連日訪れた天理市成願寺町の頭屋家。
ちゃんちゃん祭の宵宮に参る順番は毎年替わる。
大和神社に向かう各大字のほとんどが成願寺町の街道筋を行かねばならない。
成願寺が出発するまでの時間帯。
長柄の人たちが通り過ぎる。
その間の頭屋家は大和神社に捧げる御幣の米御供を調製していた。
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2本の青竹に差し込む大幣。
そこに括り付ける米御供は大きなものもあれば小さなものも。
鈴なりのようになった米御供は他の大字には見られない。
調製中も通り過ぎていく大字兵庫や三昧田、佐保庄を屋内から見ていた。
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同時間帯は牛の舌餅も調製する。
束ねた牛の舌餅をヒモロギで括って揃える。
牛の舌餅は御供箱に納めて運ばれる。
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その箱周りに張る注連縄。
大和神社から授かっていた紙垂を取り付けるが枚数は不足して作業は中断する。
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そろそろ出発するかと思えて屋外に出たときだ。
中高生ぐらいの子供が漕ぐ自転車数台が街道筋を駆け抜けていった。
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成願寺町の頭屋家を出発する3人の人足は垣内の若い人。
宵宮参拝に出かける前に成願寺の氏神さんを祀る素盞嗚神社に向かう。
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手にしているのは前日に搗いた吉野御供。
風呂敷に包んでいた。
街道筋で出会う町内の人たちに見送られて南へ向かう。
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頭屋家は北垣内。
神社の所在地は南垣内。
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移動距離は500mもある。
成願寺の素盞嗚神社はかつて天皇社と呼ばれていた。
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神社灯籠に「奉寄進 牛頭天王御神前 川畑清蔵 天和二年(1682)七月八日 成願寺村」の刻印が見られる。
牛頭天王を祀る天皇社である。
素盞嗚神社に併設されたという八王子社がある。
かつて、成願寺の東北の地にあった八王子社は明治維新の際に素盞嗚神社境内に遷したと伝わるが、社殿は見当たらない。
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鳥居を潜って吉野御供は氏神さんの素盞嗚神社石段に供えた。
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3人の人足は揃って拝礼する。
次は南に向きを替えて頭を下げる。
頭を下げた方向は吉野の方角。
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水の神さんを崇める東吉野村の丹生川上神社中社<※大正十二年までは蟻通神社>へ吉野御供を届け、参っていたと伝わるが、大和神社の宮総代を務める北垣内の長老もその記憶はなく、見たこともないという。
伝承によれば丹生川上神社参拝を終えた人足は供えた吉野御供を持ち帰り、地区に配っていたそうだ。
今日では氏神さんに供えて参るようになった。
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参拝を済ませて頭屋家に戻っていく人足は下げた吉野御供を抱え持つ。
帰りは風呂敷に包んでいない。
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戻る途中に出会う町内の人に御供をさしあげる。
以前は子供たちが吉野参りを済ませた御供配りを待っていたそうだ。
子供も少なくなった昨今。
明日の祭りの準備をしながら待っていた大人に手渡す、しかないようだ。
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たたまた遊んでいた子供に餅をあげようと声をかけたら寄ってきた。
素盞嗚神社の吉野御供参りを終えた成願寺町の頭屋家は人足とともに大和神社へ向かう。
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宵宮参拝に米御供御幣を奉る。
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神事を終えたら代わりに産子幣を授かって頭屋家に戻ってくる。
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翌日のちゃんちゃん祭の還幸祭に供える牛の舌餅をホッカイとも呼ぶ御供箱に詰め込んだ。
足らなかった紙垂は宵宮参拝のおりに貰ってきた。
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注連縄を張って四方に紙垂を付けて祭り用具の調製を終えた。
これらを確認された頭屋家ならびに人足たちは満足顔で解散されたが、明日は雨になるかも知れない。
(H27. 3.31 EOS40D撮影)
