マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

ふり返る7月の介護まとめ

2020年01月21日 09時16分40秒 | むびょうそくさい(おかん編)
この月もおふくろの介護の関係で大阪・住之江に行くこと度々。

記憶は記録。

ふり返る際に思い出したい事項を書き記しておく。

4日は、ケアマネージャー契約の変更手続きにさんに電話して、7月19日の木曜日の午後3時半の相談を了承される。

一年に一度は介護保険負担金更新通知がある。

今月中に届くので、その19日に持参することとなった。

5日は、おふくろを車に乗せて、大阪・伏見町にある林歯科に出かける。



歯の治療に残した型取りである。

この日は、台風7号崩れの大雨。

なぜか、住まいする大和川住宅の駐車場メータに封鎖を伝える貼り紙。

2時間停めていた利用料金は無料扱いだった。

11日のおふくろは、パンを食べていただけで差し歯が曲がった。

痛くなったので鎮痛剤を飲んだらマシになった。



13日のおふくろは、2カ月診療の畠中医院で診察受け。

処方箋については北島薬局にお願いする。

また、歯痛に膿が見られると伏見町の林歯科で治療してもらった。

そして、ヘルパー契約が決まったハート介護センター。

金曜日は掃除ヘルパー。

火曜日は買物ヘルパーにKさんと顔合わせした。

14日、介護老人保健施設アロンティアクラブから電話があった。

担当の介護福祉士リハビリステーション主任のHさんからだ。

かかった時間帯は午後8時。

私の携帯電話が不通で通じず、やむなく自宅電話にかけた内容は、おふくろの容態報告。

朝からゴミの片づけしていて足が痛くなった。

症状を診たら、左足の中指皮下出血が認められる。

履いている靴が足に当たって痛くなったという症状であるが、階段は難なく上り下りしているから問題はないと思われるという容態報告。

原因は、片づけに炊事場の板の間でずっと正座していたからそうなった模様。

19日は、おふくろが通所する介護老人保健施設アロンティアクラブで三者面談。

介護福祉士リハビリステーション主任のHさんとリハビリ療法士のKさんのリハビリの経過進展状態である。

施設長も立ち会って行われる三者面談に家族さんが同席して情報を確認しあう。

国の指示もあって行われた初の三者面談。

1時間ほどの面談であるが、家族さんからの要望も受けてくださった。

その内容については国に報告しなければならないそうだ。

ちなみに面談した事項は、先日のゴミ整理に痛み出した右足第3関節指。

黒ずむ皮下出血は消えた。

原因は急に立とうとしたときにつま先だけで痛いと思いつつ無理に立ったために前年2月頃に骨折した部分が圧迫骨折したと考えられる。

当初腰痛であったものの現在はほぼ感じない。

リハビリ療法士の指導の下、家でするゴロゴロ運動は立派ですと褒められる。

階段の上り下りをするリハビリ運動は継続中。左片足支えは筋力の衰えもあり、筋力アップの゚訓練をする。

前歯が痛いのはインプラントが翌週待ちの治療中のため。

などなどを面談。

次回予定日は通所日の8月18日若しくは8月29日に仮決定して退館した。



白い鳥西成より転事業所したふれんど介護センター。

Fケアマネジャーとの契約書契約手続きに併せて黄色の介護保険負担金を手渡しする。

また、第3関節足指部分は、Fさんが触っただけで、悲鳴をあげたがそのあとは痛くないって・・・。

24日のおふくろ。

歯痛に膿。

伏見町の林歯科治療は本日で10回目の通院。

前回に治療した際に訴えていた痛みが続くので診てもらったら、芯の歯が折れていた、という。



ただ、主根が残っていたので、仮歯詰めの方向で治療継続となった。

治療はあと2回、ですと通告されてほっとする。



なお、本日は買い物ヘルパーに来ていただく曜日であったが、歯医医院通院のために事前に断っている。

(H30. 7. 5、13、19、24 SB932SH撮影)

