マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

追い飯も旨いイチビキ本家赤から鍋ステイック残りスープ

2021年06月20日 09時25分03秒 | カンタンオリジナル
イチビキ本家赤から鍋の味は恐るべし。

鍋に残ったスープで食べた生ラーメンが絶品

ずるずる食べきってもまだ残っているスープ。

これをほかしては勿体ないもあるが、残りスープも3度目に味わう追い飯とした。

少し残ったところにご飯を少々入れて炊き込む。

いわゆる追い飯である。

グツグツ煮あがったところに生卵を落とす。

ちゃっちゃと混ぜて馴染ませる。

米粒を潰さず混ぜて出来上がった追い飯雑炊。

汁気は丁度いいくらいに残った赤からスープ。

3度目の味わいは雑炊だけに味付け海苔をパラパラ落として食べる。

当初通りに刻みネギもパラパラ落としていただく。



3度目の赤からはところどころに感じるピリピリ辛味で食を増す。

晩飯の一品で味わった赤から雑炊は、もう一杯。

土鍋はその都度、その都度に表情を替えて3度も活躍してくれた。

(R1. 9.30 SB805SH撮影)

イチビキ本家赤から鍋ステイック残りスープでつくる鍋ラーメン

2021年06月19日 09時19分50秒 | カンタンオリジナル
昨夜に食べたイチビキ本家赤から鍋は実に美味かった

鍋でこれほど感動したのは、たぶん初めてではないかな。

好き嫌いもあるかと思うが、これは抜群に旨い。

イチビキ本家赤から鍋にはストレート液体売りもある。

一番、三番、五番に十五番まで。

3~4人前のスープはお好みによって買い分ける。

その点、ステイック残り売りは1袋単位。

お好きな辛味を調整できる。

ステイックだからお一人さんに丁度いい。

我が家のようにお二人さんにも丁度いいし、4人家族でも対応できるのがステイック売りの魅力

昨夜の鍋ではステイック2本に辛みは二番までだった。

それで十分に美味しさを味わったイチビキ本家赤から鍋。



残ったスープは本日の昼飯に対応する。

前もって買っておいた菊水の生ラーメン。

お好みの湯加減で湯がいた麺を二玉投入して煮込んだ。

味見したら甘い。

丁度いい残り物が冷蔵庫にあった。

数日前に食べた辛み味が少しばかりが残っている。

残っていたのはイチオシの辛口キムチ

甘さも辛さもあって美味しい一品。



ほぼ煮込めた生ラーメンに追加したら旨くなった。

丁度いいかと思えばそうでもない。

辛みが物足りないから、これまた残っていた辛味タレを追い出し。

コクも出て旨味たっぷりの味になった菊水の生ラーメンがずるずる入る。

これ、美味すぎるやん。

鍋でも美味し。ラーメンでも美味し。

二度も味わえる絶品味のイチビキ本家赤から鍋にやみつき。

(R1. 9.29、30 SB805SH撮影)

