ふと見るとまたクズ籠がいっぱいになって
ゴミがあふれている。
いったいどれほど仕事をしたというんだろ。
一週間を振り返ってみると
だらだら だらだらと。
半分遊びながら 時の刃先をとん
とんと渡ってきただけのようにおもえる。
このあいだ一年前のmixi日記を読み返してみたけれど
ほとんどなんの感慨もわかなかった。
タカをくくっているわけじゃないけど
こんなふうにしてなにかが
確実に摩滅していくんだね。
だからって 明日から生き方を変えようとはおもっていないし
変えられるならとっくに変えている。
数時間前に撮った数枚の写真をぼくは覚えている。
感動というほどじゃないけど
ある印象をうけてシャッターを押したんだ。
女子高生三人が写っていて
そこにすてきな斜光線がさしていた。
短編映画のラストシーンみたいでさ。
明日は雨だろうか
晴れるだろうか。
摩滅し ちぎれたこころの薄片をかき集めたら
ぼくとよく似た人物ができあがりそうだね。
ちょっと犬か猫の親戚みたいな。
なぜか遠く 流謫の地へ向かって旅立ちたくなることがある。
だけどそこでもやっぱりぼくは
たえまなくゴミを出しつづけるだろう。
その大半は「燃えるゴミ」だし
いまここにいるぼくだって
地球にとっては燃えないごみでも資源ゴミでもなく
「燃えるゴミ」みたいなものだろう。
謙虚になるってむずかしいね。
ゴミを出さない生活と同じで。