身体が元気になればどこへでも出かける。
そんな気分にいつしかなってきた。
この日は6月30日。
県内各地の至るところで行われる行事がある。
それは夏越し大祓い。
これまで拝見された地域に三郷町の龍田大社、斑鳩町の龍田神社、天理市の石上神宮、橿原市の天高市(あめのたかち)神社がある。
未だ拝見していない地域に桜井市の大神神社、奈良市の春日大社に率川神社、天理市の大和神社、生駒市の往馬大社、川西町の糸井神社、河合町の広瀬神社、田原本町の津島神社、明日香村の飛鳥坐神社、下市町の八幡神社、安堵町の飽波神社がある。
いずれの地域においてもされているのは茅の輪潜り。
半年間の罪穢(つみけがれ)を祓う夏越しの大祓(おおはらえ)に潜れば疫病や罪穢が祓われると云う。
尤もひと月遅れの7月末に行われている地域も少なくない。
私が知る範囲内では御所市の高鴨神社、奈良市小倉の八柱神社、天理市の和爾下神社もある。
また、神社でなくお寺さんでも茅の輪潜りをしている処がある。
探してみればもっと、もっとあるのだろうが、潜った茅の輪は役目を終えて大和川に流す地域がある。
それをもっぺん拝見したくなって出かけた田原本町蔵堂の村屋坐弥冨都比売神社。
前回に伺ったのは3年前の平成25年。
とうぜんながらの6月30日である。
川の畔にある地蔵さんや庚申さん。
いつかは行事を拝見したいが、聞取りはできていない。
当地には大神宮の祭りもある。
仕掛りは聞いていないが毎年の7月16日の午後5時から営むようだが・・・。
これら行事の場を撮っていたら夏越し大祓いが始まった。
カメラマンの姿が一人、二人、三人・・・・。
何人が訪れているのだろうか。
彼らは夏越し行事のハシゴ。
近くということもあって天理市の石上神宮や桜井市の大神神社などを駆けまわっている。
昔しはそうしたこともあったが、今は身体事情でそういうわけにはいかなかった。
拝見したいのは川流しの茅の輪である。
村屋坐弥冨都比売神社の茅の輪は大きな特徴がある。
「大きな」といっても高さも幅も大きくない特徴である。
一般的といえば失礼であるが、他所で見られる茅の輪は高さ、幅が2m以上もある巨大な形態である。
これとは逆に村屋坐弥冨都比売神社の茅の輪は小さいのである。
コンパクトに設えた茅の輪は潜るたびに頭を下げる。
そう、潜る際には神さんに向かって自然体で頭を下げる工夫をしているのだ。
子どもも大人も皆、腰を屈めながら頭を下げて神域とされる結界に入る。
この日は特に小学生の子どもたちが何人か。
ベンチに置いた学校帰りのランドセルが物語る。
神事の祝詞も特徴がある。
夏越し大祓いは神さんの祭りではなく、村人や参拝者の祭りであると云う宮司。
それゆえ祝詞は神さんが坐います本社殿に向かってではなく、参拝者に向かって捧げるのだ。
意外とそういうことに気がつかない人は多い。
カメラマンもそういう在り方を撮ることはない。
幼稚園児や小学校の子たちは終わってすぐにやってきたのであろう。
青いベンチに置いたランドセルが物語ってくれる。
白紙の「ヒトガタ(人形)」に息を三度吹きかける。
半年間の罪穢れをヒトガタに移す。
幣を巻きつけた茅で祓い清める。
キリヌサもそうする。
あどけない表情で視線を送る幼児は何を思っているのだろうか。
参拝者の足元には撒いたキリヌサの紙片が散っていた。
大祓いを終えたら結界の綱を切る。
切る方角はその年の恵方である。
禰宜さんが切る作法に神妙な顔で見つめる子どもたちの表情があどけない。
潜った茅の輪を取り外せば子どもたちを呼ぶ。
大祓いの始末は子どもたちで行われる。
神社の東側を流れる初瀬川まで運ぶ。
結界を張った忌竹も運ぶ。
祓って穢れを移したヒトガタやキリヌサや茅は禰宜さんが運ぶ。
橋の中央辺りに並んだ一行は、はじめに欄干から茅の輪を落とす。
すぐさま祓ったヒトガタやキリヌサや茅も初瀬川に落して流す。
穢れを祓った夏越しの祭具は初瀬川から大河となる大和川の流れに身を任せるが、この日は流れもなく、吹く風にのって逆の上流へと流された。