イチビキ本家赤からの赤から鍋ステイック

2021年06月18日 09時31分35秒 | カンタンオリジナル
スーパートライアルで特売にあったイチビキ本家赤から鍋ステイック

1人前の分量が4本。

辛みたれも4回分ある。

これならお好みの味をお好みの分量で味わえる。

鍋料理も良かろうと思うイチビキ本家赤から鍋ステイック

私なら菊水の生ラーメンが丁度いいと思って買ってきた。

辛みは自由に選べる。

できるなら辛味をあげて食べたい。

そう思っていたら、かーさんが白菜に白ネギ、もやしを買ってきてという。

今夜は鍋料理。

かーさんの希望は辛みの二番で鍋をたべたい、という。

さて、好きな分量で食べられるイチビキ本家赤から鍋ステイックの味は・・。

先にネットでお試し状況を見てみる。

出てきた、出てきた辛味評価。

生ぬるくて甘いというブログもあれば高評価のブログもある。

要はその人の舌加減でしょう。

さて、ぐつぐつ煮あがった赤から鍋が土鍋ごとテーブルに運ばれた。

グツグツ、グルグツと音を立てる赤から鍋が実にうまそうだ。

赤から、といってもそんなに赤くない。

むしろ味噌色である。



早速、箸を手にして煮あがった具材を掴んでは小皿に盛る。

白菜、白ネギ、もやしの他にもいろいろある。

主だったものは油揚げに豚肉。

そこによってって大和郡山店で買っておいたキクラゲも入っている。

箸で摘まんで一口目。

口に入れたとたんにぷぁっーと広がる赤から味。

思っていた以上に美味いやん。

クセのない優しい味に舌が舌を巻く。

いやこれはもう危ない味である。

とにかく箸が止まらない。

食べては小皿に盛って口に寄せる。

煮込みの野菜にたっぷり滲みた赤から味。

旨味の謎は・・・ベースの味噌味にある。

イチビキは安永元年が始まり。

幕府の株をもとに味噌、溜り醤油の醸造が始まりの名古屋・イチビキ㈱

明治44年に設備された画期的な仕込み桶「丈三桶(じょうさんおけ)」。

容量が50tも入る巨大な仕込み桶。

なんと産業考古学会推薦産業遺産に認定された。

食べた赤から味の味噌はなんとなくであるが、八丁味噌を感じた。

八丁味噌をストレートに感じるものではないが、どことなく名古屋を思い起こす味である。

野菜も豚肉も赤からに滲みた味は甘辛味。

八丁的要素も感じる味に惚れ込んだ。

驚いたのはキクラゲである。

キクラゲそのものに味はなく食感を愉しむキクラゲ。

我が家ではさまざまな料理に登場するが味わいは味でなくその食感である。

ところが赤からに馴染んだのか、キクラゲに味を感じる。

えっ、と思ったくらいに味が滲みたキクラゲがむちゃ美味い。

実は、もっと旨いのが油揚げである。

こりゃまたえげつないほどに旨い。

油揚げがこんなに美味くなったのは初めてだ。

正直、申し上げて、ヤバイよ、ヤバイよの味である。

同窓会で美味しいものを食べて帰ってきたかーさんも同じ感想。

残ったスープは飲み干さんといてや、と厳命が下った。

明日の昼は残したスープで買い置きしている菊水の生ラーメンを味わいたい。

今夜から楽しみにしている赤からラーメンである。

イチビキの赤から味が凄いとわかってイチビキが広げるオリジナル料理を拝見。

またイチビキの赤からまぜ麺の素で汁なしうどんを食べたくなった。

ちなみに鍋喰いの箸休めはスーパーハッスル5で買っていたイカのフライ。



油もんだが味替えに丁度いい。

(R1. 9.29 SB805SH撮影)

ヤマダイニュータッチの東京油そば

2021年06月17日 09時53分50秒 | あれこれインスタント
来月から消費税が10%になる。

5年半ぶりになる消費税率の引き上げであるが、今回は特別な現在対策も盛り込まれている。

わかりにくい軽減税率8%が気にくわんから消費税はゼロにしろ、と吠える人をニュースに取り上げる報道もおかしなもんだ、と思うのだが・・。

それとはまったく関係なくこの日に食べるカップ麺はヤマダイニュータッチの東京油そば



5カ月前の4月19日、23日に続けてスーパーサンデイ御崎店で買っていたカップ麺は我が家で5カ月間も寝かしていたら、数日後に賞味期限切れになる。



慌てる必要もなくまずはお湯つくり。

蓋を開けて内袋を取り出す。

液体ソースにかやくとふりかけ。

先入れはかやくのみ。

失念すると勿体ないことになる。

お湯入れしてから4分間待って、お湯捨て。

火傷しないように・・。

ところでお湯捨ての穴はどう工夫しても穴から抜け出るかやくに、いつも勿体ないと思ってしまう。

カップ麺に初めて登場したお湯捨て商品はたしか焼きそばだったと思う。

小さな穴だけでどんどん逃げていくかやくの流れを止めようと思って箸を用意した。

少しでも穴を小さくしたくて箸で穴を塞いで湯抜けの量を少なくする。

大きなかやくは流れなくなったが、細かなかやくはどうしてもすり抜ける。

戦後間もない生まれ。

暮らしぶりは質素。

ごはんひと粒たりとも残して葉ならないと父親から厳命された。

その教えを今も守っている。

醤油、味噌がなくて隣近所にもらったことなんて度々あった時代を過ごしてきたから貧乏性は拭えない。

それはともかく湯捨てをしたら液体ソースかけ。

ふわぁっと香ったにんにくの香り。



食欲の出るにんにくの香りが決め手になりそうだと思った。

ソースの色は透明に近い。

底にとごった色でもわかる薄、薄色の醤油味。

これが決め手のベース味。

麺をかき混ぜて底にとごった液体ソースを麺に絡ませる。

白かった大きなキャベツにメンマが薄化粧する。

ふりかけは刻みネギにガーリック粒だろうか。

より一層の香り立ち。



色のあるナルトも引っ張り出して混ぜ加減を、と思ったが、やめてそのまま口に入れた。

ふりかけがかかった麺味が美味い。

濃い目の味になった東京油そばはまさに醤油味。

コクのある味にニンニク味も相成って旨さに痺れる。

とはいっても痺れ要素の具材はない。

メンマの量はまま多い方だ。

いくら食べても底からあがってくるメンマ。

味が滲みたメンマにもおちもち麺が絡んで美味さ抜群。

シャキシャキ食感のキャベツにメンマも絡まって箸が止まらない。

半分ほど食べて堪能する味に・・・。

何かが足らない。

そう、油そば特有の脂っぽさがないのだ。

ぎとぎとの油がないさらさら、さっぱり味の東京油そば。

油そばでなく、旨い“汁なし麺”なら納得できる。

ところでニンニク感が凄い。

食後のゲップにニンニク味。

半日経ってもゲップにニンニク臭が凄さを物語る

(R1. 4.19、23 SB805SH撮影)
(R1. 9.29 SB805SH撮影)

