マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

まこと屋大東南新田店の期間限定チーズ入りトマト酸辣湯麺

2024年11月10日 07時37分31秒 | 食事が主な周辺をお散歩
生前整理の帰りに立ち寄ったまこと屋大東南新田店。

幟にあるある酸っぱいメニュー。

春の期間限定チーズ入りトマト酸辣湯麺がある。

月末いっぱいは味わえる特別なラーメン。

トマトだけでいいのにチーズ盛っちゃった。

おうちカレーにぶっこみカレーうどん。

昨今は、ちょい足しにとろけるチーズを盛る食べ方が多くなった。

カレーにチーズインは、どんなカレーでも合いそうな、良きパートナー。

そう思って注文した春の期間限定チーズ入りトマト酸辣湯麺は、税込み930円。



手ごろ価格帯の真っ赤な酸辣湯麺。

さてさて、お味はどんなんかなぁ。

「どんなんかなぁ」と、いえば、その台詞で一世風靡した笑福亭仁鶴さん(84歳、令和3年8月17日逝去)

今回は、仁鶴さんの話題でなく、真っ赤な海海に溺れそうになったチーズ入りトマト酸辣湯麺の味だ。

強烈な辛さ。



見た目もインパクトが強いチーズ入りトマト酸辣湯麺、程よい酸味に甘いトマトが絡まった旨味。

重たい酸辣湯から持ち上げて食べる酸辣湯麺は、凄味。

辛いといっても、ヒーヒー、ハーハーとはならない。

旨味がいっぱい溶け込んでいるこってりスープが凄い。

スープが重たけりゃ、持ち上げる麺もさらに重たくなる。



ずるずる、といきたいが、重さで麺がちょとっと・・・。

その量で、十分に満足できるちょい酸味。

決してすっぱくない。

盛り込んだチーズが和める影響か・・。

中央に盛った白髪ねぎは、お飾りのようなものではない、一口目は、スープ絡めから。

二杯目に白髪ねぎを包み込むように、口の中に放り込むと、旨いんじゃ。

かすかに歯が感じるシャキシャキ感。

白髪ねぎの効用は、チーズ入りトマト酸辣湯麺にも似合うことがわかった。

具材は真っ赤なトマトに、チンゲン菜。

ガリシャキ感が嬉しい昆布じゃなかった細切りきくらげ。

赤い点々はなんだろうか。

さっぱりわからぬが、とにかく美味い、としか言いようがない。

1/3くらい食べたところで、まこと屋にあるいつものにんにく潰し。

ついでに足したまこと屋特製のラー油もちょいのせ。

刺激的な味わいに、こりゃまいった。

ますます拍車のかかるチーズ入りトマト酸辣湯麺

次回に味わえるんのは、一年後。



食べ惜しむことなく、次のトッピングは、粉々に砕いた?にんにくチップ。

これが、またえーねん。



味替えに相応しいにんにくチップ。



胡椒は、とうとう入れずじまい。



胡椒のような痺れ感は、無用だと思ったチーズ入りトマト酸辣湯麺

いよいよ、ラストーシーン入りに・・・

底にとごった細かい具に、残り麺。スープとともにがっつり。



これもまた完食した。

その直後に、かーさんが云った。

私が食べた1090円チャーシュー鶏じゃん。



スープあるけど、呑んでみる?に、まぁ一杯。



ラーメン鉢を移動して一口呑んだスープ。

変な味?鶏じゃんスープが、鶏じゃんスープではなくなっていた。

正直に言えば不味い。

酸味が強い酸辣湯麺では、鶏じゃんスープの味を消してしまう。

チャーシュー鶏じゃんを食べきったあとの酸辣湯麺スープは、間違いなく旨いだろう。

が、逆なら、逆効果。



それほどインパクトあったチーズ入りトマト酸辣湯麺、ということさ。

支払いは、現金払いのまこと屋。

頼むから、クレジットカード化をお願いするわ。

(R4. 3.30 SB805SH 撮影)

