都市と楽しみ

都市計画と経済学を京都で考えています。楽しみは食べ歩き、テニス、庭園、絵画作成・鑑賞、オーディオと自転車

台風19号の被害に驚く、災害の記録「ハザード・ヒストリー」を

2019-10-23 02:50:35 | 都市経営

 被害の方々にはお見舞い申し上げます。

 関西の東を通り抜けた、やれやれと思っていたら関東から東北南部で河川の氾濫と堤防決壊で大被害。山崩れなどが主だった西日本豪雨と違う。段々と被害が拡大し、西日本豪雨に準ずる被害になった。

 これらの被害はどこで、どれくらいの面積と水没の度合い、原因の整理はこれからだ。是非、災害のデータ・ベースとしてまとめるべきだ。

 例えば、山崩れのあったエリアや水没が繰り返されたエリアは危険が認識される。不動産の重要事項説明に加えるべき「ハザード・ヒストリー」だ。石碑やお寺の古文書では詳細が伝えられない。

 

 いまのネット情報で欠けているのは、地図情報で、どこが決壊しているのかも分からない。これは歴史として保存すべき情報だ( https://www.mlit.go.jp/saigai/saigai_191012.html )。国土地理院の推定地図( https://www.gsi.go.jp/BOUSAI/R1.taihuu19gou.html )は新しい試みだ。

 いままで、人口増大によりスプロールが発生し、住むべきところではないエリアに住んだ。人口減少の時代はコンパクト・シティに集約し、危険なエリアからの撤退とインフラ投資の見合わせも必要だ。

 面倒なのは今回決壊の多い国管理の一級河川だ。流域としての管理が必要なため、河川だけは自治体統合で行うシステムが必要だ。また、合流する支流も溢れるケースが多い。

 驚いたのは、新幹線基地の水没だ。水害への対応がなかったのかと訝る。同じ水害への失敗が福島の原発でもあった。失敗百選の候補だ。さらに、この基地はハザード・マップでも浸水を指摘されていたという。タワー・マンションの地下電気室にも設計のセンスのなさに驚いたが、JR東日本の設計センスにも驚愕する。株主代表訴訟ものだと思う。

 土地の災害についての歴史の継承と、反省、そして想定される被害の理解が防災の基本だ

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そごう・西武の閉店に思う、大型商業の変遷とセブン&アイ・ホールディングスの変節

2019-10-17 02:18:47 | 都市経営

 第二次世界大戦後の商業の歴史は、中小小売業者の保護から始まった。( https://www.rieti.go.jp/jp/events/bbl/11061301_r.pdf )

1956年百貨店法(https://www.jstage.jst.go.jp/article/nbukiyou/7/0/7_KJ00004687503/_pdf )規制が始まる。

1973年量販店(GMS)などの駅前再開発や都心出店について商調協(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E8%A6%8F%E6%A8%A1%E5%B0%8F%E5%A3%B2%E5%BA%97%E8%88%97%E6%B3%95 )の制度が確立、後に日米構造協議などで撤廃に至る

2000年街づくり3法( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%BE%E3%81%A1%E3%81%A5%E3%81%8F%E3%82%8A3%E6%B3%95 )による大店立地法での郊外ショッピング・センター開発、

1974年以降のコンビニエンス・ストア( https://nendai-ryuukou.com/history/004.html )街中にある最寄り品のお店の駆逐

 

 さらにまとめると、商業近代化の象徴のアーケードも撤去、再開発での駅前GMSや百貨店の撤退( https://www.jstage.jst.go.jp/article/keidaironshu/69/6/69_61/_pdf )

 

 そして、都心の最寄り品は一部の商店街とコンビニだけが栄えるこのごろになった。と、思ったら。

 まわりまわって、我が世の春であったセブン&アイ・ホールディングスも

①百貨店(そごう・西武)の閉鎖・縮小

②GMS イトーヨーカドーの閉鎖・連携

③セブンイレブンの閉店とフランチャイズ契約の見直し(24時間営業とサプライ・チェーンの維持)

④社員3,000名リストラ

に至った。アパレルも縮小均衡になり、店舗リストラが多い。その反対にAmazonなどEコマースは発展している。

 この状況に関しての雑感は:

1.西武大津店 

 堤康次郎( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A0%A4%E5%BA%B7%E6%AC%A1%E9%83%8E )と滋賀のつながりのシンボル。大津のショッピング・センター、パルコ(以上流通関連)プリンス・ホテル(鉄道関連)の3点セットがあった。