西成区玉出・生根神社のだいがく

2020年01月20日 09時47分10秒 | もっと遠くへ(大阪編)
生まれ育った30云年間も暮らしていた大阪・住之江。

そこより北に向かってひたすら走る国道26号線。

住吉大社からまだ向こうの北になる西成の玉出。

故郷の地からたったの3kmの地に生根神社がある。

存在を知ったのは平成26年12月19日だった。

家人が受ける大病院の精密検査帰りに祭りの幟が歩道にたくさん立てていてはじめて知った神社。

その神社に「だいがく(台額)」の名で呼ばれる特徴的な提灯を立てると知ったのは、その後のことだった。

どえりゃぁ数の提灯台を立てる。

いつかは拝見したいと思っていた。

本日も、週一ペースで毎週治療の歯科医院通い。

治療を終えて南下する国道を脇に入る。

そこに神社があると思っていた筋道は通行止め。

この日は宵宮の露店がたくさん並ぶ。

仕方ないから道を外して迂回する道。

その道に通行止めがないから走ってみたら布団太鼓があった。

その奥に並ぶ構造物は何だ。

なんとなく動く桟敷席のような感じがあるが・・。



もう少し奥に行けば、神社のお帰り道。

宵宮神事の会場はここだと思った。



車を停車させて鳥居をくぐってみれば、向こう側にたくさんの提灯を下げた「だいがく(台額)」がある。

停めた場所が気になるものだから、撮っただけ・・。

国道に出て、何筋目かの筋道に車を入れる。

西へ向かえば広い公園があった。



ちらっと見えた赤い色の提灯にでっかい円形の・・・。

境内にあった「だいがく(台額)」よりは多少少ないと思った提灯の数。

2基のだいがく(台額)に太鼓がある。

場はわかったが、宵宮の在り方は知らない。

車に乗せたままの自力歩行が困難な家人を放っておくわけにはいかない。

数分間、神社参拝もできなかったが、状況が少しわかったような気がする玉出・生根神社の「だいがく(台額)」であった。

玉出・生根神社のだいがくをよく存じておられるM氏が、FBで伝えてくれた情報。

魔除獅子、枕太鼓巡行もあるが、重要なのはだいがく(台額)。

中だいがく(台額)はおよそ10mの高さを誇る。

小型の大学は、神社付近の公園で夜8時に担がれる。

だいがく(台額)音頭とともに担がれる貴重な山車は大阪府指定有形民俗文化財第一号、と。

24日の宵宮に25日は天神さんの祭りでもある。

この年はテレビ大阪で天神祭の舟渡御神輿が画面に映し出していた。

舟渡御神輿は、特殊とも思える傘鉾の形。

民俗にとって見る価値は大いにある。

(H30. 7.24 SB932SH撮影)

柳本町・民俗探訪その4

2020年01月19日 09時09分17秒 | 楽しみにしておこうっと
意外なことにダイジングサンの営みはどこにでもあるわけではなかった。

この日、7月16日は奈良県内各地でダイジングさんが行われている。

昔、昔、お伊勢さんに参拝する際、大神宮塔に手を合わせてから旅立ったという石塔。

常夜燈も兼ねた大神宮塔もある。

一般的な灯籠とほぼ同じ高さもあれば、灯明点けに数段の石段を登るくらいの高さもある。

地域によっては「太神宮」の刻印もあるが、それらの呼び名はダンジングさん。

ダイジングウ(大神宮)さんが少し短くなった呼称であろう。

10日にも訪れて調べていた柳本町・民俗探訪。



その日に竹を立てて注連縄を張りお祭りをしている地域もあれば、主体となる伊勢講は解散された結果、その印しも消えた。



そのように思えるのだが・・。

(H30. 7.16 SB932SH撮影)

勢野・薬隆寺八幡神社の三日オコナイ

2020年01月18日 09時22分01秒 | 三郷町へ
毎月の1日は「ツイタチオコナイ」」という三郷町勢野(せや)の座中たち。

だが、3月3日は、田んぼの準備に豊作を願う宮座行事。

元々は「日待ち」行事であった、という三日オコナイ。

勢野の宮座七人衆が持ち廻り、一老、二老が掛け軸を張って整える。

現在は、薬隆寺(やくりゅじ)八幡神社の営みであるが、平成2年までは、当番の家でしていた。

境内に絵馬殿・参籠所ができたことから場を移し、一老、二老、三老が役に就いたそうだ。

ここ勢野の行事を拝見するのは4年ぶり。

平成26年10月25日に行われたマツリの御湯以来である。

この日の行事を勤められる神職はOさん。

マツリの御湯を拝見したその年の4月から任に就いている。

4年ぶりの取材に恐縮する。

平成24年に第三版を発行された『三郷路(みさとじ)ふるさと散歩-文化財と史蹟のガイドブック-』によれば、3月3日に行われる三日オコナイは「幕渡し」とも呼ばれていた。



