ストローバレイ家の介護奮闘記

90→→92歳の母を支える4姉妹の泣き笑い奮闘記・・とその後

「被災地を歩きながら考えたこと」(みすず書房/五十嵐太郎・著)

2012-02-22 21:06:55 | 日常
               
           表紙は被災した宮城県「マリンパル女川」

最近「被災地を歩きながら考えたこと」という本を読みました。2011年11月に発行されたこの本は、建築学の教授として東北大学に席を置く著者が、震災直後から被災地を見て周り、仲間の建築家・工学研究者らと共に『工学で街は救えたか?復興はいかにあるべきか?建築家はどう介在すべきなのか?』を考え、模索し、具体的に提案していった『震災後半年間の推移と展望をつづった渾身のルポルタージュ』(『』内は「おび」の引用)です。

被災地を訪れた著者は、文化施設が避難所として機能していることに勇気付けられる一方で、鉄筋コンクリートや鉄骨造りのビルを横倒しにする水(津波)の力に圧倒されます。そうした現実を見つめつつ、著者を始めとする建築家たちは、災害拠点としての公共施設のあり方、震災の記憶を残す試み、被災者・遺族の心情との葛藤、仮設住宅のあるべき形、生活空間としての避難所の改善など、建築の可能性と限界をあらゆる角度から検討して行きます。

模索の中から生まれた創造的アイディア・提案は、予算を始めとする様々な制約によって、全てが現実化されるわけではないし、原発事故周辺地域の復興については、彼ら自身が「建築の側から関与しにくい」と率直に認めているように、簡単に答えが出せる状況ではありません。

しかし、滅茶苦茶に破壊された被災地の立ち直りに対し、政府などから一向に適切な手が打たれないようで、苛立ちを感じている目から見ると、こんなにも被災地と真摯に、謙虚に向き合って、多角的な視点で建築の可能性に取り組んでいる専門家たちがいることに、これからの日本の可能性を感じます。

「あとがき」で著者は南相馬市の仮説住宅地集会所について書いています。研究室の学生達がこの集会所の壁に壁画を描き、更に「塔」を建てることで記憶の共有と希望の証としたいという提案を住民にしたところ、住民達は『若干とまどいならがも・・・塔の実現には何をしたらよいかと申し出る人や(塔に展示する)俳句の収集を買って出る人もいた。』とのことです。

そして「あとがき」は『プロジェクトを通じて共同でモノを作る、祭りのような高揚感がここに生まれ、当初のコンセプトどおりに記憶に残る風景ができることを期待したい。』の言葉で閉められています。悲劇に遭遇しても立ち直ろうとする人間の力がここにあるようで、本当に素晴らしい。塔が完成したら、是非一度私もそこを訪れてみたいです。(三女)


コメント
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