追い飯風混ぜご飯の素台湾まぜそば味で食べる白石温麺

2021年06月16日 10時33分25秒 | あれこれインスタント
酒屋さんのやまやに売っているさまざまなカップ麺。

その他に乾麺もあるある。

ふと目に留まった短びの乾麺を手にした。

軍配印の白石温麺(うーめん)はどこかで聞いたような気もするが・・。

製造販売は宮城県の白石にあるはたけなか製麺㈱である。

由来に「その昔、孝行息子が油を使わない麺の製法を教わり、胃病の父親に消化がいいだろうと食べさせたら全快した。旅の僧侶から教わって作った温麺。その話が伝わって、息子の温情を讃え、白石の温麺」と名付けられた。



温麺の特徴はなんといっても短い麺。

長さはおよそ9cm。

しかも油を使わずに作られるからヘルシーとくる。

温麺を暖かいうどん出汁で食べてもいいが、私は待ってましたとばかりに買い置きしていたニチフリ食品の追い飯風混ぜご飯の素台湾まぜそば味で味わう。

かーさんに湯がいて作ってもらった白石温麺。

冷水に通して冷たい風温麺に盛ってもらった。

うどん風では面白くないから皿に盛った。

短麺を盛るのはおかしな感じだが食べやすさから選んだ混ぜご飯の素。

それも大好きな台湾まぜそば味。

百均のダイソーで売っていた追い飯風混ぜご飯の素台湾まぜそば味は消費税込みで108円。

熱々のご飯が最適らしいが、お腹が膨れるから麺がいい。

菊水の生ラーメンでもいいし、名古屋のきしめんでもいい。

そう思って買い置きしていた追い飯風混ぜご飯の素台湾まぜそば味の出番。

封を開けてパラパラ落とす。

製品量は20g。

半分残して別の機会に。

味の楽しみはまだまだある、というのもあるが、塩分含有量である。

半分利用であるなら塩分含有量は2.05g。



心臓病に優しいから嬉しいご飯の素、いや私にとっては麺の素。

パラパラ落として混ぜこぜ。

麺に行き渡るように混ぜ込んで食べたら、むちゃ美味い。

予想以上の味わいに感動する。

にんにくの香りはあまりしないが、ふりかけ台湾まぜそばは濃いめの醤油ベース味。



コクもある台湾まぜそばに箸が止まらない。

生ラーメンの場合なら汁麺になる。

汁の場合なら味が薄くなる。

直にふりかける冷たい麺ならダイレクトに味わえる。

汁気のないあつあつご飯も最適だと思う。

実は、温麺を少し残しておいた。

味変したくて残しておいた。

擦って作った生生姜を麺に馴染ませる。

天かすに刻みネギを落として麺つゆをかける。



味付け刻み海苔もパラパラ落として食べたらあっさり系。

白石温麺が短いから食べやすいが、もっとコシのある方が良かろう。

(R1. 9.27 SB805SH撮影)

県立民俗博物館秋季特別展・絵と道具でたどる昔の奈良のくらし-永井清繁氏のスケッチ帖から-

2021年06月15日 08時54分48秒 | 民俗を観る
心待ちにしていた特別展示会がはじまる。

展示会場は、奈良県立民俗博物館。

秋季特別展は、「絵と道具でたどる昔の奈良のくらし。明治末期から昭和初期の暮らしを数多く描いた、天理市福住町が出身の永井清繁さん(1905~1999)の作品を一挙公開する-永井清繁氏のスケッチ帖から-。

永井清繁さんが、生前に描き残した天理・福住の暮らしの民俗のスケッチ絵。

これまでも天理市文化センターや福住公民館県立図書情報館で展示されてきたが、全作品が一堂に会するのは今回が初めてである。

今回は、さらに県立民俗博物館が、所蔵する多種多用途の民俗資料の中から、作品に登場する天理・福住の生活、生産用具をピックアップした作品と、所蔵民俗用具をコラボした展示。

所蔵民俗用具は、人とともに暮らしてきた実物資料の生活用具であるが、実際は、どのように使われてきたのか、そのあり方が、写実的に、また温もりをあるタッチの絵によって、福住に住んでいた人たちが、当時の暮らしや息づかいを、間近に生き生きと感じることができる展示である。

