マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

田原本町・松本の民俗探訪

2020年02月19日 07時57分52秒 | 楽しみにしておこうっと
田原本町教育委員会が昭和59年3月に編集・発刊した『田原本町の年中行事』がある。

知人のYさんが推薦してくれた田原本町の民俗記録史。

それから35年も経過した現在。

平成時代も気がつけば30年間。

和暦も次世代に継がれようとしている現時点に少しでも足を運びたい地域の民俗調査。

葛城市當麻にある古民家ギャラリーら・しいで写真展を拝見して同じく葛城市の寺口で地蔵盆調査

そこからの帰り道に選んだ田原本町の松本。

初めて立ち入る松本に調べたい7月16日の「ゴウシンサン」。

『田原本町の年中行事』によれば、「松本は、家の順に燈明の箱が毎日廻ってきたそのときは、夕刻になれば神社へ出向いて氏神さんに燈明を灯す。その際、太神宮の灯籠にも明かりを灯すことになっている。このような村は多い(※若干補正)」と、ある。

さて、神社はどこであるのか。

集落内に入ったところにあった神社は三ノ宮神社。

参拝してから探してみた太神宮塔が見つからない。

付近も探してみたが、見つからない。

見つかったのは「松本自治会」が平成24年に立てた「田原本町の村・町の歴史」案内板書。

詳しいことは省くが、地名の松本は、室町時代の初出する環濠集落である。



三ノ宮神社は、慶長年間(1596年間)以前、隣村のなる多(おう)村の皇子神命神社(三ノ宮神社)は、大洪水によって小字宮森に流れ着き以来、当村で祀るようになった。

西に曽我川、東の飛鳥川に挟まれた大字松本。



大洪水は曽我川、それとも飛鳥川のどちらとも記されていない板書。

ブログ「桃おやじの歴史散歩」によれば、飛鳥川畔に「松本浜」と呼ばれる船着き場があったと。

穀倉地帯であるが、水害も多かったことから、松の木を植えて水害から守った。

そこからきた地名松本(※元和五年(1619)から郡山藩領・慶長郷帳に“松元”あり)、とあった。

板書にある「松本浜」。

「大和川の舟運で飛鳥川の松本浜まで川舟が遡上し、通船問屋が置かれ、大和川を行き交う通用船が73艘あり、春には大坂から油かす、干鰯、塩、雑貨を。秋には米、木綿の他農産物も積みだして大坂に積みだしていた」とある。

周囲を見渡せば寺院もある。



カーブ道際に建つ浄土宗大慶寺にすぐ右横にある浄土真宗本願寺派の松本寺である。



松本寺の門前に「松本の石仏」碑が建つ。

「西に流れている曽我川が、決壊したときに松本の地に流れ着いた地蔵と伝わる。鎌倉末期の石仏である。大和の各地に伝わる流れ地蔵・・云々(※若干補正)」。



その碑文の右に整然と並べられた地蔵石仏群。

瓦屋根葺きの地蔵堂は昭和60年8月に建立された。



流れ地蔵のことが気になり、右隣に建つ民家に声をかけた。

屋内から出てこられた娘さんが教えてくださる流れ地蔵の地蔵盆。

松本寺は無住寺であるから通い僧侶が毎月に法会をされるそうだ。

葛城川の氾濫で流れてきた地蔵さんだから流れ地蔵と呼んでいる。

この年の地蔵盆は8月26日の日曜日。

午後2時ころにしていたような・・。

地蔵堂を建立されたのは、1組24軒で構成される地蔵組。

幕と涎掛けは毎年取り替えているからいつも新しい。

地蔵盆のときは、白い団子を作って串に挿して供えるそうだ。

通いの僧侶が法要し終えたら、その白い団子は配っているようだ、という。

また、三ノ宮神社に出仕される神職は多の多さん。

私も多さんとつい呼んでしまうが、多神社の多宮司である。

息子さんの禰宜さんも関連する神社行事でお会いしたことがある。

その三ノ宮神社で6月末辺りの日曜日午後2時ころにさなぶり行事をされているようだ、と教ええてくださった。

そういえば、6月末日の30日から近い日曜日に移す地区が増えていると聞いたことがある。

尤も30日であっても出仕する神社の数は多く、一人では廻りきれないから息子さんの禰宜さんと地区を分け合っていると云っていたことを思い出した。

「ゴウシンサン」行事のことは聞き取れなかったが、2件の村行事をされていることがわかって村を少し散策してみる。

すぐ近くに見つかった農用具。



一目でわかる唐箕である。

埃のない奇麗な唐箕が、扉のない小屋内に置いてあった。

持ち主を探してみたが、居宅さえわからなかったから次回訪問に尋ねてみたい逸品である。

(H30. 8.30 SB932SH撮影)

