この月もおふくろの介護の関係で大阪・住之江に行くこと度々。
記憶は記録。
ふり返る際に思い出したい事項は書き記しておく。
4日は、二度目の入院措置。
入院翌日の5日は、要求のあった石鹸箱にティッシュペーパー届け。
看護師の許可を得て、病室にもっていったミカンとバナナ。
夜中に、お腹が溜まった状態だ、と診断され、看護師さんは手をつっこんで管を装着した。
管を通して処置する排尿に排便。
おけげで、すっきりしたものだから、よう寝た、という。
朝に、頭は洗い、身体を拭いてもらって気持ちいい。
圧迫骨折の治療は安静加療。
身体を動かさないように・・・
朝食も昼食もおかいさんやから、味はもみない。
だから梅干しが欲しい、と伝えた看護師の回答は、高血圧対応のために減塩してますから・・といわれた。
そりゃそうやろ。
6日の見舞い。
昨夜は隣患者の呻き声で全然眠られんかった、という。
排便はないが、排尿はある。
朝食は、もみないから少ししか口にできんかったが、昼食は逆に味が濃いかってな。
そりゃ美味しかったと喜んでいる。
よう食べたもんだから、少ししか残さんかったそうだ。
病室冷蔵庫利用に、千円の電源カードを購入し装填。
3秒押しして冷蔵庫にセットする。
1日が百円であるが、5日間連続使用するには設定を5回繰り返しの操作手順。
バナナとミカンは冷やして食べたくなったら看護師さんにお願いするから、という。
午後2時20分、Kリハビリ療法士が来られて、両足の筋肉マッサージ。
現状具合から判断して、前回の入院時よりも早く退院できるかも・・いや、そうしたいという。
前回の退院後に3カ月間も装着していた背中コルセットギブス。
その後は、背中コルセットギブスをするケースが増えている、という。
拳を前方に力こめて押出し体操。
指の体操は頭、つまり脳活性化に右手は、てっぽう。
左手は、お金の丸。
それを交互に繰り返し、次に二本指指し。
逆は三本指さしに、これも交互に繰り返するリハビリ運動。
終えた時間は午後2時50分。
午後3時50分自宅に戻って記録されていた病院からの留守電。
8日には、西棟の353号に移る連絡に歓喜。
今、入院中の東棟に比べて西棟は新棟。
棟内も病室も明るいのが嬉しい。
7日、午前中に大床義肢製作のコルセットを装着した。
午後に来られた大床義肢製作の技師さんに32754円を実費、現金払い。
請求明細にあった基本価格は7000円。
内容は軟性・採型。胸椎支持部・軟性(加工)が23900円。
支払ったこのコルセット代のほとんどが戻ってくる。
手続きは、おふくろが住まいする区役所福祉課窓口。
2年以内に、領収書、医師意見書・装具装着証明書、後期高齢者医療証に、印鑑と金融機関の口座番号をもって申請すれば3ヶ月先に9割が給付され、戻ってくる。
つまり1割負担で済むコルセット料金である。
明日の8日、午前10時半に回復期リハビリ病棟の西棟に移る、と正式連絡があった。
Kリハビリ療法士は担当を外れ、富雄のA療法士に替わる、と伝えてられた。
午後2時から両足筋肉マッサージ。
その際に話してくれた昨年末の大阪・施設のアロンテイアで起こった事象は、おそらくこうだろう、と話してくれた。
圧迫骨折の考えられる要因は、回数の多さでなく、リハビリ運動時のおふくろの姿勢にある。
真っ直ぐ背を伸ばして、せなあかんとこを前屈みになっておれば、変な圧が加わり骨折した可能性がある、と・・。
車椅子に乗って懐かしいリハビリ療法室に上がった。
運動をせずに立ち上がりのみのリハビリ。
膝あげ程度の状態で、戻ってきたベッドに滑り込む方法を教わった。
ひとときのリハビリ運動を看てくれたKリハビリ療法士。
状況、要因などがわかって、気分も晴れやか。
午後2時40分に終了した。
ひとまずは、こういう状況になった、と実弟の次男に従兄妹のきみちゃんに連絡しておいた。
8日、10時半過ぎ。
入院日の4日に便の掻き出しをしてもらったが、それからも便通なく浣腸をしてもらった。
なんと、どっさり出てすっきりした・・って、まるで美爽煌茶のコマーシャル台詞やん。