(H28. 6.30 EOS40D撮影)
そんな気分にいつしかなってきた。
この日は6月30日。
県内各地の至るところで行われる行事がある。
それは夏越し大祓い。
これまで拝見された地域に三郷町の龍田大社、斑鳩町の龍田神社、天理市の石上神宮、橿原市の天高市(あめのたかち)神社がある。
未だ拝見していない地域に桜井市の大神神社、奈良市の春日大社に率川神社、天理市の大和神社、生駒市の往馬大社、川西町の糸井神社、河合町の広瀬神社、田原本町の津島神社、明日香村の飛鳥坐神社、下市町の八幡神社、安堵町の飽波神社がある。
いずれの地域においてもされているのは茅の輪潜り。
半年間の罪穢(つみけがれ)を祓う夏越しの大祓(おおはらえ)に潜れば疫病や罪穢が祓われると云う。
尤もひと月遅れの7月末に行われている地域も少なくない。
私が知る範囲内では御所市の高鴨神社、奈良市小倉の八柱神社、天理市の和爾下神社もある。
また、神社でなくお寺さんでも茅の輪潜りをしている処がある。
探してみればもっと、もっとあるのだろうが、潜った茅の輪は役目を終えて大和川に流す地域がある。
それをもっぺん拝見したくなって出かけた田原本町蔵堂の村屋坐弥冨都比売神社。
前回に伺ったのは3年前の平成25年。
とうぜんながらの6月30日である。
川の畔にある地蔵さんや庚申さん。
いつかは行事を拝見したいが、聞取りはできていない。
当地には大神宮の祭りもある。
仕掛りは聞いていないが毎年の7月16日の午後5時から営むようだが・・・。
これら行事の場を撮っていたら夏越し大祓いが始まった。
カメラマンの姿が一人、二人、三人・・・・。
何人が訪れているのだろうか。
彼らは夏越し行事のハシゴ。
近くということもあって天理市の石上神宮や桜井市の大神神社などを駆けまわっている。
昔しはそうしたこともあったが、今は身体事情でそういうわけにはいかなかった。
拝見したいのは川流しの茅の輪である。
村屋坐弥冨都比売神社の茅の輪は大きな特徴がある。
「大きな」といっても高さも幅も大きくない特徴である。
一般的といえば失礼であるが、他所で見られる茅の輪は高さ、幅が2m以上もある巨大な形態である。
これとは逆に村屋坐弥冨都比売神社の茅の輪は小さいのである。
コンパクトに設えた茅の輪は潜るたびに頭を下げる。
そう、潜る際には神さんに向かって自然体で頭を下げる工夫をしているのだ。
子どもも大人も皆、腰を屈めながら頭を下げて神域とされる結界に入る。
この日は特に小学生の子どもたちが何人か。
ベンチに置いた学校帰りのランドセルが物語る。
神事の祝詞も特徴がある。
夏越し大祓いは神さんの祭りではなく、村人や参拝者の祭りであると云う宮司。
それゆえ祝詞は神さんが坐います本社殿に向かってではなく、参拝者に向かって捧げるのだ。
意外とそういうことに気がつかない人は多い。
カメラマンもそういう在り方を撮ることはない。
幼稚園児や小学校の子たちは終わってすぐにやってきたのであろう。
青いベンチに置いたランドセルが物語ってくれる。
白紙の「ヒトガタ(人形)」に息を三度吹きかける。
半年間の罪穢れをヒトガタに移す。
幣を巻きつけた茅で祓い清める。
キリヌサもそうする。
あどけない表情で視線を送る幼児は何を思っているのだろうか。
参拝者の足元には撒いたキリヌサの紙片が散っていた。
大祓いを終えたら結界の綱を切る。
切る方角はその年の恵方である。
禰宜さんが切る作法に神妙な顔で見つめる子どもたちの表情があどけない。
潜った茅の輪を取り外せば子どもたちを呼ぶ。
大祓いの始末は子どもたちで行われる。
神社の東側を流れる初瀬川まで運ぶ。
結界を張った忌竹も運ぶ。
祓って穢れを移したヒトガタやキリヌサや茅は禰宜さんが運ぶ。
橋の中央辺りに並んだ一行は、はじめに欄干から茅の輪を落とす。
すぐさま祓ったヒトガタやキリヌサや茅も初瀬川に落して流す。
穢れを祓った夏越しの祭具は初瀬川から大河となる大和川の流れに身を任せるが、この日は流れもなく、吹く風にのって逆の上流へと流された。
(H28. 6.30 EOS40D撮影)