葛城・寺口の民俗探訪

2020年02月18日 09時56分24秒 | 楽しみにしておこうっと
なにげに見ていたネット情報。

検索キワードが何だったのか、さっぱり思い出せないが・・・紹介していた映像でわかったそこがどこであるか、だ。

集落入口に佇む石仏地蔵尊。

藁製、それとも竹製であるのか判断できないが、地蔵さんを祭っているような造形に興味をもった。

その映像をあげていたブログは「ノンさんのテラピスト」がメインタイトル。

目が点になった記事タイトルは「葛城山麓・智恩寺の十一面観音を訪ねて 2012.8.4」とあるから訪問日は8月4日であろう。

近鉄新庄駅から徒歩。

柿本神社、影現寺、飯豊天皇埴口丘陵、屋敷山公園を経て辿りついた葛城市・寺口。

「集落の入口にある地蔵堂祠に茅の輪が置かれています。今日は8月4日でちょうど地蔵堂夏祭の準備のようです。端集落の10ケ所ほどに設置されているそうです」と書いてあった。

“地蔵堂祠に茅の輪”とは、不思議な状態。

あり得ないことでもないか、と思って、同じ日の8月4日に出かけたがったが生憎のこと。

数週間後の末日に訪れた寺口。



石型の祠に納められた地蔵石仏があったもののそれらしき状態はない。

“夏祭りの準備“とあるだけに、当日であろう。

ところがその気配はまったくない。

拝見していた時間帯は午後3時。

どなたもいないということは、祭りは午前中であったかもしれない。

念のためと思ってすぐ近くの畑で作業をされていた男性に声をかけたが、見たことも、聞いたこともない、という。

その祠の近くに住んでいる寺口・本郷の敬老者と思われる二人の男性にその奥さんも存じていないという。

ここでなく、寺口にはずっと下にも地蔵尊があるという。

その場を教えてもらった集落道を下る。



ここの地蔵尊は地蔵堂に納めている。

大きな地蔵堂に納められた地蔵関部物は3体。

信仰する人はどこにおられるのだろうか。

たいがいはすぐ傍に住む村の人。

訪ねていけば、付近に住む102歳の老婆が信仰していたという。

地蔵尊のことなら詳しい老婆。

残念ながら亡くなったという。ただ、その娘さんに伝承されているなら、と紹介してもらって訪ねた。

話してくださったのは71歳のTさん。

安置している地蔵さんは、鎌倉時代の将軍さんが命令を下した“流れ”の地蔵さん。



池浚えに出現した3体の地蔵さんを安置しようと、地蔵堂を建てて奉っている。

地蔵盆は7月24日。

午後6時から8時までの営み。

本家の人たちとともに作ったおにぎりを供える。

営みを終えたらおにぎりを下げて近くにいる子供たちに配るという。

102歳で亡くなった母親は、80歳を越えても一升瓶を抱えて坂道を歩いて登っていった智恩寺

毎月の17日に参拝する観音講の営み。

朝、8時に集まってくる講中。

まずは清掃作業。

お花を立てて10時から唱える般若心経と西国三十三番のご詠歌。

昼時間になれば、智恩寺の庫裏にあがって会食。

午後の3時ころまでずっと談話。

今でもそうしているという観音講の営みに是非とも立ち寄りたいとお願いしておいた。

(H30. 8.30 SB932SH撮影)

