二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

「疒(やまいだれ)の歌」西村賢太(新潮社)レビュー

2015年08月05日 | 小説(国内)
以前も少しだけふれたことはあるが、芥川賞作家、西村賢太の小説を、正面切って論じたことがなかった。彼の初の長編小説「疒(やまいだれ)の歌」を読みおえたが、いまでもその感想をどのようにつづるべきか、迷っている。
「近ごろの小説はさっぱりおもしろくない。とくに評価が高い村上春樹なんて、どこがいいのか? あんたは何人なんだ、日本人じゃないだろう。そういいたくなる。ほかにいい作家はいないのかねぇ」
ランチを共にしながらそう嘆くと、友人は村上春樹論をひとくさり語ったあと、「じゃ西村賢太はどうかな。まだ新人だけれど、なかなかめずらしい経歴の持ち主で、私小説を書いているんだよ」と教えてくれた。

ひぇー、いまどきまたまた私小説か!
えーと、車谷長吉さんがあらわれたとき、そのうたい文句は「最後の私小説家」であったはずだが・・・と思わないわけにはいかなかった。
中村光夫さんや伊藤整さん、平野謙さんの仕事によって、私小説は絶滅したはずだと、単純に考えていた。
なに!? 中卒で、逮捕歴まであるって? 相当な無頼漢なんだろうなあ。
わたしはしばらくたって、講談社文庫で「どうで死ぬ身の一踊り」を買って読みはじめた。
(この作品集は、講談社から出たのは2006年。2009年にはどうしたわけか、新潮文庫に移籍して現在にいたっている。参考文献として久世光彦、坪内祐三の文を巻末に収め、解説は歌手の稲垣潤一が書いている)
2011年9月18日に、わたしはmixi=二草庵摘録において、西村賢太にはじめてふれた。
http://blog.goo.ne.jp/nikonhp/e/c323d2dfae4aeb15ddc0bfd0cf2bd331

「どうで死ぬ身の一踊り」には「墓前生活」「どうで死ぬ身の一踊り」「一夜」の三編が収録されているが、そのうちはじめの二編には、強い印象をうけた。
芥川賞となった「苦役列車」も手に入れていたが、読んだのは半年くらいたってから。
そのあとで読んだ「小銭をかぞえる」がつまらなかったので、まもなく西村賢太からは関心がうすれた。

ところが猛暑のため活字モードのスイッチが入りっぱなしとなり、小説への関心がもどってきたついでに「苦役列車」を読み返してみたら、以前読んだときよりおもしろく、「落ちぶれて袖に涙のふりかかる」も併せて読み、彼に対する関心までももどってきた。
対談集やエッセイ集も手に入れた。わたしの関心がうすれているあいだに、西村さんは、なかなかいい仕事をしていたわけである。TVその他マスコミにも顔を出しているから、YouTubeなどで、その姿、発言をひろうこともできる。

葛西善蔵流の破滅型私小説作家だとおもっていたが、どうも違うぞ?
好奇心がうずき出したので、わたしはこの「疒(やまいだれ)の歌」にも手をのばした・・・というのが、ここまでのいきさつ。
いつもの通り主人公は作者の分身北町貫多で、本作は彼の二十歳のころをあつかっているから「苦役列車」の続編といえる。
屈折した青春小説としての味わいがたっぷりとあり、一本調子の単純明快なストーリーのため、とても読みやすい。山田洋次監督の寅さんシリーズの陰性バージョンといってみたい誘惑にかられる。マドンナには、たいしたリアリティーがないという意味において。

しかし、西村さんは太宰治があんなにも欲しがっていた芥川賞を、とにもかくにも受賞してしまった人である。したがって、ここまでの作品は、すべてサクセスストリーということになる。
ヴィルドウグスロマン(Bildungsroman)、かくして「私」は成長し、成功をおさめた・・・である。人によっては「西村文学はかくしてここに終った」ということになる。わたしもその見解にほぼ賛成である。みるからに薄汚い中卒の貧乏青年は、名誉を手に入れ、大金持ちになったのだから。

本作の愛読者はワーキングプアといわれる若者層なのだろうか?
それとも、そういう連中を、高見から見下ろしている団塊の世代だろうか。苦しみ、悶え、恥をさらし、にもかかわらず夢を追いもとめる。あまりに古色蒼然とした文体の彼方に、作家の意地がすけて見える。いくらか物足りないとはいえ、これは「貫多もの」の集大成といえるのかもしれない。

本作で注目せざるをえないのは、「オリンポスの果実」で有名な田中英光や藤沢清造との出会いが描かれているところだろう。しかし彼らは破滅型の私小説作家である。ところが西村賢太は、成功者なので、さてさて、これから成功した「私」を、どう書いていくのだろうと、心配になるのは、わたしばかりではないだろう。
西村さんのカードはマイナスばかり。ところがそのカードをすべて集めたら、ロイヤルストレートフラッシュ!に化けた。そういう奇蹟が起こったといえる。

「疒(やまいだれ)の歌」は成功作とはいえないまでも、なかなか読ませる充実した内容をそなえている。
「そうだな。私小説という、わが国特有の奇妙な一群の小説がかつてあった。太宰治など、そのもっとも成功した一例だろう。葛西善蔵、嘉村礒多、上林暁、川崎長太郎、安岡章太郎、藤枝静男、阿部昭といった作家たちを、もう一回、じっくりと読み込んでみようか」
・・・という気分になっている。
現代文学なるものが、あまりにつまらないと、わたしにはおもえる。なんでもありのふやけたフィクションが、どうにもあきたらない。そこに「私小説」の付け入るスキがあるのだ。



評価:☆☆☆☆(5点満点)

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