その年いちばん中庭に咲く鉢植え春蘭

2024年11月09日 07時48分50秒 | 我が家の花
我が家の中庭に咲く花。

その年の初めに咲く花は山野草の春蘭。

今年も、また咲いてくれた。

平成29年の4月3日に立ち寄った京都府南山城村の農林産物直売所に見つけた鉢植え春蘭。

コロナ禍の状況に、ここんところ足が遠のいている農林産物直売所。

鉢植え春蘭は、我が家の土に馴染んでくれるのか、ちと気になり、今も鉢植え状態。

今年も4輪の花を咲かせてくれた春蘭。

平成30年は、3月24日

平成31年は、早くも2月26日に咲いていた春蘭。

令和元年を経て、令和2年の3月も咲いてくれた春蘭。

毎年、拝見できていた春蘭の花が、愛おしい。

その春蘭が、見事にさいた今年の令和4年3月25日。

また、また咲いても、今後が気になる鉢植え春蘭。

お手入れはしなくていいんだろうか。

育て方に、鉢のスタイルが重要らしい。

解説によれば、深鉢が望ましい。

春蘭の根は、太くて、長い。

そういうワケで植木鉢は深鉢。

また、通気性を好む春蘭には、鉢穴が大きいほどいいようだ。

かつて、寒蘭を買ってきて愉しんだ時代もあったが、継続できなかった難もの寒蘭。

鉢だけが残っているから、それに植え替えはできないことはない。

が、植え替えによってダメージを受ける場合もある。

思案は継続、もう少し様子をみておこう。

(R4. 3.25 SB805SH 撮影)

売り場にあればすぐさま買ってまう葉たまねぎの季節が終わる

2024年11月08日 07時44分41秒 | カンタンオリジナル
買い物に出かけたスーパーハッスル5。

ついで寄ってきた地産地消売りの産直市場のよってって大和郡山。

売り場にあれば、すぐさま買ってしまう葉たまねぎ

この月末には、収穫を終え、売り場から消える。

葉たまねぎの季節が終わるワケだが、稀に耕作事情によって種まきが送れるような天候不順が考えられる。

葉たまねぎの柔らかさ。

風味に味がしゅんだ調理にも相性がいいし、炒めものにも


お家で食べる熊本ラーメン黒亭トンコツラーメンに入れたり、インスタントな麺に添えて食べた山本製粉の昔なつかし醤油ラーメンに入れて食べるのも、佳し。



26日のお昼にはスーパーオークワで買ってきた焼きそばにからしマヨネーズかけ。

翌日の27日は、葉たまねぎの玉ねぎ部分も、葉っぱの部分も入れた我が家定番のとじ玉子仕立て。



そう、葉たまねぎは捨てる部分がない。

甘い、甘い、とろける食感の葉たまねぎは、どんな料理であっても美味しくしてくれる。

葉たまねぎのアレンジ料理は、多岐多様

さまざまな調理にお試しあれだが、私のいちばんは葉たまねぎ入りすき焼き。

めっちゃ旨んだよなぁ。

過去にもあれこれ食べてきたが、すき焼きがいちばんのお好み。

(R4. 3.20、26、27 SB805SH 撮影)