スズキエブリイのキーレス電池交換

2020年02月17日 09時22分53秒 | いどう
ときおり作動しなくなる愛車のキーレス。

いつころからそのような状況になったのかメモっていないのでわからない。

作動しなくなるといっても、ときたまに、である。

まったく感知しないときもあった。まったくだったが、いつの間にか正常に作動することもある。

作動すれば、キーレスのありがたみがわかる。

作動しない場合は予備のキーでドアの開け閉めをする。

雨の日とか、買物を終えて車のドアが開かないときは、えらい面倒やなと思う。

つい、先日である。夕方から始まったお寺さんの行事に出かけた。

夕方だからまだ明るさはある。

明るいとドアのキー穴は見える。

行事が終わったら真っ暗だった。

山間にあるお寺に街灯は乏しい。

ドアのキー穴に差し込むだけで難義した。

なんとか開けて、今度はエンジンを廻すキー穴。

これもまた真っ暗で位置が見えない。

こんな状況で乗り降りするのは困ったことだ。

なんとかしなくてはと、住まう地域にあるスズキ自販奈良に向かう。

当該のお店はアリーナ大和郡山店。

入ろうとしたら閉まっていた。

なんと、平日水曜日がお休み。

仕方なく、本日に訪れたアリーナ大和郡山店

駐車場に停めようとした瞬間に従業員が近寄ってくる。

どうかされましたか、と問う従業員。

これこれ状況を伝えたら、店内でごゆっくりしてくださいと案内されたテーブルにつく。

お待ちする間に飲んでいただくウエルカムドリンクがある。

同店舗は4年前の平成26年10月20日も来店したことがある。

そのときはスズキエブリイのリコール対応だった。

そのときも待ち時間のサービスにいただくウエルカムドリンク。

いろいろ選択肢はあるが、今回もオレンジジュースにした。

しばらく待っていたらスタッフさんがやってきた。

キーレスを開封した結果である。



キーレス内部にあるボタン電池に水分が付着しているという。

それが原因で作動しないときもあれば作動するときも、であった。

水分の付着によって不要な伝導が働いたということになる。

雨に濡らしたとか、水溜りにポチャッと落としたとかがあったのだろうか。

キーレスの使用はいつもポケットに入れているのだが、空気中にも水分がある。

長い年月にキーレスの隙間からじわじわと浸みこんでいった。

そう、思うのである。

税込み378円の電池交換対応で済んだが、今後においてキーレスの反応不良、或いは無反応になる場合は内部の基板交換で対応される。

その際の費用は7、8千円程度で済むそうだ。

しかし、基板どころかキーレスそのものの破損とかで交換できない場合はキーレスの買換えになる。

そのときの費用はだいたいが2万円になるという。

(H30. 8.23 SB932SH撮影)

私がとらえた大和の民俗(9)―つくる―古民家写真展

2020年02月16日 22時50分36秒 | しゃしん(県立民俗博物館展示編)
奈良県立民俗博物館の古民家にて、8人のカメラマンが出展する「第9回 私がとらえた大和の民俗―つくる―」写真展は令和2年2月8日(土)より始まります。

今回で9回目を迎えた写真展の期間は令和2年3月8日(日)まで。

8人の写真家が、奈良の民俗行事・習俗・景観を写真作品にする競作展は、今年で9回目を迎えました。

毎年テーマを設定し、そのテーマにちなんだ奈良の民俗行事を写真作品にし、広く公開する試みとして、平成23年度(2011)より奈良県立民俗博物館で展示してきました。

今回のテーマは「つくる」です。

「日々の暮らしや営みのなかにある“つくる”、専業的な“つくる”、信仰のなかにある“つくる”、あるいはつくられたもの、つくるための道具など、さまざまな視点から奈良の“つくる”を切り撮った風景を紹介します。写真家がとらえた映像ら、奈良の行事や暮らしの移り変わりを考える機会になれば幸いであります」。

なお、2月8日(日) 13時半より、出展されるカメラマンたちが語る「写真家座談会~奈良に伝わる“つくる“~」があります。(無料) ・・・終了しました 

座談会会場は、写真展展示会場である奈良県立民俗博物館併設の大和民俗公園内施設の古民家(旧萩原家住宅・旧赤土家離れ座敷)になります。

古民家で開催する初の写真展。

旧家の風情、造りも観ていただければ幸いです。

私がとらえた大和の民俗(9)―つくる―古民家写真展

展示場所 奈良県大和郡山市矢田町545 奈良県立民俗博物館
     会場 旧萩原家住宅・旧赤土家離れ座敷 (入場無料/参加無料/申込不要)