鬼才、菊竹清訓( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%8A%E7%AB%B9%E6%B8%85%E8%A8%93 )の設計( 都城市民会館 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%83%BD%E5%9F%8E%E5%B8%82%E6%B0%91%E4%BC%9A%E9%A4%A8 その他 http://uratti.web.fc2.com/architecture/kikutake/kikutake.htm )

大津店は

https://archirecords.com/blog-entry-273.html

https://www.daas.jp/search_site/detailInfo.php?a_id=3320

 

2.錦糸町そごう

( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%82%AB%E3%82%AD%E3%83%83%E3%83%88%E9%8C%A6%E7%B3%B8%E7%94%BA )

 N生命時代に間接的に関わった。出店でもめたが、すぐ倒産(そごうは、特殊な店単位の株式会社で水島社長の担保理論があった https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E5%B3%B6%E5%BB%A3%E9%9B%84 )、2000年にそごうは破綻した。その後は三井不動産に運営委託。錦糸町と東宝の関係も面白い( https://blog.goo.ne.jp/n7yohshima/e/8058f9e461cca75b793f44cef4c064b8 )

3.そごう徳島店

( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%9D%E3%81%94%E3%81%86%E5%BE%B3%E5%B3%B6%E5%BA%97 )

T工務店の見習いで中森明菜のセカンドラブの流行る頃、4ヵ月堺東の高島屋増築の作業所で逆打ちのコンクリ―を担当した。駐車場棟はプレストレスト・コンクリート(PC  https://www.fujips.co.jp/technology/pc/sub11020/104 )の駐車場斜路を使っていた。翌年、そごうの入る再開発ビル アミコ( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E5%B3%B6%E9%A7%85%E5%89%8D%E5%86%8D%E9%96%8B%E7%99%BA%E3%83%93%E3%83%AB%E3%82%A2%E3%83%9F%E3%82%B3%E3%83%93%E3%83%AB )でも駐車場棟は同じ方式で、見学していると「監督さーん!」と堺東の作業所にいた職人に声をかけられたのが思い出だ。

 徳島の中心商業地は、アーケードと丸新のあった東新町から駅前に商業の中心が移ったが、駅前の空洞化が激しい。しかし、郊外のショッピング・センターは賑わい、交通もバス・鉄道から、「一人一台の軽自動車」になっている。

 83年の竣工から36年、再開発の再開発の時期だ。人が集まる施設はなにかという発想と郊外の商業に勝てる要素の洗い出し、そして用途の転換とリニューアルだ。

 徳島は、バスで神戸三ノ宮が至近になり、買い物も「駅前そごうより三ノ宮」になっていると聞く。これは、地方都市の百貨店の悩みだ。物を売ろうと思わず、駅前立地とコンパクト・シティが売り物になる。

 いまこそ、地方都市の駅前に魅力的なサーヴィスと商業と思う。まずは市役所と病院を移転させてはどうか。駐車場もあり、避難階段も充分ある。空調のやり替えも天井カセットで対応可能だ。窓はカーテン・ウオールのやり替えだが、元設計のRIAに検討頂くのが得策だ。

 委員会でも発足すれば手を上げたい

 商業は、お出かけで楽しい体験というより、面倒な「仕事」になっている。Amazonの隆盛がよくわかる。しかし、未だに栄える商店街もあり、商業地もある。要は「人」の育成と接客での「体験」だ。

 軽自動で栄えるイオンモールや ゆめタウンに対抗する駅前施設とは何か

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老いた家 衰えぬ街 住まいを終活する(野澤千絵):不動産業界か政策論か立場がはっきりしない

2019-06-21 02:16:18 | 都市経営

 「空き家を救う」、「住まいの終活」という結論で、「民間市場の流通性」で判断するという結論だ。ここに至るまでランド・バンクや行政とNPOの取り組みなど事例がある。つまりは、昔流行った民活(PPP)に近い。

 政策としては、これ以上の住宅開発規制、危険な災害地区の撤退という食い止めがまず必要だ。次に、資産価値がなく相続放棄の住宅の行政か新セクターでの解体・保有・売却を検討すべきだ。マンションなどについては民間の再開発が千里ニュータウンなどで先行している。つまりは市場価値のあるものは民間ディベロッパーが自然発生的に取り組む。

 要は、駅から遠い、価値がなくなった住宅地や限界集落などへのインフラ負担軽減と、コンパクト・シティへの誘導政策、未利用地の里山化など課題は多い。

 全体に、マクロの視点が不足し、時系列の政策対応の検討にも思慮が至っていない。

 しかも、「住まいの終活」というのも明るさがない。「次世代に渡せる住まいのあり方」とした方が、前向きだ。

 住宅も、駅から遠い、日用品が買えない、密度が低く、人口集積もない という立地が捨てられていくのは、炭鉱都市や農村集落でいままでもあった。人口減少というよりも都市の復活と誘引が要因だ。しかし、東京は巨大になりすぎ、災害危険性から分散に至る可能性もある。