この日は、同じ3階の東棟から、回復期リハビリ支援する西病棟に。
302号室から353号室に移った。
病室移転の際のバタバタに何かを落とすかも。
おふくろの緊急を要する急ぎのお願いは汗でびっしょり。
肌着の着せ替えは手際よく。
管理棟が替わった関係に、今度の西棟にも入院時同様に氏名記入、捺印替わりのサインをする。
午前中からの汗こき。病室移転の関係もあり、汗拭き介護は移った午後に。
なんとかしてほしかった汗処理。
下着交換は食事後にします、と伝えられてほっとしたようだ
9日は、大阪・住之江行き。
不在している住居関連諸々の手続きなどがある。
お昼時間に合わせて出発し、丁度ひる時に到着した大阪ふくちゃんラーメン長吉店。
昼ごしらえににんにくたっぷりふくちゃん醤油トンコツラーメンを味わった。
食後に再出発。
まずは、区役所手続き。
区役所の保険年金課給付金を申請する。
口座に振り込まれる時期は、2月末の予定。
ゴミ収集に4階自宅前まで取りに来てくださるふれあい収集は、入院した関係で停止期間を、見通し考えて2月末までとした。
手続きした住之江区役所にこれまで無料だった駐車場が有料化になった。
令和元年5月から運用をはじめたリパーク住之江区役所。
本日利用の時間帯は午後1時8分から37分までで200円の利用代だった。
居住地に移動し、郵便物を確認する。
実は、郵便物転送申請を6日にしていたが、まだ整ってないようだ。
室内にあがって資料の整理。資料は、介護関係の他、歯科医院、眼科医院、耳鼻咽喉科医院に畠中医院など。
また、2月に申請する確定申告用の領収書も収集し、持ち帰る。
帰宅して領収金額を集計したら6万円ちょっとになった。
10万円以下であれば、申告しなくてえーんとちゃうのんとかーさんが云う。
いやいや、私が毎年にしている奈良図書情報館・確定申告のときに税理士さんが教えてくれたこと。
昔は、そういうことだったが、今は10万円以上なら得とか、以下なら別にしなくてもいいとか、いう指針はなく、医療費は経費なので申告しておけば非課税所得にされる可能性もある、と・・伝えたら・・。
そんなことは知らん。お父さんがしいや、といって資料などをぶちまけ、私はしません、という。
以前、かーさん独りになったときを考えて、おふくろの確定申告をしてきたら、勉強になるとか、云っていたが・・・
11日のおふくろ。
食欲がわいて、わいてきたからおかいさんからご飯に戻してもらったそうだ。
ご飯もパクパク食べて、喜んではりました、と看護さんが伝えてくれた。
実弟の三男が見舞いに来てくれた。
13日の見舞いに聞いた障害症状。
夜9時までは、機嫌よう談話室にいた。
トイレに用足ししてから部屋に戻って、しばらくしてから腹痛に激痛を発症。
夜中じゅうずっと難儀していたそうだ。
午後11時ころからは煩雑な腹痛。
原因は、前日に看護士さんが抜いた尿管に慣れてしまい、尿意に気づかず、膀胱に800ミリリットルも溜まっていたからだ。
そりゃ痛いわけだ。
排便も排尿も処置され、朝食も昼食も食べられるまで体調が戻った。
事件はもうひとつある。
前々日に買って持ってきた漬物。
タッパーに入れて冷蔵庫に保管。
昨日、それが談話室にそのまま気づかず、放置していたら真っ白な黴が発生していた・・と。
1日で食べられる量にしなあかんな、と反省するかーさん。
その事件に冷蔵庫が切れていたと、とある人の証言があった。
昨日、実弟の三男は、冷蔵庫&テレビカードを替えたそうだ。
ところが、再セット挿入に、冷蔵庫本体は緑色点灯で稼働中。
カードも残り1日6時間もあるし・・。
どうやら看護士さんがある患者さんと会話していた内容が、ごちゃ混ぜになって記憶していたようだ。
午後3時半、Aリハビリ療法士による運動があった。
マッサージ、歩行機械訓練に膝がよく上がるようになり、歩幅もとれている。
担当するA(リハビリ療法士。
久しぶりに見たおふくろの身体状態を心配していたが、先に現状を伝えておいたチョコチョコ歩き。
つまづき、転倒防止を考えたおふくろ本人が自己抑制をしているから、それはそれなりに筋肉がつくリハビリをしていきましょう、と。