会期   令和2年2月8日(土)から3月8日(日) <観覧無料>

<月曜日が休園日になりますが、2月24日は開園、25日が休園>

開園時間 午前9時~午後4時

開催期間中の金曜、土曜、日曜、祝日の午後1時から4時までは出展者が交替当番して滞在



展示作品(敬称略)
       「大和茶」(吉崎喜寿)/「掛鯛(かけだい)」(川島朱実)/「カンピョウ」(田中眞人)
       「稲作」(浦 聡)/「性(さが)」(森川光章)/「特別な箸」(志岐利恵子)
       「出雲人形」(的場 啓)/「秘密基地」(川畑秀樹)
当番日(敬称略)
       2月 9日(日)    川畑秀樹  ・・・終了しました 
       2月11日(火・祝)  田中眞人 盛況・・終了しました
       2月14日(金)    志岐利恵子 ・・・終了しました
       2月15日(土)    田中眞人  ・・・終了しました
       2月16日(日)    的場 啓  ・・・終了しました
       2月21日(金)    吉崎喜寿  ・・・終了しました
       2月22日(土)<雨天>森川光章  ・・・終了しました
       2月23日(日)    川畑秀樹 盛況・・終了しました
       2月24日(月・祝)  浦 聡  盛況・・終了しました
・・・・・・・・・27日(木)より以降3月8日(日)まで、急遽、中止・・・・・・・・・・・
       2月28日(金)<中止> 的場 啓
       2月29日(土)<中止> 志岐利恵子
       3月 1日(日)<中止> 森川光章
       3月 6日(金)<中止> 吉崎喜寿
       3月 7日(土)<中止> 川島朱実
       3月 8日(日)<中止> ほぼオールキャスト

下記期間に開催される季節イベント「古民家でひなまつり」があります

会場    大和民俗公園内施設の古民家(旧臼井家住宅)

会期    令和2年2月15日(土)から3月8日(日)・・27日より以降3月8日まで急遽、中止

開園時間 午前9時~午後4時

梅の花も見ごろを迎える時季、是非、お越しくださいませ。

(R2. 2. 4 SB805SH撮影)
(R2. 2. 7 記)
(R2. 2.11 SB805SH撮影)
(R2. 2.27 記)