 流行りの空き家に関する著作でおすすめしない

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三宮から神戸を歩く

2019-04-28 02:38:00 | 都市経営

 久々に、アーケード街をのんびり歩く。数年前は忙しい時期のピークで、あわせて女性の弟子を教育し始め、仕事を楽しんだと懐かしむ。

 JRの昼割引がなくなってか、チケット・ショップが少ない。また、元町のアーケードが綺麗になったように思う。

 昔歩いた、モトコーは一部耐震補強中らしい。

 ゆったり、顧客を回りプレゼンもちょっと疲れた。帰りに、二宮の藤原で一杯と思ったが意外に「今日はいいや」と思い電車で帰洛とする。

 阪急京都線からの車窓から名残の桜が西山にちらほら。川には芥子菜の黄色と緑。

 神戸の春だが、疲れるようになった

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日本橋はアジア観光客とホテル、オタクの街に

2019-02-19 02:18:28 | 都市経営

 久々に訪問した。黒門市場は海鮮・肉など串ものと発泡スチロールの船に乗った食べ物売り場と化している。両側に海老や河豚、牛肉など並んで、鉄板で焼くのが多い。アジア系観光客が多く、群れを作ったり、カップルで手をつないで歩いたりで混雑。

 大通りには、オタクな品物や、アダルト、メイド・カフェなど多様な看板の色彩。合間にホテルが林立。河口無線など、昔のオーディオ屋のままだが違和感がある。お客もいない。35年ほど前は良く通ったものだ。遠い昔だ。

 日本橋近くを西に入ったところに盛業だったグリル敷浪は閉店し建物は今もある。外壁に落書きされておりわびしい。その先を歩くと吉本の花月と、アーケード街。猥雑さと飲食店が難波の特徴だ、御堂筋まで行かないと大型商業やオフィスはない。

 懐かしさと、時代の変化を感じた。髙島屋東館も工事中で、キャピタランドの滞在型ホテルとしてサービス・レジデンスになるようだ

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素人夫婦が初めての淀競馬場まで、飲む打つ買うを体験

2018-10-30 03:12:01 | 都市経営

 まずは、三条から京阪で橋本駅へ、降りてすぐ橋本( https://kuruwa.photo/kyoto/hashimoto/ )で色街を研究。歩くがすっと終わる。かつての色街も台風で被害を受けている。しかも京街道沿いの短い街区。銭湯もあり、親切な爺さんが夏目雅子の映画の話をご解説。

 それにしても色街建築としては新しめで2階の手すりの奥にガラスがあるから大正以降の建築だと思う。赤線禁止になるまで、門前町の精進落としとしてか、伏見とともに三十石船( https://www.kyoto-wel.com/yomoyama/yomoyama10/059/059.htm )か京街道( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%AC%E8%A1%97%E9%81%93_(%E5%A4%A7%E5%9D%82%E8%A1%97%E9%81%93) ) の色街としてか栄えたのであろう。京街道がカギの字に曲がっているのが面白い。

 時間もあるので、ゆっくり石清水八幡宮まで。結構な坂。途中の竹林は台風で荒れている。岩清水八幡宮は七五三で賑わう。台風被害の多い裏参道を降りて頓宮の食べ物イベントに。地元が多い。その前の安居橋(あんごばし)は太鼓橋であるが、斜橋になっている。不思議だ。対岸の蔵と良い景色だ。

 油座( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%B1%B1%E5%B4%8E%E6%B2%B9%E5%BA%A7 )があった大山崎まで歩くのも良いかなと思ったが、京阪で競馬の菊花賞というのがあると聞いて一度行ってみようと歩いた。三川合流の背割り堤( https://www.yodogawa-park.go.jp/sansen/ )にはローディ(自転車)とウォーキングが多い。途中の積み藁の形は集合してあり面白かった。

 京都競馬場は入場料200円、なかで、すじ煮込み(450円)とレモン・ハイ(400円)で気分は博徒。芝生と子供の遊び場があり、若い夫婦が多い。競馬新聞を読んで母親と予想を言い交す小学生もいて「教育は環境なり」と思った。孟母三遷を思い浮かべた。

 日本全国の唐揚げキッチン・カーなど並び、菊花賞お弁当は2千円!施設内の食べ物はとても高いと思った。

 初めて馬の走るのを見たが、圧巻だった。その後、均しの車など段取りが良い。荊妻はテレビでよくある馬券投げはないのかと言うが、確かになかった。

 一日で、飲む(レモン・ハイ)、打つ(ところに入場)、買う(ところを見学)して、またも2万歩。

 シャワーを浴びて一休み

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台風21号と北海道地震の想定外の自然被害と人災:リスクと 都心化、減災化