2階洋間3畳部屋のドアノブをレバー式タイプに交換

2024年11月07日 07時47分05秒 | ぽつりと
新築した我が家。

それから、もう何十年になるんやろな。

ガタは、床からくる。

特に、かーさんが気にしていた小さなリ・フォーム箇所は、洗面所

床が凸凹するわ、きしみ音まで発生する不協和音。

二日間もかかったリ・ニュ-アル工事

この年、1月30日から31日の工事に、気持ちはスッキリ。

それから2カ月後。

やたらと気になる、というか毎日に回すドアノブ外れ。

取付具が回転する。

グルグル状態の不具合に、ガタガタするから、えー加減、交換せなあかんな、と思っていた。

どうせ、取り換えるんなら回すより、レバー式ハンドル操作の方が、いいだろう。

指が、手のひらに液体などが付着し、ドアノブを回すには、ちと考えなきゃなぁ。

ずいぶん前のことだ。

使いやすさを求めて、わざわざ買いに出かけた水道蛇口。

捻ると、ジャーってあるんだ、といえば水道蛇口。

炊事場に入浴風呂場の蛇口がある。

レバー開閉止は上下方式か、左右振り方式がある。

現在、市販されている最上級クラスは、タッチ、または触れなくとも感知して作動するタイプ。

回す蛇口よりも、もっと簡便な操作で、開く、閉じる蛇口はあるのか、ないのか・・

当時、調べてみたら、今でいうDIYのお店にあった。

なるほど、と思ったレバー操作で蛇口が開閉できるレバー式が心地いい。

構造がわかったから、新築数年後にすべての蛇口をレバー式に切り替えた。

元栓さえ、ちゃんとやっとけば、素人の私でも交換できる。

ただ、管に巻くシールドテープ巻きを忘れんようにしておくことだけさ。

そう、あのときと同じレバー操作でドアが開けたり、閉じたり・・

ただ、柱に当たらない方向に設置すればいいだけさ。

と、いうワケで買いに出かけた近くのDCMダイキ。

我が家に見合うレバー式ハンドル装置は・・・

日中製作所(※ひなかせいさくしょ)製のレバー空錠NP302

税込み価格が3058円。

装置から考えれば、わかる通り、元々ドアに開けた孔の径のサイズによって、取り付けられない仕様もあるので、そこは重要なポイント。

レバー式ハンドルに付属している取り扱い説明書を読み、我が家のセッテイングはどうすべきか、わかるだろう。

説明書に、それこそ穴が開くくらい見ていた。

もちろん、そのレバーを手にして、どこに、どうセッテイングのか繰り返し、実行しておくと、本ちゃんはすんなり入った。

おォ―、なるほどなぁ、と云えるまで、つまりは交換がすんなりできるテスティングが大事ということだ。



今回、2階の洋間のドアが対象だったが、次に交換したいドアは着替えしている洗面所。

ネジが緩む回数が、特に多い洗面所のドアノブが、次の交換対象だね。

(R4. 3.24 SB805SH 撮影)

生前整理に見つかった暮らしの民俗②家族の記録写真に母親や祖母が使っていた当時の暮らし用具

2024年11月06日 07時23分58秒 | 民俗あれこれ
撤去に回収のリサイクル業者さんが見つけてくださったお宝ものに家族、母親、祖母に私ら兄弟の記録写真がある。

懐かしい、幼児の時代の実弟次男。

昔に住んでいた大阪空襲に焼け出された市民。

罹災した人たちのために建築された大阪市営住宅の暮らしぶり。

左右にある団体写真は実弟三男が学業していた小学校の団体写真。

これらの写真は、私的ブログの「マネジャーの休日余暇(ブログ版)」のカテゴリー「望郷」に公開したいが、きっちり調べて文章化する時間の確保がまだまだ・・・先になりそうだ。

いずれは、生前整理シリーズも、また「望郷」や「あれこれ民俗」に、組み込むことになるだろう。

えっ、我が家でもコウジブタがあったんだ。

「田中」の名も書き入れていたコウジブタ(麹蓋)

遠い記憶に遺る餅つき。

お向かいさんの宮本家とともに餅を搗いていた。

モチ米はどうしたのか、その記憶はない。

宮本家が所有する杵と臼。

昔も今も変わらぬ石造りの石臼。

石臼は、花崗岩のような岩石紋様だったろう。

餅つきは宮本家のご主人や長兄が搗いていた、と思う。

そのときの時代に、うちの親父がおったのか、それも記憶にない。

搗いた餅はたぶん分けてもらったかも・・・



座敷に新聞紙を広げて、その場においたコウジブタ

奈良の民俗文化を調査していると、聞き取り話者のみなさん一様にコゥジュウタ(或いはコジュウタ)と呼んでいる

コウジブタは、麹をつくる際に要した道具。

暮らしていくうちに訛ったコゥジュウタ、に・・。

もう一品は、電熱器。



製品プレートの文字は掠れることなく、美鈴な電熱器。

つい、この前まで使っていたかのような汚れもなく、今でも使えそうな電熱器コンロの販売会社は「アイデアル電熱器」。



製造は「松村電熱器製作所」


ネット調べにわかった「アイデアル電熱器」の、現在社名は「アイデアルヒーター工業株式会社」。

なんと創業は大正7年。大阪・玉造で製造・営業していた「松村電機株式会社」。

昭和47年に「松村電熱器製作所」を設立後、平成14年に「アイデアルヒーター工業株式会社」に社名変更、と同時に大阪・日本橋に移転、現在も操業している、と発信していた。

