朝早くに、献供される七草粥の調えに支度される二人の宮守さん。
正月三日に続いて、この日の行事である七草粥にも伺った京都府・精華町菱田宮川原に鎮座する春日神社。
都合、午前9時過ぎに到着した、そのときは既に七草粥は献供を終えていた。
献供の様相をとらえたく撮影許可をいただき、数多く供えた七草粥の所在を確認した。
本社殿に、七草粥を供えた器は黒塗りの椀。
末社の小宮は四社。多賀神社・西宮神社に龍田神社と祈雨神社(※)の四社。
小宮は菱田に勧請した神さん。
ただ、祈雨神社は元々菱田にあった、と伝わっているらしく、かつて菱田に干ばつがあり、雨乞い満願した神さんでは、と推測した。
それぞれに七草粥を盛る器は白のカワラケ。
一杯ずつ供えた。
また、割拝殿のうち、御供などを調整する部屋、つまりは御供所があり、窓枠の空間の数か所にも供えていた。
特徴のある供え方に、初めて拝見したあり方に地域の暮らしを垣間見たような気がした。
菱田は宮座があり、現在は、本座に真座の両座が年交替にハリマトの道具を作る、という。
弓を射るのは二人の宮守さんらしい。
一年間のお勤めをする宮守さん。
とんど行事にハリマト行事を終えて、次の宮守さんに引継ぎするようだ。
もうすぐ一年になる宮守さん。
一人は、昭和26年生まれの本座のNさん。
もう一人が、昭和32年生まれの真座のIさん。
ハリマトについては、常に座の代表。
つまり、上位者である社寺総代の許可を得ないと・・・
宮守さん二人が勝手な判断で、取材許可はできない。伺いをたて、許可、承諾を受けるには、社寺総代に・・・
丁度、そのころに、神社に来られた代表寺社総代の昭和23年生まれのYさんに伺った、弓始式の件。
今度の1月10日に行う行事名は「ハリマト」。
えっ、「ハリマト」ってなんですのん。
思わず関西弁で、質問した「ハリマト」。
充てる漢字は、「張的」。
かつては「貼的」時代もあった、という。
的は、弓始式に行われる弓打ち。
的は、ハリボテ・・ではなく、的様式の三重丸の黒マトを書いた紙を貼り、綺麗に張って糊付けするから「ハリマト」。
これこそ民俗語彙例のひとつ。
矢を射る的つくりを、そう呼んできたのであろう。
その後に来られた方は、本座の一老を担っているAさん。
元消防署長のAさんは79歳。
詳しく話してくれた菱田の春日神社や年中行事のこと。
ハリマト行事を終えてから配っていた「トウビョウ」は、稲藁でつくる。
太さは8cmほどになる。
3段に括り、一番上を三つ割にする。
ハリマトの黒的は、オヒネリにして洗米を収めたものが「トウビョウ」だ、という。
その「トウビョウ」は、春の時季につくる苗代に立てる、と話してくれた。
そう、話してくれた一老のAさん。
なんと育苗のはじめに、手動式機械でモミオトシもしている、というだけに、是非とも10日の取材よろしくお願いします、と伝えたら承諾してくださった。
稲作は、神社行事に関連するしめ縄用途のモチ米も栽培している。
8月31日は、春日神社のしめ縄かけ。
10日ほど前に、青田刈り。
刈ったモチ米の稲藁は、小屋に収めて陰干し。
そのモチ藁を結って、綯うしめ縄つくり。
機会を設けて、一連の作業、特に苗代に立てる「トウビョウ」、しめ縄つくりにしめ縄かけを拝見したいものだ。
そろそろ御供下げをしますので、と伝えてくれた宮守さんのNさんとIさん。
御供下げの様相も、とお願いして撮っていた七草粥下げ。
およそ数時間を経て、神さんが食を摂った七草粥も下げる。
まずは、本社殿から。
代表寺社総代のYさんが、見てくださいと提示してくださった資料、平成30年2月発行の『精華町文化財宝典』によれば・・・
その本社殿は、社伝によれば、平安時代の前期・大同二年(807)。
奈良大和の春日大社から神を遷し祀ったことがはじまりとされ、天明元年(1781)、文政七年(1824)の棟札が見つかっている国指定重要文化財。
入母屋造りに、重厚に層を重ねた檜皮葺。
春日大社から神を遷し祀ったならば、社殿は若宮社伝を拝領した春日造りのはずが、屋根の上方が切妻で、下方が四方に勾配をもつ切妻造り。
軒を支える蟇股、正面階段にある昇り高欄(※てすり)の宝珠柱、階段下に透垣(すいがいなどの細部の意匠が優れている構造形式から室町時代の前期に建之(※再建であろう)されたものと判断したようだ。
社殿から下げた黒塗り椀に収めた七草粥。
膳もまた黒塗り。
大切な祭具に御供を下げまつる。
そして四社に供えた七草粥も御供下げ。
さらに、下げた窓枠の間に供えた七草粥も。
10日に行われる弓始式のことや、本日の行事、七草粥も拝見し、退出したそこに見た砂盛り。
なんと、いつの間にか、二人の宮守さんは正月を飾ったしめ縄も、門松も撤去していた。
面白いことに、門松を立てた砂盛りは、少し移動し新たな砂山に移っていた。