14日の障害症状。
朝7時に排尿したらオレンジ色の尿。
しみる痛さの排尿に検査に出すと云ってたそうだ。
午後2時になってから、遅くなりました、と看護士さんの指示で2錠の薬剤を飲んだ、という。
見舞いから、自宅に戻ったら、大阪から郵便物の転送が届いていた。
15日は、再び大阪・住之江に出かける。
見舞いに気づいた忘れ物。居住地にあるパジャマを探しに来た。
ついでにみておく郵便物の滞留。
それから出かけた大阪ふくちぁんラーメン。
本日は、居住地に最も近い南加賀屋の店で新味ラーメンと五目あんかけを食べた。
16日、食べたくないから朝食も昼食も食べたくない。
診てもらったら色ちがうから味が感じないってに主治医はうがい薬をだしますって。
今朝初めての入浴に汗かいてたんで気持ちようなって、やけど入浴は椅子に座ってドブンと。
それからリハビリやけどインフルエンザ流行って閉鎖だから廊下で運動したらしい。
17日、奈良市社会福祉協議会のIさんより、携帯に電話があった。
介護再認定調査にW調査員を、1月29日の水曜午後2時に、田北病院へ派遣するとのことだ。
電話口で伝えた、現状の身体具合に治療、リハビリ状況。
その旨、大阪・ケアマネージャーのFさんに連絡した、
18日に転送されてきた大阪市福祉局/大阪市認定事務センター(介護保険担当)より「介護保険資格者証(介護保険暫定被保険者証/要支援1)。
翌日19日に、大阪・ケアマネージャーのFさんに、その旨を伝えたら介護再認定申請に介護保険者証手持ちしていないから紛失した、と届け出たことによる暫定証発行であった。
19日、本日も厳重管理下の見舞い面談。
今年はより一層注意すべき事項並びに、保健施設からの指示もあり、むやみに病室までの出入りを禁ずる対策をとられた。
過去、何度もあるインフルエンザ対策。
身体の弱い患者さんに、万が一インフルエンザにかからないよう。
家族面談であっても、理由なしでは棟内に入れない対策をする。
ちなみにおふくろから要求のあった海苔の佃煮。
おかいさんも、ご飯も美味しく食べたいから、買ってきて、と云われていた。
近くにあるスーパーオークワに、指定していた海苔の佃煮があった。
商品は、10g×6本入りの桃屋のごはんですよ、に、ついでに買ってきたデザートみかんも2個手渡した。
20日の見舞い。
病室には行けない。
そこで頼んだ、冷蔵庫カードの過不足。
看護士さんに確認してもらった結果、残時間が、1時間のカードが3枚もあった、という。
もし、カードの時間が、なくなっていたら交換をお願いしますと伝えておいた。
本日も、疫病防止策対応に4組の家族見舞い。受付の場に4組の家族が集中する時間帯に介護士さんも看護士さんもみな手をとられる。
大阪・ケアマネージャーのFさんから電話があった。
介護保険認定証の発行受け取りは、本人でないと受け取れないが市役所に問い合わせた結果、身元引受人の在所に転送を直接申請する用紙があるらしく、Fさんのわかる範囲で書いておく文書を市役所に送付する封筒も入れて奈良に送ると伝えてくれた。
その指定用紙に、氏名、住所、捺印し、介護事業所のKまで送り返してほしい、と伝えられた。
治療を終えて、おふくろが再び大阪に戻り、一段落した段階にFさんが復帰手続きをするので忘れないように云ってください、と・・・
21日の、入院病院の疫病防止策対応がさらに厳しくなった。
かーさんが、見舞いに行った今日。
なんと、病棟受付も兼ねていた談話室も閉鎖対応になったそうだ。
外部から持ち込まれる感染者予防対策のステージアップであろう。で、病室は待機状態になっていたそうだ。
大阪・ケアマネージャーのFさんから郵送された『介護保険送付先届』書類に項目記入・捺印。
大阪市住之江区保険福祉センター保険福祉課(高齢・介護保険)宛て封筒に入れて投函した。
23日、分包入りのご飯用佃煮がもうないから買ってきて、と連絡があったので、今回もまたオークワに立ち寄って6本入りの桃屋のごはんですよを買ってきた。
お願いした冷蔵庫カードの残時間調べ。