この日に掲げる4幅の仏画は、旧薬隆寺にあったという阿弥陀三尊来迎図・阿弥陀如来像・地蔵菩薩像・孔雀明王像である。

年に一度の三日オコナイに張る幕を持ち廻り、引き継いでいたと考えられる。

掛図の前に設えた祭壇に四つの膳(※かつては当番家の婦人が調理)が並ぶ。



花を立ててお茶も揃えていた。

仏さんに供える膳料理は、五品。

中央の椀に煮豆、右上は白飯の仏飯。

右下は椎茸や人参、大根を炊いた煮しめ。

左上の茶葉にその下がほうれん草のおひたし。

お箸は仏さん側に置くから、仏飯は仏さんから見れば手前になるので、写真を上下返しで見ていただきたい。

お神酒を供えてこれより始まる神事ごと。



祓詞にお祓いをされる神職。

神妙な面持ちで儀式に参列する一老、二老、三老の3人である。

少し間を開けて一老が動く。

ローソクに線香の火付け。

それぞれ4仏に灯したら、下げたお神酒を一杯ずつ注ぐ。

これより始まる般若心経。

導師一老とともに皆が揃って般若心経を三巻唱える。



丁度そのときに到着した宮さんの副総代のUさんも加わって心経を唱えていた。

Uさんと初めてお会いしたのは、平成26年7月14日に行われた北垣内の天王祭りである。

なにかとお世話になっていたUさん。

心経を終えて振り返ったとき、私と顔を合わせるなり、よー来てくれたと声をかけてくれた。

4年間も空白期があったにもかかわらず覚えてくださっていたのが嬉しい。

ちなみに4幅の仏画である。



左から二老預かりの地蔵菩薩像(※大和郡山市金剛山寺本尊の矢田地蔵尊彫像模)。

左2番目は一老預かりの阿弥陀如来像。

その右の阿弥陀三尊来迎図(※従観音・勢至菩薩)も一老預かり。

右端の仏画は三老預かりの孔雀明王像。

『三郷路(みさとじ)ふるさと散歩-文化財と史蹟のガイドブック-』によれば、いずれも600年前の室町期の制作とされる。

座中の了解を得て仏画の背面を見せていただいた。

時期は不明であるが、修復する前にあった墨書文を切り取り、それを貼っていた。



地蔵菩薩像の墨書文は「奉 修覆所者為見明大姉西佛襌定門尼追善旦所逆修施主浄心セ 勢野村座衆講衆之尊」である。

もう一幅の阿弥陀如来像にも修復前の墨書文を貼ってあった。

その文字に年代記銘がある。

「天保十三年虎霜月」とあるから、西暦1842年、壬寅の天保十三年十一月になる。

「三幅共奉 再修覆一老文四郎二老庄右衛門他也」だ。

いずれも勢野の東ノ座衆の長老らが調達、寄進したもの。

また、時期は不明だが、かつては尼寺だったと想定されようか。

なお、旧薬隆寺(やくりゅうじ)の本尊、薬師如来坐像は、近くに建つ勢谷寺(せいこくじ)に安置されているそうだ。

取材を終えて境内に建つ浅間社を拝見した。

Uさんが話していた北垣内の牛頭天王社。

末社の浅間社に納めていると云っていたので格子窓から眺めさせてもらった。

扉は締まっているからその姿は拝見できない。

また、浅間社の行事も特にないと話してくれた。

(H30. 3. 3 EOS40D撮影)

大阪・淀屋橋-三休橋筋の観光施設案内図絵

2020年01月17日 09時16分23秒 | もっと遠くへ(大阪編)
母親の歯科治療の合間に拝見した舗道の印し。

近づいてみれば、それは周辺の観光案内を伝える陶板焼きのようなプレートだった。

歩ける距離にある信号待ち。

その都度、視線を落とした舗道に埋込みプレートがある。

三休橋筋は中央公会堂より南側。

北になる栴檀(せんだん)木橋から南下して本町の中央大通りまでの南北筋を三休橋筋(さんきゅうばしすじ)と呼ぶ。











その間にある通りは東西を行き来する“通り”。

北から順に南に下って土佐堀通、内北浜通、今橋通、浮世小路、高麗橋通、伏見町通、道修町通、平野町通、淡路町通、瓦町通、備後町通、安土町通、本町通、南本町通、中央大通である。

プレートおよび舗道は大阪市都市整備局ならびに船場地区連合振興町会や周辺商業協同組合などが事業するHOPEゾーン協議会(※平成30年3月に解散)によるもののようだが・・・。

(H30. 6.21~ 7.24 SB932SH撮影)

