数人の村の高齢者が寄り合って製造販売している休日販売所にときおり立ち寄る。
下荻共同製茶工場横にある休日販売所は村の販売所。
末広屋大野橋直売所が正式名称である。
主目的は他所であるが通過点にその店がある。
新鮮な野菜がいつも並んでいるからついつい買ってしまう。
この日も覗いてみたら、あった。
本日は桃の節句。
売り子のおばあさんはお家で作っていたのは8年前まで。
年寄りはもうできんようになったけど、共同で製造販売している若い人(とはいってもやはりの高齢者)が作ってくれたから販売しているという。
弱弱しい声で、1袋300円もしますんやけど・・・・・・物珍しさに買った。
ちなみに山添村桐山に住む男性が伝えてきたヒシモチとは・・・。
「菱餅は赤、白、緑の三段重ね。赤は桜海老の粉。緑は蓬。菱餅を造った残りはかき餅やアラレにした。赤は天空。白は人の世。緑は大地で神道の精神を現した物であると、言われています」だった。
初出原典はどこであろうか。
明示はしていないのでわからない。
何事も神道に繋げて語る人は少なからずおられる。
どうも気になるのでネットをぐぐってみた。
暮らしの歳時記を伝えるブログがあった。
それによれば上段から赤、白、緑。それはともに同じだ。
これをひっくり返す人はいないだろう。
ただ、意味合いはまったく違っており、「雪の下に新芽の蓬が芽吹く。そして桃の木には花が咲いている」であった。
このブログでは並べ方が、上段から白、緑、赤の順であれば「雪の中から新芽の蓬を芽吹いて、桃の花が咲いている」だった。
また、華やかさや求める黄色も加える5段、あるいは7段のヒシモチもあるようだ。
その後に発行された産経新聞の夕刊に「栫山(かこいやま)一希の季の一品」が執筆された記事にこうあった。
「雛祭りの縁起物。緑、白、紅(あか)、3色の菱餅は雪が溶けて大地に草が芽吹き、桃が咲く様子を見立てています」とあった。
執筆者の栫山(かこいやま)一希さんは、日本料理「かこみ」店主。
食に詳しい。
氏はさらに、こう書いていた。
「下の緑は芽吹く若草を表現し、身を清める“厄除け”。真ん中の白は清純・純白を表現して、“子孫繁栄”や“長寿”。上にのる紅は桃の花で“魔除け”を意味しています」とあった。
さらにのさらに「3色の餅は、心臓を見立てたひし形に切り、母と子が健やかでありますようにと願いました」とあるが、これにはまいった。
だが、ネットをぐぐってみればあるブログにも、そう書いてあった。
「三段菱餅の色」をキーにいろいろぐぐってみたが、「緑は大地で神道の精神」はとうとう見つからなかった。
三段菱餅の色のことよりも私がここへ立ち寄った目的がある。
時季は先月のことである。
前回に訪れた際にこの日お会いした高齢者とは別の高齢者が話してくれた村行事である。
それは2月に行われている涅槃講である。
この日の高齢婦人もしていた、という。
実施した日は2月のかかり。
「かかり」といえば、現在はその月の初旬。
年老いたひとほど、今でも使っている「月のかかり」は、月初め。
尤も月の朔日に限定している地域もあるようだが・・・。
売店におられた婦人はさらに話してくれた在所荻の涅槃講。
前回に訪れた際に話してくれた婦人は「かつて中学2年生以下の子どもの涅槃講があった、“ねはんこんじ 米なら一升、 銭なら百”を囃して、集落の各戸巡って、お米集めしていた。会所に涅槃図を掲げてもらって拝んでいたが、今はは掛図を掲げるだけになった」ということだった。
掛図だけでも拝見したいと思って区長の住まいを尋ねてみたが・・・。
今回、お会いした婦人は朝の早ように、何人かの子どもたちが集まって、集落20戸を巡っているという。
その行為をしているのは、おそらく下荻だけのように聞こえた。
その米集めをしている間に親は区長さんに伝えて、お寺に涅槃図を掲げてもらう。
涅槃図は萩在所の真言宗豊山派安穏寺が預かっているそうだ。
その涅槃図を一時借用して村の集会所に掲げる。
荻町は上の上流から上荻、中荻、下荻と下ってくる。
話してくださったのは下荻に住む高齢婦人。
他所でされていても、見てもいないので詳しいことはわからないが、ある程度が判明してきた。
さらに話してくれる婦人。
今ではお米集めでなく、お金集めになったという。
時間は何時になるのかあやふやであるが、上荻、中荻、下荻それぞれの子どもたちが、それぞれの地区の各戸を巡るお金集め。
すべて廻り終えたら村の集会所に集まると話したが、よく調べてみれば上荻、中荻、下荻のそれぞれに集会所がある。
どこなんだろうか。それまでに立ち寄る機会があれば尋ねてみよう。
