マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

榛原石田涅槃講のアマチャ

2016年01月21日 09時16分40秒 | 宇陀市(旧榛原町)へ
宇陀市榛原石田に3軒で営む涅槃講の存在を知ったのは2月11日だった。

村行事の涅槃会に務めていたのが涅槃講。

涅槃会はすでに終わっていたが、4月8日に「アマチャ」をすると話していた。

場は廻り当番のヤド家。

午後にすると話していたが着いたときはすでに終わっていて解散したばかりだという。

講中の一人が手作りアラレを供えて、般若心経一巻を唱えていたそうだ。

本来は三巻であるが、年寄りはしんどいので一巻にしたという。

甘茶は大宇陀上中にある和漢生薬研究所の平五薬局で買った国産甘茶。

お釈迦さんにかけていたという。

甘茶の桶は真新しい。

近年までは古い桶を使っていたがバラバラになった。

タガが外れてしまったようだ。



補修にテープを貼って形を整えたものの甘茶は隙間からこぼれてしまう。

仕方なく新調したという。

屋根には小さな穴があり、そこに摘み取った生花をみんな寄って挿した。

残りは花立てに入れた。



写真を撮るならローソクと線香に火を点けたほうがいいだろうと云ってヤド家の婦人が点けてくださった。

ありがたく手を合わせるお釈迦さん。



昔は旧公民館で行っていた涅槃講のアマチャ。

「インゲ」と呼ぶ廊下に置いて甘茶かけをしていた。

子供たちがやってきてかけていた。

ご主人が子供のころに体験した様相は何十年も前のことのように話す。



機械で土を被せるモミオトシ作業は長時間を要する。

一丁の田すべてに植えるには苗箱は300枚にもある。

育苗機に入れて育てる。

それから田植えになる。

「そろそろモミマキせんなあかん」という婦人。

一週間から十日間は消毒剤を入れておく。

それからモミオトシになると云う。

(H27. 4. 8 EOS40D撮影)

体感気温は零下

2016年01月20日 13時13分29秒 | 宇陀市(旧榛原町)へ
寒い朝だ。

テレビが伝えていた東京の映像は雪が舞っていた。

指先は冷たく痺れるパソコン操作を諦めて出発した。

名阪国道を東に向けて走っていた。

一本松の雑木林は白く積もっていた。

奈良県宇陀市の貝ケ平山(標高822m)は山全体が真っ白だ。

香酔峠も白くなっていた。

着いた場所は榛原石田。

奈良市内の気温は3度であったようだがこの地の体感温度はもっと低いように感じる。

南側に位置する大宇陀の山々は霞んでいた。

住民の話によれば今朝の雪は霙まじりの雪だったという。

宇陀市榛原石田の隣村。

大貝より眺める伊那佐山(標高637m)も霞んでいた。



ちなみに、ここら辺りの田園には高さ2mばかりの網が立ててある。

耕地を荒らす鹿。

高くした網でも軽々と飛んで田を荒らす。

猪は網の下を掻い潜って荒らす。

シカを避ける網は「シシヨケ」。

猪を避ける網なら「シシヨケ」の名になるが、どちらの動物であっても避けられる構造物にした。

国から補助金が出るようになって各地域とも稲などの作物を食い荒らす動物避けの柵は異常な高さまでになった。

これを見る風景写真家は嘆いていたが、田園風景はなにも写真家のためにあるわけではない。

(H27. 4. 8 EOS40D撮影)

8日の我が家のボケの花色

2016年01月19日 10時27分50秒 | 我が家の花
8日のボケの花色。

6日後の14日と見比べてみれば花弁だけでなくオシベまでの七変化・・。



花屋さんで買ったのか、それとも貰い物だったのか覚えてないが当初は鉢植えだった。

庭に放置していたら根が出て庭に張りついた。

いつしか植木鉢はパックンと割れた。

それからもずっと我が家の庭に咲いているボケの花。

品種は色変化をするようだが品名は判らない。

(H27. 4. 8、14 EOS40D撮影)

我が家のボケの花

2016年01月19日 09時57分14秒 | 我が家の花
雨にうたれた「ボケ」の花。

我が家の花はピンク色で目立たないけどなぜかほっとする。



あらためて調べてみれば「ボケ」を充てる漢字は「木瓜」。

漱石さんが書かれた文学的表現に木瓜(もっけ)があるらしい。

「モッケ」から転じて「モケ」→「ボケ」になったという説もあるようだ。

ボケの花言葉は「平凡」。

ほのぼの春に呆ける時間をもちたい。

(H27. 4. 5、8 EOS40D撮影)

