JAZZを聴いてくると、幾人かのミュージシャンにどれくらい入れ込んだかで、その人のJAZZスタイルが想像できるような気がします。
私がジャズを聴き始めたころの、そんな基準みたいな人の一人が、J・コルトレーンでした。J・コルトレーンはジャズ喫茶に行けば必ずかかっていました。LPからCDにオーディオを変えた後に、どうしても聴きたく探したアルバムと曲がこれです。“至上の愛”ではなくて1965年、Village Gateで録音されたコルトレーンの1曲です。
タイナーとエルビンのおなじみのハーモニーとリズムにのって吹きまくるコルトレーン。出だしの美しいメロディーは祈りの様で、その祈りの同調を求められているようです。段々と熱を帯びるとソロ、同調を求めている様から、彼一人の祈りに変わり無我状態に聞こえます。それが続くと曲の終わり頃には、コルトレーンの音が静寂と平安のように変わるのでした。
ただCDで聴くとちょっと昔と違うようで、このごろLPも聴けるようにしましたので、聞いてみました。LPは音が柔らかく感じます。昔親しんだからでしょう。LPは終わりの拍手をきっています。収録時間ってたいへんなのですね。
私がジャズを聴き始めたころの、そんな基準みたいな人の一人が、J・コルトレーンでした。J・コルトレーンはジャズ喫茶に行けば必ずかかっていました。LPからCDにオーディオを変えた後に、どうしても聴きたく探したアルバムと曲がこれです。“至上の愛”ではなくて1965年、Village Gateで録音されたコルトレーンの1曲です。
タイナーとエルビンのおなじみのハーモニーとリズムにのって吹きまくるコルトレーン。出だしの美しいメロディーは祈りの様で、その祈りの同調を求められているようです。段々と熱を帯びるとソロ、同調を求めている様から、彼一人の祈りに変わり無我状態に聞こえます。それが続くと曲の終わり頃には、コルトレーンの音が静寂と平安のように変わるのでした。
ただCDで聴くとちょっと昔と違うようで、このごろLPも聴けるようにしましたので、聞いてみました。LPは音が柔らかく感じます。昔親しんだからでしょう。LPは終わりの拍手をきっています。収録時間ってたいへんなのですね。
1965年というか、「至上の愛」から、エルビン、マッコイがグループを離れるまでの期間は、コルトレーンにとってどういった期間だったのか?
未だに私にも理解しかねぬものがあります。
ただ、「ASCENSION」を挟んで、前後のレギュラー・カルテットの演奏を聴くと、彼としてはマイルスがギル・エバンスと行ってきたもう一つのチャレンジのごとく、自己のレギュラー・カルテットとは異なった試みを、平行して行っていこうとした感はありますよね。
そのままで進めばもう少しこのカルテットももっていたのでしょうけど、その二つを融合させようとした、つまりは、コルトレーンがマイルスみたいに器用じゃなかったということかもしれません。
それでも、私もこの当時のレギュラー・カルテットの演奏が嫌いじゃないんです。「THE JOHN COLTRANE QUARTET PLAYS」も、このアルバムの「NATURE BOY」も、「CREATION」の「UNTITLED ORIGINAL」も・・・・
だめだ、話がどんどん長くなってしまいます。そのうち我がログでも、取り上げてみますね。
何が何だかわからない長文になってしまいました。お許し下さい。
好きなんですよ。コルトレーンの話ってJAZZ聴いていればしばらくつづきますものね。
私JAZZを聞き始めて、コルトレーンの古いの買ったりし始めて、悲しい事に新譜として買った初めてが“エクスプレッション”でした。悲しい。
私にはどうしたらいいかわかりませんが、コルトレーンのこの後を考えるのに、ファラオ・サンダースなどってなんだったのかって、もちろんバブさんのホームページ読めばよいのでしょうが。またお邪魔します。