大阪・淀屋橋-伏見町界隈の食事処

2020年01月16日 09時55分08秒 | もっと遠くへ(大阪編)
母親は介護の身。

歯医者はこれまで60年以上も診てもらっている大先生でないと・・。

意思のかたい母親の気持ちを満たしてあげるため、長年に亘って通い続けた歯科医院に向かう。

そこは大阪市街地の中心地。

私もかつて勤めたことのあるビジネス街。

治療の合間に車を動かせて街を巡回する。

ここら辺りの駐車場は高い。

安価なところもあるが、軽バンでは高さ制限に引っかかるから入庫できない。

仕方なく走り廻る街に昼時間がくる。

午前11時過ぎになれば店舗前に弁当売りの棚が出現する。

ざっと周回してみた結果は380円より。

高くても550円くらいまで。

あちこちに美味しそうな弁当が並ぶ。









午前11時半ころ、会社を飛び出した仕事人は一斉に動きだす。

正午30分ともなれば売り切れ続出の弁当売り。

仕事場に持ち帰って食べる人もあれば、駐車場に停めた車内で食べる人も。

落ち着いた食事処で昼ランチをよばれる人も多い。

母親にゆっくり食べさせてあげたいが、食事代よりも駐車場代が高くつく。

で、あれば弁当は持ち帰って自宅で食べる方がいい。









ちなみにそば処の「一山」が懐かしい。

若いころ、上司に連れられて食べた蕎麦の味。

残念ながら舌に記憶が遺っていない。

(H30. 1.24~ 7.24 SB932SH撮影)

その後の尿路感染症・尿道炎

2020年01月15日 09時35分02秒 | むびょうそくさい
発症したのは7月16日。尿検査の結果は酷かった。

白血球多いから細菌も多い。

赤血球はやや高め、潜血有り、糖も出ているし、蛋白も高い。

ところが薬用が効いてすっからかんの何もなし。

変わらない数値はPHの7。

それよりも前回の塩分は「+」だったが、今回の検査結果は「卄」に増加。

水分が不足ぎみ、水分補給が足らないから身体が訴える塩分増である。

ここんところの暑さにペットボトル茶の飲用量は一気に増えている。

身体が自然と欲する飲料水であるが、昨日は痛みがないものの排尿の「出」が悪い。

出だしはなかなか。

出てもちょろちょろ。

いつ止まるのかもわからない。

残尿感はわずかにある、ような気がする。

すっきりしない排尿にまいっていた。

排尿回数はいつもとほぼかわりのない状態であるが、排尿量は計測していないからいくら出たのかさっぱり・・。



今は、この暑さに出かけるときはペットボトルを持ち歩いていると、医師に伝えた。

前回に指摘のあったグルコース値の経過状況を採血した日付け順にリスト化したペーパーを医師に提示した。

平成29年の2月21日、5月16日、8月8日、10月31日。

平成30年の1月23日、4月17日、4月28日、5月1日、7月10日期間のデータである。

この期間中に基準値超えが4回。

平成29年が2回で30年も2回。

半数以下が基準内にある。

超え具合はややレベル。

このような状態では心配するほどでもないが、ヘモグロビンのHbA1C(NGSP)を検査項目に・・・。

基準値は6.2以下であれば問題ないのですがと云われるが、3カ月に一度の循環器内科の血液検査項目に入っていない。

回の受診日に内科医師にお願いするわけだが、それまでは現状維持しかない。

ま、とにかく処方箋された抗生剤のレボフロキサシン錠500mg「DSEP」が効いたということである。

服用したその日の夕方には尿臭さは消えた。

翌日の夕方には痛みも消えた。

手当が早ければ薬も早く効くということであるが、水分補給がままならなくて再発する可能性はぬぐえない。

排尿はちょろちょろ。

勢いがなければ、尿道に逆流する可能性が高くなる。

逆流すれば尿道に菌が増殖して発症、ということになりかねない今夏の暑さ。

来月はクリニックの夏休みもある。

土曜、日曜に発症してもすぐさま対応できるように予備用の抗生剤を適用しましょう、ということになった。

発症する時間帯は夜間が多いらしい。

まさに私もそうである。

ありがたく受け止める処方箋は3日分。

緊急の場合にご自身の判断で服用してください、と・・。

支払を済ませたクリニックからのお土産・・ではなく、いつかわからないが、次回診察に来られるときにはと手渡された検尿セット。



尿を採取する紙コップに、尿を入れ替えて毀れても大丈夫なガラス瓶を受け取った。

(H30. 7.23 SB932SH撮影)