看護士さんは右往左往する。
なぜか。
テレビ兼用の冷蔵庫カードの構造が、理解し難いのである。
テレビの場合は、◎時◎分表示であるが、冷蔵庫の場合は、◎日◎時間表示。
表示がまったく異なる方式。
看護士さんは、毎日に病室へ入って点検している、と云われるが・・。
24日、介護士のHさんがきちんと調べてくださった冷蔵庫カード。
残は6日間もあり、テーブルに置いてあった利用済みカードは3枚。
いずれも少々残っているので、機械清算されたらお小遣いになるでしょう、と言われて挿入したらすべてが60円。
合計180円もあった。
見舞いに持参したサンフジリンゴ。蜜がたっぷりだったらしく、美味しい、美味しい、といってペロッと食べたようだ。
義妹のMさんから、朝に電話があった。
明日に予定していた見舞いは、急遽変更に本日25日の午後に来てくれたそうだ。
後追いに出かけたかーさんの見舞い。
その時間帯に小林町に住むSさんとHさんに遭遇したそうだ。
いつもいただく30kgのお米は、とてもおいしかった、と伝えたら稲作はやめた、という。
40歳代のときに旦那を亡くしたSさん。
Hさんら、農耕の先輩に支えてもらって教わった稲作に没頭してきた。
今もこうして仲ようしてもらってます、と云ったSさんは81歳、Hさんは83歳。
これまで何度も小林町の年中行事取材にお世話してくださった。
ちなみに小林町での初取材は、平成22年3月3日に行われた新福寺のオコナイだった。
はじめてお会いした村の人たちがあたたかく迎えてくださったことを覚えている。
26日の見舞いは、小林町の知り合いばかり。
昨日も見舞い遭遇したSさんは、Hさん。同町在住のM夫妻にも出会った。
28日、午後2時から車椅子に乗せてもらってレントゲン撮影していたおふくろ。
以前の容体と同じであれば、3ヶ月間。
リハビリ運動も、階段歩きに、院外の屋外歩行もしていた。
今回の圧迫骨折の容体はではまだまだ。
入浴時も椅子に座ってやし、感染症予防に4階リハビリ室も閉鎖継続に相成った状況に、今回の入院は長引くな、と思った。
かーさんにかかった電話は、大阪・住之江のAさん。
自治会会費の集金に班長さんが来られて、いつも不在に、集金ができなくてと、現班長さんが困っている、と・・・。
そういえば、Aさんに、伝えること、すっかり失念しており、まことに申し訳ございません、と電話口を通じて平謝りしたそうだ。
29日、インフルエンザ感染が下火傾向になった。
面会は緩和され、本日からは患者家族は病室見舞いが可能になった。
午後2時前に来られた奈良市派遣の介護再認定調査員はWさんだった、とおふくろが云った。
昨日、私が自宅に戻ったころ。
安静加療しているベッドに主治医のN医師が来られ、レントゲンの結果は特に問題なし、と伝えられたそうだ。
朝は、Aリハビリ療法士から歩行器なしで歩いてみよか、と云われて廊下を杖なしで歩いた。
独走でなく、後ろからいつ倒れても、介護に対応できる程度に、両手ですぐ支えられるように、見てくれていたらヨロヨロして不安定だと云われたそうだ。
夜中に便通もよおし。トイレ行きは6回にもなった。
軟便状態に、一部の薬はやめたそうだ。
横になって寝ているとき。
腰痛ですからと、Aリハビリ療法士のマッサージ。
少しは痛みもマシになったけど、左がなんとなく痛いなぁと感じるようだ。
介護支援専門員のIさんと話す機会が、たまたまあり。
今日の調査機会にリハビリ運動は、階段訓練をお願いしたら計画しますと。
そうしてほしいリハビリ改善。
帰りしなに、おふくろが・・おいしいお豆さんがちょっとほしい。
30日のおふくろは、今日も腰が痛いと、かーさんに訴えていた。
思い出したのは夜中に6回もトイレ行き。
軟便にお尻を拭くのに前かがみ。
手で突っ張っていたという。それが原因です、とAリハビリ療法士に伝えたら、なるほどと、それなりのマッサージをするようだ。
昨日の患者家族は病室まで行くことができたが、今日はまた元の状態に。
面談は、これまで通りの場の休憩コーナーに・・。