実は、私も県立民俗博物館の所蔵民俗用具の展示に協力をしたことがある。

私の場合は、絵でなく、現在を記録した写真映像である。

展示物品に、丁度見合う写真提供をお願いされて協力すること度々である。

尤も、私が撮る映像は、祭りや行事。

場合によったら習俗・風習にかかわる映像も・・。

また、農村に暮らす人々の映像もまた協力することはあるが、永井清繁氏が描き残したスケッチ帖には、到底及ばない現在進行形の民俗。

永井清繁氏が、描かれた年代とは比べようもない貴重なかつての暮らしの史料。

しかも、である。

生前に描いたスケッチ帖のすべてが、永井清繁氏が暮らしたころの記憶を辿って描かれた精巧、精緻な絵筆によるもの。

タッチに温かみがあるのは、永井清繁氏が、当時に暮らした生の映像であるからだろう。

秋季特別展の「絵と道具でたどる昔の奈良のくらし-永井清繁氏のスケッチ帖から-」展示期間は、令和元年の9月21日(土)から12月1日(日)までの3カ月間。・・・・・現在は終了しています

開催初日の21日は、開会式がある。

県立民俗博物館・企画展担当者にお願いして参列させてもらった開会式

文部科学省平成29年度私立大学ブランディング事業に採択された「『帝塚山プラットフォーム』の構築による学際的『奈良学』研究の推進」の一環として、帝塚山大学と県立民俗博物館の共同実施。

スケッチ帖特別公開、体験イベントなどは、帝塚山大学が県立民俗博物館とコラボした特別展示イベントである。

館内入口にはいったすぐそこはエントランスホール。



併設する大和民俗公園内に設置した復元古民家10棟の解説パネルを立てていた。



開会式は、最奥になる特別企画展会場である。



帝塚山大学・文学部日本文化学科の高田照世教授が推進された天理市福住地区の民俗調査の研究成果に基づき、県立民俗博物館が所蔵されている昔の生活用具や民具に、福住町に生まれ育った永井清繁さんが、繊細なタッチで描いた往時の暮らし・行事などをパネル展示する企画展を楽しみに待っていた。

それというのも、前述したように発端は、福住公民館で行われた「福住の民俗画帖展示会」で拝見した画帖の一部に感動どころか、感銘を受けた作品群がきっかけ。

奈良県図書情報館で開催された「奈良学とのであい・山里に行き交う職人たち~永井清繁画帳から」も観覧し、これは、もう出版をお願いするしかない、とアンケートに、その気持ちを訴えた。

決してアンケートが矢を放ったわけではなく、高田照世教授の思い、そして永井清繁氏のご家族の気持ちがあってのこと。

展示パネルのもととなった永井清繁氏の描いた生活図を収録した『奈良山里の生活図誌 永井清繁画・解説(高田照世 編集)』は、帝塚山大学出版会から発刊されたのだ。

その情報を知って、直ちに購入に走ったのは、言うまでもない。

購入先は書店でなく、アマゾン・ドット・コム

わくわくする読後感は、勢いがついて、レビュー文に仕立てて、アップした。

「これほど待ち望んでいた本はかつてない。期待とかいうレベルではない。なぜなら原画ではないが、それに近い絵を拝見していた展示会で願望していた『奈良山里の生活図誌』。暮らしていたその土地の民俗、習俗を画帳に記録した永井清繁氏。解説もあるからそれがなんであるのか、とても分かりやすい。
昭和どころか大正、いや場合によったら明治時代まで遡る可能性も秘めている「奈良山里の民俗」は大切な記録でもある。不要な部分も映っている写真よりも記憶に残りやすいシンプルな民俗画が素晴らしい。
記録照合にも活用できる優れものは、著者が昔に記憶した情報を思い出されて描いたという民俗誌。その記憶力もまたすごい」。

今、読み直しても、我ながら・・のレビュー文に、またまた頁をくりたくなる。

本体価格は、高価であるが、それ以上の値打ち、いや価値のある『奈良山里の生活図誌』である。

著者永井清繁氏のご家族、親族、孫さんも列席された開会式典。

企画展を主催する同博物館の東秀行館長に帝塚山大学学長の蓮花一己氏、2人の挨拶からはじまった。

「奈良は古都文化。1200年の歴史に人々の暮らしがある。身近にある葬送、建物、町並みは昔の暮らしを知る手がかり」、「一堂に会して展示するスケッチ画と収蔵の品々。暮らしを描いた絵から学ぶ収蔵民具から学ぶ特別展示・・・・」。