米谷町・白山比咩神社の田楽飯

2020年01月14日 10時48分11秒 | 奈良市(旧五ケ谷村)へ
豆腐店仕込みの木綿豆腐を、炭火で焼き、田楽味噌をつけていただく座行事がある。

奈良市米谷町に鎮座する白山比咩神社。

この日は宮座の四大行事の一つである「田楽飯」行事。

四大行事は2月の「田楽飯」、5月から6月にかけての「タケノコ飯」、10月の「マツタケメシ」、12月の「くるみ餅」である。

宮座十一人衆が季節の節目に旬の料理をいただく座行事は村神主が接待する行事。

座中が参拝される前に御供は先に献饌しておく。

この日の旬料理は田楽豆腐。座中一人分が食べる田楽豆腐は1丁。

奈良市神殿(こどの)の米田食品店から調達した15丁の豆腐を半丁切。

30枚に切り分ける。

その数に合わせて竹串を準備しておく。

竹串の先を3本に割った串。

戻り付きの銛(モリ)のように尖がらせた竹串作り。

手間のかかる作業は予め村神主が細工された。

実は、村神主のUさんは現役の庭師。

手の込んだ串作りはお手のものだ、という。

一年神主を務める村神主も座中の一人であるが、接待役に就くのである。

豆腐店が持ってきた木綿豆腐。

そのまま豆腐を焼くことなく、仕掛けておく水抜き作業がある。

豆腐には水分がたっぷりあるから柔らかい。

焼けるのも時間がかかる。



水気を抜いた豆腐を半丁に切っておいた、という村神主は十一老に就いたUさん。

前年度に行われた年中行事のあり方を、その都度において、つぶさに観察し克明な記録をして臨んでいた姿を思い出す。

田楽豆腐作りは、村神主を手伝う2人のサタニン(※佐多人・助侈人とも)にかかっている。

豆腐を焼く場は社務所の外である。

かつては社務所内にあった囲炉裏で焼いていたそうだ。

座の行事に焼きを入れる囲炉裏を今でも使っている地域は数か所。

取材した県内事例の一つは、山添村の桐山。

拝見したのは鎮守社の戸隠神社の正遷宮

神遷しを終えて直会食に焼きを入れて食べる餅とサバ。

事例はもう一つあり、例祭の祈年祭の直会にもドーゲが焼いていた。

場はいずれも社務所内に設えている囲炉裏であった。

もう一つの事例もまた山添村。

北野津越の薬師堂で行われる初祈祷である。

薬師堂を建て替えた際、囲炉裏もまた新しくした場で豆腐焼きをしていた。

ここもまた手伝い役の年預(ねんにょ)が座に出される豆腐田楽を作っていた。

米谷は、現在の社務所に囲炉裏はない。



焼き場、というか炊事場はあるが、コンロで焼くわけでなく、屋外に並べたコンクリート製のU字溝。

正式名称は上ぶた式U形側溝である。

火起こし炭は消し炭の再利用。

持ちが悪いから、2度目のお代わり豆腐焼きは消し炭では火がもたない。

そういう理由もあって、勢いのあるガスボンベによるバーナー焼きに切り替えるそうだ。

焼き具合はどうか。

試しに焼いた半丁切りの豆腐。

市販品味噌を塗してできた田楽豆腐。



一口、二口食べてみた味具合は、焼き良し、味良し、とでた。

焼きかげんがわかったところで、本格的に焼いて作る田楽豆腐。

座中が集まってくる時間帯は11時過ぎ。

揃ったところで座会食に移るのだが、焼き豆腐はそれまでに準備をしておく。

早めに焼いておけば冷めてしまう。

出来上がりは極力、座がはじまる午前11時半丁度の時間に合わせて焼き始める。

それも挨拶前に配膳しなくてはならないから、火点けから焼きあがりに要する時間計算。

タイミングを見計らうのが難しい豆腐焼きである。

主たる座食の料理は、仕出し料理の川北食料品店に注文したパック詰め料理である。



料理店の大将は1年ぶりにお会いした天理市和爾町在住の川北さん。

「今年の御田祭はもう終わってるでぇ」と・・。

平成29年2月8日、ここ米谷の神主渡しの行事の際にお会いしたことがキッカケに和爾坐赤坂比古神社で行われた御田祭を再訪したが、今年はすっかり失念していた。



そのことはともかく、川北さんが心を込めて調理した料理をサタニンが並べていた。

主の料理の他、皿盛りのキズシの〆鯖。

座中の希望で蛸に替えた鰊の焼き魚に焼き豚と3種の香物。

甘く煮た豆にほうれん草のおひたし。



村神主家が用意した別皿もある。

午前11時過ぎ、座中めんめんがやってきた。



手水をしてから神社参拝。



本社に向かって手を合わせた次はチンジサンの愛称で呼ばれている鎮守社や神武天皇遥拝立石にも参拝。

社務所にあがって揃いを待つ。



いつもこれくらいの時間に着く一老。

準備中だった豆腐は、しばらく待ってから炭火の火付け。

試し焼きから40分以上も経っているが、火起こしは速やかに火が廻る。

市販のチューブ入り味噌を手にしながら豆腐焼き。



ころあいを見計らって裏返し。

焼き色で判断して戻す豆腐もある。



両面の焼き具合を判断して味噌をつける。

焼きが揃ったところで炊事場に運ばれた田楽豆腐。

すぐさま座に提供される。



サタニンは落ち着く間もなく白い半丁豆腐を焼く。

半丁、半丁で1丁の豆腐。

豆腐だけでも結構、お腹が膨れると思う。



消し炭の火力が衰えるまでに焼きあげたい田楽豆腐。

焼けるまでまたしばらくの時間を要するお代わり希望の田楽豆腐。



田楽豆腐が大好きな方もおれば、嫌いではないがお腹が膨れるからと遠慮する方もおられるし、また座中全員が希望されることも考えて多めに焼き、座中からいつ声がかかっても提供できるようにしておく。