2018-09-18 02:53:47 | 都市経営

被災された方々にお見舞い申しあげます。

今回の災害はどちらも前に大雨があり、その後に台風(風)と高潮、震度7地震との違いがあるが、被害には自然災害と人災の違いがある。今後の減災を考えたい

台風21号では

飛来物での災害、電柱倒壊での停電、高潮の水没と施設被害が3大要素だ。このうち電柱の地中化については促進が望ましいが、共同溝も水没する可能性もありなんとも言えない。飛来物も軽い屋根が飛び、この前の重い屋根の地震被害とは反対だ。これらについては、都市の密集地での飛来防止と電柱の地中化は有効だ。郊外では、都市のコンパクト化を図り、メンテナンスしにくい電柱や非居住家屋などの撤去の推進が良いと思う。高潮については、建替えまたはリニューアル時に電気室を屋上か水害危険水位より上にする対応が有効だ。また、ビル管理室も地下では管理できないため、同様の配置が良い。関西国際空港の地下電源水没は、リスク管理がなっていない設計の実例だ。

 人災は関西国際空港だ。インフラの設計のリスク管理があまい。脆弱な連絡路で風に弱い上、船があたる想定で流木除けの設置もない。これは単なる橋であり1本しかない「連絡橋」ではない。逆にテロ対策としての弱点でもある。

 海水につかる滑走路も情けない。関西復興のシンボルとしての関西国際空港は「やすもの」をイメージするものとなった。

 減災化への速やかな対応と、配慮のない設計・施工責任の追及が欲しい。または、一定規模以上の都市施設では電気施設とビル管理室は水害の想定線以上に配置という法規制を設けるべきだ。

 

北海道地震では

 厚真町は表層(軽石層は支笏湖カルデラの「テフラ」https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%95%E3%83%A9 )の地滑りだ。集落の立地として平野の山際は水害も少なく、山を背にして安心な立地のように思うが実は危険と判明した。特に沢側の個所土砂崩れや土石流が多い。沢筋の危険性を都市・農村計画で指摘すべき時期だ

 札幌市清田区の液状化は、安易な工法と郊外都市開発と言わざるを得ない人災だ。液状化の原因は、液状化しやすい沢の支笏火砕流堆積物=テフラ層での、沢筋のカット&フィル埋立て(https://www.gsj.jp/hazards/earthquake/hokkaido2018/hokkaido2018-04.html )で今までも被害があったという。3.11地震で液状化した浦安より安易な工事なのかフリクの被害が大きい。造成ディベロッパーへの責任追及や行政の開発認可責任を問うべきであること、液状化エリアは行政が買上げ、緑地にすることなどの都市計画・都市経営的な政策と、不幸にして取得した住民への補助が求められる。(というのも造成した折、沈下しない尾根筋と今回沈下した沢筋の分譲価格に差がないと思われるため:差があったなら、地盤説明もしたはず)このような造成は、マクロ的には行政・ディベロッパーによる災害原因の発生だ。また、分譲のマイクロ的には、リスク説明のない情報の非対称性のある”レモン“(欠陥品)だ。

 このような、危険な郊外開発分譲は広島の北部の水害多発地点や、水害の多い低地の開発による倉敷真備町など、郊外開発の反省の時期だ。

 これからの郊外開発は、水害や液状化のリスクを行政が公表し、利用の制限を厳しくするとともに、都心の高度利用地区へ移転を誘導するという「都心化」方策が求められる。

 天災なら避ける方策を考え実施し、人災なら反省と改良工事をするのが都市経営と都市計画の役割だ

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船場の街は自動車優先、京都の洛中と大違い、観光集客のためには

2018-08-31 02:53:35 | 都市経営

 船場は通(東西方向)が4間(約8m弱)、筋(南北方向)が3間(約6m弱)で、さらに軒切りもしたが狭い。現在の京都洛中の街路とほぼ同じ幅員だ。一方通行が多いのも同じだ。

また街区は、京都の40丈(120m)角に対して、40間(75m程度)と6割のサイズだ。

 しかし、船場は卸売りが多いためか、車優先で交差点に一時停止がない。いちいち止まってはいられない「イラチ」と街区のサイズが小さいからだろう。京都の洛中、特に田の字地区では20km制限かつ交差点の一時停止が「歩くまち」として徹底している。( https://www2.city.kyoto.lg.jp/shikai/img/iinkai/machi/H28/data/290316machi-02.pdf )

