マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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中山町・地域文化を継承するとんどから繋がる民俗事例

2021年10月01日 10時22分52秒 | 民俗あれこれ
セットしたカーナビゲーション。

奈良市の秋篠町からすぐ、と思って再び車を走らせる。

この筋を行けば押熊八幡神社に着く。

そう思って細い道を行く。

すとんと落ちる道。

さてさて、こんな道に記憶はない。

どうやら間違ったようだ。

1月5日、車を停車したその地に神社があった。

鳥居の注連縄を拝見してもここがどこだか判断できない。

掲示していたとんど行事の案内にはっとした。

ここは中山町の八幡神社。

カーナビゲーションが示した細い里道は秋篠町に鎮座する八所御霊神社からの抜け道だった。

気になるのはポスターに映っている大とんどだ。



太めの竹を三本組んで立てた立派な形のとんどである。

会場は中山八幡神社前にある多目的広場。

以前、行事取材に駐車場利用させてもらったことのある広場はとんど行事に解放するようだ。

掲示していたポスターにご縁をもらった中山町のとんど行事。

火点けの時間になんとか間に合った。

受付の人たちに許可願いしてから大とんどの姿を拝見。



ポスターで見るよりも実物の大きさに感動を覚えた中山町の大とんど。

3本の太い竹で組んだとんど。

筒状のてっぺんに挿した葉付きの細竹。

その下はぐるぐる巻きの注連縄。

神社に架けていた注連縄である。

内部にしっかり詰め込んだお家の注連縄。

その周りにも細く編んだ注連縄もある。

火点け前にも持ち込む人もいるが、大多数は午前中に組んだときのようだ。

大とんどの姿を撮っているときである。

高齢と思われる男性が居た。

注連縄をとんどに入れるわけでもない。

今まで拝見したことのない動作をされている。

近くに寄って何をされているのか、教えてもらった。

家に神棚がある。

そこに供えていた洗米を折敷ごととんどにくべるという。

私にとっては初めて知るとんどの習俗である。

その方のお家の神棚は、一般的な装置だと思っていたが、聞いてみたら・・・。

えっ、である。

板一枚の神棚。

あれこれの神さんを祀っており、正月さんの神棚には正月三ガ日の洗米を供える。

神棚は固定でなく、稼働型。

中心位置に棒があり、その先は天井吊るし。

神さんを祀る場の埃をかぶってはいかんから一枚の屋根がある。



話してくださった形状をスケッチ画にして見てもらったら、そのとおりだという。

棒に注連縄をぐるぐる巻き。

中山町のとんどと同じようにぐるぐる巻き。

貴重な形態と思われる神棚。

よろしければ実物を拝見願ったら、正月は無理だが、前後の日なら来てもいいよと言ってくださった男性は79歳のMさん。

中山の八幡神社の神主務めをされた方。

以前、お世話になったO総代やおとな衆。

結縁儀式に荘厳。

龍王社の宵宮行事も取材したことがあると伝えたらたいそう喜んでくださった。

Mさんが語ってくださったお家の神棚で思いだしたほぼ同型と思える神棚。

平成26年の正月の日に取材させてもらった大和郡山市・城下町にある旧家である。

神棚といえば、屋内の桟さんなどに板一枚の棚に並べる情景。

いくつかの民家に寄せてもらって拝見する神棚。

角に三角板をかます場合もあるし、壁の一角の棚板、或いは箱型の場合もある。

お家の事情、構造などによってさまざまなケースが生まれる。

そのようなことはさておき、大和郡山市内・雑穀町の旧家もまた天井から1本の棒で支えていた神棚であるが、それは当主の記憶の中にあった。



写真は撮られていないので、当主の記憶を頼りにスケッチ画に落とした。

中山町の神棚と見比べてみればわかる若干の違い。

大和郡山は六角ボルト締めで棒を固定。

いずれも回転できるようにしているが、構造は異なる。

中山町は二枚の板。