石川町の休耕田菜の花畑

2016年01月18日 09時29分42秒 | 大和郡山市へ
治道地区にある旧村の一つ。

大和郡山市の石川町を通りかかったときに見かけた菜の花畑。

広がる黄色い花に思わず車を停車した。



休耕田を利用して菜の花を植えている。

隣村の発志院町もある菜の花畑。

数年前から始まった菜の花プロジェクトがしているのでは・・。

ナタネ油にされていると思うが、どれぐらいの量になるのだろうか。

写真的には人物がほしいところだが、4月21日に通った際の状況は刈り取られてすっかり消えていた。

(H27. 4. 5 EOS40D撮影)

中畑の春花

2016年01月17日 09時39分22秒 | 自然観察会(番外編)
水口の様相はどうなのか。

状況を確認に出かけた奈良市の旧五ケ谷村は荒起こしの真っ最中だった。

苗床を整えて水口に谷川の水を注いでいた場もあった。

近くにいた婦人の話しでは一週間後に何軒かが苗代作りをするらしい。

旧五ケ谷の一角。

ここは急な坂道にある中畑。

登り歩きするだけでも息切れする。

黄色い花はなんだろうか。

ハナズオウはマメ科。

4枚花弁の黄花はどうも違う。

どうやらチョウセンレンギョウのように思える。

後方に満開となった桜樹を配置して撮っておく。

チョウセンレンギョウの葉は広い。

シナレンギョウもチョウセンレンギョウも列片はやや狭くて尖がっているように感じる。

突き出すようなオシベも見られないことからレンギョウと思われる。

山盛りのように咲いたレンギョウを写真で見られた知人の「らもさん」。

その姿から「ヤマモリレンギョウ」と命名された。



少し引いて農小屋も配置した景観も撮っておいた。

ぐるりと右旋回して桜樹の全景も撮った。



春に優しい農村の景観にずっと佇んでいたい。

ちなみに我が家に咲いているレンギョウはこれだ。



若干、花つきが違うように見える。

(H27. 4. 5 EOS40D撮影)

高樋町・舎人稲荷神社ハルマツリの直会

2016年01月16日 11時50分36秒 | 奈良市(旧五ケ谷村)へ
奈良市高樋町住民からハルマツリがあると聞いて訪れた。

高樋町に鎮座する神社は春日神社。

3月1日に祈年祭が行われた。

それもまたハルマツリだという。

4月に行われる場は春日神社ではなく、正暦寺手前にある舎人稲荷神社である。

舎人と書いて「とねり」と読む。

舎人といえば舎人親王を思い起こすが、職務的な舎人であったろうと長老は云う。

舎人の人物は不明であるが、稲荷神社が鎮座する地の小字に「トネリ」の名があるという。

この日は自然観察会と重なった。

終わってから急行するも、到着したときは神事を終えて直会中だった。

場は平成19年4月8日に建てられた窓がない社務所。

建てる前の時代は境内にゴザを敷いて直会をしていたという。

社務所新築に際して寄進された人の名が記されている。

個人名もあるが団体名も。

一つは町思会。

もう一つが舎人講であった。

「あんたも食べる分がある」といわれて席につく。

遅れて到着したことを詫びるとともに3月1日に行われた村行事の写真を手渡す。

取材させていただいた感謝のお礼写真である。



パック料理の膳は奈良市奈保町にある日本料理の「花鹿」。

どれもこれもとても美味しくいただいた。

(H27. 4. 5 EOS40D撮影)