そのため、京都に慣れて、船場の道路を渡っていると、結構な速度で自動車が巻き込むように曲がってきたり、加速してお脅しに来たり、クラクションを鳴らされたりと危険かつ、不快だ。折角の歴史建物をのんびり見て歩く環境ではない。

容積率向上、歩行者空間の確保などで船場建築線が指定されているが、歩行者空間の連続確保は十分とは言えない。( https://www.jstage.jst.go.jp/article/jscejipm/68/5/68_I_831/_pdf/-char/ja )

 都市観光を誘致するなら、歩行者空間の確保と、交差点での安全確保が欲しい。更に、本町では都心居住も多いため、ハンプやバンプによる積極的自動車速度低下や居住ゾーン明示が欲しい。

 御堂筋の歩道の自転車も問題で、後ろからひゃっとする追い越しと追い抜き、角での出会いがしら、駐輪など問題が多い。その割に、御堂筋は44m(24間)と広いが未だに自動車から歩行者・自転車志向に活用が変化していない。(遅々として進んでいない)

 大阪を歩くなら、船場より谷町など歴史の多い上町台地が好きだ。京都は都心観光で集客したが、大阪では課題が多すぎるのと行政対応が遅すぎる

 歩くならゆったり歩ける京都の田の字地区か大阪の坂と歴史のある上町台地がおすすめだ。そういえば、神戸はアーケードか今は補修工事中のモトコ―しかぶらぶら歩いた覚えがない

 

 歩いて楽しくない街はこれからどうだろうか

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阿波踊りの総踊り禁止の市長は観光客不在の利権争い、阿波おどり振興協会の総踊り実施は新しい阿波踊りの萌芽

2018-08-21 02:52:21 | 都市経営

 70年代に阿波踊りの桟敷(スタンドみたいな座席)が設置され、踊りを眺める形式となったのは、国内旅行が発展した、JR(当時は国鉄)のDiscover Japanとの連動だ。 桟敷は徳島新聞が関与し、観光協会と徳島市とともに運営してきたが、様々な意見がある。

報道意見( https://gendai.ismedia.jp/articles/-/51853  )

徳島新聞の見解 ( http://www.topics.or.jp/articles/-/33701  ) 

阿波踊り収入・支出は、3億円あまりとなっている。( https://www.city.tokushima.tokushima.jp/kankou/awaodori/awazitu2.files/keikaku.pdf  )あまり大きいビジネスとは言い難いが、これを主宰していた市観光協会の3億円の赤字も大きな問題とは考えにくい。また、性急な処理を求めた動きがあった。むしろ、「徳島新聞は阿波おどりというイベントをまるごと自分たちの手中に収めようとしているのだろう。本来は中立な立場の徳島市もそれに応えるように観光協会を追い込んでいく。徳島市の遠藤彰良市長は四国放送の元アナウンサーで、四国放送の筆頭株主は徳島新聞だ。遠藤市長は、県内シェア7割を超える徳島新聞と蜜月の関係とされる。週刊現代 2018/3/17号 より引用」ともある。この3億円の権益を守ろうというのはさもしいとしか言いようがない。

 この後、実行委員会の体制は変化し、市と徳島新聞の位置付けが重くなり、実行者としての旧観光協会に関与する阿波おどり振興協会は入っていない

( https://www.city.tokushima.tokushima.jp/kankou/awaodori/uneizikkou.files/sosikitaisei.pdf  )

 これは、祇園祭の町衆の山鉾を軽んじているようなものだ。祭りは「踊り」が主体のはずだ。この魅力で例年阿波踊りでは100万人( http://www.teri.or.jp/chousa_kenkyu_pdf/2015-96kankoukosou.pdf  )の集客力がある。

 100万人の25%の25万人が宿泊し一人当たり2万円消費としても50億円の売上になる。つまりは、3億円の累積赤字など問題にするのは「角を矯めて牛を殺す」だけだ。さらに、今回の騒動は、「もめる阿波踊りは避けよう」という悪評判まである。

 マクロ経済で考えると、「総踊り」を実施するのがより観光のアピールとなり集客にもなる。なお、桟敷の値段や稼働率にこだわるなら、価格差を設けること、売れ残りそうなら当日券を安く売ることなどチケット販売(ネット化)のマイクロ経済の手法がある。これがあるべき対応で、徳島市長の「総踊りを止める」というのは経済合理性が全くない。しかも、踊り手への合意形成もないというのでは、経済知識、政治能力ともに疑わしい。

 今回は、主役の踊り手である阿波おどり振興協会の13日10時から両国橋での総踊り実施は見事な決断だ。つまりは、踊りたいから最後のフィナーレを飾りたいのだ。踊り手は自己表現を求めている。

