マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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榛原・危機一髪の救出劇

2019年06月26日 09時31分40秒 | いどう
瀬戸際にのこった、のこった。

映像はシュールではない・・リアルそのもの・・・の崖っぷち、である。

先週の3月3日に発生した崖崩れ。

それを知らずに山登りをする車輪が脱輪。

今にも落ちそうになっている状況写真である。

ひやひやにどきどきしながらもなんとか降りて撮った。

運転手側のドアの下は崩れた崖。

今にも崩れそうな状態に、そろり、そろりと助手席に移動する。

ドアを開けて降りたときもバクバクの心臓。

ここは宇陀市榛原の萩原・小鹿野地区である。

村の行事取材に度々お世話かけている区長に電話して救援要請をする。

区長は田圃におられた村人2人に電話で声をかけて、ワイヤーロープとか「あゆみ」をがけ崩れ手前まで運んできた。

崖っぷち車の助手席に乗って道案内していた村の一人はすぐ近くの家から自前重機のユンボで出動してきた。

もってきた鋼ロープが短い。

家にある、といって取りに帰った区長さん。

そのロープを繋いで長くした。

窓ガラス辺りに養生板をかます。

コンボで持ち上げるときのきしみ音。

いつ崖崩れが再発しれやもしない現場に緊張感が走る。

何度かトライして吊り上げた車体を山陰に寄せて軟着陸。

日暮れぎりぎり時間に間に合ったセーフ感に浸る心の余裕はない。

そもそも、崖崩れ発生は昨年の台風の影響によるもの。

ちょっとやそっとの区費では賄えない工事は先の、先のずっと先になろう。

話せば長くなる経緯は記録に残しておく。

崖崩れしたこの上に不動滝があると教えてもらった小鹿野の村民。

3月末に行われる不動明王の大祭に集まった村の人たちが心経を唱える。

そう、聞いていた。

その場がどんなところであるのか、事前にある程度の地を確かめようと山を登りかけたら、赤いポールでこの先通行禁止立札があった。

この先の山道は通行してはならぬという村が立てた通行禁止の標識である。

とても狭い山道で行うハンドル切り返し。

なんどもなんども切り返してUターン。

下った先に地元の人がいた。

この先はこの先通行禁止立札があったから、不動滝には行けないから帰ります、と伝えたら、「そんなとこ、わしらが昔に砂利混ぜのコンクリート道にしているから大丈夫や」という。

