翌日の造営上棟祭を前にリハーサルをされる奈良市誓多林町の造営委員会。
昨年の11月3日に行われた「チョウナハジメ」の儀式から半年を経てようやく造営の日を迎えることになった。
尾田組の手によって新しくなった宮さんは7社。
真新しい朱塗りの神殿が美しい。
鳥居も築地塀も真っ赤だ。
翌日の本番は雨の様相が濃い。
テントを張って決行しなくてはならない。
式典は舞殿内がほとんどだが参拝者は雨除けのテント内となる。
神殿は左から水神社、八阪神社、大国主命神社、八阪神社、本社八柱神社、宗像神社、三十八神社が並ぶ。
それぞれに絵が描かれている。
氏子が書かれた絵はそれぞれの神さんを具象化した絵柄で水玉、壺、相撲、牛、神楽獅子、午、虎。
神地を囲む築地塀内には燈籠がある。
一つは「元文二年(1737)五月吉祥」とある。
境内下にある燈籠は「文政七年(1824)八月 八王子御宝前」とあった。
永正11年(1514)の創建だという八柱神社は、明治初めまでは八王子社と呼ばれていた。
さて、造営の上棟祭は20年おきに行われる祭典である。
前回は平成四年の四月十九日。「奉正遷宮札」には社老たち16人の名が記されている。
もう一枚は「献」。年寄の文字がある。
ねんにょと呼ぶのかとしよりなのか、13人の名がある。
式典は曳綱、槌打ち、引矢、散餅(さんぺい)の四儀式。
いずれも棟梁の儀式である。
曳綱は棟梁の合図で大人衆や氏子たちが揃って紅白の綱を曳く。
「エイ、エイ、エイ」の掛け声合わせて綱を曳く。
本来は棟木をそれで引き上げるのだが、誓多林は採用しなかった。
次の槌打ちは大人衆が神殿前に立つ。
棟梁が合図する。
「せんざい」・・「トー」で槌打ちトントントン。
「まんざい」・・「トー」で槌打ちトントントン。
「えいえい」・・「トー」で槌打ちトントントン。
いずれも三回である。
その次は棟梁一人で式典される引矢。
表鬼門と裏鬼門に向けて矢を射る。
最後の散餅も棟梁一人で同じように鬼門にモチを供える儀式である。
これらの確認をしたのは明日本番の撮影に際する撮り位置をどこにするかを目的としていた。
造営委員長から頼まれた儀式の記録写真の撮影だ。
氏子たちは儀式のリハーサル。
撮影者もリハーサルであったのだ。
(H24. 3.23 EOS40D撮影)
昨年の11月3日に行われた「チョウナハジメ」の儀式から半年を経てようやく造営の日を迎えることになった。
尾田組の手によって新しくなった宮さんは7社。
真新しい朱塗りの神殿が美しい。
鳥居も築地塀も真っ赤だ。
翌日の本番は雨の様相が濃い。
テントを張って決行しなくてはならない。
式典は舞殿内がほとんどだが参拝者は雨除けのテント内となる。
神殿は左から水神社、八阪神社、大国主命神社、八阪神社、本社八柱神社、宗像神社、三十八神社が並ぶ。
それぞれに絵が描かれている。
氏子が書かれた絵はそれぞれの神さんを具象化した絵柄で水玉、壺、相撲、牛、神楽獅子、午、虎。
神地を囲む築地塀内には燈籠がある。
一つは「元文二年(1737)五月吉祥」とある。
境内下にある燈籠は「文政七年(1824)八月 八王子御宝前」とあった。
永正11年(1514)の創建だという八柱神社は、明治初めまでは八王子社と呼ばれていた。
さて、造営の上棟祭は20年おきに行われる祭典である。
前回は平成四年の四月十九日。「奉正遷宮札」には社老たち16人の名が記されている。
もう一枚は「献」。年寄の文字がある。
ねんにょと呼ぶのかとしよりなのか、13人の名がある。
式典は曳綱、槌打ち、引矢、散餅(さんぺい)の四儀式。
いずれも棟梁の儀式である。
曳綱は棟梁の合図で大人衆や氏子たちが揃って紅白の綱を曳く。
「エイ、エイ、エイ」の掛け声合わせて綱を曳く。
本来は棟木をそれで引き上げるのだが、誓多林は採用しなかった。
次の槌打ちは大人衆が神殿前に立つ。
棟梁が合図する。
「せんざい」・・「トー」で槌打ちトントントン。
「まんざい」・・「トー」で槌打ちトントントン。
「えいえい」・・「トー」で槌打ちトントントン。
いずれも三回である。
その次は棟梁一人で式典される引矢。
表鬼門と裏鬼門に向けて矢を射る。
最後の散餅も棟梁一人で同じように鬼門にモチを供える儀式である。
これらの確認をしたのは明日本番の撮影に際する撮り位置をどこにするかを目的としていた。
造営委員長から頼まれた儀式の記録写真の撮影だ。
氏子たちは儀式のリハーサル。
撮影者もリハーサルであったのだ。
(H24. 3.23 EOS40D撮影)