大和郡山は箱造り。

どちらも歳神さんに供える御供棚仕様。

気になった神棚の一例にもう一つ紹介したい。

神棚の前に別途に設けている御供台の例である。

文字では説明し難い、天井から吊るしている御供台である。

拝見させていただいた桜井市・笠の旧家。

平成28年の6月12日、当主と会話をしていた座敷の上にあった神棚。

これまで見たこともない形式に、思わず写真を撮らせてくださいと願ったほどの貴重感にゾクゾクした。

神棚の前に張り出す一枚の板に供えていたお神酒はワンカップ酒。

人柄がよくわかる容器はともかく、吊っていたのは2本の棒。

釘打ちでなく、底止めもまた木片。

注連縄を張っている御供台の形態から、私は「張り出し御供棚」と仮称した。

タイトル「張り出し御供棚がある神棚」で紹介したブログの公開。



その記事を見つけた知人のNさんが、メールで送ってくれた写真に、これは・・・。



ほぼ形態が同じ仮称「張り出し御供棚」である。

違いは1カ所。

一枚板がもう一枚。

その位置は、まさに中山町の元神主務めのMさんが話してくれた、それと同じである。

本人了解のもと、FBやブログに公開するNさんが伝えてくれた御供棚は奥さんの出里(※宇陀市菟田野)の実家にあるという。

用途はローソク立て。

まさかの倒れたときの火防。

上の板については、神棚にある“雲”を表している、と推定されたが、そうであれば天井に「雲」の書を貼ってあるはずだが・・。

あるイベント会場にお越しくださったNさん。

「いつでも構わないから、撮りに来てもらってもいいよ」と、ありがたいお言葉。

早めに拝見したいものだ。

さて、神棚事例から外れ、本題の中山町のとんどに話題を戻そう。

定刻時間ともなれば村神主に裃を着用したおとな衆がとんど場にやってきた。

八幡神社で般若心経を唱えて祈祷したオヒカリ。

神火を移した青竹造りの松明を手にしたとんど実行委員長。

大とんどの前に立ち神主祓い。

4カ所廻って四方祓えではなく、三面体だけに三方祓え。

次にとんど実行委員への祓え。

そしてとんどへの火移し。

あという間に燃え上がる。

弱火になったところで準備していた書初めの書。

葉付きの竹に括りつけた多数の書をとんどに近づける。



勢いが衰えたといっても近づけば一気に燃え上がって天まで・・とどけ。

いわゆる“天筆”の習俗。

高く上がれば上がる、天まで昇れば字が上達する、といわれている天筆である。

と、まぁここまでは一般的な様相・・・。

火点けから2分後の天筆に子供たちが盛り上がる。

今でこそこんなに大きなとんどになっているが、かつては小とんどだった。

中山町は三つの地区に分かれる。

それぞれの地区で行われていたとんどは小規模。

農家さんの田畑を借りて、とんど場にしていた、という。

借用できる田畑は少なくなり、やがては意識も変化。

年神さんを迎えた注連縄をゴミ捨てする人も・・。

それではいかんと平成14、15年ころに実行委員会(自治会)を組織化しとんど焼きを運営するようにした、と話してくれたMさん。

火点けから7分後である。

ふと振り返った場に設えていた小とんどに火点け。

かつて3地区でしていた名残でなく、トイレに飾った注連縄は別途に離れた場に設えた小とんどで燃やす。



大昔は雪隠と呼ばれていた便所。

トイレ、お手洗い、洗面所、化粧室の名称もあるご不浄の場に注連縄をあげる家があるという。

その注連縄は不浄のものの忌嫌だから別の場のとんどで燃やす。

この習俗は、大和郡山市の豊浦町で拝見したことがある。

また、大とんどから離れた場で小とんどをしていた矢田町の一部地域でも拝見したが、そこは服忌のお家だった。

大とんどから避けるようにこっそりされていた光景を思い出したが、ここ中山町では、服忌の家はそもそも注連縄をしない、とMさんは話してくれた。

なるほど、である

(R2. 1. 5、11 SB805SH撮影)
(R2. 3. 2、 6 SB805SH撮影)
(H28. 6.12 EOS40D撮影)