お代わりもまた、冷めない程度にしておく田楽豆腐。



極力、焼きあがったばかりの田楽豆腐で提供しないといけないから、作るサタニンも気を落とせない。

座が始まってから1時間。

やかんで温めていた貝汁がある。

これもまた座中から声がかかるころを見計らって温めておく。

しばらく経ったころ、お声がかかって大急ぎで汁を注ぐ。



注いだ汁に湯気がある。

炊事場がふっと美味しい香りが漂った。

汁椀に蓋をして運んだハマグリの貝汁。

零さないようにお盆に盛って座中一人ずつに提供する。

貝汁を提供されてすぐ終える座ではない。

長いときには3時間も飲食されていた、という座行事の田楽飯。

お酒も進んで終わりのない気配に、しばらくは建造物の年代調査。

本殿前に建つ灯籠に「白山大権現」の刻印がある。

灯籠台に、「村若連中」、「村氏子中」に4人の世話人も刻まれていた灯籠に「天保二年(1831)三月吉日」とある。

また、数基並んだ灯籠の一つに「天正十年(1582)四月吉日」とあった。

村神主が動いた時間は、午後2時20分。

貝汁の提供から40分も経過していた。

本殿に向かう村神主。



頭を下げて供えていた御供を下げる。

本殿に捧げた御供は三つ。

一つずつ下げていた。



引き続いてチンジサンの御供も下げた。

この動きから座は終いか、と思えば違った。

まだまだ話題が尽きない座に決められた終わりの時間はない。

それから20分後のことである。

座におられる一老さんから声がかかった。

「これから松苗作りをするから、座敷にあがって作業を見ても良い」と、いうことだ。

ありがたい一声をいただいて頭を下げる。

格式ある座は、こうして一老さんのお許しがない限り、座敷にあがることはできない米谷の宮座行事である。



板扉を開けた向こう側の座敷で行われる松苗作り。

予めブルーシートを敷いて長机を置いていた。

その長机に置いた竹で作った「ゴンゴ」。



「ゴンゴ」の呼び名は他所でも聞いたことがある。

地域は奈良市東山間地の田原の里周辺地域。

1カ所は柳生町・山脇垣内で行われた山の神行事

もう1カ所は茗荷町のイノコノクルミモチを見せてくださったOさんもまた竹で作った酒入れの筒。

昭和56年10月に調えた米谷の初穂筒(※ゴンゴ)とは形状に違いはあるが、「ゴンゴ」の呼び名は共通している。

さて、米谷の初穂筒(※ゴンゴ)に入れるのは酒でなく初穂である。

初穂は昨年の10月に行われた白山比咩神社のマツリ

宵宮の際にイナニナイ(稲担い)が運ぶ新穀米の初穂である。

氏神さんに供えた初穂は、マツリを終えてから下げ、初穂筒に詰めておく。

今から始める松苗作りの松の調達も村神主の役目である。



初穂筒の詰め栓を外して落とす初穂。

半紙の上にパラパラと落として広げるが、湿っているせいなのかなかなか落ちてこない。



やむなく箸のような棒を突っ込んで固まっていると思われる初穂をばらしたら、ごそっと中から零れてきた。

その廻りに待っていた座中は半紙に初穂米を落として包む。



量、粒数に決まりはないようで適量を落とした籾である。

籾を包んだ半紙はオヒネリの形にして用意していた松葉に取り付ける。



ばらけないように括る紐は神聖なヒモロギ(緒)。

予備に3本、合計10本もこしらえた松苗にチンチラと呼ぶ松ぼっくり付き。

松ぼっくりは豊作を願う印。



実のある松苗は豊作祈願。

3月1日に行われる二ノツイタチ新年祭に供える松苗であるが、かつてはもっとあった、という。

そのころの年代は判然としないが、40本作っていた、と一老のKさんが話してくれた。



村の人のほとんどが田を所有し、稲作をしていたと思われる本数である。

行事を終えた座中や氏子たちは松苗を持ち帰って苗代に立てて、水口に祭る。

平成29年4月27日に、この日の田楽飯に出席されたO家の苗代の水口まつりのあり方を拝見させてもらったことがある。

松苗作りを終えた座中。

オヒラキの声がかかった時間帯は午後3時過ぎ。

腰が重いのか、それからも座は続いていたが、やがて解散。

「ほな、おおきに・・」と、云いつつ席を立った座中。



一老さんもまた席を立って残した膳料理を手にしてお家に戻っていった。

(H30. 2.22 EOS40D撮影)