ちゃんちゃん祭の宵宮に参る順番は毎年替わる。
大和神社に向かう各大字のほとんどが成願寺町の街道筋を行かねばならない。
成願寺が出発するまでの時間帯。
長柄の人たちが通り過ぎる。
その間の頭屋家は大和神社に捧げる御幣の米御供を調製していた。
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2本の青竹に差し込む大幣。
そこに括り付ける米御供は大きなものもあれば小さなものも。
鈴なりのようになった米御供は他の大字には見られない。
調製中も通り過ぎていく大字兵庫や三昧田、佐保庄を屋内から見ていた。
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同時間帯は牛の舌餅も調製する。
束ねた牛の舌餅をヒモロギで括って揃える。
牛の舌餅は御供箱に納めて運ばれる。
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その箱周りに張る注連縄。
大和神社から授かっていた紙垂を取り付けるが枚数は不足して作業は中断する。
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そろそろ出発するかと思えて屋外に出たときだ。
中高生ぐらいの子供が漕ぐ自転車数台が街道筋を駆け抜けていった。
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成願寺町の頭屋家を出発する3人の人足は垣内の若い人。
宵宮参拝に出かける前に成願寺の氏神さんを祀る素盞嗚神社に向かう。
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手にしているのは前日に搗いた吉野御供。
風呂敷に包んでいた。
街道筋で出会う町内の人たちに見送られて南へ向かう。
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頭屋家は北垣内。
神社の所在地は南垣内。
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移動距離は500mもある。
成願寺の素盞嗚神社はかつて天皇社と呼ばれていた。
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神社灯籠に「奉寄進 牛頭天王御神前 川畑清蔵 天和二年(1682)七月八日 成願寺村」の刻印が見られる。
牛頭天王を祀る天皇社である。
素盞嗚神社に併設されたという八王子社がある。
かつて、成願寺の東北の地にあった八王子社は明治維新の際に素盞嗚神社境内に遷したと伝わるが、社殿は見当たらない。
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鳥居を潜って吉野御供は氏神さんの素盞嗚神社石段に供えた。
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3人の人足は揃って拝礼する。
次は南に向きを替えて頭を下げる。
頭を下げた方向は吉野の方角。
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水の神さんを崇める東吉野村の丹生川上神社中社<※大正十二年までは蟻通神社>へ吉野御供を届け、参っていたと伝わるが、大和神社の宮総代を務める北垣内の長老もその記憶はなく、見たこともないという。
伝承によれば丹生川上神社参拝を終えた人足は供えた吉野御供を持ち帰り、地区に配っていたそうだ。
今日では氏神さんに供えて参るようになった。
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参拝を済ませて頭屋家に戻っていく人足は下げた吉野御供を抱え持つ。
帰りは風呂敷に包んでいない。
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戻る途中に出会う町内の人に御供をさしあげる。
以前は子供たちが吉野参りを済ませた御供配りを待っていたそうだ。
子供も少なくなった昨今。
明日の祭りの準備をしながら待っていた大人に手渡す、しかないようだ。
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たたまた遊んでいた子供に餅をあげようと声をかけたら寄ってきた。
素盞嗚神社の吉野御供参りを終えた成願寺町の頭屋家は人足とともに大和神社へ向かう。
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宵宮参拝に米御供御幣を奉る。
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神事を終えたら代わりに産子幣を授かって頭屋家に戻ってくる。
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翌日のちゃんちゃん祭の還幸祭に供える牛の舌餅をホッカイとも呼ぶ御供箱に詰め込んだ。
足らなかった紙垂は宵宮参拝のおりに貰ってきた。
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注連縄を張って四方に紙垂を付けて祭り用具の調製を終えた。
これらを確認された頭屋家ならびに人足たちは満足顔で解散されたが、明日は雨になるかも知れない。
(H27. 3.31 EOS40D撮影)