この人は、このあいだ「日本辺境論」をおもしろく読んだ。
論点は明快だし、結論の落としどころがうまい批評家だと、わたしはにらんでいる。
本書はベストセラーというほどではないにしても、かなり話題となり、論議を呼んだ本である。大学の先生というより、論壇における、一方の旗頭として、その発言は重みをましている。
「下流志向」は、流行語になったような気がする。
本書のサブタイトルは「学ばない子どもたち、働かない若者たち」である。
日本社会に未来はあるか?
●勉強を嫌悪する日本の子ども
●「矛盾」と書けない大学生
●未来を売り払う子どもたち
●リスクヘッジを忘れた日本人
●自己決定する弱者たち
●勉強しなくても自信たっぷり
●転職を繰り返す思考パターン
●子どもの成長を待てない親
●クレーマー化する親
●身体性の教育
ざっと拾い出したこの小見出しを見ているだけで、鋭敏な読者は、内田さんが何を主張しようとしているのか、ある程度は理解できるはず。さきほど参照のため、ネット検索してみたら、じつにたくさんのコメントを拾うことができ、わたしがいいたいようなことはほぼいい尽くされている・・・との感想をもってしまった。それほど反響が大きかった証拠でる。
消費社会の進展によって、幼いうちから「等価交換」という、無時間の消費者となり、多くの子がそれを唯一の価値基準にしてしまったと内田さんはいう。子どもたちは、苦痛や拘束と、学習を等価交換し「いますぐ役にたたないものからは、学ばずに逃出す」のだ、というわけである。
大人たちが、消費社会でふるまっているのを、模倣しているともいえる。
リスクヘッジを忘れた日本人、転職を繰り返す思考パターン、クレーマー化する親――そういったものを総称し、「下流志向」と名づける。それは国力の低下をまねき、格差社会を助長する。
これは、「労働」の時間性を軸に展開する、ある種の教育哲学ともいえるし、良心的な「教師」としての改善提案とも読めるので、わたしにとっては、後半はまさに「目からウロコ」の連続だった。よく読むと、内田さんは、書きにくいことについて、かなりはっきりものをいっている。現場の教師の多くは、これを読んでいくらか「救われた」と思うのではないか? 彼らこそ、学ばない子どもやニートと、日夜向き合って、悪戦苦闘しているからである。
大人ならともかく、自己責任論を、学齢期の子どもに適用したらどうなるのか。
あるいは、そういった成長途上にある子どもや若者に向かって、
「さあ、あなたにはこういう選択肢があります。どれか選んで下さい。むろん、自己責任ですからね」といったら、どうなるだろう。内田さんは問題発生の深層を掘り下げていきながら、等価交換と贈与という、マルクスの概念に足を踏み込んでいくのだ。
このあたりは、現代消費社会の病巣として出現した教育問題に対する、じつに精度の高い考察となっている。どうすればいいのか? それも、総論的にふれている。社会そのものは、あるいは子どもを引き受ける家庭環境は、そう簡単には変えられないけれど、
病巣の発生原因の究明は、「論点の明確化が出発点」という意味で、評価されなければならない。
いまなにをなすべきか、・・・巻末の質疑応答のなかで、そのあたりの提案もきっちりやっているところが「えらい」な。抽象的な空理空論ではないからである。
わたし自身も最近、無時間的な等価交換を好む傾向が強くなっているのではないかと、少し反省し、うすら寒い思いがこみあげた。
評価:★★★★★
論点は明快だし、結論の落としどころがうまい批評家だと、わたしはにらんでいる。
本書はベストセラーというほどではないにしても、かなり話題となり、論議を呼んだ本である。大学の先生というより、論壇における、一方の旗頭として、その発言は重みをましている。
「下流志向」は、流行語になったような気がする。
本書のサブタイトルは「学ばない子どもたち、働かない若者たち」である。
日本社会に未来はあるか?
●勉強を嫌悪する日本の子ども
●「矛盾」と書けない大学生
●未来を売り払う子どもたち
●リスクヘッジを忘れた日本人
●自己決定する弱者たち
●勉強しなくても自信たっぷり
●転職を繰り返す思考パターン
●子どもの成長を待てない親
●クレーマー化する親
●身体性の教育
ざっと拾い出したこの小見出しを見ているだけで、鋭敏な読者は、内田さんが何を主張しようとしているのか、ある程度は理解できるはず。さきほど参照のため、ネット検索してみたら、じつにたくさんのコメントを拾うことができ、わたしがいいたいようなことはほぼいい尽くされている・・・との感想をもってしまった。それほど反響が大きかった証拠でる。
消費社会の進展によって、幼いうちから「等価交換」という、無時間の消費者となり、多くの子がそれを唯一の価値基準にしてしまったと内田さんはいう。子どもたちは、苦痛や拘束と、学習を等価交換し「いますぐ役にたたないものからは、学ばずに逃出す」のだ、というわけである。
大人たちが、消費社会でふるまっているのを、模倣しているともいえる。
リスクヘッジを忘れた日本人、転職を繰り返す思考パターン、クレーマー化する親――そういったものを総称し、「下流志向」と名づける。それは国力の低下をまねき、格差社会を助長する。
これは、「労働」の時間性を軸に展開する、ある種の教育哲学ともいえるし、良心的な「教師」としての改善提案とも読めるので、わたしにとっては、後半はまさに「目からウロコ」の連続だった。よく読むと、内田さんは、書きにくいことについて、かなりはっきりものをいっている。現場の教師の多くは、これを読んでいくらか「救われた」と思うのではないか? 彼らこそ、学ばない子どもやニートと、日夜向き合って、悪戦苦闘しているからである。
大人ならともかく、自己責任論を、学齢期の子どもに適用したらどうなるのか。
あるいは、そういった成長途上にある子どもや若者に向かって、
「さあ、あなたにはこういう選択肢があります。どれか選んで下さい。むろん、自己責任ですからね」といったら、どうなるだろう。内田さんは問題発生の深層を掘り下げていきながら、等価交換と贈与という、マルクスの概念に足を踏み込んでいくのだ。
このあたりは、現代消費社会の病巣として出現した教育問題に対する、じつに精度の高い考察となっている。どうすればいいのか? それも、総論的にふれている。社会そのものは、あるいは子どもを引き受ける家庭環境は、そう簡単には変えられないけれど、
病巣の発生原因の究明は、「論点の明確化が出発点」という意味で、評価されなければならない。
いまなにをなすべきか、・・・巻末の質疑応答のなかで、そのあたりの提案もきっちりやっているところが「えらい」な。抽象的な空理空論ではないからである。
わたし自身も最近、無時間的な等価交換を好む傾向が強くなっているのではないかと、少し反省し、うすら寒い思いがこみあげた。
評価:★★★★★