(R2. 1. 8、 9、19 SB805SH撮影)
記憶は記録。
ふり返る際に思い出したい事項は書き記しておく。
4日は、二度目の入院措置。
入院翌日の5日は、要求のあった石鹸箱にティッシュペーパー届け。
看護師の許可を得て、病室にもっていったミカンとバナナ。
夜中に、お腹が溜まった状態だ、と診断され、看護師さんは手をつっこんで管を装着した。
管を通して処置する排尿に排便。
おけげで、すっきりしたものだから、よう寝た、という。
朝に、頭は洗い、身体を拭いてもらって気持ちいい。
圧迫骨折の治療は安静加療。
身体を動かさないように・・・
朝食も昼食もおかいさんやから、味はもみない。
だから梅干しが欲しい、と伝えた看護師の回答は、高血圧対応のために減塩してますから・・といわれた。
そりゃそうやろ。
6日の見舞い。
昨夜は隣患者の呻き声で全然眠られんかった、という。
排便はないが、排尿はある。
朝食は、もみないから少ししか口にできんかったが、昼食は逆に味が濃いかってな。
そりゃ美味しかったと喜んでいる。
よう食べたもんだから、少ししか残さんかったそうだ。
病室冷蔵庫利用に、千円の電源カードを購入し装填。
3秒押しして冷蔵庫にセットする。
1日が百円であるが、5日間連続使用するには設定を5回繰り返しの操作手順。
バナナとミカンは冷やして食べたくなったら看護師さんにお願いするから、という。
午後2時20分、Kリハビリ療法士が来られて、両足の筋肉マッサージ。
現状具合から判断して、前回の入院時よりも早く退院できるかも・・いや、そうしたいという。
前回の退院後に3カ月間も装着していた背中コルセットギブス。
その後は、背中コルセットギブスをするケースが増えている、という。
拳を前方に力こめて押出し体操。
指の体操は頭、つまり脳活性化に右手は、てっぽう。
左手は、お金の丸。
それを交互に繰り返し、次に二本指指し。
逆は三本指さしに、これも交互に繰り返するリハビリ運動。
終えた時間は午後2時50分。
午後3時50分自宅に戻って記録されていた病院からの留守電。
8日には、西棟の353号に移る連絡に歓喜。
今、入院中の東棟に比べて西棟は新棟。
棟内も病室も明るいのが嬉しい。
7日、午前中に大床義肢製作のコルセットを装着した。
午後に来られた大床義肢製作の技師さんに32754円を実費、現金払い。
請求明細にあった基本価格は7000円。
内容は軟性・採型。胸椎支持部・軟性(加工)が23900円。
支払ったこのコルセット代のほとんどが戻ってくる。
手続きは、おふくろが住まいする区役所福祉課窓口。
2年以内に、領収書、医師意見書・装具装着証明書、後期高齢者医療証に、印鑑と金融機関の口座番号をもって申請すれば3ヶ月先に9割が給付され、戻ってくる。
つまり1割負担で済むコルセット料金である。
明日の8日、午前10時半に回復期リハビリ病棟の西棟に移る、と正式連絡があった。
Kリハビリ療法士は担当を外れ、富雄のA療法士に替わる、と伝えてられた。
午後2時から両足筋肉マッサージ。
その際に話してくれた昨年末の大阪・施設のアロンテイアで起こった事象は、おそらくこうだろう、と話してくれた。
圧迫骨折の考えられる要因は、回数の多さでなく、リハビリ運動時のおふくろの姿勢にある。
真っ直ぐ背を伸ばして、せなあかんとこを前屈みになっておれば、変な圧が加わり骨折した可能性がある、と・・。
車椅子に乗って懐かしいリハビリ療法室に上がった。
運動をせずに立ち上がりのみのリハビリ。
膝あげ程度の状態で、戻ってきたベッドに滑り込む方法を教わった。
ひとときのリハビリ運動を看てくれたKリハビリ療法士。
状況、要因などがわかって、気分も晴れやか。
午後2時40分に終了した。
ひとまずは、こういう状況になった、と実弟の次男に従兄妹のきみちゃんに連絡しておいた。
8日、10時半過ぎ。
入院日の4日に便の掻き出しをしてもらったが、それからも便通なく浣腸をしてもらった。
なんと、どっさり出てすっきりした・・って、まるで美爽煌茶のコマーシャル台詞やん。
この日は、同じ3階の東棟から、回復期リハビリ支援する西病棟に。