ちなみに同製品だと思われる電熱器コンロは、オークションに見つけたが価格は不明だった。

(R4. 3.22、23 SB805SH 撮影)

季節販売もこれでおしまい茨城県産のほしいも

2024年11月05日 07時10分02秒 | あれこれテイクアウト
我が家から近いスーパーハッスル5で買ってきた茨城県産のほしいも。

大好物になった甘くて美味しい干しいも。

今まで、たぶん売っていなかった、と思っている茨城県産のほしいも。

干しいも栽培、加工が日本でいちばんを誇る茨城県産のほしいも。

ここ近年に知った産地


さつまいもやジャガイモなどの穀物類は、特に好きでもない人生を送ってきた。

なんぼ嫌いであってもお米だけはやめるワケにはいかない毎日の暮らしの主たる穀物。

ただ、晩メシと云いながら、晩にご飯は、一切食べない。

会社の旅行や、会社のトモダチらと十津川の民宿で食べる場合は、なぜか喰ってしまう。

しかも、朝飯はお代わりする始末。

まだまだ、若かったころだ。

穀物は、ご飯だけでいい、と豪語していた若いころ。

会社の高齢者たちと旅に出かけたときである。

ある高齢者の男性が、こう言った。

酒をたらふく飲みたいから、ご飯はやめた。

そう、日本酒は米でできている。

ビールだってお米やコーンも入っている。

その方の食事は日本酒が主食。

穀物を二重に摂る必要はない、と私ら若いもんに伝えていたその人は酒が人生。

おかずは酒の肴。

主食は日本酒。

その話を聞いてから、そうか、酒やビールを呑むなら、極力、穀物は抑える。

二十歳半ばに知った食事。

また、中学校の友達と福島県に旅行した。

もちろん、大人になってからだ。

旅の宿に宿泊。

その際にいただく宿の食事。

ご飯をよそってあげたら、そりゃいらん。

ご飯は後に食べるもんや。

むしろ晩食にご飯は無用、と説教たれた。

その友達の声も聞き入れた晩食にはご飯は無用。

そんなことがあって、さつまいもやジャガイモに豆も食べることを極端に嫌った。

なぜなら、さつまいもにジャガイモを喰ったら、腹いっぱいになっちまって、酒が飲めなくなる。

なんて、考えるようになった人生の食。

それがなんと、干しいもが、別腹。

なぜに、そうなってしまったのか・・・

私は、毎日の便通に難儀してきた。

高齢者になってからの便通の悪さ。

不便が続けば、どうなるかわかっている。

ある食は摂っても便通が良くなる。

テレビかなにか記憶にないが繊維質。

ある日から食べだした、朝食後のバナナが一本。

まま、良くなった。

昨年、ご近所スーパーのハッスル5に見つけた茨城県産のほしいも。

手土産に持参したついでに買っていた1パック。



平干しのほしいもを食べたら、めっちゃ旨いやん。

美味いから、またまた食べる。

そのうち、便通が良くなった。

そうか干しいもは便通が良くなるんだ、とわかってから、何度も、何度も足を運ぶようになった茨城県産のほしいも買い。

販売は、だいたいが12月のころから3月いっぱいで終了する。



こんなに旨い茨城県産のほしいもは、また来年もお願いします、と店員さんに訴えたら、そうしてくれたのか、それとも営業或いは経営判断かも・・

ちなみに店員さんが教えてくれたハッスル5売りの茨城県産のほしいもは、大量仕入れ。

どっさり仕入れて、店員さんらが、えーもん選んでグラム売り。



だいたいが、300円から400円前後。

3パックも買い占めたことがある。

なぜか、4月以降に食べたいからである。

そのままでは腐ってまうから、数枚ずつラップに包んで冷凍庫保存。

3パックくらいの量なら、我が家の冷凍庫でも入る量。

せめて5月いっぱいまで食べたいなぁ、と思う今日この頃・・・

(R4. 3.20、21 SB805SH 撮影)