続いて、帝塚山大学出版会より刊行された『奈良山里の生活図誌』の贈呈式が行われた。

永井清繁氏の描いた生活図を収録した同書籍を、特別展示の見学に授業で訪れる小学校などの団体見学に、郷土教育、歴史教育の学習教材として活用されることを目的に寄贈。

なお、この時点で、社会見学を予約されているおよそ40校の県内小学校だけでなく、これから見学を決められる小学校にも対象を広げて寄贈されたそうだ。

地域文化の教育に、教えるのは、『奈良山里の生活図誌』に描かれた世界など、知る由もない現代教育で育った教師たち。

先に、学ばなければならないのは、教師では、と思うのだが・・。

ましてや、子どもたちの親も、見たことのない昭和のはじめから、それ以前の大正時代の暮らし。

想像できない親たちも、先に学ばないと・・・。

できることなら、『奈良山里の生活図誌』の頁を開いて、おじいちゃん、おばあちゃんたちが暮らしてきた実体験をもって、聞くことも大切ではないだろうか。

福住の暮らしは、大都会では味わえない、山間地の旧村文化。

伝承されてきた福住の祭り、行事、習俗、暮らしのすべてが詰まっている『奈良山里の生活図誌』。

福住も、それ以外の村々を取材し、記録、公開してきた数々の祭り、行事、習俗、暮らしなど、多方面に亘って話を伺った取材先の人たちから教わることすごくある。

地域が替わるだけで、民俗文化は違った文化があるし、また同等な民俗事例も採録してきたが、まだまだ・・・。

私も、学びたい事項は、盛りだくさんの同書。

例えば、福住にかつてあった祭りの様相に見る男性の装束。

和装の羽織袴姿に被った山高帽・・。

現在の氷室神社の神幸祭・渡御行列にその姿は見られないが、福住より東方にある旧都祁村白石・国津神社のお渡りに、見ることができる。

永井清繁氏の画帖を見るまでは、白石国津神社お渡り装束の山高帽は唯一だ、と思っていたが、そうではなかったことに気づいた。

地域を広げて俯瞰したとき。

過去の史料によって、情報が復元される。

そういう点からも永井清繁氏の画帖は、とても貴重な史料である。

残された私の人生期間では到底吸収できないほどの貴重な史料がわんさか。

どうか、棚に眠らせることなく、生きた史料として活用願うばかりである。



式典を終えたら、特別展示の解説がはじまった。

同博物館にインターンシップで派遣されている、人文科学研究科日本伝統文化専攻博士後期課程の清水智子さんが解説者。

式典に列席された方たちや見学者を前に、ご自身が担当した特別展示を解説される。

画帖に描かれた「とんび」や「ステッキ」などの展示品を丁寧に説明されていた。

解説のすべてを記録するには、荷が重い。

解説に私が興味をもった事項は、以下に列挙する。



・なぜに「とんび」の名称であるのか・・・。

回答は、「インターンシップの帝塚山大学生が調べました」パネルに書いてあった。

「“二重廻し(ふたえまわし)”や”インパネス“とも呼ぶ。元々スコットランド北部の都市” インパネス“が発祥とも・・。日本には幕末から明治始めにかけて注入された衣服(※)。特徴は、袖のないケープの背中の部分と一体化した防寒用外套(※がいとう/オーバーコート)。袖口が動きやすいから、和装コートとして流行った。(※言い回しなど若干補正)」。

