいた。「デン」と呼ばれる膳があった。負担を避けてトヤ家の廻りは止めた。4軒の営みは今でも変わらなく、お寺である。飛び石の石橋付近に生えているネコヤナギの木をとってくる。昔から所有する版木に墨をつけてお札を刷る。お札はネコヤナギに括りつけて祈祷をする。住職が唱える場は寺本堂でなく、境内にあるお堂だ。行事を終えたお札はネコヤナギとともに苗代に立てる」と云っていた。

それは正月初めに祈祷されるオコナイのように思える行事だと思えたのである。

その話しを聞いてからもう少し詳しいことを聞きたくて訪れた今年の正月三日。

教えて下さった84歳のTさんを訪ねた。

営みの場は龍福寺境内にある大日堂である。

大昔から使っている版木で刷ったお札をヤナギの枝に括りつけて寺僧侶が般若心経を唱えると話していた。

そのお札は苗代に立てるというのだから、間違いなく「オコナイ」の営みであると確信したのだ。

稲渕の龍福寺に到着、4軒(以前は7軒)の講中が参集した丁度のときであった。

寺僧侶に取材の目的を伝えてあがらせてもらった寺務所。

早速始まった講中の作業。

始めに版木刷りをする墨を摺る。

昨今のオコナイでは墨汁を使うことが多いがドウコウの在り方は墨を摺るから始まる。

しかも半紙の上から手で押さえるのではなく、バランを用いた丁寧なやり方だ。

かつては竃の煤を集めて、水で溶いて椀に入れ、ザラザラした感触の墨を筆で版木に塗っていたと云う。

版木の文字は「牛王 天徳山 寶印」。



側面にはうっすらと享保十一年(1726)の墨書が判読できた。

天徳山は龍福寺の山号であるが、今の宗派は浄土宗でご本尊は阿弥陀如来である。

無住寺だった時代もある龍福寺。

寺年代記を示すものがなく、詳しいことは判らないが、それ以前は真言宗であったかも知れないと僧侶は話す。

龍福寺の大日堂傍らにある層塔は天平勝宝三年(751)の記銘がある史石の竹野(女)王碑。日本最古の石塔を訪れる史跡めぐりの人たちは数多いが、行事を尋ねる人は皆無のようだ。

「牛王 天徳山 寶印」の書はごーさんのお札。

これに寶印を押すのだが、なぜだか黒色の墨汁である。



他所では朱印を押しているが、なぜだか黒色。

尋ねた結果は、「顔の上部の額に押すときはこちらを使う」と拝見した寶印は二種類。



写真左側が現在用いているやや小型の寶印で黒色、右側はかつて使っていた大型の寶印で朱色だ。

中央に置いたのは大昔に使っていたとされる木製の椀。

朱の色が残っていた。

一枚、一枚、講中の人数分のごーさんは寶印ではなく四角い角印に朱で押していく。



寺名であるのか、それとも、お札の記銘であるのか判らない角印である。

お札は予め準備でいておいた花芽付きのカワヤナギの木。

下部は皮を剥いで二股にしてある。

そこに四つ折りにしたお札を挟みこむ。



刷った枚数は講中の4枚であるが、一枚多めに刷ってくださって、カワヤナギに挟んだものをいただいた。

貴重なドウコウの行事の用具は、県立民俗博物館に寄贈したいと思った。

ドウコウの営みの場は数年前に本堂とともに改築されて落慶法要を済ませた大日堂だ。



ご本尊の前に供えたのは「オデン」だ。

Tさんはそれを「デン」と呼んでいた。

「デン」であるのか、「オデン」であるのか判らないが、おそらく御膳が訛ったようだ。



御膳は仏飯や調理膳のコーヤドーフ・アゲ・ニンジン・ホウレンソウ・サトイモ・シイタケの煮びたし椀がある。

豆腐の椀もあれば、煮豆のお平もある。

お酒も載せた「オデン」の下は高杯だ。

底面には、「天文十二年癸卯(1543)十二月十□本願主又四郎 大住□次郎 祢四郎」の朱塗り記銘があった。



近年において、新調された際に、もともとあった記銘年代・寄進者の名を記したようだとTさんは話す。

版木は享保十一年(1726)の290年前。

御膳の高杯は470年前のもの。

年代記銘で時代年が判明した貴重なドウコウのオコナイ用具に感動する。

30年ほど前に訪ねてきた県立民俗博物館の職員の願いで、民博の展示協力にドウコウ関係者が出かけたと云う。

図録があれば確かめてみたいと思った。

寺僧侶の前に立てた願文塔婆には「奉修祈願大日如来 天下和順 日月清明 風雨以時 災励不起 国豊民安 五穀豊穣 維持平成廿六年一月十二日 堂講中」の文字がある。

「ドウコウ」の呼び名は「堂講」であったのだ。

堂講のオコナイは神名帳の詠みあげもない祈祷法要だ。



真言宗派であれば神名帳の詠みあげなどがあるが、龍福寺は浄土宗であるゆえ、その在り方は見られない。

法要で終えると思っていたときのことだ。

おもむろに始まった当番(トヤ)の婦人が立った。

今では使っていない朱の椀と寶印を取り出して作法をする。



寶印を手にして、天、地、東、西、南、北に突きだす所作である。

このような作法は一昨年に拝見した山添村岩屋の宮さんの修正会とまったく同じである。

岩屋の修正会もオコナイの在り方である。

「エイ」「ヤー」と声を掛けることもない寶印の突きだし作法。

岩屋では魔除けの作法だと云っていた。

つまり村から悪病を追い出す作法なのである。

突きだした寶印は講中の額に当てる真似をする。

本来ならば朱を塗りつけて額に押すのであるが、それはしなかった。

稲渕の堂講の作法を拝見して同村にも修正会があったと実感した。

作法を終えれば、牛王寶印書を挟んだカワヤナギを講中に手渡す。

その渡し方が実にユニークであった。

後ろ向きになった当番の人は後ろにいる講中一人ずつにカワヤナギを手渡す。

当番の人がどれを選別したのか判らないようにしている作法だと云う。



オコナイの営みを済ませた講中は供えた酒を酌み交わす。

寺僧侶も注がれて〆の酒を飲む。

こうして営みを終えた講中は寺僧侶にお礼を述べて当番家に戻っていった。



法要を済ませた龍福寺。

かつては大日堂に飼っていた牛を連れてくる「うったきさん」があったと話した80歳の前住職。

「うったきさん」は牛滝祭り。

春先に牛を飼っていた村人が田んぼを耕した後に連れてきた。

牛は奇麗にして、大日堂に繋いでいた牛繋ぎの鉄輪に繋げていた。

改築するまでは牛繋ぎの鉄輪があったそうだ。

境内は狭いので、3、4頭ずつ。

順番を待つ牛もたくさんいた時代は前住職が子供の頃の様相だ。

供えたモチを持って帰っていく農家も多かった時代だったと話す。

(H26. 1.12 EOS40D撮影)