再々発症の尿路感染症・尿道炎

2020年01月13日 08時04分50秒 | むびょうそくさい
16日の深夜の2時に目覚め。

もよおす排尿がちと臭い。

こりゃまたもや、と思われる臭いである。

朝方の午前5時にももよおしがあった。

いつもと同じようなタイミングのもよおしであるが、匂いは一層臭くなっている。

しかも、痛みを伴う排尿である。

辛い症状は尿道炎に違いない。

病名は前回と同じであれば尿路感染症。

この日は主治医の泌尿器科医師の在する月曜日であるが、ハッピーマンデー祝日の海の日では、どないもこないもできん。

臭い、痛みは我慢するしかない。

明日の16日は平日診療になる。

朝の9時の開院と同時に緊急なお願い電話をせざるを得ない。

そう思っていたが、心配するかーさんが通院している田北病院に電話を入れた。

驚いたのは祝日であっても電話が繋がったのだ。

16日は火曜日。

前日が祝日なら医師の休みである火曜日は診察に充てるのでは、と思って尋ねたらなんと出張であった。

痛みは早く解消したい緊急性の場合であれば、医師とも繋がっている一般クリニックを紹介された。

その医院は平日毎日が診察日。

田北病院では月曜日に限られる。

それを補完するかのような近くのクリニックの紹介。

ありがたいことである。

7月豪雨の発生後、数日経過した10日に梅雨明け宣言。

それからというものの気温はぐんぐんと上昇する。

海の日の祝日がある7月16日辺りは強烈な暑さになると気象庁が伝えていた。

たしかにそうなった奈良県北部の最高気温。

10日は34.5度。

11日は32.5度。

12日は32.7度。

13日は34.9度。

14日も15日も36.8度。

ピークに達したかのような気温に水分補給は身体が自然と訴える。

夜中もクーラーを動かす羽目になった日々である。

尿路感染症(尿道炎)の原因は掴めている。

そもそもの原因は前立腺肥大症である。

肥大することによって膀胱、尿道が狭くなり排尿がしにくくなっている。

狭く、細くなればスムーズに排尿されない。

溜まるというか、逆流することもある。

そのときに何らかの要素で菌が・・・。

それによって炎症を起こして、臭み、痛みが発症する。

根本的な原因は前立腺肥大症である。

前回に発症したのは5月末。

そのときも背景にあったのが気温の上昇である。

医師からはとにかく水分をよく摂るように、と云われているが、徐脈の私は循環器内科医師の指示で、一日の水分量を制限されている。

相反することをしなくちゃならない暑さ対策。

なんともどうしようもないが、喉が、身体が欲する水分で飲料は自然と増えていた。

これくらい量が増えておれば・・と思っていたが、尿道が負けた。

そんなときは薬のお世話になるしかない。

5月末の処方箋は5日分のレボフロキサシン錠500mg「DSEP」。

服用した夕刻から尿の臭さは解消したが、痛みは続いていた。

完全に解消したのは服用してから5日目だった。

発症前日の15日も16日も最高気温は36.8度から37.2度。

まだまだ暑さが続くと天気予報が伝えていた17日。

意を決して紹介してくださった泌尿器科クリニックの門をたたく。

そんな、たいそなことでもないが、初めて診てもらう医師に伝えるべく資料データは有効的な診断になる。そう思って持参した。

初めての診察はどこでもそうだが、なんで来たのか、現症状を記入する問診がある。

そこに書いておいた田北病院からの紹介である。もっとも緊急であったので紹介状はない。

ないが、これまで検査・受診したデータを診れば一目瞭然となるであろう。

呼び出しがあったのは受付からおよそ1時間後であった。

クリニックではそんなことはなくすぐに呼び出しと思っていたが、この日は3連休明け。

待っていた患者さんが集中する。

お願いしますと入室したときに医師が云った言葉。

長らく待たせてすみませんで、である。温かみのある言葉に、医師の真心を感じる。

検尿した結果を診られる医師。

これまでの経緯も含めた本日の症状を伝えた通りの結果が出ていた。

白血球は多いから細菌は「+」。

赤血球は20-30。

潜血は「卄」。

糖は「士」。

蛋白が「卅」にPHは7だった。