・じんべいは、じんべ・・・。

“じんべい”の元語は、甚兵衛羽織。

略して甚兵衛から甚平(じんべい)へと変化したが、私ら高齢者は、さらに略して呼んでいた“じんべさん”。

子どものころ、大おばあさんから、「じんべさんでも着ときや」と、よくいわれたものだ。

ちなみに甚平のような模様があることから名づけられたのが、ジンバイザメである。

・イノシシの皮はで作った靴は、雪道でも滑らない・・・。

・嫁入りは、夜だった・・・。

玄関先に弓張提灯。

玄関先で、足を洗ったと伝わるが、実際のは、空っぽの盥(※たらい)に足を入れて、洗う真似ごとをした・・・。

・「さんゆ(※産湯)」と書いて「うぶゆ(※産湯)」・・・。

ちなみに産土神は、「うぶすなかみ」と呼ぶ。

いっしょうもち(※一升餅)の習俗

風呂敷に包んだ重たい一升餅をよちよち歩きの赤ん坊に背負わせ赤ん坊に選ばせる。

その子の人生を決める仕事選び・・・。

ちなみに、昨今は、その儀式の場が日本料理屋とか食事処に移している。

・正月は、父親が中心になって行われるイタダキなどは、福住で今でもしている正月のお家行事。

恵方に向けてイタダキをする。

その際の詞章が「せんまい せんまい」。

イタダキの膳を、頭の上あたりにもちあげる・・・。

・ひな祭りの日に、各家を巡る獅子舞が来た・・・。

そのとき頭を獅子舞の口に噛まれた。

また、獅子舞の祈祷札もあった・・・。

・しょうぶ湯(※菖蒲湯)は、今でもしている広く伝わる民間信仰・・・。

・2本の竹を立て、むしろ(※筵)をかけて日除けの道具にした・・・。



解説が終ってから、現在活躍中の民俗調査関係の人たち(滋賀県教育委員会文化財保護課主査矢田直樹、帝塚山大学大学院人文科学研究科日本伝統文化専攻博士後期課程/
インターンシップ清水智子、生駒ふるさとミュージアム学芸員岡島颯斗、滋賀県愛荘町立歴史文化博物館学芸員西連寺匠)。

たくさんの調査・発表もされている若手の研究者たちと名刺交換させてもらった。

(R1. 9.21 SB805SH撮影)

フリーズドライ製品の仏膳用総菜セットのご先祖さま

2021年06月14日 09時25分32秒 | 民俗あれこれ(売り場の民俗歳時記編)
週に一回は買い物にでかける産直市場よってって大和郡山店。

主な買い物は野菜に果物。

季節に応じた食彩も楽しめる産直市場。

魚屋さんで買うのは卵若しくは白子。

時季がくればエイも買う。

旨そうな総菜も並ぶ産直市場のよってって、で一番と思っている350円の広島風焼きそば。

抜群に旨し、である。

漬物コーナーでは泉州水ナス漬けも買う。

おふくろの家に行くときには土産物にする泉州水ナス。

昔のことを思ったら安くなったし、時季問わずになったのも嬉しい。

ふと目についた棚にあった季節もの商品。

お盆、お彼岸さんに売れているのだろうと思った仏膳用総菜セットのご先祖さまは箱入り。

箱入りでどうやって膳料理ができるのか。

パッケージを見たら味だし付きのフリーズドライ製品

ほほう、と頷く商品だ。

POPに大きく「ご先祖さまは500円 お供えの精進料理が手間いらずでできる」簡単調理

湯戻しでも電子レンジでもできるらしいが・・・。

時代も変わったものだと思ったが、若い人にとっては簡単に作れるのが嬉しい。

かれこれ取材してきた中に仏壇や営みに供えられる五品のお膳。

作って供える人はご高齢のおばあさんが圧倒的に多い

手間のかかることを昔からしてきたおばあさんの仕事と思っている家人も多いやに聞く。

私らがおらんようになったら、若いもんは仏さんにお膳を供えない時代が遅かれ早かれやってきそうな感じで話していたことを思い出す。

季節もんが売れ残って安く販売していたフリーズドライ製品。

内容は、コーヤドーフに椎茸、レンコン、人参、インゲン豆、エンドウ豆、山菜、和布、昆布、花麩に漬物まである。

5品に白ご飯を盛ったらできあがる時短お膳。

保存、保管がラクラクで賞味期限もままあるだろう。

手料理で作るコストと比較するのもなんだが、これからの時代のお薦めにしたい。

(R1. 9.25 SB805SH撮影)