302号室から353号室に移った。
病室移転の際のバタバタに何かを落とすかも。
おふくろの緊急を要する急ぎのお願いは汗でびっしょり。
肌着の着せ替えは手際よく。
管理棟が替わった関係に、今度の西棟にも入院時同様に氏名記入、捺印替わりのサインをする。
午前中からの汗こき。病室移転の関係もあり、汗拭き介護は移った午後に。
なんとかしてほしかった汗処理。
下着交換は食事後にします、と伝えられてほっとしたようだ
9日は、大阪・住之江行き。
不在している住居関連諸々の手続きなどがある。
お昼時間に合わせて出発し、丁度ひる時に到着した大阪ふくちゃんラーメン長吉店。
昼ごしらえににんにくたっぷりふくちゃん醤油トンコツラーメンを味わった。
食後に再出発。
まずは、区役所手続き。
区役所の保険年金課給付金を申請する。
口座に振り込まれる時期は、2月末の予定。
ゴミ収集に4階自宅前まで取りに来てくださるふれあい収集は、入院した関係で停止期間を、見通し考えて2月末までとした。
手続きした住之江区役所にこれまで無料だった駐車場が有料化になった。
令和元年5月から運用をはじめたリパーク住之江区役所。
本日利用の時間帯は午後1時8分から37分までで200円の利用代だった。
居住地に移動し、郵便物を確認する。
実は、郵便物転送申請を6日にしていたが、まだ整ってないようだ。
室内にあがって資料の整理。資料は、介護関係の他、歯科医院、眼科医院、耳鼻咽喉科医院に畠中医院など。
また、2月に申請する確定申告用の領収書も収集し、持ち帰る。
帰宅して領収金額を集計したら6万円ちょっとになった。
10万円以下であれば、申告しなくてえーんとちゃうのんとかーさんが云う。
いやいや、私が毎年にしている奈良図書情報館・確定申告のときに税理士さんが教えてくれたこと。
昔は、そういうことだったが、今は10万円以上なら得とか、以下なら別にしなくてもいいとか、いう指針はなく、医療費は経費なので申告しておけば非課税所得にされる可能性もある、と・・伝えたら・・。
そんなことは知らん。お父さんがしいや、といって資料などをぶちまけ、私はしません、という。
以前、かーさん独りになったときを考えて、おふくろの確定申告をしてきたら、勉強になるとか、云っていたが・・・
11日のおふくろ。
食欲がわいて、わいてきたからおかいさんからご飯に戻してもらったそうだ。
ご飯もパクパク食べて、喜んではりました、と看護さんが伝えてくれた。
実弟の三男が見舞いに来てくれた。
13日の見舞いに聞いた障害症状。
夜9時までは、機嫌よう談話室にいた。
トイレに用足ししてから部屋に戻って、しばらくしてから腹痛に激痛を発症。
夜中じゅうずっと難儀していたそうだ。
午後11時ころからは煩雑な腹痛。
原因は、前日に看護士さんが抜いた尿管に慣れてしまい、尿意に気づかず、膀胱に800ミリリットルも溜まっていたからだ。
そりゃ痛いわけだ。
排便も排尿も処置され、朝食も昼食も食べられるまで体調が戻った。
事件はもうひとつある。
前々日に買って持ってきた漬物。
タッパーに入れて冷蔵庫に保管。
昨日、それが談話室にそのまま気づかず、放置していたら真っ白な黴が発生していた・・と。
1日で食べられる量にしなあかんな、と反省するかーさん。
その事件に冷蔵庫が切れていたと、とある人の証言があった。
昨日、実弟の三男は、冷蔵庫&テレビカードを替えたそうだ。
ところが、再セット挿入に、冷蔵庫本体は緑色点灯で稼働中。
カードも残り1日6時間もあるし・・。
どうやら看護士さんがある患者さんと会話していた内容が、ごちゃ混ぜになって記憶していたようだ。
午後3時半、Aリハビリ療法士による運動があった。
マッサージ、歩行機械訓練に膝がよく上がるようになり、歩幅もとれている。
担当するA(リハビリ療法士。
久しぶりに見たおふくろの身体状態を心配していたが、先に現状を伝えておいたチョコチョコ歩き。
つまづき、転倒防止を考えたおふくろ本人が自己抑制をしているから、それはそれなりに筋肉がつくリハビリをしていきましょう、と。