 さらに考えると、桟敷で阿波踊りを眺める時代は終わった。1km四方の町中で、観光客と踊り手が公園や、橋の袂などで、観光客のにわか連の参加・練習など、飛び入り参加でお互いの共感や、踊り手の自由な踊りの披露がこれからの在り方だ。それなら、阿波踊り商品(祇園祭の粽、記念品などと同じく)、法被、浴衣、笠、下駄などの販売やレンタルでのお土産と、踊り参加がこれからのあり方だ。

 同意の意見も多い( https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180814-00057017-gendaibiz-bus_all&p=3 )

 見るより、踊るほうがずっと面白いのは大学時代6年間の思い出だ。

 桟敷から街へ、見るのから参加へ、眺めるのから体で感じる距離へ と時代の変化がある。桟敷という装置にこだわるのは、己の利権というアナクロはここ50年間の成功体験だ。これからの阿波踊りの発展が見えていない。それが新聞社・テレビというから、これも今やオワコンと呼ばれている。

 合理性のない、コップの中の嵐を繰り返すのが「田舎」で、一番嫌いだ。相互利益や、観光政策を考える知恵も、人材もいないのか。

 とまれ、阿波踊りの踊り手はやるなぁと思った。桟敷ばかりに縛られず、踊りたいように踊るのが本来の姿だ。

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巨大アートビジネスの裏側(石坂泰章):美術館の経営や統合提案が面白い

2017-07-08 03:51:53 | 都市経営

 サザビーズの経歴を持ち、アートの流通価格や価格決定方式や市場を解説している。知見は:

・値上げするのは1%のアート、その作家の傑作

・欧米の美術館長は名誉職で経営センスが問われる、作品の入替、高値売却・安値取得のための作家発掘

・アート・イベント、カレンダーは登竜門、都市も活性化

日本については

・日本美術はバブル時の2割、国際的なニーズもなく、乗り出す動きもない

・個人資産がなく買えない、中間層の国で美術館も張り紙だらけ、倉庫に寝ている名作が多い

・文化への関心は高く、美術展の入場者も上位は多いが、赤字の美術館が多い、まとめて大きな美術館にするのが良い→賛成する、お荷物美術館がまとまるとお宝巨大美術館になる。一日過ごせるくらいの展示が欲しい

 アートもビジネスと捉えているのが良い。見て、楽しんで、運営できる美術館が本道だ

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東京のコミュニティサイクル

2017-01-24 04:02:39 | 都市経営

 飯田橋を歩いていると発見。ブリュッセルやニューヨークでも見かけたがついに東京にも。(株)ドコモ・バイクシェアが運営。中央3区と江東、新宿区が参加。

 一日1,500円か、月額会員、30分150円もあるようだ。電動自転車であり東京の坂道に強そうだ。法人会員もあり、実際走っている方も見た。

 京都にはレンタ・サイクルを楽しむ観光客が多い。東京は観光とビジネスだろうか

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徳島を走る、巡る、楽しむ、街を考える

2017-01-05 03:33:20 | 都市経営

 愚妻が仕事で徳島に2日出張、それに合わせて、徳島を1泊2日で楽しんだ。京都を8時に出て徳島に11時過ぎ。駅前のサンルート・ホテルに荷物を預け、向かいのアミコの地下1階のぐるとくサイクルで20インチミニの3段変速の電動アシストを借りる。雨のため早く帰って4時間で400円は格安。

 小雨のなか、モンベルのウインド・ブレーカーと暖パンで走る。田宮方面に走り、眉山を登る。4キロで280mの標高。流石は電動、楽に10分少しで登る。特に強力モードは押してくれる感じでバッテリーが1/4減ったのにはやはりと感じた。雨が強くなり、眼鏡に水滴で見えずらい。頂上の展望台までよっこらしょと登るが途中の急坂のピンコロ石が滑り危険、迂回する。

 雨の風景はあまりよくない、今度は西部公園側に降りる。車2台、地元の健康会のシルバーにしか会わない空いた道だが落ち葉が多く慎重に降りる。

 徳島城博物館はバブルの後に完成したそうだが、初めて(入館料300円)入館。丁度、企画展で「城下町の風景」を開催。歴史とお城の模型が圧巻。古地図を見ると徳島は「島」の連合体というか、吉野川の傍流が入込んでいるのが良く分かる。徳島城はへの字の島になっている川城だ。城下町が北と南と東に開けている。城の南の寺島川は防御に有効だったと思うが埋立て鉄道用地(駅と線路)になっている。

( http://awakouko.info/uploads/webphoto/photos/l00190l4da2bccacd14e.pdf )