野遊び年度初めの下見会

2016年01月15日 13時37分41秒 | 自然観察会
今後のボランティア活動保険はどうするか。

Uさんが登録するために予め確認した会員登録数は19人である。

一年間の活動費として徴収する会費は300円に決定。

ゲストの先生方は年度終わりに清算される補助金を充てることなった。

これまで出欠受付をしていた場所は少年自然の家ロビーだったが、今年度より指定管理者制度の導入によって民間委託された。



施設の名称は里山の駅<風とんぼ>である。

年度初めの自然観察会に先立つこの日のスタッフは下見会。

年度初めは例年通りの奈良県立大和民俗公園内を探索する。

この日は生憎の雨降り日和だ。

公園内は植生する桜が多い。

三日前は散りはじめだった。



風はそれほどでもないが落下した桜の花びらが路面に広がっていた。

この年の春雨は長雨の菜種梅雨。

晴れ間の日はごく僅かだ。

昨日は晴れていてもこの日は雨。

落下した桜花が愛おしい。



その状況はずっと続く路面だが、それより前に咲いていたユキヤナギ。

雨に打たれて白っぽさが目立つ。



桜が落下するころはミツバツツジが明るく染めてくれる。

花びらはいつも空に向かって咲いている。



ミツバツツジの特徴は葉が三つ。

判りやすいのだ。

傘を広げて下見する自然観察会。

しっとりする小雨もまた楽し、である。



雨に打たれたドウダンツツジに雫が垂れる。

茅葺民家を背景に白玉模様が映える。



写したドウダンツツジの姿はまるで千成ひょうたん。

そんなことはないが、美しき姿に違いない。

晴れの日よりも雨の日のほうが断然に良い茅葺民家。



背景の山々は矢田丘陵。



茅葺民家横に咲いているのは宝くじ桜とも呼んでいる小花の枝垂れ桜だ。



つい先ほどまで降っていた雨で路面は濡れている。

散った桜の花びらが一面に広がる。



長靴を履いた子供は踊りたくなる・・かも知れない。

しっとり降った雨は茅葺民家を色濃くしてくれる。



雨にうたれた「ボケ」の花も色濃くなった。

雨は止んだが、散歩する人はまったく遭遇しない。



霞のような景観で醸し出す公園内。

自然観察会スタッフとともに歩くので独り占めではない。



何度も訪れているが、吉野民家の前に建つ構造物に気がついた。

何を干していたのだろうか。



大和民俗公園にある東屋付近の路面も花吹雪。

若干の雨が残っていた。



その場には真っ赤に染まった椿が落下していた。

色の盛り合わせにシャッターを押す。



小降り雨の様相に公園を巡る。

大和民俗公園内には意外と知られていない東村垣内に抜ける里道(りどう)がある。



村に通う人の生活道だ。

大和民俗公園を抜けたら里山が開ける。

丘陵地を歩くには不敵なじゅくじゅく道。

そこを避けて奈良市との境界地に向かう。

里道から見た畑の中に一本の筋があった。



犯人はイノシシだ。

右手崖にあったドロの跡がある。

イノシシはここより下って向こう側に走る。



それが一本の筋道になっていた。

イノシシ道はここ以外に何本もある。

行ったり来たりしているようだ。

境界を抜けたら奈良市大和田になる。



そこに生えていたワラビ。

やや小さめだが十数本あった。

屈んで撮っていたらスタッフが声をあげた。



「上空に鳥がいる」の声に見上げた空に舞う大型の鳥。

飛んでいた主はオオタカだ。

雨がやんだ空は快晴。



気持ちよさそうに旋回していた。

手持ちのカメラレンズはEFS17-85。

突然、飛び出したオオタカにピントは追いつかないし、遠い。



帰宅して画像を確認してトリミングしてみたらなんとか・・見える。



この日の野鳥はイカル、ホオジロ、カワラヒワ、ツグミ、アオジ、シジュウカラ、ニュウナイスズメ、キジ、ウグイスが観察できた。

イチバンの大物は稀に遭遇することがあるが、望遠レンズはいつも持ち合わせていない。

大和田の地区は田園が広がる。

遠くでキジが鳴いていた。



水路の向こう側にあった三つ葉。



葉で判ったミツバアケビに垂れ下がる小さな蕾花の集合体が風に揺られてぶらんぶらん。

小さな花が集まった軍団だ。

その上にはヤジロベエのように左右に広がる赤い花があった。



これはメバナで垂れ下がっているのはオバナ。



トリミングアップしたが判り辛い。

その付近に咲いていた白い花はヒメウズ。



萼片は長く花弁は見えない。

(H27. 4. 5 EOS40D撮影)

