二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

記録的な猛暑と「遠い夏の記憶」(ポエムNO.27)

2011年07月17日 | 俳句・短歌・詩集
「つぶやき」でもつぶやいたように、こちら北関東は、昨日の伊勢崎で38.6℃、熊谷で39.8℃を記録した(^^;) 昨年の“猛暑”もすごいと思ったけれど、ことしはまた、いちだんとパワーアップしている。
わたしは数日前、最高気温36℃だった日の午前中、管理している貸家の草刈りをしたあと、2、3日は体調がおかしかった。
だがこの炎天下、高校野球の予選がおこなわれている。
「若さ」というのは、環境順応性のことなんだろうか?
友人に元高校野球部員のMさんがいるが、「今年はね、さすがに球場まで足をはこぶ気にはなれない。テレビ観戦だなあ」と、電話の向こうでいっていた。
「自重しないとね。救急車には、二度と乗りたくないから・・・」

ことしは梅雨明けがはやかった。
台風の発生数、上陸数も多くなるのでは?
農産物に大きな被害が出なければいいけれどと、一応農家の息子たる三毛ネコは――チト心配している。ただでさえ、東日本では、震災と福島原発によっていためつけられているのだから。
今日と明日、事務所で電話番。
数件のアポイントが入ってはいるが、ヒマなので、エアコンをきかせてうたた寝しながらCDを聴いたり、本を読んだりと、の~んびり過ごそうと考えている。





「遠い夏の記憶」(ポエムNO.27)


記憶のとっぱずれにある遠い夏のにおい
あの七月のにおいを嗅いでいる。
思い出という名の芳香には
人にはわかってもらえない悲しみのようなものが混じっている。
どこからか 蒼(あお)や翠(みどり)の紙ヒコーキが飛んできて
ぼくのまぶたの裏側に着地する。
眼をあけると見えなくなってしまう紙ヒコーキ。
小学校の校庭や 祖父が元気だったころの田んぼをよこぎり
透明な七月の風にのって ゆらめきながら。

思い出せる思い出には よく眺めるとイトトンボのような翅をもったものがある。


ひとりの女がさかんにぼくを責めたてている。
「すべてあなたが悪いのだ」と。
とても単純にいえば そういいたいのだね
それだけがいいたいわけじゃないらしいけれど。
ぼくは明け方の鳥のさえずりに耳をすましているだけさ。
それはお金に換算できない。
時間の単位や 「今日のニュース」にも。
ぼくをあんなにもくらくらさせたAdagioが終わる。
音楽がもっている泉に口をつけて一頭の馬がいつまでも水をのんでいる。
ぼくはそこからやってきた人とすれ違う。

ああ やっぱりぼくが悪かったのだ。


「わかるもの」の隣にかならず「わからないもの」がある。
たどりついたと思った峠のさきに
濃霧のホワイトアウトが立ちはだかるように。
そこから未来はどんな麓へ どんな平野へつながっている?
知らないものはない・・・はずの日常のなかに
しっとりした感触と重みがよみがえる。
それはなんだろう うーん なんだろう。
さっきまであんなにいいお天気で
気持ちのいい風が吹いていたのに。
「それ」はもう ぼくの手の中にはない。
豊満な乳房のようなしっとりした感触と重み
を――

この左手が覚えているだけ。


記憶のとっぱずれにある遠い夏のにおい
あの七月のにおいを嗅いでいる。
思い出という名の古びた傷みのはげしい書物には
だれにでもわかる汗のようなものが混じっている。
せつなさについて語ろうとして
ぼくはいくたびとなく失敗してきた。
さっき開け放った窓の向こうで
忘れ物をさがしに出たひとりの農夫がさかんに咳をしている。
人はたいせつなものだけを記憶するわけじゃないけれど。
忘れ物とはなんだろう うーん なんだろう。
刃こぼれした一本の鎌
・・・のような生活ならそこに落ちている。
かがみこんで愛おしげにそれを拾いあげる。

刃こぼれした一本の鎌 にしか見えないようなものを。



※いつものことながら、写真と詩は直接のつながりはありません。

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