生前整理に見つかった暮らしの民俗①少し前の時代の紙幣や切手

2024年11月04日 07時42分47秒 | 民俗あれこれ
この月の3月12日、22日。

生前整理に出かけた大阪・住之江。

大阪市営住宅・大和川団地に長年暮らしてきたおふくろの生前整理。

大方は、リサイクル業者などにお願いし、なにもかもの生活用具を整理し、不用品回収。

洋タンスに和タンス。

整理タンスに食器棚や置き場ボード、テレビ台、棚、エアコン、冷蔵庫、洗濯機、座卓に多くの雑貨を、撤去、回収してもらった。



その際に、見つかった現金紙幣に切手。

伊藤博文の千円札が一枚はわかるとして、その他の紙幣はなに?

日本国は明らかであるが、私が生まれて暮らしてきた時代より、以前に発行、使用されてきた紙幣。

もしか、明治生まれの大おばあさんのオキョウさんが遺したお札かも・・・

翌日の23日に、旧い紙幣の全容も記録に遺しておこう。



開けてわかった一枚は、日本銀行券の壱円札。

お顔はさてどなたでしょう。

私の時代じゃないからさっぱりわからぬ世界だが、ネット調べでわかった昭和21年3月19日発行のお顔は二宮尊徳


もう1枚の絵柄は羽根を広げたハトポッポ。



その金額は、拾銭紙幣


けっこうあるある、古紙幣のネットオークション。



もう1枚の柄は、梅の花これもまた旧い五銭紙幣も今も有効紙幣のようだだけにネットオークション。

私の代まで古銭遺産にしておこう。

また、郵便切手も見つかった。



切手は、今でも額面扱い。

今でも使える旧い切手。

記念切手なら買取り店に出かけるが、これらの切手は、今でも使える普通切手のようだ。

郵便料が不足の場合に使わせてもらうか、それとも長年にわたってストックブックの仲間入りしようか・・

翌日に広げてわかった昭和52年のお年玉切手は2枚綴りの辰年デザイン

もう一枚のお年玉切手は、昭和48年の梅の木デザインか?

ネットでわかったデザインは、尾形乾山作の色絵土器皿の梅模様


これらは、当選したお年玉年賀状。

複数枚が、当せんしたようだ。

下に並べた3枚は、通常切手として発行されたものだろう。

左一枚は、1964年に発行された10円切手。

ある時代の屏風絵から抽出したと想定したデザインがすごいね。

これもまた、ネット調べだが判明した。

予想していた通りの屏風図絵。

それは切手趣味週間に発行された絵柄は源氏物語絵巻の「宿木(やどりぎ)」


中央は、1968年発行の明治百年記念切手は15円。

海に沈む夕日、それとも朝日なのか?おそらく朝日のだるま型太陽?に帆船を配置した図柄。

ネットにやっと見つかった百年祭マークに帆船は昌平丸
のようだ。

右も同じく1968年発行の明治百年記念切手。

江戸城開城に服した橋を渡る徳川家?を図案したのでは、と思ったが、そうでなかった。

ネットでわかったその図絵は、近代日本歴史画の父と呼ばれていた小堀鞆音(※こぼりともと)作。江戸城・二重橋の状況を描いた「東京御著輦(とうきょうごちゃくれん)」。

明治元年10月13日、西丸正門(※東京二重橋)に入る御行列であり、明治天皇が江戸城に到着した様相を描いた絵画。

このことをもって、事実上東京遷都を終えたことになる歴史的な状況を描いた一枚
あった

これらは、撤去に回収のリサイクル業者さんが見つけてくださった我が家の民俗のお宝もの。

(R4. 3.22、25 SB805SH 撮影)