神座イオンモール大和郡山店の白菜増量半玉おいしいラーメン

2020年02月15日 09時41分58秒 | 食事が主な周辺をお散歩
半年ごとに出かける血管外科診察からの帰り道。

時間も午後12時半を過ぎようとしていた。

診察に何も問題点がなければご褒美にトンカツと思っていたが、時間は遅くなっていた。

午後は車の電子キーが不調なので対応をお願いしたい店行きがある。

もう一つの用事は新刊の購入である。

書評を呼んで読みたくなった『温泉の日本史』。

温泉の歴史を頭にいれたくて購入。

これらすべてを満たす施設が帰り道にある。

その名もイオンモール大和郡山店。

喜久屋書店で求めた『温泉の日本史』。

著者は石川理夫氏である。

喜久屋書店は2階にある。

フードコートは1階上の3階にあるからすぐ近くだ。

久しぶりに来たが平日、っだというのに実に賑やか。

そうだ、まだ夏休み中だったんだ。

食事したい店はつるまる饂飩。

手前にある店からお腹が減る香りがいっぱい。

その前に座って食べている人たちはいずれもステーキ肉。

最近、耳にすることが増えてきたいきなりステーキ店。

銀たこもあるけど眼中にない。

しばらくぶりにやってきたフードコートに海鮮丼店もあるがどれもこれも持ち金足らず。

ぐるっと廻りかけようとした麺屋。

あれぇ、店が違っている。

つるまる饂飩でもない国道沿いに多くみられる丸亀製麺に替わっていた。

なんということか。

平成27年1月3日に立ち寄ったのが最後の味わいになったようだ。

その隣にあるのがいわずとしれたおいしいラーメンで有名などうとんぼり神座。

どうとんぼりは大阪の道頓堀である。

神座のおいしいラーメンを食べたのは平成26年7月6日

豚バラがたまらんくらいに臭かったことだけははっきりと覚えている。

うどん店もラーメン店も注文の行列。

やや空いたので神座にするか。



レジ横に貼ってあった新商品は「おいしいラーメン半玉(白菜増量)」だ。

麺は半玉で白菜は20%も増量とくる。

「ちょうどサイズのいいおいしいラーメンが登場」とある。

最近は少し食べるだけでもお腹がキンキンに膨れる。

これがもうしんどくて・・。

麺が半玉なら丁度いい。

値段も税込みの630円。

これならお腹に優しい。

そう思ってレジに注文。

支払は電子マネーのクイックペイ。

それにしても見本写真にある三枚の豚バラ。

なんとなくでっかいチャーシューに見えるが・・・。

出来上がりは機械が伝えてくれる。

レジを通してから待つこと5分間。

まま長い。

それにしても満員の席にたった1席の確保がなんと難しいことか。

番号付き呼びベルを配膳棚に持っていって半玉ラーメンを受け取る。



透き通るようなスープが美しい。

豚バラはチャーシューでもなかったので安心する。

脂が浮いているスープに白菜がどっさり。

トッピングコーナーに運んでさて何をどうのせようか。



にんにく、豆板醬にニラ。

「みなさまに提供できますよう、必要な量だけお取りください」とある。

必要量な量は人それぞれが必要とする量。

多い、少ない人も、いや必要としない人もいる。

間違ってならないのは、思う存分でないことだ。

添えつけの小さな、小さな匙でちょびっとした掬えない道具である。

散らばったニラは多いように見えるが刻みのニラ。



大匙一杯程度の量をトッピングした。

スープの香りは風味がある。

レンゲで掬って喉に入れる。

コクのある綺麗なスープがとても美味しい。

以前もそう思った神座のスープ。

スープが命ならば麺はどうなのか。

スープにのりきれない麺は優しい。

コシがあるわけでもないが、スープに合った麺。

私的にはちぢれ麵の方がスープに絡みやすいと思っているのだが・・。

20%増量の白菜は食べても、食べても減らない。

ただ、この日の白菜は苦みがある。

甘いのが美味しい白菜に苦みがあるって、どういうこと。

豚バラは旨みがない。

脂が浮いているくらいなのに旨みがない。

味がない豚バラ肉はどうにかならんのかい。

相変わらずというか、とり得のない豚バラであったが、食べているうちにコクを感じる。

旨みはスープにばらまかれたようだ。

半玉麺はさすがに少ない。

箸で掬った回数はたったの4回。

その回数で麺がなくなった。

ごっそり摘まんだわけでもないのに4回で食べ尽くした。

でも、ま、いいっかである。

麺はなくなっても白菜に豚バラがごっそりある。

ニラとともにレンゲで掬って飲むように口にする。

スープとともにいただく白菜、豚バラ肉。

スープが美味いからレンゲが進むくん。

と、同時に汗が噴き出してきた。

上半身はもとより額から流れ落ちる汗には驚いたものだ。

店内の冷房吾は効いているが、汗が止まらない。

神座のおいしいラーメンは発汗作用があるのか、と思ったくらいだ。

ラーメンスープは塩分含有量が多いと云われるが、旨さに負けて完食した。

食事を済ませてスズキ販売店に向かって車を走らせた。

その道中、である。

食べ尽きたにも拘わらず、喉の奥からじゅわーっとス-プが・・・。

スープ味が喉から出てきそうだ。

もちろんそんなことはないのだが、旨さが口の中に戻ってきそうになっていた。

豆板醬、いやにんにくの旨味であった。

にんにくに絡んだス-プが。

もう一度、食べたくなった美味しいスープに病みつき。

(H30. 8.22 SB932SH撮影)