桐山戸隠神社造営奉祝祭

2016年01月14日 09時40分05秒 | 民俗あれこれ(ゾーク事業)
20年に一度の造営奉祝祭が行われた山添村の戸隠神社。

先週の3月29日に行われた正遷宮もそうだが、雨が降るやもしれない週刊天気予報を大きく覆して晴れ間になった。

桜が咲いた絶好のお天気日和になったのだ。



天が認めた神さんのお住まい。

朱塗りの本殿が美しく眩い。

村人らが神社に登って来る前の時間帯。



神饌を予め本殿や末社に供えていたのは宮司とオトナだった。

造営奉祝祭に相応しい弓・矢は両側に建つ朱塗りの鳥居辺りに括り付けていた。



これがあれば否が応でも造営祭典を意識するのである。

奉祝祭の主役は秋のマツリにウタヨミやオドリコミをされる5人の渡り衆だ。



烏帽子被りの素襖姿で登ってきた。

桐山の全戸数は20戸。

20年に一度の造営奉祝祭に参列する外氏子が150人にもなると話していた。



受付を済ませた内・外氏子は家族揃って氏神さんに拝礼される。

その様相を参籠所から温かい眼差しでみるオトナに渡り衆。



ハレの日に相応しい絶好の天気になったので嬉しさがこみ上げてくる。

しばらくして始まった奉祝祭。



オトナに続いて渡り衆も拝殿に登る。



祝いの祭典に祓えの儀が行われる。

それから行われた氏子幣を奉献する奉幣神事。

渡り衆の弓矢の儀に続いて槌打の儀が行われた。

棟梁が幣を大きく揚げて「せんざい とー」と掛け声をかけて幣を下に降ろして打つ。

その作法に合わせて渡り衆は「おー」と云って槌を打つ。



次は「まんざい とー」。

同じように合わせてトンと槌を打つ渡り衆。

最後に「えいえい おくとー」でトンと打つ。



棟梁の親父さんであるオトナ最長老の一老が玉串を奉奠して祭典神事を終えた。

造営奉祝祭を終えたら直会に移る。

場は境内である。



奉納された弓矢が見守るなか始まった直会の場。



参籠所どころか境内にブルーシートを敷いて家から持ってきた座布団に家族それぞれが座っていく。

雨天であれば公民館と考えていたがその必要はなくなった。



造営委員長の乾杯で顔はほころび、桜が咲く場に笑顔が咲く。

県内事例のいくつかの造営を拝見してきたが、このような場面は初めて見る。

まるで「レンゾ」を思わせるような情景になった。



パック詰め料理の膳もあれば家で作った栗入りセキハンを食べる家族もいる。



直会の場では宴を盛り上げる落語(笑福亭由瓶)もあれば、布目和太鼓演奏も、だ。



参籠所屋内からもこれらを拝見して楽しんでいた。



参籠所が建つ場は山影。



満開のサイシンスミレも祝っているように思えた。



撮影を依頼された造営委員会のご厚意で取材人も膳があると運ばれたパック詰め料理。

料理の膳は東鮨調製。



どれもこれもお味がよろしく、とても美味しくいただいた。

造営奉祝祭の直会にカラオケ大会がある。

内氏子に外氏子が揃って村の祝いに余興が弾ける。

宴を〆るのは桐山の「ウタヨミ」。

秋祭に奉納される場は本殿前だ。

氏子たちは見ることもできない場である。



これだけ集まった外氏子に見ていただこうと渡り衆が披露されるが、姿は礼服になっていた。

扇子のようなモノを見ながらの「ウタヨミ」。



壱番は「やっとん とんとんとん」、「おうまへなる おうまへなる(囃子 ワッ) 鶴は鶴(囃子 オッ) 亀は亀(囃子 オッ) 鶴こそふれて舞いあそび(囃子 オッ) 鶴の子のやしゃまごはそらとうまでも 所は栄えたもうべき(囃子 ワオッ) 君が代はかねてこそ久しかるべき 住吉の(囃子 オッ) 松やにゅうどうーー」で右回りに拍手喝采。

カンニングペーパーは祝いの箸に書いてある造営記念の披露はたいそうな盛り上がりになった。

神社奥にそそり立っていた大杉は伐採されて本殿などの改築に利用された。



余った材木は箸にされた20年に一度の贈り物になった。

弐番、参番と続いて外氏子も参加して中締め。

座布団を抱えて帰る老母は顔が弾けていた。



数分後には小雨が降りだした造営奉祝祭に委員はほっと安堵した。

(H27. 4. 4 EOS40D撮影)