(R4. 1. 7 SB805SH/EOS7D 撮影)
正月三日に続いて、この日の行事である七草粥にも伺った京都府・精華町菱田宮川原に鎮座する春日神社。
都合、午前9時過ぎに到着した、そのときは既に七草粥は献供を終えていた。
献供の様相をとらえたく撮影許可をいただき、数多く供えた七草粥の所在を確認した。
本社殿に、七草粥を供えた器は黒塗りの椀。
末社の小宮は四社。多賀神社・西宮神社に龍田神社と祈雨神社(※)の四社。
小宮は菱田に勧請した神さん。
ただ、祈雨神社は元々菱田にあった、と伝わっているらしく、かつて菱田に干ばつがあり、雨乞い満願した神さんでは、と推測した。
それぞれに七草粥を盛る器は白のカワラケ。
一杯ずつ供えた。
また、割拝殿のうち、御供などを調整する部屋、つまりは御供所があり、窓枠の空間の数か所にも供えていた。
特徴のある供え方に、初めて拝見したあり方に地域の暮らしを垣間見たような気がした。
菱田は宮座があり、現在は、本座に真座の両座が年交替にハリマトの道具を作る、という。
弓を射るのは二人の宮守さんらしい。
一年間のお勤めをする宮守さん。
とんど行事にハリマト行事を終えて、次の宮守さんに引継ぎするようだ。
もうすぐ一年になる宮守さん。
一人は、昭和26年生まれの本座のNさん。
もう一人が、昭和32年生まれの真座のIさん。
ハリマトについては、常に座の代表。
つまり、上位者である社寺総代の許可を得ないと・・・
宮守さん二人が勝手な判断で、取材許可はできない。伺いをたて、許可、承諾を受けるには、社寺総代に・・・
丁度、そのころに、神社に来られた代表寺社総代の昭和23年生まれのYさんに伺った、弓始式の件。
今度の1月10日に行う行事名は「ハリマト」。
えっ、「ハリマト」ってなんですのん。
思わず関西弁で、質問した「ハリマト」。
充てる漢字は、「張的」。
かつては「貼的」時代もあった、という。
的は、弓始式に行われる弓打ち。
的は、ハリボテ・・ではなく、的様式の三重丸の黒マトを書いた紙を貼り、綺麗に張って糊付けするから「ハリマト」。
これこそ民俗語彙例のひとつ。
矢を射る的つくりを、そう呼んできたのであろう。
その後に来られた方は、本座の一老を担っているAさん。
元消防署長のAさんは79歳。
詳しく話してくれた菱田の春日神社や年中行事のこと。
ハリマト行事を終えてから配っていた「トウビョウ」は、稲藁でつくる。
太さは8cmほどになる。
3段に括り、一番上を三つ割にする。
ハリマトの黒的は、オヒネリにして洗米を収めたものが「トウビョウ」だ、という。
その「トウビョウ」は、春の時季につくる苗代に立てる、と話してくれた。
そう、話してくれた一老のAさん。
なんと育苗のはじめに、手動式機械でモミオトシもしている、というだけに、是非とも10日の取材よろしくお願いします、と伝えたら承諾してくださった。
稲作は、神社行事に関連するしめ縄用途のモチ米も栽培している。
8月31日は、春日神社のしめ縄かけ。
10日ほど前に、青田刈り。
刈ったモチ米の稲藁は、小屋に収めて陰干し。
そのモチ藁を結って、綯うしめ縄つくり。
機会を設けて、一連の作業、特に苗代に立てる「トウビョウ」、しめ縄つくりにしめ縄かけを拝見したいものだ。
そろそろ御供下げをしますので、と伝えてくれた宮守さんのNさんとIさん。
御供下げの様相も、とお願いして撮っていた七草粥下げ。
およそ数時間を経て、神さんが食を摂った七草粥も下げる。
まずは、本社殿から。
代表寺社総代のYさんが、見てくださいと提示してくださった資料、平成30年2月発行の『精華町文化財宝典』によれば・・・
その本社殿は、社伝によれば、平安時代の前期・大同二年(807)。
奈良大和の春日大社から神を遷し祀ったことがはじまりとされ、天明元年(1781)、文政七年(1824)の棟札が見つかっている国指定重要文化財。
入母屋造りに、重厚に層を重ねた檜皮葺。
春日大社から神を遷し祀ったならば、社殿は若宮社伝を拝領した春日造りのはずが、屋根の上方が切妻で、下方が四方に勾配をもつ切妻造り。
軒を支える蟇股、正面階段にある昇り高欄(※てすり)の宝珠柱、階段下に透垣(すいがいなどの細部の意匠が優れている構造形式から室町時代の前期に建之(※再建であろう)されたものと判断したようだ。
社殿から下げた黒塗り椀に収めた七草粥。
膳もまた黒塗り。
大切な祭具に御供を下げまつる。
そして四社に供えた七草粥も御供下げ。
さらに、下げた窓枠の間に供えた七草粥も。
10日に行われる弓始式のことや、本日の行事、七草粥も拝見し、退出したそこに見た砂盛り。
なんと、いつの間にか、二人の宮守さんは正月を飾ったしめ縄も、門松も撤去していた。
面白いことに、門松を立てた砂盛りは、少し移動し新たな砂山に移っていた。
(R4. 1. 7 SB805SH/EOS7D 撮影)