フレンチシェフのラーメンくろすの鶏帆立醤油ラーメン

2021年06月12日 09時22分09秒 | 食事が主な周辺をお散歩
つい先日に訪れたフレンチシェフのラーメンくろす。

奈良テレビが放映していたラーメン特集にあったすごい店。

どれほど凄いのかまったく知らないフレンチ料理店。

大和高田市南本町にある創業400年の伝統と千坪を誇る老舗料亭旅館「辻甚」が、邸宅フレンチレストランとして新しく誕生したヴェルデ辻甚

品位と格調に満ちた空間として華やかに蘇った高級フランス料理のウエディングレストラン、といわれても無頓着の私はまったく知らない世界。

そのヴェルデ辻甚がプロデュースしたラーメン店だけにフレンチシェフが作るラーメン、とくる。

店名は「くろす」。

なぜに「くろす」なのか、どこにも書いていない。

前置きはそれくらいにして、本日は診察あがりに車を走らせた。

もちろんの目的地は毎週水曜日が定休日の「くろす」。

出かけてみたその日。

到着してからわかった定休日の日にがっくりこんだ。

再挑戦したくもなる「くろす」は、通院地から京奈和道路利用で30分ちょっと。

店舗も駐車場もわかっている。



タイムズパーキングしか空いていないと、思ったら向かいの無料駐車場がちょうど空いた。

ラッキーな駐車場はヴェルデ辻甚と「くろす」の利用者が利用できる。



ドアを開けて足を踏み込んだ真ん前に食券発券機がある。



紙幣若しくは硬貨を投入して希望するメニューを押す。

これしかないと決めていた670円の鶏帆立醤油ラーメン。

続いて押した290円の焼き餃子の2品。

お釣りハンドルを廻したら4枚の10円玉が落ちてきた。

カウンター席を案内する店員さん。

座る席は誘導されるまま。

すでに入店して食事をしている隣の席を案内する。

えっ、である。

他店舗ならこんなことはあり得ない。



カウンター席が詰まっているなら、それでいいのだが、空き席がいっぱいあるにも関わらず、食事中客の隣席。

右端から順番に詰めていくような方式。

まさかそんなことはないかと思ったが、指定された席の左側は6席とも空っぽ。

へぇー、おかしなことをするもんだ。

先日に入店した丸源ラーメン橿原店の場合は、飛び飛び。

一人分~2人分も開けた席を指示してくれた。

くるくる回転寿司でもまったく同じ。

カウンター席に一人座る場合は、必ずといっていいくらいに、1人、2人の空席を開けてくれる。

それをしない「くろす」の接客感覚がわからない。

案内されてすぐにトイレ利用。

その間ずっと頭の中に??がいっぱい出現した。

用足しを終えてカウンター席をみたら私の席の左側に一人の女性が座っていた。

そう、私の次に案内されたお客さんだ。

その左席はずらっぁと空席が並ぶ。

気持ちが落ち着かないので他の席に替えて、と口に出せなかった軟弱者は仕方なく両肩に挟まれた席に座った諦めの境地である。

注文してから待つこと10分。

はじめに配膳されたのはラーメンでなく餃子だった。



小皿に酢と数的落とすラー油をポタポタ。

タレに漬けて一口目の餃子。

おっと、意外と美味いフレンチシェフが作った(※と思われる)餃子。

味的にはどことなく中華。

一般的に食べる餃子の味であるが、にんにく味がよく効いている。

野菜も豚肉もこれがフレンチ?と思える餃子。

旨い事は美味いが特別な味でもない。

6個で290円。

うーん、ふくちぁんラーメンの餃子を食べたい、と思った。

2個食べたとこに右隣の2人連れさんにラーメン。

すぐに私が頼んだラーメン。

ほとんど間髪明けずに左隣の女性にもラーメン。

一挙に4杯も運ばれたのにもびっくりする。

さっぱりした味が美味しいねという2人連れに対して独り女性は黙々と食べていた。

そりゃ独白はここでなく、家庭内だろうに・・。

私が注文した鶏帆立醤油ラーメンである。

期待していた鶏に帆立にがっくり。

殻付き帆立は三つ。

香りもなにもない。



熱々の帆立ラーメンの湯気は帆立で充満しているだろう、と思っていたが、まったくだ。

胡椒を振ってネギと刻んだ紫タマネギをスープに混ぜる。

このときも香りがない。

不思議な感覚だ。

箸で掴んだ一口目。

ずるずるちゅるっと口に吸い込まれる。

味はシンプル。

嫌味のないさっぱり醤油味。

どちらかといえば東京中華そばに近い醤油味。

「鶏」味はどこにあるんだ、と探してみたが見つからない。

2回目のつるつるでてハタと気がついたスープ。

粉っぽい食感がどかーんと口に広がった。

まるで魚粉感覚のスープ。

えっ、これって鶏に帆立だよね。

これもまたフレンチシュフが作ったラーメンなら御免被る。

味わい深さのない、ただの醤油ラーメンとしか思えない。

三つ入っていた帆立もふくよかさのない帆立。

海鮮らしくない味は女性向きなのかなぁ、と疑問符だらけ。

次回にもし、である。

再来店するなら煮込み塩ラーメンで味を試してみようか。

食べ終わってから気づいた「ぎょうざ(一人前)無料券」の扱いである。



すでに券売機で960円は支払い済。

食べ終わってからサービス券を手渡しても、先に渡さないと恩恵は受けられないだろうな。

そう思ってテーブル拭きしている店員さんに尋ねたら、「提示していただいたので290円は返金させていただきます」と。



ここんところは称賛すべき接客対応。

有料のコインパーキングに停めた場合もチケットを渡せば無料にします、という「くろす」。

気持ちよく、ごちそうさまでした、と告げて退店した。

※1さすがのフレンチ食としてテレビでも紹介された1600円の前菜付きパイ包みオニオンスープつけ麺は、この日売り切れ表示。



メニュー表に「販売終了しました」のシールを貼っていたので、たぶんにやめたのだろう・・。

※2昨今の県内。

国道を走る度に見慣れないラーメン店舗が増えつつある。

チェーン店もあるが、独自性をもったラーメン店も多い。

有名店から無名店まで。

気分がいいときには味わってみたいものだ。

(R1. 9.24 SB805SH撮影)