術後の心不全に洩れがあるものの支障なし

2020年02月14日 08時45分40秒 | むびょうそくさい
術後から早くも3年。

心臓手術をした担当科は血管外科。

半年間検診になってもう2年になる。

早いものだが、完全復帰とまで至っていない。

受付時間は午前9時半。

間に合うように早めに家を出た。

帯解の街道をいつも走る。

通院以外のときも走る旧道である。

見慣れた車がパーキング点滅している。

たぶん、と思って車速を緩めたら目が合った。

ほぼ1年ぶりにお会いしたY先生である。

お元気な様子だが、毎週がいろんな医院の世話になっているという。

私も、であるが、頻繁度が少ない。

通院に向かう最中に出くわした短い会話は出くわす車に閉ざされた。

総合受付を済ませてレントゲン撮影。

今回の検査に血液検査はない。

早々と終えたレントゲン撮影の次はいつもと同じ心電図検査。

その次は心エコー検査。

予定では10時より始まる超音波検査である。

毎度、毎度に慣れたもの。

途中で眠ってしまうほどの安堵感に浸る。

検査技師にもよるがだいたいが20分程度の検査を終えた時間帯は午前10時20分。

ここからが長いのである。

血管外科で受付を済ませている間に見た連絡表示。

私の心臓手術を執刀したのは若手の医師だった。

大御所の大先生は総監督。

前回に診察してくださったY医師がなんと、6月に転勤したとある。

代わりの医師はS医師のようだが、本日はお休み。

代わりにT医師があたるとあった。

長い待ち時間に読書が進む。

持ち込んだ老眼鏡のおかげで文字が良く見える。

頭もすっきりする老眼鏡は必需品。

自宅に2本もある。

予定では午前11時だったが、呼び出しは20分も過ぎていた。

診察室から呼び出し。

扉を開けた部屋には・・・。

どうやらそこではなく隣室。

表示していた医師の名はSだった。

見るからに若そうな血管外科医。

検査結果の動く映像を見ながら、モレが少しあるという。

モレは逆流である。

詳しく話してもらった結果でいえば、大丈夫ということだが、術後のモレが認められるが、問題ない状態だという。

弁異常のランクは4段階。

低い方から1。

酷い状態になるにつれ、2、3、4となる。

3以上は手術を要する段階である。

平成27年7月10日に発症した弁不全症は3以上の4であろう。

形成手術で縣は繋がったが、完璧での“0”ではなく、それ以上である。

尤も“1”まではいかない。

“0”以上。

0.1なのか、0.5なのか。

動画に表示されるブルー色の割合にあるようだが、いずれにしても支障のないモレ程度ということだ。

生活上、まったく支障のない範囲を伝えられてほっとするが・・。

心電図の波形は綺麗だという。

だが、ロングタームの波形に持参した毎日の朝、昼、晩の心拍数を記録したノートを医師に見せる。

毎日の起床時は40拍前後。

ところが昼の心拍数は50拍台に上昇する。

昼間は動くから心拍数は伸びる。

そういうことである。

現状、特に問題有との判断は下されず、半年検診だったタームは1年単位になった。

ところで転勤されたY大先生である。

行先はと尋ねた結果はなんと自宅から歩いてすぐの地にある奈良県総合医療センター

この年の5月に開院した独立行政法人奈良県立病院機構が運営する病院。

Y先生はその病院の心臓血管センター長に就いたという。

栄転であるが、天理まで通わなくとも当院で通院できればありがたいのだが・・・。

(H30. 8.22 SB932SH撮影)

宮城製粉のイカ墨ソース

2020年02月13日 08時38分20秒 | あれこれインスタント
3袋で1パック売りのイカ墨ソース。

販売は近くにあるOK牧場・・・ではなくOK、OKソングが店内に流れている業務スーパーだ。

お安いというのもあるが、試しに買って味を見極めたい。

そう思って買い物籠に入れて支払った。

本日のお昼はこれにすると云って調理してくれた。

皿に盛る際にイカ墨の汁が飛んで衣服に黒い点々がいっぱい、といったかーさん。

味見したけで、不思議な味だという。



ソースがソースらしくない。

これまで食べていたイカスミソースとはまったく違う、

異次元のような味がする。

私の舌が覚えているイカ墨は甘い。

ほどよい甘さはあるが主張は強くない。

そういう印象をもっていたが、この正体は何だろう。

かすかに感じるトマトの味。

もう一つはイカスミでもない、なんとなくモツのような味。

不味くはないのだが、異次元の味には手が止まりそう。

結局はすべて食べたが、皿に残ったどす黒いイカ墨には手が出ない。

かすかに感じるトマト味。

イカ墨に何故トマトを感じるのか、これはもう怪しいソース。

食べ終わってからパッケージ裏面にある食材を見て、やはり・・・。

原材料一覧にあった「いか肝」に「トマトペースト」。

これが決め手の味は私の好みではない。

尤も生鮮のいか肝は煮ても焼いても美味しいのだが、これはクセが主張しすぎてあかんわ。

(H30. 8.18 SB932SH撮影)

大岩・大日堂の涅槃会

2020年02月12日 08時49分39秒 | 大淀町へ
前年は平成29年3月12日の日曜日に行われた大淀町大岩・大日堂の涅槃会。

この年は遅れることなく到着できた。

大日堂に安置されているご本尊は、高さが160cmの木造大日如来坐像。元禄十六年(1703)、他の在地から遷されたと伝わるが、詳しい来歴は定かでない、と大淀町HPに記載されている。