14日の障害症状。
朝7時に排尿したらオレンジ色の尿。
しみる痛さの排尿に検査に出すと云ってたそうだ。
午後2時になってから、遅くなりました、と看護士さんの指示で2錠の薬剤を飲んだ、という。
見舞いから、自宅に戻ったら、大阪から郵便物の転送が届いていた。
15日は、再び大阪・住之江に出かける。
見舞いに気づいた忘れ物。居住地にあるパジャマを探しに来た。
ついでにみておく郵便物の滞留。
それから出かけた大阪ふくちぁんラーメン。
本日は、居住地に最も近い南加賀屋の店で新味ラーメンと五目あんかけを食べた。
16日、食べたくないから朝食も昼食も食べたくない。
診てもらったら色ちがうから味が感じないってに主治医はうがい薬をだしますって。
今朝初めての入浴に汗かいてたんで気持ちようなって、やけど入浴は椅子に座ってドブンと。
それからリハビリやけどインフルエンザ流行って閉鎖だから廊下で運動したらしい。
17日、奈良市社会福祉協議会のIさんより、携帯に電話があった。
介護再認定調査にW調査員を、1月29日の水曜午後2時に、田北病院へ派遣するとのことだ。
電話口で伝えた、現状の身体具合に治療、リハビリ状況。
その旨、大阪・ケアマネージャーのFさんに連絡した、
18日に転送されてきた大阪市福祉局/大阪市認定事務センター(介護保険担当)より「介護保険資格者証(介護保険暫定被保険者証/要支援1)。
翌日19日に、大阪・ケアマネージャーのFさんに、その旨を伝えたら介護再認定申請に介護保険者証手持ちしていないから紛失した、と届け出たことによる暫定証発行であった。
19日、本日も厳重管理下の見舞い面談。
今年はより一層注意すべき事項並びに、保健施設からの指示もあり、むやみに病室までの出入りを禁ずる対策をとられた。
過去、何度もあるインフルエンザ対策。
身体の弱い患者さんに、万が一インフルエンザにかからないよう。
家族面談であっても、理由なしでは棟内に入れない対策をする。
ちなみにおふくろから要求のあった海苔の佃煮。
おかいさんも、ご飯も美味しく食べたいから、買ってきて、と云われていた。
近くにあるスーパーオークワに、指定していた海苔の佃煮があった。
商品は、10g×6本入りの桃屋のごはんですよ、に、ついでに買ってきたデザートみかんも2個手渡した。
20日の見舞い。
病室には行けない。
そこで頼んだ、冷蔵庫カードの過不足。
看護士さんに確認してもらった結果、残時間が、1時間のカードが3枚もあった、という。
もし、カードの時間が、なくなっていたら交換をお願いしますと伝えておいた。
本日も、疫病防止策対応に4組の家族見舞い。受付の場に4組の家族が集中する時間帯に介護士さんも看護士さんもみな手をとられる。
大阪・ケアマネージャーのFさんから電話があった。
介護保険認定証の発行受け取りは、本人でないと受け取れないが市役所に問い合わせた結果、身元引受人の在所に転送を直接申請する用紙があるらしく、Fさんのわかる範囲で書いておく文書を市役所に送付する封筒も入れて奈良に送ると伝えてくれた。
その指定用紙に、氏名、住所、捺印し、介護事業所のKまで送り返してほしい、と伝えられた。
治療を終えて、おふくろが再び大阪に戻り、一段落した段階にFさんが復帰手続きをするので忘れないように云ってください、と・・・
21日の、入院病院の疫病防止策対応がさらに厳しくなった。
かーさんが、見舞いに行った今日。
なんと、病棟受付も兼ねていた談話室も閉鎖対応になったそうだ。
外部から持ち込まれる感染者予防対策のステージアップであろう。で、病室は待機状態になっていたそうだ。
大阪・ケアマネージャーのFさんから郵送された『介護保険送付先届』書類に項目記入・捺印。
大阪市住之江区保険福祉センター保険福祉課(高齢・介護保険)宛て封筒に入れて投函した。
23日、分包入りのご飯用佃煮がもうないから買ってきて、と連絡があったので、今回もまたオークワに立ち寄って6本入りの桃屋のごはんですよを買ってきた。
お願いした冷蔵庫カードの残時間調べ。