嬉しや、MRI検査は特に問題なし

2024年11月03日 07時26分10秒 | むびょうそくさい
9日は、消化器内科MRI検査。

今回の検査で何回目。

半年に一度は、検査しないとあかん

なぜなら、膵臓に癌が巣くうとなれば、速度増しの癌進行。

いち早く、見つかればいいが、逃してしまえば、とき遅かりし。

医師から、そういわれて6年目。

半年に一度はMRI検査をしなくてはならない。

これまで検査したMRI検査は、数えること、今回で12回目になる。

検査が、おぞましいとか、煩いとか、声がネットにあるが、私の場合は、その音が心地いい。

まず、間違いなく検査途中に、ただ今睡眠中。

もっとも、寝た時間は、限りなく短い。

検査を終える度に、技術者に声かけ。

寝てましたでしょ、に・・・そうでした。

ただ、今回は寒い。

ガンガンする音でも眠ってしまうが、ドーム内部に吹く風が冷たい、と初めて感じたが・・

一週間後の今日は、検査結果の通告。

鬼がでるか、蛇がでるか・・・

常時診察してくださる主治医のT医師は、本日は休暇のため、急遽代役を務めてくださったK医師。

結果は、前回と同じく、肥大していない、変化が認められない、と・・・

癌マーカー血液検査も、おかげさまなことで、今回もまた、特に問題なし、と裁定された。

(R4. 3.16 SB805SH 撮影)

