(単行本と文庫本)
徴兵制が敷かれ憲法で人権が保証されていなかった時代、庶民男子は一銭五厘のハガキでいくらでも“調達”できた。そのことをまず念頭に置かないと、この時代は理解できない。兵士が死んだら、部品のように捨ててつぎを補充すればすむのである。
非情な上官の下では、部下は命令によって使い潰され、反抗あるいは逃亡すれば投獄され、最悪は死刑が待っていた。
本編は「昭和史」「日本のいちばん長い日」などとならび、歴史探偵半藤一利さんの代表作と称してもいいであろう。
パノラマ的な多元中継が、ずばりずばり功を奏し、読者はまるで“緊迫する世界情勢”のジェットコースターに乗せられたように最後のページへと運ばれる。
モスクワ(クレムリン等)
ベルリン(鷹の巣山荘等)
東京(参謀本部作戦課等)
新京(満洲軍参謀本部作戦課等)
ノモンハン現地の戦場
主としてこの5か所を往来しながら、過酷な“戦争の時代”を陰影深く彫り上げていく。ノモンハン事件が、どういった時代背景の中で戦われたのか、その現実を目のあたりにする。
この力編を、半藤さんはお一人で書き上げたのだろうか(秘書などの協力者なしに)?
圧倒的な迫力と精確さにぐいぐい引き込まれ、書評など小賢しいわい・・・とつくづく思い知らされた(´Д`)
伊藤桂一の「静かなノモンハン」が、一兵士の眼から見た、心情的な戦争の悲惨さに描写の力点をおいているとすれば、この「ノモンハンの夏」は、理知的な分析力を主力としたグローバルな視野に立って、世界情勢を、また戦場を見渡している。
最大のキーワードは、スターリン統治下の大国ソ連。そして蟷螂の斧を振りかざし、それにたち向かう日本帝国陸軍の卑小さ、非力さ!
戦争指導にあたった東京・三宅坂上の参謀本部のエリートたちが、いかに無能であったかが、遠慮会釈なく抉りだされる。
そして、満洲軍参謀本部作戦課を引きずり回した二人の参謀、服部卓四郎と辻政信の所業を暴くことに心血をそそいでいるといってもいいだろう。
大声で語るのではないが、鑿で黙々と木を削るような作業を積み重ねて、読者にその組織のありようを訴えている。
職業軍人は戦功をあげ、昇進したかったのだし、勲章が欲しかったのだ。そのため、下士官や兵がいくら“消耗”しようが、ほとんど意に介さなかった。
半藤さんは「週刊文春」「文藝春秋」の編集者、編集長等を歴任し、2021年1月に、90歳で逝去している。最終職歴は文藝春秋社専務。文藝春秋社内でも悍馬といえる存在であったと思われる。
さて、BOOKデータベースの内容紹介を引用しておこう。
《参謀本部作戦課、そして関東軍作戦課。このエリート集団が己を見失ったとき、満蒙国境での悲劇が始まった。司馬遼太郎氏が最後に取り組もうとして果せなかったテーマを、共に取材した著者が、モスクワのスターリン、ベルリンのヒトラーの野望、中国の動静を交えて雄壮に描き、混迷の時代に警鐘を鳴らす。》
なお、本編「ノモンハンの夏」によって、第7回山本七平賞を受賞。
以前から必読書リストに入っていたが、なかなか読み通すことができなかった(ノω`*)
「静かなノモンハン」に心打たれたとき「おっと、半藤さんの『ノモンハンの夏』があったぞ」と、手許に準備していたことを思い出した。
半藤さんに関しては、YouTubeなどに動画がたくさんUPされているようだし、その他ネット上に数多くの情報がある。
昭和史の専門家であるが、大学教授あたりが書く歴史書とは、一味も二味も違う、すぐれた洞察力、瞬発力を秘めた物書きとして尊敬していた。
文藝春秋社の専務まで上りつめたことが、半藤さんのリーダー論に反映されているのだろうと、わたしは推測(邪推?)している。
敗戦時15歳であった半藤さんには、兵士としての、つまり軍人としての経験はない。
それなのに、いやそれだからこそ、鳥観図的な立ち位置から、戦争の時代の足音を正確に計り、聞き取る耳を持った、といえるのだろう。
「週刊文春」「文藝春秋」で編集長をつとめたことが、生来の気質とあいまって、多少下世話なエピソードに敏感な、江戸っ子ふうの歯切れよさが加わった。
学者、研究者ではなく、むしろジャーナリスト出身であることが、しかも、岩波書店や中央公論社ではなく、文藝春秋に拠ったことが大きかったと思われる。