大日堂は、時代の流れもあった明治時代に廃寺。

ただ、現存する扁額は「安楽寺」文字であることから、安楽寺の小堂であったようだ。

住職不在となった旧安楽寺・大日堂は、30戸からなる大岩区の人たちの手によって守り継がれてきた。

屋根瓦の風化、板材の腐食による雨漏りのあった大日堂は、平成24年度に改修工事。

その際に行われた文化財調査によって、屋根裏からは延宝八(1680)年の銘を刻んだ鬼瓦に墨書きの入った建築材などが発見された。

また、「城山国 相楽郡 賀茂 東明寺 永享ニノ十 六月十七日」の銘がある鰐口は、大日堂にかけられていた。

京都府相楽郡加茂にあった「東明寺」の什物であったことまで判明。

加茂町に日蓮宗寺院の燈明寺がある。

寺伝の元禄九年記の「東明寺縁起」によれば奈良時代の行基が開基したと伝わるそうだ。

“東明寺”は法人登記があるものの現在は廃寺同然にある燈明寺であった。

“東明寺”は建武年間(1334-1336)の兵乱で廃絶したのち、康正年間(1455-1456)に天台宗の僧忍禅が復興したそうだ。

鰐口の製作年が永享ニ年(1430)とあることから、復興する前から寺の存在はあったとしても、持ち主を失っていたのではないだろうか。

製作はしたものの行き場を失った鰐口が、どういう経緯があったのか不明であるが、これもまた大岩の歴史を物語る逸物である。

門の外に咲いていた赤い椿の花が落下するころに行われる涅槃会は、村在住の僧侶によって法会を営まれる。

大日堂は元真言宗派。

大岩区は宗派替えもあって現在は浄土真宗。

大岩区は東垣内と西垣内の二つ。

同じ浄土真宗であっても寺は異なる。

東垣内は大蔵寺。

西は西照寺。

いずれも浄土真宗本願寺派である。

さて、この日の法会は涅槃会。



涅槃図を架ける位置は、ご本尊さんの顔前。

申しわけないが、しばらくの時間はお釈迦さまの法会とさせていただく。

本尊下に供えられた餅がある。

桶に盛られた餅はよもぎ餅に白餅。かつては丸い団子を供えていた、という。



その名も、お釈迦さんの入滅の日にちなんでかどうかわからないが、「ハナクソダンゴ」と呼んでいた。

奈良県内で行われている村落各地の涅槃会に供える団子は同じように「ハナクソダンゴ」と呼んでいた。

今では餅に移ったことから、そう呼ぶ人も少なくなったような気がする。

定刻時間前、涅槃会を始める合図がある。



門の前にある椿の木の枝に掛けた鉦である。

昨年に訪れた際に拝見した鉦。

外縁含む全幅直径は32cm。

縁部分を除けば28cm。

内径は25cmで高さは9cmの打ち鉦に刻印があった。



「和刕吉野郡大岩村安楽寺 住僧楽誉極念代 寶永三丙戌歳(1706)十月十五日 施主念佛講中」である。

雨乞い道具として叩いていたという鉦は、前述したように、まさに旧安楽寺の称号を遺していた。

寶永三丙戌歳、当時の念仏講中によって寄進された鉦である。

カン、カン、カンと呼び出し鉦の音が聞こえた村の人たちが急坂を登ってくる。

「ひと月前の前月は大日さんのお祭りでしたが、例年のようにお花見会を催す予定があります」と村の通信案内に「本日は、ようお参りくださいました」と、村役がお礼を述べてから始まった涅槃の法会。



導師を務めるのは西照寺の住職。

ローソクや線香に火を灯して、唱えた念仏は阿弥陀経と思われる。



「なーむしゃーかぁむに なぁーむー がーんにしくどくー びょうどういっさい・・・」。

みなさんもご一緒にと声がかかって「なんまんだぶ なんまいだぶーぶ」。



本堂を降りた住職は大日堂外に並ぶ石仏群にもお参り。

念仏を唱えていた。

そして始まったゴクマキ。

本堂前に今か、今かと待っていた村の人たち。



実はいきなりゴクマキではなく、小さなお子さんたちやお年寄りを中心に餅配り。



怪我でもしてはならんと気配りの餅配りに可愛いお手てが伸びる。



優しい対応にすべての御供を遣うわけでもなく、ちゃんとゴクマキもされる。

急ににぎやかになった本堂前。

こっちやでーと声のかかった方に放り投げる。



天空を仰ぐ手、手、手・・・とは別の姿恰好も。

御供餅は拾い物。みなありがたく頂戴して解散されたが、トーヤ(頭屋)は後片付けがある。

大岩のトーヤは2軒で一組。

一カ月に一度は掃除にお花。



ご本尊や脇仏に捧げる「おっぱん(仏飯)」もある。

おっぱんを盛る仏具はおっぱん箱に収納。

9か月に一度の廻りにおっぱん箱が廻ってくる、という。

(H30. 3.11 EOS40D撮影)

大岩・きまぐれや写真展2020 💭リ・ビューin喫茶きまぐれや

2020年02月11日 10時00分35秒 | 民俗を語る
1月31日の午前中に取材インタビューがきやはったという奈良県大淀町大岩にある喫茶「きまぐれや」。

営業時間は午前8時~午後1時まで。

食事はモーニングだけ、という「きまぐれや」さん。

インタビューアは、奈良テレビ放送局の福本愛菜さん(奈良県橿原市出身、元NMB48、現在吉本興業所属)。

令和2年27日金曜の夜9時から放送される「フライデー9」に公開されることになったという喫茶「きまぐれや」。

放送内容はどうなるかわからないが、その喫茶「きまぐれや」で「田中眞人 きまぐれや写真展2020 💭リ・ビュー - もっぺん見たい大和の年中行事 ―」写真展を開催することになった。