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BA%E5%B3%B6%E5%B7%9D )、( https://www.city.tokushima.tokushima.jp/shisetsu/bunka_art/chuo_kouminkan/panel_kashi.files/chuo_kominkan01.pdf ) 

( http://library.jsce.or.jp/jsce/open/00044/2001/21-0159.pdf )

 戦災前の風景を見ると新町川には蔵が並び、水路を活用した都市であった。しっとりとした街並みが並んでいた。参勤交代にも安宅から御座船で海上利用であったとの歴史がある。さらに水面利用や利水として前川には貯木場と敷島紡績などもあった。しかしこれらはすべて第二次世界大戦の空襲で灰燼となった。( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E5%B3%B6%E5%A4%A7%E7%A9%BA%E8%A5%B2 )その後、徳島の復興には歴史が受け継がれなかったのは残念だ。

 圧巻だったのは旧徳島城表御殿庭園で阿波の青石(緑色片岩 http://www.library.tokushima-ec.ed.jp/digital/webkiyou/05/0504.htm )が多い。日本の十大庭園 重森千靑 (祥伝社新書)には「青石の聖地」とある。庭は大きく、枯山水と心字池が対比している。枯山水はあたかも流れているような石の意匠の上に、巨大な青石の中折れの橋と切石の橋がつながる。独自で面白い展開だ。しかも雨のため青石の綺麗なこと。但し、滑りやすい。築山には陰陽石や井戸が。その下には沢渡の石が水面すれすれに並ぶ。

 奥まった石組みに斜めに青石が刺さるなど技巧がある。さらに対岸の船着きには空中に浮いた石もある。見ていて飽きない、豪華な庭だ。雨が強くなり、足元もいよいよ危なくなったため引上げ、自転車を返しに駅前に。

 翌日は、午前中墓参で17番井戸寺に。寒い風が吹き通る。お遍路も大変だと思った。

午後からひょうたん島物語(保険料200円)で30分のクルーズ。駅や城山のある周りの新町川と助任川と福島川を一周めぐる。中洲みなと橋は桁下を上がるため架け替えたとのこと。徳島市の運営でカタマランの展望船。スピードが出て、いよいよ寒い。19本の橋をくぐるのは面白い。護岸が青石fで下の方が崩れている。新町川を沖に末広大橋の方向に向かいUターン、カモメが多い。かちどき橋の西の市場の前は潮が引いており汽水なのかエイが泳いでいるのが見える。大変楽しめた。夏ならもっと良かった。

 街を歩くと、NHKや裁判所が建て替え。マンションが多い。コンパクト・シティの核として駅前の活性化や機能集中が欲しいが郊外との競争だ。駅の西のぽっぽ街にある、行きつけの青物屋のビタミンマルシェや駅の地下で鳴門金時や野菜、海産物を仕入れる。こんな市場みたいなお店が駅の近くに増えると便利で良いと思う。空き店舗も多く、阿波踊りの練習に使えば観光にもなるのにと思う。

 駅前はホテルが多い、昔の小山の本屋も今やサンルート・ホテルの新館だ。つぼみやの跡も駐車場、ホテルかマンションが良いと思う。そごうも郊外や三宮が近くなりどうも勢いがない。駅前の空室に医療やサービスを誘致し、既存の駐車場と合わせると良いと思うが。

買出し大荷物になりバスで京都駅まで。タクシーで帰宅。楽しかったが疲れた

 

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江戸前魚食大全(冨岡一成):まあまあ

2016-07-20 04:46:29 | 都市経営

副題 「日本人がとてつもなくうまい魚料理にたどりつくまで」だが、江戸前の漁業と魚河岸の歴史で体系的ではなく散文的。知見は:

・江戸前とは狭義が品川から深川の線、広義が多摩川(羽田)から江戸川(行徳)の線

・摂州佃村から家康が漁師を呼んだ、シラウオ漁(御留魚)→佃島、森孫右衛門が「伊賀越え」を助ける縁

・小名木川は塩の運搬運河、日比谷・大手町は袋状の入江で埋立

・日本橋の魚河岸は関西の魚商人が設立、幕府が後ろ盾で上納義務、利権が株に(板舟、平田船、納屋 など)

・芝・金杉浦、品川浦、大井御林浦、羽田浦、佃島が主体

・ペリーは捕鯨船団の水と食料の補給基地確保のため、照明への鯨油のみ利用

・1962年に漁業権放棄

 まあまあためになる

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大津を歩く

2016-07-02 04:22:53 | 都市経営

 所用で大津駅に。JRで間違えて大津京に行ってしまい、山科で折り返し。

八町通りは歩道にアーケードがあるがさびれている。京町は旧東海道で、北川家住宅など町家があり、登録有形文化財にも。さらに下って中通のアーケード街に。大津曳山展示館が無料で案内の奥様と話しが盛り上がる。曳山は、風流の一種が起源で、段々と山になり、曳きの車輪がついたそうだ。車輪は3つ。からくりがついており、祇園祭の蟷螂山と共通している。湯立山は「おちゃんぽ山」というらしいがお散歩の意味か。(拍子の意味らしい、一部地域では女性器の意味だが。。。)