「四駆の軽トラでこの前も登ってきたばかりや、大丈夫、わしが助手席に乗ったるから道案内する」と、まぁ云い出したら、ダメダメ、イヤイヤと断っても無理強いするMさん。

この年の初祈祷行事に来られていた77歳の男性。

村のことは知り尽くしているように云われる。

無理や、と断ったものの助手席に座ったMさん。

行けるとこまで、と思って走らせたものの、狭いうえに急カーブ、急坂のすごい山道。

ところどころに崩れた崖石が道にいっぱい広がって落ちている。

踏んだタイヤがパンクしないかと不安、不安の連続である。

「あそこをぐっと上ったところの急カーブを行ったところのちょっと上は若干平たん。

そこから歩いてすぐや」というので、なんとか行けそうな気配も感じるが・・。

ところが左側の崖ぎりぎりにタイヤを詰めて上がっていったが、タイヤがずるるずると回転滑り。

泥土にそこへもって落葉の杉の葉にずるずる・・・。

この状態では、4駆でない限り、無理な急坂。

そろそろとバックで下りかけた・・・・・数メートル・・・・ガクッ。

一体何が起こったんだ。

運転席側から見た右の状態。

ぞっとするような光景が眼前に迫る。

コンクリート道が大きく割れたところにある右後輪。

いわゆる脱輪であるが・・・車体はやや傾き加減。

心臓がバクバク云いだした。

いつ、この道路が、さらに陥没してもおかしくない状態にぞおぉっとする。

おそるおそる助手席のドアを開けて脱出したものの膝はガクガクに震えている。

助手席に乗っていたMさん・・・「だからもっと左に寄らんとあかんやろ」と、云われるが・・・。

そのことを承知で左いっぱいギリギリに寄せていたのに・・・。

陥没したところ。

登るときはすんなりと通り抜けていたが、バックした際に車体の重さがかかって崩れたもよう。

アップした写真だけでは不思議な感覚になる方は多いだろう。

実は、この年の正月初めに行われた初集会に区長や村民が話していた昨年秋の台風による崖崩れの件である。

村内の何カ所かに被害があったらしく、予算がついて道路改修工事が終わるまで規制をしているという件だった。

昨年秋の台風被害は奈良県内至るところで崖崩れ、道路陥没がみられた、とニュースが報じていた。

村の道路は国費が費やされるわけでなく、もちろん村費も、であろう。

物流運搬の動脈になっている幹線道路であっても工事に半年もかかっているところはザラ。

小さな村では区費で賄うこともできない実態である。

もうひとつは工事業者の取り合いもあり、予算取りも含めて優先順位は下の下の下の後回し。

それはともかく「2輪駆動はあかんかったっな」と、つぶやくMさん。

「そういいましたやん」、と何度も云ったのに、根負けしたのが悔やまれる。

心の中のつぶやきはむにゃ、むにゃ・・・。

無事に脱出できた身体。

地面に立つ足が感じる。

生きてて、ほんまによかった。

これも取材地でお世話になった神さん、仏さんの賜物、だと思っている。

さて、脱出までの工程である。

この場から車を救い出すにはどうしたらいいのだろうか。

もし、単独できたならどうしていただろうか。

まず、思い起こすのは加入している自動車保険会社への救援通報であろう。

しかし、ここへ救援者がどうして来ようか。

狭い山道に稼働する重機は入って来れようか。

連絡してからすぐにここへ来れるわけない。

事故発生時刻は午後3時40分。

到着に1時間以上。救出対応に1時間・・。

Mさんは78歳。

そこらにある木材をかまして二人がかりで持ち上げようとしても・・・無理、無理・・。

「ちょっと待ってや、うちにあるユンボで車ごと持ち上げよう」と、云いだした。

電話で応援を頼みたいが、持ってこなかったというMさん。

私の携帯には区長の番号も登録してある

なぜか、山の中なのに電波アンテナが3本線を立っていた。

これで助かると思って区長に救援要請。

しばらく待っていたら、2人の村の応援者とともにやってきた。

その場にガタガタ、ガタガタと音を立てながら登ってきた小型ユンボ。

一旦、家に戻って運転してきたMさんもそろったところで、救援活動。

車体引き上げ作戦の主力の動力は小型のユンボ。

JAFに頼んでも入っていけそうにもない山中の救助は4人とも存じている村の協力隊。

車体を揚げ、タイヤをかまして車を動かす作戦。

いずれも高齢者のみなさん、実に手慣れた動きに感服する。

鋼入りロープを車体の床下に通してユンボのフオークに引っかけたが、重みで外れる。

対応を替えてフオークにあるフックに鋼入りロープを通して揚げたらなんとかいけそうだが、短い。

3本繋ぎで長くしたロープで車体下部まで届いた。

これでそうだ、とユンボを稼働するが、車体側面が金属フックに力がかかればかかるほど車体に組込、後部窓ガラスが割れそうになる。

座布団に木材杭を挟んで固定。



ユンボで揚げたら車体が浮いたが、ロープが当たる部分の車体は傷だらけ。

傷がついてもどうだっていい。

無事に引き揚げることが一番の目標。

吊り上げた状態で車体を崖側にずらして、安全地帯に移そうとするがユンボだけでは無理がある。

その位置のままなら、ただ揚げているだけ。

位置替えの横移動は4人がかり。

先にセッテイングした崖崩れの場に長い板。

「あゆみ」と呼ぶ農耕道具の板を崩れた穴に渡して万が一の場合に備えておく。

人海戦術の4人がかりで山際になんとか移した。

タイヤさえ地面にのっかれば、エンジン始動。

助手席から乗り込んで運転席に移動。

窓の下を覗き込んだら、そこは崖崩れの状態。

体重が右に加わったとこに、さらに道が崩れる・・・そんな状態が頭に浮かぶ。

ハンドル操作が誤れば再び穴に・・・なんてことならんように。

軽バンの車体幅は1.475mm。

山道のだいたいの幅は2m弱。

崩れた穴で残る幅は1.5mくらいだろうか。

とにかくぎりぎりいっぱいのその箇所をそろそろとバックする。

前輪が動かないように車輪止めしていた岩を外して、みなの誘導でハンドルを切って穴位置すれすれにバック。

また崩れやしないだろうかな、と冷や冷や・・。

前輪も脱出できたときは、ほっとした。

さらに下ったところは若干の幅広。

村の人が乗ってきた軽トラはそこで切り返しUターン。

同じように私もUターンして脱出完。

作業すべてを終えたMさん「すまんことしてなぁ」と、いまさら言われてもなぁ。

それよりも傷はついたが軽バン車も、身体も大丈夫だったことが一番。

午後5時半に救出劇が終わった村に伝説がまたひとつ生まれたような気がする。



帰路にふと目が行ったカーナビゲーションの映像。

事故現場の印しは発生と同時に停止したようであった。

(H30. 3. 3 SB932SH撮影)