尾曽・威徳院の空海まつり

2021年06月11日 08時56分09秒 | 明日香村へ
4日前の17日。隣村の明日香村冬野でお会いした尾曽威徳院のご住職。

冬野の観音お会式を終えたI住職が話してくれた空海まつり。

威徳院は、談山神社から下ってきたところにある。

尤も、下った道は車が走りやすい舗装された新道。

明日香村の上(かむら)の上垣内集落から、右回りの急なカーブ道の左に抜く道を再び登る。

奥深くもないが、初めて入村したときは、終着がどこになるのか、ふと不安を感じたくらいだ。

登りの最終地に見える寺院が威徳院。

桜井の長谷寺が本山の真言宗豊山派の威徳院を訪れた。

旅人の多くは、大和の隠れ寺と称している威徳院である。

天気が良ければ、大阪阿倍野にあるハルカスが見えるらしい。

また夜間の眺望が美しい標高差。

街の明かりがキラキラするそうだ。

4日前に聞いていた空海まつりの始まる時間は、午後7時。

実は、一度威徳院に訪れたことがある。

表敬訪問に伺った平成29年4月15日

威徳院の年中行事がある。

4月中旬辺りに行われる行事は、ご本尊の毘沙門天をご開帳される大般若転読大護摩法要。

昭和62年3月、飛鳥民俗調査会によって編集・発刊された史料の『飛鳥の民俗 調査研究報告第一輯(集)』によれば、レンゾと呼ぶ、威徳院の毘沙門会式であった。

訪ねた日は、どなたもおられないご不在であった。

そのワケは、威徳院前に住むN夫妻が、教えてくださった。

この年の4月15日は日曜日。

西国三十三所霊場草創千三百年祭にあたる平成30年。

それを記念して長谷寺で法要を営まれた。

その法要の応援に出かけた。

そのこともあって、本日の空海まつり取材を承諾してくださった。

丁度の時間帯に見ていた青い空に白い雲。



僅かな時間差に、湧き上がる夏の雲が焼けそうな気もするが・・。

玄関から声をかけたら、「ようこそお越し、まぁ上がってください」、と伝えられて室内に・・。

「私たちは丁度食べたばかり、1杯用意しましたので、是非お食べください」、と・・・。

おちつく間もなく、口にいれたバラ寿司。



緑色はグリーンピース。

黄色は、錦糸たまご。

にんじんに椎茸。

予め用意されていたので海苔はしんなり。

赤いのは何だろう。

なんとなくわかるが・・赤しそ漬けのちょろぎでしょ。

口にしたバラ寿司の美味しいこと。

お聞きすれば、昼間の接待におだししたバラ寿司だ、と。

もう一品は、梅干し丸1個入りのソーメン。

夏盛りに冷たいソーメンが優しく身体を冷やしてくれる。

尾曽在住の着物着付け師匠に村内外の檀信徒たち。

橿原からはお手伝いさん。

急ぎ本堂にあがる。

お接待のバラ寿司にソーメンをご馳走になっている私のことはさておき、ご住職、副住職は本堂で読経。

壁の向こうから聞こえてくる。

急いで箸を動かすが、口に喉は思うように、早くは動かない。



完食し、大急ぎで外に出たら灯りが見えた。

煌々と灯した流し灯籠。

お勤めを終えて堂下に下りていた檀信徒らが一人2基の灯籠を抱えて住職、副住職の後につく。



先頭は奉書を巻いた青竹をもつお師匠さん。

導きの松明を先頭に空海まつりの場に移動する。

足元は真っ暗。

足元を照らす懐中電灯の用意をしてなかったものだから、移動はそろそろ。



足を踏み外してしまえば、四国の形を模した堀に、ボっちゃん。

より注意しながら移動する。



そして、ここ尾曽に導かれた四国八十八か所の写し霊場に就く。

ここでは、松明を先頭に2周回する。

昼間の写し霊場は観ていなからなんともいえないが、カップに収めたローソクの灯りが、照明のない霊場に輝きを。

点々と灯るその形。



実は、四国の國を模したそうだ。

真上から見れたらいいのだが、やや斜めから撮らせてもらった漆黒の夕闇に染まる写し霊場をぼんやり眺めていた。

堀の水は、山から引いたのではなく、電動ポンプで引き上げた。



この年からは、弘法大師像を奉る場にも水を張って灯籠を浮かべた。

数は14基。

一人、2基として7人の人たちが参加された空海まつり。



四国八十八所霊場・埋設お砂板踏みを建立。

その年から始めた空海まつり。



当初は、人で溢れるほどのにぎやかさだったと話す。

4月半ばの日曜日は、「秘仏ご本尊ご開帳大般若転読大護摩法要」の年中行事もある威徳院



また機会を設けて参拝することになるだろう。

(H30. 8.21 EOS7D撮影)