午前3時半は夜中の範疇。
真っ暗な闇のなかにギョギョッシ、ギョギョッシとオオヨシキリの鳴き声が聞こえてくる。
新聞配達の単車のライト照らす光と音だけが夜明け前の時刻を告げていく。
これより1時間後、二人の少年が牛の宮塚に姿を現わした。
少年には父親が付き添っている。
碑の前に即席の祭壇をこしらえて持ってきたシンコ団子とワカメ汁やお神酒を供える。
ローソクに火を点して二人は手を合わせてお参り。
今日は牛の宮でしんこ喰いの日。
塚にシートを広げてしんこ団子やとワカメの酢和えをよばれる。
「こんな暗い所でしていたら、何をしてるんやろと思われるだろうな」と笑う父親。
陽が昇る前の光景は怪しげな様相を醸し出す。
ほんのりと池ノ内の朝がやってきた。
近くで物音が聞こえた。
怪しげな音だ。
鳥かと思えばタケノコ採りの音だった。
そのころ一番電車がライトを照らして大和路線を通過していった。
それから4時間半後。
主役を終えた子どもと親は構造改善センターに上がった。
お参りを済ませたあとはぐっすりと睡眠をとったそうだ。
野球部の早朝練習は祭日で休み。
母親も揃ってセンターに会する。
前年まではしんこ団子を村に配っていた。
形式は略されてセンターに取りに来る方式になった。
実は、しんこ配りは昨年で廃止だった。
その通達が間に合わなくてしんこ団子を注文していた。
それで配ったのだという。
村への呼び出しはマイク放送。
緊張な面持ちで電源をあげた。
ピンポンパンポーンのコールが鳴った。
マイクに向かって連絡文を読みあげた。
外で聞いていた父親は聞こえないという。
なんとマイクのスイッチが入っていなかったのだ。
始めて体験する放送に苦笑い。
放送を聞いた子どもたちがすぐさまやってきた。
お皿に盛ったしんこ団子は三つずつ。
お箸でよばれる。
久しぶりに顔を合わせた子どももいる。
食べ終わったら外で遊んでいる。
子どもの日は、やはり子どもにとっての祭日だ。
※なお、平成元年の資料によれば特上コメの粉を40kgも注文されている。餡も相当数だが量を示すものは見あたらなかった。その資料にはコメの粉が2kgに対して同量の砂糖を2kg混ぜて5.6kgのしんこ団子を13パック作っていた。さらにしんこ団子が6kgに対して餡を4.5kg加えて14パック。配った総数は74パックであった。
もう一枚の資料には絵付きで詳しい作り方を書いてあった。はじめに2kgが1こしきとして、米の粉2kgと砂糖2kgに塩を杯に半分程度を入れて1.9kgの湯を投入。しゃもじで錬り混ぜながら作る。次にさらしの布を重ねて(4段程度)こしきに入れる。何回も上下を入れ替えて中の下が白くなったらこしきがあがってくると書かれている。微妙な作り加減まで書かれてあった。それを臼に入れて練る。そして団子のように丸める。手水は湯に砂糖を混ぜるとある。団子は台の上で長くして切る。にぎり棒ではなかったようだが、資料として残された人に敬意を表する。
また、平成7年に記された資料には行事の段取り日が書いてあった。4月初めに16個入りのしんこ(470g)と餡(330g)の値段がある。おそらくその頃からしんこ団子をお店注文に変化したのであろう。4月30日は牛の宮の草刈りと清掃。5月4日に注文したしんこ団子を取りに行って供物などを準備した。お酒、杯、とり皿、箸、お盆にしんこ団子のパックとワカメとちりめんじゃこの酢の物を持って朝5時頃に参るとある。現在より半時間遅かったようだ。
(H22. 5. 5 EOS40D撮影)
真っ暗な闇のなかにギョギョッシ、ギョギョッシとオオヨシキリの鳴き声が聞こえてくる。
新聞配達の単車のライト照らす光と音だけが夜明け前の時刻を告げていく。
これより1時間後、二人の少年が牛の宮塚に姿を現わした。
少年には父親が付き添っている。
碑の前に即席の祭壇をこしらえて持ってきたシンコ団子とワカメ汁やお神酒を供える。
ローソクに火を点して二人は手を合わせてお参り。
今日は牛の宮でしんこ喰いの日。
塚にシートを広げてしんこ団子やとワカメの酢和えをよばれる。
「こんな暗い所でしていたら、何をしてるんやろと思われるだろうな」と笑う父親。
陽が昇る前の光景は怪しげな様相を醸し出す。
ほんのりと池ノ内の朝がやってきた。
近くで物音が聞こえた。
怪しげな音だ。
鳥かと思えばタケノコ採りの音だった。
そのころ一番電車がライトを照らして大和路線を通過していった。
それから4時間半後。
主役を終えた子どもと親は構造改善センターに上がった。
お参りを済ませたあとはぐっすりと睡眠をとったそうだ。
野球部の早朝練習は祭日で休み。
母親も揃ってセンターに会する。
前年まではしんこ団子を村に配っていた。
形式は略されてセンターに取りに来る方式になった。
実は、しんこ配りは昨年で廃止だった。
その通達が間に合わなくてしんこ団子を注文していた。
それで配ったのだという。
村への呼び出しはマイク放送。
緊張な面持ちで電源をあげた。
ピンポンパンポーンのコールが鳴った。
マイクに向かって連絡文を読みあげた。
外で聞いていた父親は聞こえないという。
なんとマイクのスイッチが入っていなかったのだ。
始めて体験する放送に苦笑い。
放送を聞いた子どもたちがすぐさまやってきた。
お皿に盛ったしんこ団子は三つずつ。
お箸でよばれる。
久しぶりに顔を合わせた子どももいる。
食べ終わったら外で遊んでいる。
子どもの日は、やはり子どもにとっての祭日だ。
※なお、平成元年の資料によれば特上コメの粉を40kgも注文されている。餡も相当数だが量を示すものは見あたらなかった。その資料にはコメの粉が2kgに対して同量の砂糖を2kg混ぜて5.6kgのしんこ団子を13パック作っていた。さらにしんこ団子が6kgに対して餡を4.5kg加えて14パック。配った総数は74パックであった。
もう一枚の資料には絵付きで詳しい作り方を書いてあった。はじめに2kgが1こしきとして、米の粉2kgと砂糖2kgに塩を杯に半分程度を入れて1.9kgの湯を投入。しゃもじで錬り混ぜながら作る。次にさらしの布を重ねて(4段程度)こしきに入れる。何回も上下を入れ替えて中の下が白くなったらこしきがあがってくると書かれている。微妙な作り加減まで書かれてあった。それを臼に入れて練る。そして団子のように丸める。手水は湯に砂糖を混ぜるとある。団子は台の上で長くして切る。にぎり棒ではなかったようだが、資料として残された人に敬意を表する。
また、平成7年に記された資料には行事の段取り日が書いてあった。4月初めに16個入りのしんこ(470g)と餡(330g)の値段がある。おそらくその頃からしんこ団子をお店注文に変化したのであろう。4月30日は牛の宮の草刈りと清掃。5月4日に注文したしんこ団子を取りに行って供物などを準備した。お酒、杯、とり皿、箸、お盆にしんこ団子のパックとワカメとちりめんじゃこの酢の物を持って朝5時頃に参るとある。現在より半時間遅かったようだ。
(H22. 5. 5 EOS40D撮影)