これまでの通説にとらわれることなく、まことに風通しのよい論法に説得され、「ああ、ここは本編のキモだな」と思われるところには、わたしはポストイットを挟むクセがあるが、あまりに多くて、どこから引用したらいいのか、引用すべきなのかわからない。
昭和史の「語り部」といえる人物は保坂正康、秦郁彦など錚々たる物書きが数多くいる。しかし、半藤一利さんは、一頭他の面々を引き離している・・・と、わたしには思われる。
「静かなノモンハン」と「ノモンハンの夏」。
切り口は大いに異なるが、ノモンハン事件を知りたい人にとってはどちらも必読書である。
日本陸軍のおそまつさを暴いた本としては、ほかにも「一下級士官が見た帝国陸軍」山本七平「軍旗はためく下に」結城昌治など、名著とされるものがいくつかある。
さらにメモしておくと、
「藤井軍曹の体験」伊藤佳一 光人社
「指揮官と参謀 コンビの研究」半藤一利 文春文庫
「ソ連が満洲に侵攻した夏」半藤一利 文春文庫
「収容所から来た遺書」辺見じゅん 文春文庫
「『終戦日記』を読む」野坂昭如 中公文庫
・・・といった書物をスタンバイさせてある。さらに半藤一利さんには「十二月八日と八月十五日」という興味つきない編著があり、これは以前読んで、ことに「十二月八日」の日記に衝撃を受けたことを覚えている。そこには、“あの戦争”は、軍部の独走ではなく、多くの日本人、マスコミの大半がこぞってヤレイケ、ヤレイケと太鼓を叩き、鼓舞したものであることがしるされている。
そのいきついた先に、日本人320万人の死体が横たわったわけである。ノモンハン事件こそ、昭和の戦争のスタートライン、少なくともその一つであったのである(。-ω-)
わたしの父も戦争に駆り出され、九死に一生を得て、山口県の仙崎港に引き上げている。
父の時代の大いなる悲劇は、今後もきっとくり返されることになる。なぜなら、この時代の日本人と現在の日本人は何ら変わってはいないから。
そのことを確かめるためにも、極めて重要な一冊である。ここにしるされているのは、過去の物語であり、そして・・・未来の物語でもあるのだ。
評価:☆☆☆☆☆
<参考>
https://www.youtube.com/watch?v=96PJObliObo
※「万骨枯る」は本編の最後の章に拠っています。
また、下3枚はネット検索からお借りしました。著作権その他問題があればご連絡下さい。
徴兵制が敷かれ憲法で人権が保証されていなかった時代、庶民男子は一銭五厘のハガキでいくらでも“調達”できた。そのことをまず念頭に置かないと、この時代は理解できない。兵士が死んだら、部品のように捨ててつぎを補充すればすむのである。
非情な上官の下では、部下は命令によって使い潰され、反抗あるいは逃亡すれば投獄され、最悪は死刑が待っていた。
本編は「昭和史」「日本のいちばん長い日」などとならび、歴史探偵半藤一利さんの代表作と称してもいいであろう。
パノラマ的な多元中継が、ずばりずばり功を奏し、読者はまるで“緊迫する世界情勢”のジェットコースターに乗せられたように最後のページへと運ばれる。
モスクワ(クレムリン等)
ベルリン(鷹の巣山荘等)
東京(参謀本部作戦課等)
新京(満洲軍参謀本部作戦課等)
ノモンハン現地の戦場
主としてこの5か所を往来しながら、過酷な“戦争の時代”を陰影深く彫り上げていく。ノモンハン事件が、どういった時代背景の中で戦われたのか、その現実を目のあたりにする。
この力編を、半藤さんはお一人で書き上げたのだろうか(秘書などの協力者なしに)?
圧倒的な迫力と精確さにぐいぐい引き込まれ、書評など小賢しいわい・・・とつくづく思い知らされた(´Д`)
伊藤桂一の「静かなノモンハン」が、一兵士の眼から見た、心情的な戦争の悲惨さに描写の力点をおいているとすれば、この「ノモンハンの夏」は、理知的な分析力を主力としたグローバルな視野に立って、世界情勢を、また戦場を見渡している。
最大のキーワードは、スターリン統治下の大国ソ連。そして蟷螂の斧を振りかざし、それにたち向かう日本帝国陸軍の卑小さ、非力さ!