その結果から医師が云った言葉に驚く。

それは「腎臓の病気になったことは・・」である。

さまざまな大病をしてきたが、未だ腎臓病に関わる病気はしたことがない。

医師は次の言葉を・・。

「糖尿病になったことは・・」。

それもない。ないが、初めて云われた腎臓病に糖尿病。

血液検査をしたことはありますか、と問われたので持参した循環器内科診断の血液検査結果を診てもらった。

検査報告書にあるグルコースがやや高め、ですねと云う。

報告書にあるグルコースの基準値は73-109mg/dlであるが、直近の結果は119。印しは「H」であったが、循環器内科医師はその点については一切触れることはなかった。

前回に受診した5月29日の結果は122。むしろ下がったぐらいである。

初めて触れることになったグルコースは葡萄糖とも呼ばれる血糖値。

やや高めには違いない。気になるからこれまでのデータを遡ってみた。

平成30年の5月1日は100。

4月28日は112。

4月17日は103。

1月23日は88。

平成29年の10月31日は104。

8月8日は110。

5月16日は113。2月21日は96であった。

「H」のときもあれば、以下の場合もある。

こうした経緯をみれば血糖値が揺れ動いていたことがよくわかる。

やや高めのときもあるが、まったく問題のない範囲内の場合もあるということでひとまずは安心であるが、本日診察の泌尿器科医師は、急がないが、血液検査に一つ項目を入れてもらったら、なお一層状態が判明するという。

その検査項目は「ヘモグロビンA1C(NGSP)」。

赤血球中のヘモグロビンのうち、どれぐらいの割合で糖と結合しているか、判断ができるようだ。

で、本日の処方箋は前と同じ薬のレボフロキサシン錠500mg「DSEP」。

診察を終えた本日は昼食後に。

翌日からは朝食後に服用してください、だった。

翌日の18日は37.5度、19日はとうとう超える38.1度。熱中症指数が発令したまんま。

(H30. 7.16 記)
(H30. 7.17 SB932SH撮影)

キユーピーの和えるパスタソースの焦がしねぎ塩

2020年01月12日 07時43分39秒 | あれこれインスタント
ほぼ1カ月前に食べたパスタソースがあまりにも美味しかったので、それが何日間も空けると何を食べたのか思い出せなくなると判断して携帯電話に撮った画像を残していた。

そのパスタソースはどこのお店で売っていたのか。

値段はいくらだったかも覚えていない。

何気なく買ったようで、特に印象もないパスタソースである。

食べてから2週間後くらいだったか。

ハッスル5大和郡山店で売っていることに気づく。

定価はいくらか知らないが税抜き198円で売っていたキユーピーあえるパスタソースの焦がしねぎ塩。

えっ、これって割合、高目のほうやん。

我が家で食べるパスタソースのだいたいが100円前後。

倍もしていた品物をなぜ買ったのか。

記憶がないから思いだせない。

そんなに高いならやめとこが、正直な気持ち。

それが、である。

今日の昼飯は・・に答えた料理はスパゲッティ。

ソースはなんやら・・焦がしとか。

曖昧な答えに、えっ、何時、どこで買っていたんだい。

確証はないが、167円ぐらいで売っていた店がある。

そんなに安いなら買っとこ、と思って買い物カゴに入れたお店はザ・ビッグエクストラ大安寺店だった。

買った日は7月10日。

通院している病院帰り。

天理市内のいろんなところに出かけてラストに大安寺店だったような気がする。

昼にすると聞いてから待ち遠しい。

出来上がりのピンポンが鳴るまでは奥の部屋でパソコン作業。

午後12時半近くになって食べた焦がしねぎ塩スパゲッティの美味しいこと。

香りはふわぁっと鼻に吸い込まれる焦がしガーリック。



スパゲッテイ麺に絡んだソースにコクがあるから美味しい。

見た目はそうでもないが、味は濃い。

喉の奥から唸って欲求する食い気が凄まじい。

いやもうとにかく美味い。

病みつきになる極上の旨さ。

飽きることのない味である。

ところが商品の成分にガーリックが見当たらない。

私の味覚が破壊されたようである。

(H30. 6.10 SB932SH撮影)
(H30. 7.16 SB932SH撮影)