マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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上之町金光寺大般若経

2014年06月20日 08時13分52秒 | 五條市へ
上之町は五條市。

五條博物館より少し南側にある旧村である。

昨年1月にセンギョの下見に立ち寄った地に建つ金光寺(きんこうじ)。

お寺傍にある家にご主人がおられた。

その人は金光寺の檀家総代。

正月初めに大般若経が行われるその直前に集まった村の評議員が版木でお札を刷ると話していた。

その様相を拝見したくこの日に訪問した上之町。

到着したときには版木刷りが始まっていた。

墨汁を版木に塗って、一枚、一枚刷っていく。

版木の文字は「□□□大般若経諸願成就祈祷」。

□□□は判読し難いが「懺悔」のようにも見えるし、「奉転讀」にも・・。

次に大般若経とあるだけに、おそらく「奉転讀」であろう。

刷る枚数は村の戸数の33枚。

大般若経の営みを終えれば、役員たちが村に配る。

版木刷りの祈祷札はもう一枚余分に刷っておく、祈祷法要をされる大澤寺(だいたくじ)の分である。

昔はごーさんのお札も刷っていたが、行事がなくなったことから出番はない。

版木はここに納めていると云いながら箱から取り出してくれた版木は「牛玉 金光寺 宝印」の文字がある。



この版木で刷ったお札は朱印も押していた。

炎のような形をした宝印中央には一文字の梵字もある。

下部は蓮の図をあしらっている。

T字型に割いたウルシの木に挟んで本尊前に立てた。

その様子から営みは初祈祷のオコナイであろう。

春ともなれば苗代に立てるというので間違いない。

苗代に「カヤンボ」と呼ぶカヤススキを立てた。

ごーさんと呼ぶ「牛玉宝印」のお札もオマツリして立てていたという。

今ではお札を刷ることもなく、配ることもない。

それゆえ苗代に立てる水口祭りを見ることはないだろう。

オコナイの行事はしなくなった貴重な版木。

「あんたに一枚あげよう」と特別に刷ってくれた。



いただいたお札は宝印まで押してくださった。

ありがたいことである。

この版木を納めていた箱には墨書文字があったが、判読はできなかった。

版木はもう一枚ある。

「金光寺什物」と墨書した箱に納めていたのは「奉修薬師如来護摩供如意満是所」の文字がある版木だ。

その文字から推定するにかつては護摩供も行われていたようだ。

これら3枚のお札は村の戸数を刷っていたと話す役員たち。

大澤寺住職が来られるまでの待ち時間に話してくださったかつてあった数々の上之町の行事。

5月8日はウヅキヨウカだった。

ウヅキヨウカを充てる漢字は卯月八日のことである。

40年も前のことだと話したその様相。

長い竹竿を高く揚げた。

上部は横に一本。

十字のような感じであった。

そこにはヨモギ、ショウブ、ウツギ、ツツジなどの花を括りつけていた。

40年前は子供だったMさんが話すに、そのころはなかったというからそれ以前であろう。

5月8日にウヅキヨウカをしていた時代は5月5日の子供の日に移っていたそうだ。

正月明けに伐り初めをしていたという上之町。

伐るのはカシの木とクリの木。

シバも刈ってきた。

オーコを一本通して両端にシバを括る。

それで一荷(いっか)分。

子供の頃の家の手伝いである。

正月のモチを搗く前のことだ。

雑煮におますときに、一番始めに切ったモチをキリゾメ(伐り初め)と呼んでいた。

年始めの1月7日だったというから山の神の日。

「オオヤマヅミが見にくる7日は山の仕事はしてはあかん」と云われていた。

「オオヤマヅミ」と云っていたのは「大山祇(おおやまつみ)」の神、「大いなる山の神」の意である。

上之町の山の神は八坂神社を登った処にあるそうだ。

手水舎の鉢には「牛頭天王」の刻印があるそうだ。

小字天王山に鎮座する八坂神社は江戸時代まで牛頭天王社であったろう。

4月3日には「ジンムサン」の日で弁当を持っていって花見をしていたというから、「神武レンゾ」のことである。

上之町には5軒の公事家で営まれる八日講がある。

大般若経のお札を刷る役員の一人は公事家(くじや)。

小字水沢(みなも)などの特定家も加えれば上之町の公事家は9軒。

毎年交替する廻り当番のトーヤ家のニワで弓打ちをしているという。

弓は梅ずわい。

矢はしのべ竹と呼ぶ若い竹。

例年なら12本を恵方に向けて矢を放つが、旧暦閏年の場合は13本になる。

昨今では旧暦閏年では判り難いということで新暦になったそうだ。

新暦といえば4年に一度のオリンピックの年である。

ちなみに八日講を話してくださった男性はこの年が当番だったという。

こうした上之町の行事を聞いていた時間帯。

大澤寺のご住職がやって来られたら、ご本尊にお供えをする。



仏飯(ぶっぱん)、各2枚のコーヤドーフとアゲの椀の膳にはブロッコリーやシメジも盛った。

お供えは膳だけでなくミカンやリンゴ、バナナ盛りもある。

村の戸数を搗いたモチもある。

さきほど刷った「奉転讀大般若経諸願成就祈祷」のお札も並べて始まった金光寺の大般若経。



はじめに表白を唱えて、大般若経を転読する。

第一巻目は住職が転読の作法をされる。

次に続くは参集した評議員、区長、檀家総代がされる大般若経の転読作法。

パラパラと経典を広げながら「第何巻 だーいはんにゃきょー」と詠みあげる。



「わしらはにわか僧侶、上手くはできないが・・・」と、云いながら転読をされる。

これまで数々の転読法要を拝見してきたが、村人がされるのは初見だ。

一人が百巻の転読は笑顔もなく作法されていく。



村人は「虫干しや」と云って、「バンバンすれば虫を干したことになる」と云う。

できるだけ大きな声で「だーいはんにゃきょー」と出して転読してくださいと始めに住職から伝えられたとおりに作法をする。

第六百巻を〆に住職が転読されて、最後は全員揃って手を合わせながら般若心経を唱えた。



この日唱えた心経は般若心経を要約したという節もあるようだと住職が話す。

十六善、薬師さんの名も詠みあげたご祈祷はおよそ1時間で終えた。

「大般若理趣分経 初末品」は上之金光寺の什物。

一巻と六百巻目の「大般若沙羅密多経」の経典はその箱に納められる。

祈祷を終えれば作業がある。



供えたモチは祈祷したお札で包みこむように巻き付ける。

汚れないようにと気配りしてビニール袋に入れる御供モチ。

雨にも耐えられるようにそうしたというモチは中垣内、上出、西と下に分かれる下ノ垣内からなる村の各戸に評議員が配る。

(H26. 1.11 EOS40D撮影)


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