マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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八田伊勢降神社のヨミヤ神楽

2015年05月30日 08時40分21秒 | 田原本町へ
集落を巡っていた子供御輿が伊勢降神社に戻ってきた田原本町八田(はった)。

オーコで担いだ平太鼓を打つ子供たち。

赤い大きな団扇で煽ぐ。

「わーっ しょっれ」に合せて太鼓はドン、ドンと打つ。



声を掛けて曳いていた神輿は移動車に乗せていた。

ヨミヤの晩に「クヨウモチ」と呼ばれる餅を供えると聞いて訪れた八田である。

「クヨウモチ」を充てる漢字は「九葉餅」だと云う。

ヨミヤの伊勢降神社に張った幕や吊るした提灯に見られる紋がそれであるが、中央に大き目の黒丸、周りを放射線状にした黒丸が八つ。



いわゆる「九曜紋」である。

「九曜紋」は火星(虚空蔵)・水星(弥勒)・木星(薬師)・金星(阿弥陀)・土星(聖観音)・太陽(千手観音)・月(勢至)の七曜に計都(釈迦)、羅睺(不動明王)を加えた九曜曼荼羅の信仰が家紋になったようだが、八田の伊勢降神社の神社紋になった経緯は判っていない。

神社宮守が話した「クヨウモチ」は本社ならびに境内社の道祖神社、市杵島神社、住吉神社、多賀神社、保食神社および祖霊社に供えられる。



ラップで包まれているから判り難いが、べたっとした長い餅を4枚重ねて中央に大き目の餅を乗せている。

「これはハナモチ。ウメの花の形である」と云う人もいる。

似てはいるが花弁の枚数は異なる。

御神木の前にも供えていたヨミヤの夜。

八田では例祭宵宮をヨミヤと呼んでいた。

時間ともなれば氏子参拝者がやってくる。



家族とともに連れだってやってきた人たちは持ってきた懐中電灯で足元を照らして夜の参拝。

境内各社に手を合せるが、供えられた「クヨウモチ」に気がつく人は多くない。

ヨミヤの祭典は3人の宮守さんの他、次年に担う宮守や氏子代表などが参列する。

宮守年長者は白の狩衣を着用している一年神主の村神主。

本殿前で祓えの儀をされて拝殿に登る。



祓えの儀の際には見られなかった3人の女児巫女も同席している。

開扉、献饌、祝詞奏上を執り行われる。

玉串奉奠は氏子一同、老人会、宮守の順で終えた。



そのころともなれば境内社で参拝をされた氏子家族が本殿前に立った。

徐々に伸びて行列となったヨミヤ参拝。

家族単位でやってくる人数は相当なもので行列ができる八田の集落は150戸だ。

行列は長い。



神楽を舞う女児巫女は八田の子どもたち。

小学6年生が二人、「みならい」とされる5年生は一人だった。



なんとなく見覚えがある女児。

平成22年9月18日に行われた「むかしよみや」で神楽を舞っていた子だった。

「覚えている」と言葉を返してくれた女児巫女の任期勤めは2年間だと話す。

参拝者は神楽料を納めて鈴を鳴らす。

そうすれば一人の女児巫女が立って神楽を舞う。

まずは御供祭壇に向けて一礼する。



それから鈴を右手に持って舞う神楽。

シャン、シャンと鳴らしながら左、右、左へと舞う。

参拝者側に向かうときはその都度頭を下げる。

まさにお神楽の舞いである。



そうして参拝者に歩み寄り鈴をシャンシャンと振る。

その音色からであろうか、宮守の一人は「シャンコシャンコ」と呼んでいた。

神楽の舞いは法貴寺の池坐朝霧黄幡比賣神社の宮司家が指導にあたっている。



5月から教わってきた神楽を勤めたシャンコシャンコ。

3人が交替して神楽を舞う。



シャンコシャンコで祓い清めてもらった家族は夜店でたこ焼きかリンゴ飴を買って帰っていった。

行列が途絶えて参拝者はもうないだろうと云って神事の続きが始まった時間帯は夜7時50分。



長丁場の神楽舞を終えた巫女たちもほっとひと息つける。

ヨミヤはこうして撤饌、閉扉、宮司一拝で終えた。

(H26.10.12 EOS40D撮影)


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