写真展「私がとらえた大和の民俗(10)」の当番日に温かいもてなしに辛い別れも・・

2024年11月02日 07時46分58秒 | しゃしん(県立民俗博物館展示編)
本日も当番日。

残り一週間を切った3月21日に、写真展「私がとらえた大和の民俗(10)」に、知人たちは来てくれるだろうか。

27日がラストデイまでに、記憶に残しておきたい情景はあるだろうか。

以前に撮らせてもらった情景に、県立大和民俗公園内に移設した古民家の壁や屋根の文様を収めていた

手持ちのカメラは携帯電話のカメラ。

意図する映像にはならない、と思うが、記録は記録。

思い出に消える残像ではなく、カメラに収めて、何度も拝見したい、今の記録に選んだ古民家の窓。



旧くなった木枠や桟にも紋様がある。

その文様からわかる樹木の木目。

とてもじゃないが、専門家の知恵を頼らなければ・・・

映像的なお気に入りは、「目」である。

枝が、まさにそこにあった標の「目」。

よくよく見れば、格子の長さが届いていない。

目隠しに風通しの機能をもつ格子窓

築造してから何年間もかけて朽ちていく格子。



その格子を、動かないようにしてるんじゃない、と思った土の粘土。

へぇー、そんなのが、あったんだ。

陽光がさす日であれば、座敷に影絵が出現する格子窓。

カメラマンが、ついシャッターを押したくなる陰が織りなす紋様は、今日は光もなく、ざ・ん・ね・ん、な日だった。

写真展を知って来ていただいているのか、それとも県立大和民俗公園に散歩。



或いは矢田山から歩いていきたハイカーの人たちか。

人だかりに気がつかず、吸い込まれるように入園してのか・・・

展示している写真のどこかに、感心をもっていただければ、と思っている。

じっと、佇んで見ているかたは、何かを買似たのだろう。

そっと声をかけてあげる。

これは、なんですか、との問いに応えてあげる作者の思い。

訪問者たちは、写真になにかの共通点を見つけてくれるだろう。

午後1時から4時までの当番を知ってこられた知人たち。

なんと、今年、二月堂修二会観音さんに捧げた壇供餅を差し入れにきた、というNさんにありがとう。



わざわざ持参してくださった貴重な餅は壇供餅。

真空パックの脱酸素剤付きの東大寺修二会に奉じた壇供餅

ありがたや、ありがたや・・

もちろん写真展にいらしたわけだから、一枚、一枚を丹念に拝見するNさんも、またカメラマン。

当会に入ってもらって協力願いをしたが、民俗分野は難しい、との判断でお断りされた。

次の来訪者は、神出鬼没のTさん。

奈良県だけでなく、三重県など多くの他府県まで足を運んで撮ってきた映像は、まさに写真家にとっては、これぞ外してならない民俗の伝統行事の撮影。

大都会に出るときもあるTさん。

とらえる映像は、フットワークを生かした撮影に、同時に収録する動画も数多く・・。

的を得た動画は舐めるようなアングルがいい。

次の来訪者は、写真展は知らず広い園地に建物群がある、と知って訪れた大淀町でお仕事されているFさん夫妻。

なんと、私も存じている同じ大淀町から来られたKさん、と出会った。

ご互い、申しわせたように遭遇したが、たまたまの出逢いである。

Kさんは、大淀町大岩で写真展をしないか、と声をかけてくださった恩人。

またまた来られた方もまた、長年のお付き合い。

藍染の大先生であるNさんもまたわざわざ持参してくださったお家の成果物。

藍染でなく、藍染仕事をしているお家の庭に育ち、たわわに実った柑橘類の八朔。

もぎ取った、とれとれの八朔を差し入れしてくださった。

また、またの来訪者は、長女筆頭に、長男と乳母車の赤ちゃんとともに来てくださったF夫妻。

なにかにつけて気をかけてくれるFさんは、行事の取材地で知り合った、当時のマツリの役目は門外地区の布団太鼓台を指揮する青年団副団長

そのころは、独身だったが、こうして連れてきた子どもたちの父親に・・。

しかも、今日は寒いだろう、とコンビニエンスストアニで買ってきた温かいお茶とコーヒーを差し入れてくれた。



ラストデイまでに、と急いでやってきたデイプルのMさんも来訪してくれた。

みなさん方には、来訪記念に、当写真展の「私がとらえた大和の民俗(10)」をまとめた図録を献本した。

また、時間ともなれば、県立民俗博物館としては併設の大和民俗公園内にある古民家の戸閉作業がある。

つまりは、これにて閉店ガラガラであるが、その戸閉をする女性職員には、自前の携帯電話で撮った山添村毛原の桃の節句をとらえたプリント一枚をもらっていただいた。

えーんですか、にどうぞと差し上げた、そのプリントもいい記念になってくれば・・・

ところで、ここ数年間にわたって博物館・学芸員業を勤めたMさんとは、ここでお別れだ。

ある事情で辞めざるを得なくなった退職。

数日後には、東京行き。

応募した東京の博物館施設に勤務することになったが、週4日間の一年契約職員に就く。

転居については、実家がある東京。

Mさんと相方のTさんとともに、支えてくれた博物館事業。

「私がとらえた大和の民俗(10)」が〆になったが、私にとっては、佳き時代に取材してきたさまざまな民俗記録ができたのも、県立民俗博物館があってこそ。

先に、定年満了で退職された学芸課長のSさんに、奈良絣など織物に関しては専門的技術をお持ちのYさんも、定年後は再任用勤めしていたが、今月いっぱいで退職に・・



寂しくなるなぁ。

(R4. 3.21 SB805SH 撮影)

炒り玉子ブロッコリー炒めにくら寿司の舞妓はんひぃ~ひぃ~一味使用特製狂辛カレーパウダーか

2024年11月01日 07時55分34秒 | あれこれテイクアウト
半分以上も残ったくら寿司からのプレゼント

尤も、残りそのまんま廃棄してほしくないから持ち帰ったまでだが・・・

くら寿司特製の唐揚げの食べ方

舞妓はんひぃ~ひぃ~一味を使用したくら寿司特製の狂辛カレーパウダー

辛みは特に強いワケでもなく、甘辛に近い感覚。

舞妓はんが、ほんまにひぃ~ひぃ~いったかどうか、疑わしいほどの緩~い狂辛カレーパウダー

もったいないから自宅の食卓でも味わいたい。

その出番は、今朝の朝食のおかずだった。

ときおり朝の配膳につくってくれる炒り玉子ブロッコリー炒め。

そのままでも旨いんだが、カレー粉をかけたら、どうなる味増し作戦。



お味は、サイコー。

持ち帰りでなく、次回入店する機会があれば、店舗売りを買い求めたいわ。

お家で食べても旨旨、辛辛、ヒーハー舞妓はんひぃ~ひぃ~一味。

それからほぼ10日後。

ほんの少しを残していたヒーハー舞妓はんひぃ~ひぃ~一味。

その味、冷ややっこにものせちゃえ。



刻み葱を盛った冷ややっこ豆腐の上にパラパラ、パラパラ・・・

ひと口食べて、ヒーハー。

やる気満々のヒーハー舞妓はんひぃ~ひぃ~一味冷ややっこも旨いやん。

ほんまに買いに行きたい、と思っていた期間が長すぎた。

そう、販売はすでになくなっていた。

(R4. 3.29 SB805SH 撮影)
(R4. 4. 4 SB805SH 撮影)