看護士さんは右往左往する。
なぜか。
テレビ兼用の冷蔵庫カードの構造が、理解し難いのである。
テレビの場合は、◎時◎分表示であるが、冷蔵庫の場合は、◎日◎時間表示。
表示がまったく異なる方式。
看護士さんは、毎日に病室へ入って点検している、と云われるが・・。
24日、介護士のHさんがきちんと調べてくださった冷蔵庫カード。
残は6日間もあり、テーブルに置いてあった利用済みカードは3枚。
いずれも少々残っているので、機械清算されたらお小遣いになるでしょう、と言われて挿入したらすべてが60円。
合計180円もあった。
見舞いに持参したサンフジリンゴ。蜜がたっぷりだったらしく、美味しい、美味しい、といってペロッと食べたようだ。
義妹のMさんから、朝に電話があった。
明日に予定していた見舞いは、急遽変更に本日25日の午後に来てくれたそうだ。
後追いに出かけたかーさんの見舞い。
その時間帯に小林町に住むSさんとHさんに遭遇したそうだ。
いつもいただく30kgのお米は、とてもおいしかった、と伝えたら稲作はやめた、という。
40歳代のときに旦那を亡くしたSさん。
Hさんら、農耕の先輩に支えてもらって教わった稲作に没頭してきた。
今もこうして仲ようしてもらってます、と云ったSさんは81歳、Hさんは83歳。
これまで何度も小林町の年中行事取材にお世話してくださった。
ちなみに小林町での初取材は、平成22年3月3日に行われた新福寺のオコナイだった。
はじめてお会いした村の人たちがあたたかく迎えてくださったことを覚えている。
26日の見舞いは、小林町の知り合いばかり。
昨日も見舞い遭遇したSさんは、Hさん。同町在住のM夫妻にも出会った。
28日、午後2時から車椅子に乗せてもらってレントゲン撮影していたおふくろ。
以前の容体と同じであれば、3ヶ月間。
リハビリ運動も、階段歩きに、院外の屋外歩行もしていた。
今回の圧迫骨折の容体はではまだまだ。
入浴時も椅子に座ってやし、感染症予防に4階リハビリ室も閉鎖継続に相成った状況に、今回の入院は長引くな、と思った。
かーさんにかかった電話は、大阪・住之江のAさん。
自治会会費の集金に班長さんが来られて、いつも不在に、集金ができなくてと、現班長さんが困っている、と・・・。
そういえば、Aさんに、伝えること、すっかり失念しており、まことに申し訳ございません、と電話口を通じて平謝りしたそうだ。
29日、インフルエンザ感染が下火傾向になった。
面会は緩和され、本日からは患者家族は病室見舞いが可能になった。
午後2時前に来られた奈良市派遣の介護再認定調査員はWさんだった、とおふくろが云った。
昨日、私が自宅に戻ったころ。
安静加療しているベッドに主治医のN医師が来られ、レントゲンの結果は特に問題なし、と伝えられたそうだ。
朝は、Aリハビリ療法士から歩行器なしで歩いてみよか、と云われて廊下を杖なしで歩いた。
独走でなく、後ろからいつ倒れても、介護に対応できる程度に、両手ですぐ支えられるように、見てくれていたらヨロヨロして不安定だと云われたそうだ。
夜中に便通もよおし。トイレ行きは6回にもなった。
軟便状態に、一部の薬はやめたそうだ。
横になって寝ているとき。
腰痛ですからと、Aリハビリ療法士のマッサージ。
少しは痛みもマシになったけど、左がなんとなく痛いなぁと感じるようだ。
介護支援専門員のIさんと話す機会が、たまたまあり。
今日の調査機会にリハビリ運動は、階段訓練をお願いしたら計画しますと。
そうしてほしいリハビリ改善。
帰りしなに、おふくろが・・おいしいお豆さんがちょっとほしい。
30日のおふくろは、今日も腰が痛いと、かーさんに訴えていた。
思い出したのは夜中に6回もトイレ行き。
軟便にお尻を拭くのに前かがみ。
手で突っ張っていたという。それが原因です、とAリハビリ療法士に伝えたら、なるほどと、それなりのマッサージをするようだ。
昨日の患者家族は病室まで行くことができたが、今日はまた元の状態に。
面談は、これまで通りの場の休憩コーナーに・・。
(R2. 1. 8、 9、19 SB805SH撮影)