戦争指導にあたった東京・三宅坂上の参謀本部のエリートたちが、いかに無能であったかが、遠慮会釈なく抉りだされる。
そして、満洲軍参謀本部作戦課を引きずり回した二人の参謀、服部卓四郎と辻政信の所業を暴くことに心血をそそいでいるといってもいいだろう。
大声で語るのではないが、鑿で黙々と木を削るような作業を積み重ねて、読者にその組織のありようを訴えている。
職業軍人は戦功をあげ、昇進したかったのだし、勲章が欲しかったのだ。そのため、下士官や兵がいくら“消耗”しようが、ほとんど意に介さなかった。
半藤さんは「週刊文春」「文藝春秋」の編集者、編集長等を歴任し、2021年1月に、90歳で逝去している。最終職歴は文藝春秋社専務。文藝春秋社内でも悍馬といえる存在であったと思われる。
さて、BOOKデータベースの内容紹介を引用しておこう。
《参謀本部作戦課、そして関東軍作戦課。このエリート集団が己を見失ったとき、満蒙国境での悲劇が始まった。司馬遼太郎氏が最後に取り組もうとして果せなかったテーマを、共に取材した著者が、モスクワのスターリン、ベルリンのヒトラーの野望、中国の動静を交えて雄壮に描き、混迷の時代に警鐘を鳴らす。》
なお、本編「ノモンハンの夏」によって、第7回山本七平賞を受賞。
以前から必読書リストに入っていたが、なかなか読み通すことができなかった(ノω`*)
「静かなノモンハン」に心打たれたとき「おっと、半藤さんの『ノモンハンの夏』があったぞ」と、手許に準備していたことを思い出した。
半藤さんに関しては、YouTubeなどに動画がたくさんUPされているようだし、その他ネット上に数多くの情報がある。
昭和史の専門家であるが、大学教授あたりが書く歴史書とは、一味も二味も違う、すぐれた洞察力、瞬発力を秘めた物書きとして尊敬していた。
文藝春秋社の専務まで上りつめたことが、半藤さんのリーダー論に反映されているのだろうと、わたしは推測(邪推?)している。
敗戦時15歳であった半藤さんには、兵士としての、つまり軍人としての経験はない。
それなのに、いやそれだからこそ、鳥観図的な立ち位置から、戦争の時代の足音を正確に計り、聞き取る耳を持った、といえるのだろう。
「週刊文春」「文藝春秋」で編集長をつとめたことが、生来の気質とあいまって、多少下世話なエピソードに敏感な、江戸っ子ふうの歯切れよさが加わった。
学者、研究者ではなく、むしろジャーナリスト出身であることが、しかも、岩波書店や中央公論社ではなく、文藝春秋に拠ったことが大きかったと思われる。
これまでの通説にとらわれることなく、まことに風通しのよい論法に説得され、「ああ、ここは本編のキモだな」と思われるところには、わたしはポストイットを挟むクセがあるが、あまりに多くて、どこから引用したらいいのか、引用すべきなのかわからない。
昭和史の「語り部」といえる人物は保坂正康、秦郁彦など錚々たる物書きが数多くいる。しかし、半藤一利さんは、一頭他の面々を引き離している・・・と、わたしには思われる。
「静かなノモンハン」と「ノモンハンの夏」。
切り口は大いに異なるが、ノモンハン事件を知りたい人にとってはどちらも必読書である。
日本陸軍のおそまつさを暴いた本としては、ほかにも「一下級士官が見た帝国陸軍」山本七平「軍旗はためく下に」結城昌治など、名著とされるものがいくつかある。
さらにメモしておくと、
「藤井軍曹の体験」伊藤佳一 光人社
「指揮官と参謀 コンビの研究」半藤一利 文春文庫
「ソ連が満洲に侵攻した夏」半藤一利 文春文庫
「収容所から来た遺書」辺見じゅん 文春文庫
「『終戦日記』を読む」野坂昭如 中公文庫
・・・といった書物をスタンバイさせてある。さらに半藤一利さんには「十二月八日と八月十五日」という興味つきない編著があり、これは以前読んで、ことに「十二月八日」の日記に衝撃を受けたことを覚えている。そこには、“あの戦争”は、軍部の独走ではなく、多くの日本人、マスコミの大半がこぞってヤレイケ、ヤレイケと太鼓を叩き、鼓舞したものであることがしるされている。
そのいきついた先に、日本人320万人の死体が横たわったわけである。ノモンハン事件こそ、昭和の戦争のスタートライン、少なくともその一つであったのである(。-ω-)
わたしの父も戦争に駆り出され、九死に一生を得て、山口県の仙崎港に引き上げている。
父の時代の大いなる悲劇は、今後もきっとくり返されることになる。なぜなら、この時代の日本人と現在の日本人は何ら変わってはいないから。
そのことを確かめるためにも、極めて重要な一冊である。ここにしるされているのは、過去の物語であり、そして・・・未来の物語でもあるのだ。
評価:☆☆☆☆☆
<参考>
https://www.youtube.com/watch?v=96PJObliObo
※「万骨枯る」は本編の最後の章に拠っています。
また、下3枚はネット検索からお借りしました。著作権その他問題があればご連絡下さい。