二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

写真「夜のバス」と「アダージョな秋がはじまる」(ポエムNO.46)

2011年08月22日 | 俳句・短歌・詩集

しばらく写真日記を書かなかったので、久しぶりにこっちがメインで、詩をふろくにした日記を書いておこう。

まずは、アルバム「夜への階段」から2枚。どちらもバスなので、「夜のバス」としておく。
トップに掲げたのは、たしかニコンD7000、ISO3200で撮影している。
デイライトで眺めるとなんの変哲もないような被写体でも、夜の人工照明下だと、シュールなイメージを取り込むことができる。
通勤で片道30分。いろいろなデザインのバスとすれ違う。



これもそう。
バスは夜が断然おもしろ~い(^_^)/
カメラCX4、トイフォト。光源がいたるところに存在し、反射しあっているから、どんな絵になるか、シャッターを押してみないとわからない。
CX4の起動ボタンはONにしたまま走ったりする。けっこうでたらめにファインダーを向けてシャッターを押す。
するとおもいがけない写真が「撮れている」のであ~る。写真の他力本願(笑)。
運転台から撮っているので、じっくりかまえて・・・な~んてやっていたら、事故をおこします(/_;) 良い子の皆さんは、真似しないほうがいいです。


もう1枚は、定点観測地点の近所にいたワンちゃん。鎖につながれていない犬はめずらしい。これはクルマを止めて、フロントガラス越し。外に出ようとしたら、吠えられた(^^;)
律儀なやつ。その律儀さがこの写真によくあらわれている――とおもうのだけれど、どうかしら? くたびれた集金人のおじさんみたいで。




さてさて、今日は詩はふろくとして掲載。

「アダージョな秋がはじまる」(ポエムNO.46)

ひと足ごとにアダージョな秋が近づいてくる。
江戸から安房へ 安房から上総へ 上総から水戸へ
さらに日光へ足利へ ぼくは地名の旅をする。
例幣使街道あたりの宿場はまもなく人が出盛る秋祭り。
通過していく旅人の足ははやい。
銀杏返しの女がひとり
旅籠からついと出て ぼくのまえを歩いて
歩いて。

古井戸をのぞきこむようにして
昨日のはなだいろ空を思い出す。
時代という名の 名主たちがいばりちらす。
どこの宿駅とはいわず。
盗人(ぬすびと)がすれ違う。
一房の葡萄の実から 荷を満載にした大八車がぞろぞろ出てくる。

ぼくを一枚のCDに釘付けにするアダージョな秋は
たとえばもう 足利のあたりからはじまっているのだろう。
今日も水いろ駅から永遠ゆきの列車が発車する。
江戸から明治へ 明治から大正・昭和へ。
近世のひかりが俳人を嚢中におさめて
赤く あかく色づいているさまを見よ。
「松の事ハ松に習へ、竹の事ハ竹に習へ」
という声がするほうへ数歩歩いて・・・。

マーラーが手まねきする湖水の表面をしろい風が渡っていく。
薫風ではないが
破片となった哀しげな心ねをなででいくその微風に
遊女の後れ毛がそよぎ
ぼくは一夜 二夜そちらへと靡いて。靡いて。
それもまたよかろうなどと自分をなだめ
迷い猫を一匹 朝まで抱いている。
アダージョな秋 の五線譜に沿って
歩いていく 歩いて。

悠久の音楽へとたどり着く。
近世のうす明かりの向こうで郭公が啼いている。
諧謔的な じつに諧謔的なさかずき一杯の酒を呑みほし
千鳥足になりながら甘柿の木にもたれる。
熟した柿をもいでは歩いて。あるいて。
歩く影たちの世界が
ぼくをあの悠久の音楽の奥庭へとさそう。
やがて法隆寺の伽藍が見えてくるだろう。

鐘が鳴るほうへとぼくは曲がっていく。
ぼろぼろになった文庫本をふんずけたりしながら。



註:ここでいうマーラーのアダージョは、交響曲第五番第四楽章のアダージョを指しています。

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