 案内の女性から、大津は五十三次であること、色町は下馬場町から袋町あたりと聞いて散策すると、旧色町の名残として2階の手すり、ガラス、看板などがある。

 大津に城があったのは初めて知った。なるほど名残がある。

 浜大津で打合、京津線で帰洛、500円は高いし、市役所前で乗換は不便

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長浜を散策、秀吉と城下町、水運と鉄道、長浜曳山祭、船板塀など楽しい

2016-06-10 04:49:47 | 都市経営

 またも愚妻と滋賀を、今度は長浜。都市計画では自発的街並み形成で有名。JRで京都から1,320円で1時間と少し。小旅行は楽しい。

 駅の観光案内で5館を選んで入れる「長浜浪漫パスポート」(1,000円)を購う。長浜の歴史がわかる長浜歴史博物館を嚆矢とした。歴史ビデオで秀吉の大名として初めて一国一城の主となった長浜を理解。秀吉ゆかりの街や楽市楽座、船運などの産業、都市計画、お祭り、神社も知る。街中のマンホールも千成瓢箪模様なのは楽しい。

 慶雲閣は季節の躑躅盆栽展示、火袋の四角い岩みたいな灯篭の大きいのが多い。船運で運んだのだろうか、不思議な庭園で植治(七代目小川治兵衞)作とあるが、全体構成や石組みなど奇妙だ。どう見ても揚水式以外に水があったとも思えない。( http://www.kitabiwako.jp/keiunkan/spot.html#anc-hontei ) 建物もガラス戸だが、障子を入れ替えたのだろう。近代ガラスで面白みがない。

 街中には水路が巡り、こたえられない風景が多い。ふじ石亭の富士山の溶岩石にも驚いた。驚くべきは長浜タワービルだ。( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E6%B5%9C%E3%82%BF%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%93%E3%83%AB )

 船板塀は趣がある。腰板にしては厚く、耐火より燃える危険性がある。火急の際は、下に落とす細工はあるのだろうか。また、商家の玄関は二重の扉となっているのはお作法どおり。長浜浪漫ビールの蔵を生かしたビヤ・ホールは蔵の趣がとても良い。大通寺はお東さん。

 黒壁スクエアあたりは、京都の三条から蛸薬師、河原町から堺町くらいのエリアのスケールで、半分はアーケードも。ガラス細工、お肉、漬物、お菓子のお店が多い。ダック・ツアーもあった。空き店も多く、観光客もまあまあ居るかなという程度。コンパクトで京都の京極に近い。

 むしろ周りにある施設や町屋が面白かったが、これだけ町屋が並んでいるのも珍しい。町衆の連帯を感じた。

 

 お餅屋に「華束菓子」(1個20円)が売っていた。湖北の仏事には欠かせないそうだ。

 町屋は軒の支えが京都と違い、二重の支えでしっかり。雪の重さに対応しているのだろうか。しっかり作って男性的なイメージ。

長浜曳山祭は秀吉に男の子誕生のお祝いの砂金が原資と聞いた。( http://www.biwako-visitors.jp/event/detail/182 )日本三大山車祭の一つとあるが、京都の祇園祭とは大きく違う。

 曳山博物館で聞いたところ、長浜曳山は解体せず山蔵に、車が小さく硬い、1階の舞台と楽屋、2階の亭(ちん)が特徴。祇園祭は御霊会として鉾を象徴として病気を払う宗教的側面と町衆の見せる祭りの両面があるが、曳山祭は町衆の祭りとのこと。子供の歌舞伎や囃子(シャギリ)など、町衆の発展と資力を感じた。北国街道の要所であり、商取引や船運の拠点での繁栄を感じた。

参考文献:京都の神社と祭り(本多健一 http://blog.goo.ne.jp/n7yohshima/s/%B5%FE%C5%D4%A4%CE%BF%C0%BC%D2%A4%C8%BA%D7%A4%EA )

 最後に長浜鉄道スクエア。変な駅だと思ったら、汽船との連絡駅。鉄道と海運をつなぎ、マクロ的には北国街道の物資を船で大津まで運び、大津から京都への物資輸送の要となっていたようだ。琵琶湖の船運の要所であったのは秀吉の功績でもあろう。

 楽しかった、次は湖西かな

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