二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

「大衆の反逆」中島岳志(NHK 100分de名著 2019年刊)レビュー

2019年01月31日 | 哲学・思想・宗教
本書も書店で見かけてパッと買ってしまった衝動買いの一冊。
100分de名著シリーズはこれまで7~8冊は読んでいるが、なかなか書評を書きたくなるような、すぐれた内容を備えたものとぶつからなった。読書人ではなく、一般の視聴者を想定し、TV番組の枠内で話されたもののテキスト化だから、まあこんなレベルかな・・・と思わないでもない(^^;)

「大衆の反逆」とは、端的にいえば反ポピュリズムの本である。
・第1回 大衆の時代
・第2回 リベラルであること
・第3回 死者の民主主義
・第4回 「保守」とは何か

と、4回に渡って放映されるようだが、わが家にはそもそもTVがない(^○^)/タハハ

要するにオルテガ「大衆の反逆」にことよせて、中島岳志さんがご自身の“持論”を展開した本。
長期化する自民党&安倍政権による政治と、アメリカ・トランプ大統領の政策を批判のターゲットとしている。ただし、具体的にはそのことには一切ふれていない。安倍さんのあの字も、トランプさんのトの字も出てこない。

そのかわり、カント、フーコー、トクヴィル、ポール・ヴァレリー、柳田国男、小津安二郎、ジークムント・バウマン、アンドリュー・ジャクソン、西部邁等、数多くの人名が登場し、たくさんの引用文が掲げられている。そしてそこにある“思想”を団子状に串刺ししながら、中島さんが、持論を展開なさっているわけだ。

《私たちの「現在」は、膨大な過去の蓄積の上に成り立っています。私たちが担うべき改革のための作業は、その過去から相続した歴史的財産に対する「永遠の微調整」なのです。この「微調整」をずっと続けていくというのが、バークの思想のエッセンスであり、保守思想そのものなのです》(本書97ページ)

《「本稿の意図は、現下の大衆社会にたいし日々つのってくる自分の嫌悪・憂うつの気持を、オルテガの激しい表現に仮託して表わしてみることにある。またそれをつうじて、大衆社会の恐ろしさの本体をつかめればと思う」(西部邁「大衆への反逆」より引用
「大衆を批判するのはますます強固なタブーとなりつつあるが私はその禁忌にやすやすと従いたくない」同前より引用
もちろん西部が言う「大衆」も、単なる階級的な概念ではありません。トポスなき、自己懐疑を失った近代人を意味しています。
その大衆に寄り添ってみせるのが善良な知識人だという風潮があるけれど、自分はそれには従いたくない。大衆の中にある問題を突き刺し、示して見せることによってこそ、開けてくる世界があるのではないかと言っているのです。》(本書105ページ)

こういった言説を読んでいると、中島さんが、保守の思想の核心を語ろうとしているのがよくわかる。トランプ政権、安部政権批判と読んでしまうのは、むろん読者の早とちりなのである。
わたしは60年代末から70年代にかけて青春期を送った世代なので、1975年生れの中島さんとは微妙に価値観がずれている。しかし、そのずれが、本書がおもしろかった理由でもある。
中島さんの専門は、南アジア地域研究、日本思想史、政治学だそうである。ここに説かれているのは、エリート、エリート予備軍、あるいは惜しいところでエリートになりそこねた人たちを主要なターゲットにした論議である。一口に大衆といっても、いろいろなレベルがあり、“下層”に属する大衆は、こんな議論には耳を貸さないし、本も読まない。

エリート、エリート予備軍、あるいは惜しいところでエリートになりそこねた人たちが耳をかたむけ、中島さんの本を「ほほう、本来の保守とはそういうものであったか」と感心するのである。
大衆とか庶民とか国民とかいっても、一括りにいえば「サイレント・マジョリティー」のことなので、いかようにも解釈可能なはず。彼らの一票一票、その集積が、「政権選択」にそのままつながっていくわけである。
わたしが見るところ、日本にはアメリカにあるような民主主義は存在しないし、存在しえない制度である。ただ、その点を衝こうとすると、議論はますますややこしくなるだろう。

以前、半藤一利さんの「あの戦争と日本人」(だったと思うが)を読んでいて驚いたのは、大学を拠点とする言論人であろうが、文学者であろうが、知識人といわれる人たちのすべてが、庶民・大衆と一丸となって対米戦争(真珠湾奇襲)に興奮し、支持しているという現実であった。
新聞はむろん「いけいけドンドン!」と、戦争を後押ししていることはいうまでもない。

オルテガは「私は、私と私の環境である」といっているそうである。彼は1883~1955年という時代を生きたスペインの哲学者である。たくさんの本を書いているが、現在では一般にはこの「大衆の反逆」だけが読まれている。それは本書が、ファシズムと共産主義革命の双方に対する“警告の書”としての価値を、いまも失わないからであろう。
中島さんはオルテガの「大衆の反逆」を教科書にし、しばしば特権階級のように振る舞う知識人たちに再考をうながしているのだ。

日本は保守化しているといわれて久しい。しかし、保守本来の思想とはなにか!?
中島さんはそれを、「大衆の反逆」をテコに、ご自分の専門分野を参照しながらさぐっている。
過去とどう向き合ったらいいのか・・・それはこの国に生きる人たちの永遠の課題である。
ここらあたりから、日本では柳田国男、フランスではレヴィ=ストロースへと舵を切っていく・・・そういういわば「過去への遡及、過去への探索」はありうることである。
こういう“微調整”の在り方が、保守の真面目だと、わたしは読んだ。



評価:☆☆☆☆

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