JAZZ最中

考えてみればJAZZばかり聞いてきた。いまもJAZZ最中。

もしもノンフィクション作家がお化けに出会ったら  工藤美代子著

2012-01-13 22:17:41 | 



この本の内容は、本の題名になっているそのままで、ノンフィクション作家が体験してきた不思議な出来事15の一連の話として綴ったものです。

図書館の順番が廻ってきたものですが、何処でその本を知ったのか、何かに導かれた様に、てな訳はなく、ただ忘れただけです。

「嘘は書かない」「盗作はしない」をノンフィクションのベースにしている著者が、体験している不思議な出会い、脚色などはしないので、その不思議さは色濃いわけではありません。
著者は「鈍感」で霊感がないとたびたび文中で言うけれど、不思議の内容は筆者の行動を制約していくのです。
このような内容を語ること自体が排他されるなかで、ノンフィクション作家の意気を通した作品なのでしょう。
普通の人では見えない人を見ている、いないはずの誰かがそこにいることを感じるというような話は、決して気持ちの良いものではないし、心を残して亡くなった霊がいるとするととてもさびしいことでそれを体験したいとは思えない。

恐ろしい気分ということを、あえていうならば、今の家に引っ越してきた15年ぐらい前のある夜、家の外にそれは恐ろしい邪気がわが家を狙っているようでゾッとしたことがある。
そこら辺の防御もしているので、そんな一晩があっただけだけど、この本をよんでそれを思い出しました。
真逆の、天使に導かれたのではと思うような素敵な出会いや音楽を実感しているので、反対側のこの本のようなこともありかもしれません。
輝く場所も薄暗い場所もこの世には存在し続けるのでしょう。

この本がおどろしい余韻をのこすのは、実は霊の存在や出来事が壮絶だからではありません。話の一つ一つは不確かなそうじゃないかの想像も含まれているのです。
それぞれの話の霊の存在はそれほど色濃いわけでなく、一連の話は筆者の一族の歴史が綴られているのです。
それは一族が引き継ぐ呪縛のように連なって、筆者やその家族に連なっているのです。
その私小説的重たさが、不気味な後味を残すのです。
そういう意味で、三面記事的に読めばたいしたノンフィクションではないのかもしれませんが、血族の囚われというノンフィクションとして読むとそれは恐ろしい本となっているのではないでしょうか。
コメント
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