開催期間は、「きまぐれや」の営業日に合わせた2月3日(月)から2月28日(金)まで ・・終了しました・・

「きまぐれや」の定休日は、土曜と日曜。ただし、祝祭日は営業日

時間も「きまぐれや」の営業時間に合わせた午前8時~午後1時まで

場所の「きまぐれや」は、奈良県吉野郡大淀町大岩472

ただ、喫茶「きまぐれや」へ行くには自動車が望ましい。

なぜか。

最寄りの近鉄電車吉野線・吉野口駅から歩いておよそ1時間もかかる「きまぐれや」の地。

健康的ハイカーで来られるのも良し。

バス運行路線はないが、駅前からのタクシー利用は可。片道料金は1500円くらい。

映像は、本日の日替わりメニュー「スペシャルモーニング」。

ワンコイン500円のサンドイッチ、春雨サラダ、コーンスープにドリンク付き

5年前、名古屋からここ大岩に移ってこられた店主が提供するモーニングは“名古屋モーニング”。

何度か食べたイチバンのお気に入りはピザトースト。

これが美味いんだな。



ちなみにこの日に選んだドリンクは“ヒマラヤに咲く赤い花”。

香りを飲み干した。

ところで、設営後に急遽決まったふるさと大岩の歴史を語る会(代表小西正久さん)が主催する「民俗行事を語る会」。

「民俗行事を語る会inきまぐれや」

松田度氏(大淀町教育委員会学芸員)と対談の場


会場は、写真展会場の喫茶「きまぐれや」 奈良県吉野郡大淀町大岩472

開催日時、令和2年2月24日(月・祝日) 9時半受付 午前10時から11時半閉会 ・・終了しました・・

参加費:無料ですが、ワンドリンクオーダー要

プログラム
① ミニ講演「おおよど遺産に見る民俗行事」(大淀町教育委員会学芸員・松田度さん)
② 田中眞人の「民俗行事に魅せられて」(聞き手・松田度さん)

※ 読売新聞社さんの取材がありました
取材記事は令和2年2月25日(火)読売新聞大阪本社発行・奈良版に収録されています

(R2. 1.31 SB805SH撮影)
(R2. 2.25 記)

東大阪枚岡・額田妙徳寺の盆明け墓参り

2020年02月10日 08時24分57秒 | もっと遠くへ(大阪編)
大阪ふくちぁんラーメン大東店で食事をし終えたら墓参り。

久しぶりの墓参りは夏の盆。

彼岸のときに参ったことはあるが、夏場は初めてじゃないかな、と思ったが大間違い。

きちんとした盆まいりだった。

ここ東大阪市額田・黄檗宗妙徳寺に祖母のおおばあさんが眠る墓。

そのおおばあさんの母親(※私からいえば大祖母)とともに眠っている。

時代はいつのころか知らないが、ずいぶん前のこと。

大阪が空襲に見舞われておおばあさんの母親。

私がまだ幼少期のころに撮られたおおばあさんとおおばあさんの母親。

その横に実弟の次男も座っていた記念写真

線香をくゆらした墓石を拝んでいて思い出す映像である。

ふと見上げた目の前にある墓石。

台座辺りに刻んだ家紋は三つ菱。

四つ菱の家紋であれば家紋一覧に見られるが、三つ菱は見当たらない。

我が家の「ふくさ」はこの三つ菱紋。

懐かしい顔が映っている写真を見たくなる。

※ 録画していたビデオ映像を見ていたときである。

当家とまったく同じ家紋を画像に見た。

場所は福井県坂井市にある土産物・食事処の谷口屋である。

福井県は油揚げ・がんもどきの消費金額が全国一の評判県。

一説によれば、全国的に知られる大本山永平寺などの寺院が食事にだす精進料理から派生したと考えられている。

そこに来た取材クルーは、テレビ東京の人気番組の「昼めし旅」。

この日の旅人は俳優の金子貴俊。

紹介してもらって行った先が、油揚げ専門店の谷口屋だった。

ぐぐったネットに登場する「谷口屋」の屋号文字。

その真上とか左横などのあたまに必ずや掲示している三つ菱紋。

我が家の家紋とまったく同じ。

我が家は分家であるが、出里は三重県・伊賀上野。

田舎侍が先祖で、私は16代目と聞いている。

谷口屋を営む代表取締役の谷口誠氏とお会いできる機会があれば是非尋ねてみたい三つ菱紋の謎を・・。

商標紋かもしれないが・・。

(H30. 8.16 SB932SH撮影)
( R2. 4. 9 追記)