西佐味水野垣内を下った中出垣内のとんどは既に終わっていた。
そこから道なりに下っていけばとんどの煙が見えた。
そこはどこだろうと思って着いた地は鴨神下垣内。
南小田(南幸田かも)と呼ぶ小字である。
たった今、燃え尽きたばかりだと云う下垣内とんどは周りに竹を打ちこんで支えていたようだ。
今では数人となった大祓えの詞を3度奏上したあとで、とんどに火点けをしたと云う。
火点けの方角は恵方。
この年は東北東だった。
とんどで暖をとっていた村の人が話すかつてのとんどの在り方。
「とんどの残り火を持ち帰って朝にアズキ粥を炊いた。ビワの葉に載せて神さんに供えた。アズキ粥は穂付きのカヤススキを箸代わりに用いて食べた。一口、二口ぐらいやった。田んぼ(苗代の場)にカヤススキをその場に立てた。家族が5人おれば、束にして10本を立てた。一人一膳ちゅうことや」と話す。
「アズキ粥は食べるだけで田んぼには持っていかなんだ」と話した長老は83歳。
戦後間もないころに止めたと云う。
長老曰く、「今ではせんようになったが、とんど火でモチを焼いた。「カノクチ ブヨ(ブト)ノクチ ハチノクチ」と云いながら千切ったモチをとんどに投げ込んでいた。蚊とか、ブヨ(ブト)に刺されると叶わんのでまじないをしていた」と話す。
「小学生の頃は書き初めをした習字の書も燃やしていたが、今では何もせんようになった」と云う。
そのようなかつての風習を聞いていた時間帯だ。
「あっちの方でもとんどするんや」と指をさした処から煙が上がった。
場所は東佐味である。
「もう一つがあるはずや」と云っている最中に煙が上がった。
最初の方が北垣内で、次は南垣内のようで14時に点火したもようだ。
北垣内は陸橋の手前。弥勒寺付近のようである。
「東佐味はもう一つあるんや」と云う。
「モーテル右側にあるもやもやとしたもんが見えるやろ」と云われて急行した。
(H26. 1.14 EOS40D撮影)
そこから道なりに下っていけばとんどの煙が見えた。
そこはどこだろうと思って着いた地は鴨神下垣内。
南小田(南幸田かも)と呼ぶ小字である。
たった今、燃え尽きたばかりだと云う下垣内とんどは周りに竹を打ちこんで支えていたようだ。
今では数人となった大祓えの詞を3度奏上したあとで、とんどに火点けをしたと云う。
火点けの方角は恵方。
この年は東北東だった。
とんどで暖をとっていた村の人が話すかつてのとんどの在り方。
「とんどの残り火を持ち帰って朝にアズキ粥を炊いた。ビワの葉に載せて神さんに供えた。アズキ粥は穂付きのカヤススキを箸代わりに用いて食べた。一口、二口ぐらいやった。田んぼ(苗代の場)にカヤススキをその場に立てた。家族が5人おれば、束にして10本を立てた。一人一膳ちゅうことや」と話す。
「アズキ粥は食べるだけで田んぼには持っていかなんだ」と話した長老は83歳。
戦後間もないころに止めたと云う。
長老曰く、「今ではせんようになったが、とんど火でモチを焼いた。「カノクチ ブヨ(ブト)ノクチ ハチノクチ」と云いながら千切ったモチをとんどに投げ込んでいた。蚊とか、ブヨ(ブト)に刺されると叶わんのでまじないをしていた」と話す。
「小学生の頃は書き初めをした習字の書も燃やしていたが、今では何もせんようになった」と云う。
そのようなかつての風習を聞いていた時間帯だ。
「あっちの方でもとんどするんや」と指をさした処から煙が上がった。
場所は東佐味である。
「もう一つがあるはずや」と云っている最中に煙が上がった。
最初の方が北垣内で、次は南垣内のようで14時に点火したもようだ。
北垣内は陸橋の手前。弥勒寺付近のようである。
「東佐味はもう一つあるんや」と云う。
「モーテル右側にあるもやもやとしたもんが見えるやろ」と云われて急行した。
(H26. 1.14 EOS40D撮影)