(H30. 3. 3 SB932SH撮影)
下荻共同製茶工場横にある休日販売所は村の販売所。
末広屋大野橋直売所が正式名称である。
主目的は他所であるが通過点にその店がある。
新鮮な野菜がいつも並んでいるからついつい買ってしまう。
この日も覗いてみたら、あった。
本日は桃の節句。
売り子のおばあさんはお家で作っていたのは8年前まで。
年寄りはもうできんようになったけど、共同で製造販売している若い人(とはいってもやはりの高齢者)が作ってくれたから販売しているという。
弱弱しい声で、1袋300円もしますんやけど・・・・・・物珍しさに買った。
ちなみに山添村桐山に住む男性が伝えてきたヒシモチとは・・・。
「菱餅は赤、白、緑の三段重ね。赤は桜海老の粉。緑は蓬。菱餅を造った残りはかき餅やアラレにした。赤は天空。白は人の世。緑は大地で神道の精神を現した物であると、言われています」だった。
初出原典はどこであろうか。
明示はしていないのでわからない。
何事も神道に繋げて語る人は少なからずおられる。
どうも気になるのでネットをぐぐってみた。
暮らしの歳時記を伝えるブログがあった。
それによれば上段から赤、白、緑。それはともに同じだ。
これをひっくり返す人はいないだろう。
ただ、意味合いはまったく違っており、「雪の下に新芽の蓬が芽吹く。そして桃の木には花が咲いている」であった。
このブログでは並べ方が、上段から白、緑、赤の順であれば「雪の中から新芽の蓬を芽吹いて、桃の花が咲いている」だった。
また、華やかさや求める黄色も加える5段、あるいは7段のヒシモチもあるようだ。
その後に発行された産経新聞の夕刊に「栫山(かこいやま)一希の季の一品」が執筆された記事にこうあった。
「雛祭りの縁起物。緑、白、紅(あか)、3色の菱餅は雪が溶けて大地に草が芽吹き、桃が咲く様子を見立てています」とあった。
執筆者の栫山(かこいやま)一希さんは、日本料理「かこみ」店主。
食に詳しい。
氏はさらに、こう書いていた。
「下の緑は芽吹く若草を表現し、身を清める“厄除け”。真ん中の白は清純・純白を表現して、“子孫繁栄”や“長寿”。上にのる紅は桃の花で“魔除け”を意味しています」とあった。
さらにのさらに「3色の餅は、心臓を見立てたひし形に切り、母と子が健やかでありますようにと願いました」とあるが、これにはまいった。
だが、ネットをぐぐってみればあるブログにも、そう書いてあった。
「三段菱餅の色」をキーにいろいろぐぐってみたが、「緑は大地で神道の精神」はとうとう見つからなかった。
三段菱餅の色のことよりも私がここへ立ち寄った目的がある。
時季は先月のことである。
前回に訪れた際にこの日お会いした高齢者とは別の高齢者が話してくれた村行事である。
それは2月に行われている涅槃講である。
この日の高齢婦人もしていた、という。
実施した日は2月のかかり。
「かかり」といえば、現在はその月の初旬。
年老いたひとほど、今でも使っている「月のかかり」は、月初め。
尤も月の朔日に限定している地域もあるようだが・・・。
売店におられた婦人はさらに話してくれた在所荻の涅槃講。
前回に訪れた際に話してくれた婦人は「かつて中学2年生以下の子どもの涅槃講があった、“ねはんこんじ 米なら一升、 銭なら百”を囃して、集落の各戸巡って、お米集めしていた。会所に涅槃図を掲げてもらって拝んでいたが、今はは掛図を掲げるだけになった」ということだった。
掛図だけでも拝見したいと思って区長の住まいを尋ねてみたが・・・。
今回、お会いした婦人は朝の早ように、何人かの子どもたちが集まって、集落20戸を巡っているという。
その行為をしているのは、おそらく下荻だけのように聞こえた。
その米集めをしている間に親は区長さんに伝えて、お寺に涅槃図を掲げてもらう。
涅槃図は萩在所の真言宗豊山派安穏寺が預かっているそうだ。
その涅槃図を一時借用して村の集会所に掲げる。
荻町は上の上流から上荻、中荻、下荻と下ってくる。
話してくださったのは下荻に住む高齢婦人。
他所でされていても、見てもいないので詳しいことはわからないが、ある程度が判明してきた。
さらに話してくれる婦人。
今ではお米集めでなく、お金集めになったという。
時間は何時になるのかあやふやであるが、上荻、中荻、下荻それぞれの子どもたちが、それぞれの地区の各戸を巡るお金集め。
すべて廻り終えたら村の集会所に集まると話したが、よく調べてみれば上荻、中荻、下荻のそれぞれに集会所がある。
どこなんだろうか。それまでに立ち寄る機会があれば尋ねてみよう。
(H30. 3. 3 SB932SH撮影)