住所などのデータの復旧

2016年01月13日 09時58分37秒 | つうしん
パソコンデータの主な部分は復旧し終えた。

画像のダウンロードや記録したワードもエクセルなどのコピーも慣れてきた。

特に同一名称のファイルコピーは悩ませた。

コピーをしたつもりがコピーになっていないことに気がついたのは2週間ほど前だ。

コピー先を選んで同一名称があるフォルダにコピーをする。

何をするかは出力された「フアイルを置き換える」メッセージをクリックする。

XP時代では上書きすればコピーファイルもコピー先ファイルも作成年月日が出る。

それを確認して上書きしていたが、WIN8.1では確認のそれが出ない。

出ないから不安になる。

しばらくは気にもしていなかった。

ふと、思った。

ほんまにコピーがされているのだろうか、だ。

気になって見たバックアップ先のファイル。

きちんとバックアップしていた日付けになっていた。

数日後のことだ。

コピーの選択肢に「ファイルは置き換えずにスキップ」とか「ファイル情報を比較する」があった。

どうなるのか試しにクリックしてみた。

コピーファイルもコピー先ファイルも作成年月日が出た。

そうそう、それでいいのだと思ってクリックした。

これでコピーができたと思ったのだ。

これが大間違い。

何日間もそうした。

Officeには左上に旗マークがある。

Officeボタンというものだ。

それを左クリックしたら「最近使用したドキュメント」一覧が出力される。

初期のXPにはそれがあったが、バージョンアップした関係からか出力しなくなっていた。

久しぶりに見る「最近使用したドキュメント」は使い勝手がいい。

いつしかそれより選択するようになっていた。

ある日のことだ。

開けてみれば更新した最新のものではなく更新前のものだった。

上書きはされていなかったのだ。

原因はバックアップのドキュメントファイルで更新していたのだ。

コピー元は更新されていない。

更新されていない元ファイルからバックアップしたファイルは更新前の状態で上書きされていたのだ。

前日に書き残した情報は消えた。

思い出しながらもう一度書いた文章書きに数時間も費やしてしまった。

こういう誤りは二度としたくない。

そう思って元ファイルを呼び出すのはデバイスからにした。

書き終えたらバックアップする。

その際にしなければならない「ファイル情報を比較する」で両ファイルの日付けを確認する。

間違いなければ「続行」でなく「キャンセル」を選び、次に「ファイルは置き換る」を選んでコピーすることにした。

XP時代よりも1クッション増えたが仕方ない。

こうしてようやく慣れだしたが、相変わらずキーボードタッチを誤って違うキーを押してしまう。

配列が若干違うのだ。

こればかりは慣れるまでもう少し時間がかかるであろう。

さて、本題はデータの復旧である。

復旧したいデータは「筆ぐるめ」ソフトの住所データとラベルプロデユーサーのデータだ。

急ぐこともないので後回しにしていた。

この日は完全なる休日の日。

落ち着いた時間に措置を講じたかったのだ。

日本データ復旧サービス社によってすべてのデータが復旧したと聞いている。

「データのお戻し方法について」というマニュアルもある。

それには「筆まめ」の住所データの戻し方が書いてあった。

フォルダ名を探してCドライブの「ユーザー」にコピーするだけである。

簡単な作業だと思っていたが「筆ぐるめ」を起動しても見つからない。

住所データがないのである。

復旧されたデータを探してみたが見当たらない。

断念せざるを得ない状況で考え込んだ。

住所データが見当たらなければ最新の年賀状から一つ一つハンド入力するしかないと思った。

念のためにと思って復旧されたデータを一つずつ探すことにした。

どこにもない住所データは見つかるであろうか・・・。

30分ほどかけて探してみたらあったのだ。

「マイドキュメントセッッテイング」→「オールユーザー」→「共有ドキュメント」→「筆ぐるめ」→「データベース」フォルダにあった「FGWA0000」ファイル。

フォルダにはこれを含めて18ファイルもあった。

助かったと思った瞬間だ。

これらのファイルをCドライブの「ユーザー」→「「筆ぐるめ」→「データベース」フォルダにコピーする。

そうして「筆ぐるめ」を起動する。

そのままでは存在しない復旧データ。

「筆ぐるめ」には「住所録データ取込」ファンクションがある。

それをクッリクすれば「外部データ読込」が表示される。

筆ぐるめの旧バージョンデータを選んで「次へ」。

コピーしたファイルを選んだら復活した。

とにかくできることが判ったので一旦終了した。

再び「筆ぐるめ」を起動したら、先ほどアップした住所録が消えている。

どうやら「保存」しないと消えるようだ。

一つずつ復活させた住所録を開いて「保存」する。

その際に出るパスワード指定。

それはしない。

こうした作業で18ファイルすべての復活が終わった。

ここでしておかねばならない筆ぐるめ住所データの「バックアップ」。

表示するファンクションを選んで一つずつハンディ型のHDDにバックアップする。

これで一安心だ。

データの復旧はもう一つある。

ラベルプロデユーサーのデータだ。

このデータは名刺用。

一から作り直すにはデザインからし直さなければならない。

それは避けたい。

筆ぐるめと同じように「マイドキュメントセッッテイング」→「オールユーザー」→「共有ドキュメント」を探したがとうとう見つからなかった。

途方に暮れる復旧データ。

そういえば名刺データは筐体型のHDDから開いていたはずだ。

探してみればすぐに見つかった。

操作をしやすくするためにハンディ型HDDにデータを移して起動する。

所定のファイルを開けば正常にオープンした。

(H27. 4. 2 記)