天理市の南六条は南と北の地区に分かれている。
南は元六条で北が元柳生と呼ばれる古来の地名がある。
南の地区には牛頭天王を祀る杵築神社があり、北は三十八(みそや)神社。
南方と北方とも呼ばれているそれぞれの地区の氏神さんである。
北方にある三十八神社の祭礼は度々訪問したことがある。
祭りに先だって行われた頭家渡しは平成20年の9月。
翌月の10月初めには棒標浚えがあった。
石上(いそのかみ)神宮の郷社になる北方。
石上神宮の神官によって神事された榊を布留の境界を示すサカキ立てと呼ぶ行事である。
数週間後に行われた宵宮に拝見した太鼓台は南方の杵築神社からやってきた。
ドン、ドンと打ち鳴らしながら南方の青年会が担いできた太鼓台だった。
後方には子供会が曳行する子ども御輿も巡行していた。
南六条の祭りは南方と北方で行われる共同行事であった。
この日に行われた杵築神社の夜宮(宵宮)は神事を終えたころに雨が降りだした。
太鼓台が繰りだす時間は本降り。
19時、止むやもしれないと雲の動きを確かめて決断されて出発した。
それを見届けた頭屋は4人。
一番から四番(一老から四老とも)からなる頭屋の人たちだ。
9月の17日には桃尾の滝に出かけて禊ぎに足洗いをしてきたという。
かつては西方の龍田川であった。
川は汚れてぬるぬるだったと話す。
ミナライとされる次年度の頭屋も4人。
揃って龍田川で足洗いをしていたのは20年以上も前のことだと話す。
8人の頭屋たちは拝殿で会食を済ませる。
その間にも参拝される氏子たち。
訪れる度に頭屋の一人がお祓いをする。
こうして参拝者を待つ場には茹でたエダマメがある。
なんでも丹波から取り寄せた丹波の黒豆。
ほっこりして美味しい。
その様相は南方の三十八神社も同様であったが、こちらは参拝者に一束ずつ手渡される。
「エダマメたばり」という名で呼んでいたことを思い出した。
宵宮は長時間。
辻に立てた提灯の火も消えるころ。
「そろそろ消えるころだ」と云って数人の頭屋は手分けしてローソクの交換にでかける。
太鼓台が出発してから2時間経過した。
遠くからヨイヨイヨイの掛け声に合わせて「そりゃよっとどっこせっ」や「そりゃよっとまかっせ」が聞こえてきた。
北方の住民が話すかつての太鼓台。
女性着物に長い襷帯の装束に白粉のおしろいを塗ってあっちこっち練っていたと話していたが今はそうでもない。
三十八神社で小休止されて戻ってきた時間は21時。
集落の家筋に入ってはヨイヨイヨイ。
「そりゃよっとどっこせっ」や「そりゃよっとまかっせ」の掛け声が集落に響き渡る。
あっちの筋、こっちの筋に入ってはヨイヨイヨイ。
なかなか鳥居を潜らない。
今度こそ入るだろうと思っていてもまたもや戻る。
これを繰り返しながらようやく宮入りした太鼓台。
境内に入ってもまた戻るお練りの繰り返しだ。
4年前には気がつかなかった御輿の灯り。
流行りのLED電飾が美しく飾る。
拝殿前になれば「倒せ、倒せ」の連呼。
雨が降る中、こうしてようやく落ち着いた。
そうして始まった子供の相撲。
境内に丸く線で描いた土俵。
そこに力士が登場する。
小学生までの子どもたちだ。
南方の戸数は62軒。
これほどの子どもたちが集まってくるとは思ってもみなかった。
「ひがぁーしー ○○くん にぃーしー ○○くん」と名前を呼び出す行司の手には手作りの軍配。
「六条健児」と書かれている。
「みあって みあってー はっけい のこった」と声を掛けるのはミナライ頭屋の一老。
次々と勝負結果を采幣する。
勝った子どもは駄賃を貰う。
頭屋の一老から笑顔で受け取るオヒネリ。
勝負の印しである。
年長者から年少へと力士が登場する南六条の子供相撲に拍手喝さいで盛りあがる。
こうして終えた宵宮の夜。
明日は祭りで次の次の頭屋が決められる。
つまり次に担うミナライ頭屋である。
伊勢代参が持ち帰ったお札でフリアゲをするのは拝殿。
神主が立ちあって見守る中で行われる。
フリアゲの名称がある頭屋を決めるクジは丸めた紙片。
何人かの名を記された紙片にそろりそろりとお伊勢さんの札を降ろす。
そうすれば一つが上がってくる。
神意によって導かれたクジが上がってくるのだ。
そうして4人のミナライ頭屋を次々と決める。
頭屋たちはそう話していた式典は「鍵渡しの儀式」とも云われている。
かつて南六条は8軒で営む座があった。
明治33年の盟約書では宮本座と呼んでいたが、新町を含めた村(座)行事として再出発した昭和60年には新頭屋組織へ移された。
かつての座は宮本座と呼ぶ。
現在は新頭屋組織で行われている杵築神社の祭礼。
そのほとんどの年中行事を新頭屋組織で行われている。
ほとんどというのは年中行事の中でも1月の御田式(ごーさん札を奉る)と9月の二十八日座だけは旧頭屋の行事として残された。
それを営むのは新頭屋ではなく、8軒の旧頭屋家である。
一軒の旧頭屋を訪れた平成20年6月。
史料の一部を拝見した。
兄頭屋と弟頭屋で一年間も杵築神社の分霊を祀る旧頭屋。
記録されたお渡り写真を拝見する。
日の丸御幣を持つ白装束のトーヤと根付き稲を担ぐ頭屋衆が写っていた。
その旧頭屋には今でも2枚の神田(じんでん)で耕作していると新頭屋の一人が話していた。
翌日の祭りにモチスマシがあると云っていた。
コモもあるというモチスマシ。
4年前に聞いた話ではすまし汁の椀に入れた一合モチをよばれると話していた。
「ボウトウノモチ」と呼ばれる儀式だと旧頭屋が云っていたのはこれのことなのだろうか。
また、節句には竹を割ったチンマキがあるという。
モチゴメと粳米を粉にして蒸す。
それを竹に入れるのだろうか。
5月5日の端午の節句には訪れたいものだ。
新頭屋の話はさらに続く。
南六条には2組の伊勢講と4組の庚申講があるという。
講中の寄合は2カ月に一度だそうだ。
その伊勢講の8人が施主となって寄進奉納された神社の幕があるから存在は確かなものである。
(H24.10. 6 EOS40D撮影)